鳥の歌 ― 2013年09月20日 23:36
鳥の歌
性格の悪さを売りにしていた、女優の持ち歌ではない。
(鳥の詩 杉田かおる:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=4M9UKrxma-w
だから、これじゃないって!。
(Casals "El Cant dels Ocells" at the U.N. Day カザルス『鳥の歌』:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=rt9iz3xApVg
(パブロ・カザルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9#cite_note-7
(鳥の歌 (カザルス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9)
「この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。」
「1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている」
まあ、演奏のほうはともかく、国連で、世界各国の高官を前に、94歳の演奏家が、ピース、ピース、ピースと3回も叫ぶ(その前に、「このピース(小品(楽曲などにおける小さい作品))は・・・」と引っ掛けているのは、独特のユーモアなのか)。
もともと「原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。」とある。
平和とは、関係ない。キリスト教は、しばしば暴力的である。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ!」という決め台詞が流行っているらしい。
(「やられたらやり返す。倍返しだ!」ドラマ【半沢直樹】の名言が色んな場面で使われてる)
http://matome.naver.jp/odai/2137518361745716001
まあ、どうでもいいんですが。
応酬の連鎖はエスカレートし、双方が耐え難くなるまで続く。
そして、いつの日か、人類は自らを滅ぼす。
(平和主義)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
耳に心地よいこの言葉も、妥協の産物である(そうじゃない思想って、あんのか?)。
絶対無抵抗は、相手の暴力の容認であり、平和主義ではないだろう。暴力行為を許せば、それだけが力を持つ社会を許すことになる。
だいたい、人間なんて、それほど上等に出来ているわけじゃあない。
アーミッシュのように、馬車に乗り、瓶詰め作って生きているだけじゃあ、収まらないのが人間だ。
(大切なこと)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/01/03/6679635
(心の中のとりで)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2011/12/27/6266339
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
その砦を攻めるために、また、守るために、新たな血が流れるのだ。
農業という最初の革命が起こり、土地に根ざした価値が生まれた。
国土は、絶対に守るべきものであり、財産であったわけだ。そのための争いは、当然ある。
工業という第二の革命が起こり、石炭、石油、鉄鉱石といった鉱物資源や加工燃料、動力燃料が価値の源泉となった。
原料や市場を押さえるための争いも、当然起こる。
コンピューターの普及とインターネットの発達により、第三の革命が起こる。
情報が価値を持ち、煮ても焼いても食えないものに、人々が夢中になる時代になった。
しかも、この価値の担い手は、易々と国境を越えて、グローバルに広がる。
いまや、食や物質に恵まれた我々は、情報を食らい、情報に飢え、情報を収集し、情報を発信する動物になった。
地球の裏側のメーカーと、電子メールで取引し、決済する。
それが、普通のことになる。
おかげで、CCRの修理とか、簡単に行えるようになった。
もう、何も争う種はなくなったと思ったら、宗教戦争紛いの紛争が収まらない。
こころの砦も、当てにならんな。
人類が、次にやるべきことは、唯一つ、平和の配当を受け取ることだろう。
(平和の配当)
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%BD%93
「冷戦終結の結果、米ロなどで軍事用の予算、人員、技術を民生用に振り向ける可能性への期待を表す言葉。米国ブッシュ(父)政権は、冷戦後の国防費削減傾向を逆転させ軍拡を推進。ロシアは軍事費が激減し、産業や研究開発の民生用転換が図られたが、雇用不安などから民需転換が期待通り進まず、かえって武器輸出を進める傾向もある。また、途上国に平和の配当が及ぶ期待がもたれたが、経済援助の減少、内政の不安定などから、期待外れに終わっている。」
まあ、変わり目にはいろいろあるだろうが、アホなことに金を使わずに、庶民の幸福のために使おうや。
そもそも、平和であることは、そのまま普通の生活を営むことができるという意味で、配当である。
確かに、生産性の低い土地へ追いやられて、経済的に貧しい状態におかれることもあるだろうが、戦争をしたからといって、それが解決されるわけではない。
別の話なのである。
鳥は、大空を舞い、国境を飛び越え、自由に行き来する。
鳥の歌が、自由な情報の往来と、それがもたらす平和の象徴なら、ピース、ピースと聞こえても、不思議はないかもしれない。
性格の悪さを売りにしていた、女優の持ち歌ではない。
