二つの9612014年03月31日 17:44

二つの961
二つの961


フェラーリを撃墜する、ポルシェの最終兵器として開発中のクルマがあるんだそうだ。

(ポルシェの新型スーパーカー 960、フェラーリに挑む)
http://response.jp/article/2011/10/06/163412.html

「新型スーパーカーは、開発コードネームが「960」。新開発のミッドシッププラットフォームには、最大出力600psレベルを引き出す3.8リットル水平対向エンジンを搭載するという。」

まあ、3年も前の記事だから仕方ないが、最近の記事にはこうある。

(【噂】ポルシェ 960(仮)、ターゲットを458からF12へ!?)
http://blog.livedoor.jp/motersound/archives/51766370.html

「ポルシェが開発を検討しているとされている新たなスーパーカー"Porsche 960(ないしは"961"と呼ばれると言われている)"」

「また、960のエンジンについて、このポルシェの関係者は、以前噂されていた水平対向8気筒エンジンを否定。」

「おそらくは、"Audi R8"に搭載されるV型8気筒エンジンないしはV型10気筒エンジンに、F12 ベルリネッタの最高出力740psの排気量6,262cc 65° V型12気筒エンジンに匹敵するように、過給器などが装着されることが予想される。」

「シャシーに関しても、次期型の"Audi R8"と共有されるようだ。」

なんと嘆かわしい・・・。

かくして、ポルシェのスーパーカーといえども、アウディ軍団の魔の手から逃れることは出来なかったのである。

しかし、ちょっと待てよ!?。

ポルシェ961って、どっかで聞いたことないかあ?。

(ポルシェ・959:レース活動)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BB959#.E3.83.AC.E3.83.BC.E3.82.B9.E6.B4.BB.E5.8B.95

「1986年のル・マン24時間レースには961の名でIMSA-GTXクラスに出走した。」

「1987年にはロスマンズカラーを纏ってIMSAクラスに参戦するが、エンジントラブルにより炎上リタイアし、これが961の最後のレースとなった。」とある。

(1986 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1986_24_Hours_of_Le_Mans

総合7位、GTXクラス優勝である。

(1987 24 Hours of Le Mans)
http://en.wikipedia.org/wiki/1987_24_Hours_of_Le_Mans

着外だけど、20番目に載っている。

(Porsche 961)
http://en.wikipedia.org/wiki/Porsche_961

「The 961 project was short lived, running only three races and seeing the construction of only one car.」
(961のプロジェクトは短命で、たった1台の製作で3レースに姿を見せただけだった:浮沈子:訳)

だったら、使いまわしてもいいってもんじゃないだろう!?。

まあいい。

浮沈子の管理下にある開発コードじゃないし・・・。

デイトナ24時間にも出てたようだ(クラス11位、総合24位)。

4輪駆動のサーキットレーサーというのは、珍しいんだそうだ。

グループBの仕様では認められていたらしい。

と、まあ、こういうわけで、961というのは被ったわけだな。

(ポルシェのトップモデルの名称"961"に!? 価格は4,400万円?)
http://blog.livedoor.jp/motersound/archives/51656325.html

「ちなみに"961"は80年代のグループBレースマシンの名称の復刻である。」

いちおう、分かっちゃいるわけだ。

浮沈子がこのクルマに注目しているのは、ミッドシップカーである点だ。

もちろん、中身はR8なので仕方ないんだが、ポルシェとしてはボクスター・ケイマン、961、918と続く、MRのラインアップが出来上がるわけだ(値段が離れすぎですが・・・)。

(【レポート】ポルシェが2015年に発売予定の新型モデル「960」は4ドアクーペに!?)
http://jp.autoblog.com/2012/05/10/porsche-960-to-be-a-ferrari-fighting-four-door-coupe/

2012年05月10日の記事だが、4ドアクーペってこたあないでしょ?。

MR2座のポルシェのエンブレムを付けたアウディR8(ベビーランボでもいいですが)になることだけは、間違いなかろう。

フォルクスワーゲンのダウンサイジング戦略に揺ぎはないので、下手したらV6ツインターボかなんかで出てくるかもしれない(浮沈子は、ボクスター・ケイマンの4気筒ショックから立ち直っていない・・・)。

まあ、もう、どうでもいいんですが(なげやり・・・)。

マティアス・ミューラーというCEOは、ポルシェにとって救世主なのか、売国奴なのか・・・。

フェラーリにしたって、フィアットの傘下に入ってはいるが、アルファロメオのエンジン積んだという話は聞いたことがない。

ブガッティベイロンのW16+クワッドターボ積めとはいわないが、せめてV10+ツインターボでベルリネッタでもラフェラーリでも撃墜してもらいたいもんだ。

まあ、ポルシェのことだから、どんなエンジン積んでも、どんなシャシーを押し付けられても、キッチリ仕上げてくることは間違いないだろうが、3000万以上の価格に相応しいクルマになるんだろうか。

当然、アルミベースのシャシーということになるわけで、フルカーボンで1億円越えのラフェラーリには届かないだろうが、マクラーレン辺りとはいい勝負になってしまうんじゃないか。