(鳥の詩 杉田かおる:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=4M9UKrxma-w
だから、これじゃないって!。
(Casals "El Cant dels Ocells" at the U.N. Day カザルス『鳥の歌』:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=rt9iz3xApVg
(パブロ・カザルス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9#cite_note-7
(鳥の歌 (カザルス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E6%AD%8C_(%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9)
「この曲には、故郷への思慕と、平和の願いが結びついており、以後カザルスの愛奏曲となった。」
「1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」と語り、『鳥の歌』をチェロ演奏したエピソードは伝説的で、録音が残されている」
まあ、演奏のほうはともかく、国連で、世界各国の高官を前に、94歳の演奏家が、ピース、ピース、ピースと3回も叫ぶ(その前に、「このピース(小品(楽曲などにおける小さい作品))は・・・」と引っ掛けているのは、独特のユーモアなのか)。
もともと「原曲はカザルスの故郷カタルーニャのクリスマス・キャロルであり、聖誕を鳥が祝っている様子を歌っている。」とある。
平和とは、関係ない。キリスト教は、しばしば暴力的である。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ!」という決め台詞が流行っているらしい。
(「やられたらやり返す。倍返しだ!」ドラマ【半沢直樹】の名言が色んな場面で使われてる)
http://matome.naver.jp/odai/2137518361745716001
まあ、どうでもいいんですが。
応酬の連鎖はエスカレートし、双方が耐え難くなるまで続く。
そして、いつの日か、人類は自らを滅ぼす。
(平和主義)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9
耳に心地よいこの言葉も、妥協の産物である(そうじゃない思想って、あんのか?)。
絶対無抵抗は、相手の暴力の容認であり、平和主義ではないだろう。暴力行為を許せば、それだけが力を持つ社会を許すことになる。
だいたい、人間なんて、それほど上等に出来ているわけじゃあない。
アーミッシュのように、馬車に乗り、瓶詰め作って生きているだけじゃあ、収まらないのが人間だ。
(大切なこと)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/01/03/6679635
(心の中のとりで)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2011/12/27/6266339
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
その砦を攻めるために、また、守るために、新たな血が流れるのだ。
農業という最初の革命が起こり、土地に根ざした価値が生まれた。
国土は、絶対に守るべきものであり、財産であったわけだ。そのための争いは、当然ある。
工業という第二の革命が起こり、石炭、石油、鉄鉱石といった鉱物資源や加工燃料、動力燃料が価値の源泉となった。
原料や市場を押さえるための争いも、当然起こる。
コンピューターの普及とインターネットの発達により、第三の革命が起こる。
情報が価値を持ち、煮ても焼いても食えないものに、人々が夢中になる時代になった。
しかも、この価値の担い手は、易々と国境を越えて、グローバルに広がる。
いまや、食や物質に恵まれた我々は、情報を食らい、情報に飢え、情報を収集し、情報を発信する動物になった。
地球の裏側のメーカーと、電子メールで取引し、決済する。
それが、普通のことになる。
おかげで、CCRの修理とか、簡単に行えるようになった。
もう、何も争う種はなくなったと思ったら、宗教戦争紛いの紛争が収まらない。
こころの砦も、当てにならんな。
人類が、次にやるべきことは、唯一つ、平和の配当を受け取ることだろう。
(平和の配当)
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E9%85%8D%E5%BD%93
「冷戦終結の結果、米ロなどで軍事用の予算、人員、技術を民生用に振り向ける可能性への期待を表す言葉。米国ブッシュ(父)政権は、冷戦後の国防費削減傾向を逆転させ軍拡を推進。ロシアは軍事費が激減し、産業や研究開発の民生用転換が図られたが、雇用不安などから民需転換が期待通り進まず、かえって武器輸出を進める傾向もある。また、途上国に平和の配当が及ぶ期待がもたれたが、経済援助の減少、内政の不安定などから、期待外れに終わっている。」
まあ、変わり目にはいろいろあるだろうが、アホなことに金を使わずに、庶民の幸福のために使おうや。
そもそも、平和であることは、そのまま普通の生活を営むことができるという意味で、配当である。
確かに、生産性の低い土地へ追いやられて、経済的に貧しい状態におかれることもあるだろうが、戦争をしたからといって、それが解決されるわけではない。
別の話なのである。
鳥は、大空を舞い、国境を飛び越え、自由に行き来する。
鳥の歌が、自由な情報の往来と、それがもたらす平和の象徴なら、ピース、ピースと聞こえても、不思議はないかもしれない。

コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。