(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」の画像と概要を発表!)
http://www.huffingtonpost.jp/autoblogjapan/650s_b_4840881.html

こっちは、当然フルカーボンだろう。

(マクラーレン、650Sの価格を発表)
http://carview.yahoo.co.jp/news/newmodel/200325/

「イギリスでの販売価格はクーペが19万5250ポンド(1ポンド=170円換算で約3320万円)から、スパイダーは21万5250ポンド(約3660万円)から設定される。」

わお、ガチンコだな。

割安感さえある。

ポルシェ961は、前門のフェラーリ、後門のマクラーレンという窮地に陥りかねない。

ミドルクラスのスーパーカー市場は、妙に活気付いているようだが、浮沈子的には中途半端なクルマに映る。

アルファ4Cとかの方が、むしろ潔いというか、クルマはエンジンじゃないぞ!、という説得力を感じる。

クルマはエンジンだぞ!、というには、やっぱ1億払わなくっちゃいけないんだろうし・・・。

そう考えると、アヴェンタドールって、スゴイクルマだよな。

(ランボルギーニ・アヴェンタドール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB

「カーボンファイバーモノコックを採用し、サスペンションはプッシュロッド式、エンジンは新設計のV12となっている。」

このクルマは、たぶん、フォルクスワーゲンの匂いしないだろうし・・・。

これで、4千万円台で出しちゃうんだから。

どっちにしても、プラモデルかミニカーしか買えないけど。

しかし、MRっていいよなあ。

スーパーカーでなくてもいいから、キッチリ仕上げたMRのスポーツカーに乗って、吸い付くようなハンドリングを味わっていたい。

夢でしか乗れないスーパーカーに連なるMRの系譜。

自動車のもう一つの歴史を彩るレーシングカーの系譜でもある。

憧れのクルマたちは、幸か不幸か、今でも憧れのままである。

いつかは6インチ2014年03月31日 20:56

いつかは6インチ
いつかは6インチ


ⅰPhone(アイホン)が、大きくなるという。

(iPhone 6、ケースメーカーがすでに試作品を作る)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/30/iphone6-prototype_n_5060689.html#slide=3530972

浮沈子は、ユーザーではないが、アイポッドタッチを持ち歩いていたことがあって、少し気になる。

「・4.7インチと5.5インチの2サイズ展開。
・液晶はサファイアクリスタルで覆われている
・解像度が326ピクセル/インチから、441に。
・手ブレ補正付きの800万画素カメラ
・レンズはiPhone 5sのF2.2からF1.8に。
・802.11ac準拠のWi-Fi
・気圧、温度、湿度センサー
・太陽光で充電できる機能がつくかも?」

スペックで驚いたのは「気圧、温度、湿度センサー」というところだ。

天気予報でもやろうというのか?。

太陽電池を使って充電するというのは、腕時計などでは既に行われているが、消費電力が大きいスマホではどうかな。

しかも、概ね太陽の下で使うことは少ないし。

だって、液晶に直射日光当てたら醜いから。

うーん、浮沈子は、この機能は付かないと思う。

大きさは、今までもモデルチェンジの際に小さくなったことはない。

本当は、コンセプトとしては小さい大きさのままにしておきたいのだろうが、大きい方が売れるから大きくする。

で、それじゃあいやだ、という人向けに小さいのも作る。

アプリケーション開発に問題はないんだろうか。

まあいい。

どーせ、浮沈子は買わない。

なぜか、買わない。

使いやすさや、スマートな発想は、アイポッドタッチを使っていて良く分かる。

このヒューマンインターフェイスこそが、アイホンの財産なのだ。

そして、シンプルな作り。

過剰なスペック競争から離れて、必要なものに絞り込んでくる。

ディスプレイはその一つだろう。

アイパッドもそうだが、本当に綺麗だ。

アップルの面目躍如である。

今度もまた、解像度が上がる。

目で見てもドットが分からないから、ラティナ・ディスプレイ(網膜ディスプレイ)と呼んだのだろうが、今度はマイクロスコープ・ディスプレイ(顕微鏡ディスプレイ)とでも呼ぶのかな。

問題なのは、ウエアラブルとの連携とかどうなるかというところだ。

スマホは、既に行くところまで行ってしまっている。

これ以上の機能は、人間の方が使いこなせない。

まあ、そのためのアプリで、使える人だけ入れればいい。

ネットワークの世界への入り口としては、これ以上の機能はいらないような気がする。

浮沈子が、使いこなしていないからだけかも知れない。

まあ、どうでもいいんですが。

ディスプレイは、必ず6インチになると信じている。

実際、エクスペリアZウルトラの画面(6.4インチ)を見ていると、その大きさに驚く。

それは、ポケットに入るギリギリの大きさで、なおかつ「電話」として許せるギリギリの大きさでもある。

7インチで電話してたら異様だよね。

で、浮沈子はシムがうまく刺さらなかったこともあって、通話は別のスマホですることにした。

こうすれば、格安データ通信用シムを入れて、シンプルに持ち歩ける。

ストリーミングが聞きたければ、ワイマックスのポケットルーターも持っていくけど。

アイホンをもっている人たちのかなりのボリュームは、大きな画面で操作したり閲覧したりしたいと思っているに違いない。

老眼になってみると、そのことが良く分かる。

分からない方は、小さいのでいいんじゃない?。

いつかは6インチ。

確信は、深まるばかりだ。

クルマとは何か2014年03月31日 22:58

クルマとは何か
クルマとは何か


大層な表題だが、大したことはない。

少し前の記事を読んだ。

(吉田匠×新ボクスター&理想のボクスター論:908/3カラーのヤル気バージョンにやられた!)
http://carview.yahoo.co.jp/article/testdrive/100038/3/

長いが引用する。

「で、そこを走り始めた908/3カラーのヤル気バージョンは、19インチタイヤを履いた派手な出で立ちとは裏腹に、洗練された乗り味で僕を驚かせた。このクルマのサスペンションは、全体に気持ちよく締まっているにもかかわらず微小入力のショック吸収性が極めて優れていて、路面の当たりが素晴らしくスムーズなのだ。おそらく、オプションのPASMの特性変更とタイヤの低空気圧化が効いているのだろう。しかもそれでいて、ステアリングの感触、およびその操作に対する反応はニュートラルで、切り込むと同時にドライバーが想定したとおりのクイックさで向きを変え、狙ったとおりのラインを駆け抜けていく。」

人車一体の走る喜びが、文章に現れている。

プロだから、その好感触が何によってもたらされているのかの分析に余念がないが、それはそれ。

最近、故あって、助手席に乗ることが多いが、ステアリングやペダルを操作していなくても、クルマの良し悪しの一端を垣間見ることがある。

ナチュラルな動き、それが全てだ。

クルマに乗っているのは人間である。

生身の人間だって、動き回る。

耳の奥には加速度センサーも持っている。

さらに、内臓や筋肉でも動きを感じる。

それらの動きに合わせて、筋肉を緊張させたり弛緩させたりする。

目や耳で情報を仕入れ、それらとの整合性をチェックする。

浮沈子は、乗り物大好きなくせに、乗り物酔いが酷い。

自分で運転する車に酔うこともあった(マジかよ?)。

最近では、グアムやピピののダイビングボートで酔いまくった。

穏やかな海とかは、余り関係ない。

結構揺れたアルミボートでは、全く酔わなかった。

ナチュラルな動き、それが全てだと確信している。

ドライブでいえば、サスペンションの挙動。

スポーツカーの試乗記を読むと、固いけれども不快ではないとか、締まった足回りだが突き上げはないなど、二律背反な表現を見かけることがある。

吉田匠氏は、そこのところを少し丁寧に説明している。

引用の中にこうある。

「全体に気持ちよく締まっているにもかかわらず微小入力のショック吸収性が極めて優れていて、路面の当たりが素晴らしくスムーズなのだ。」

実際、自分のポルシェやお店でちょい乗りする試乗車に乗って感じるのは、表面の手触りの良さとしっかりとした腰の強さである。

当たりは柔らかいのだが、ぐにゃぐにゃしていない。

押せば押しただけ、しっかりと手ごたえがある。

なかなか破綻しないし、その変化のプロセスもリニアで唐突感がない。

それらを実現している要素には、ボディ剛性やサスペンションの特性、タイヤの性格などが複雑に絡んでいる。

83タルガの場合には、レカロのシートも大きいな。

しかし、それらが相まって、絶妙に混ざり合い、高め合ったり補ったりして一つの味を作る。

ナチュラルな動き。

人間が不快にならない、むしろ、心地よいと感じる動き。

遠い遠い記憶の中に、仕舞い込んでいる動きだ。

その根源的な動きに対する快・不快をわきまえて作られた車が、心地よいのだ。

助手席に乗っていると、ハンドルやペダルを操作しない分、そういった「自分のゆすられ方」に敏感になる。

小さい振動や、大きな揺れや、加速減速の時のシートの表面の滑りやすさもハッキリとわかる。

卵の黄身のように、人間は車の中で揺すられる。

まだ、うまく表現できないが、その人間の感性に寄り添って作られたクルマが、いいクルマなのだと最近分かってきた。

スポーツカーは、正にそのことを突き詰めて作られている。

レーシングカーのように、絶対的な速さを刻むのではなく、セダンやワゴンのように室内空間や安楽さを追求するのではなく、走ること、ただそれだけのために、作られる(まあ、それだけじゃ売れませんが)。

ハンドリングでも、ある速度域になってしっとりするクルマもあれば、どの速度域でも気持ちのいいクルマもある。

もちろん、パワーアシストのチューニングとかもあるだろうが、クルマ全体のバランスや、剛性感、サスペンションによっても変わってくるのだろう。

曲がることが気持ちいい。

わけもなく、車線変更したくなる(良い子はマネしないでね!)。

この試乗記では触れられていないのが残念だが、ポルシェのブレーキは本当に気持ちいい。

浮沈子は、03ボクスターを乗り始めた頃、このブレーキを味わうために、無意味に加速していたような気がする。

こういった、ナチュラルな動きを実現するために、メーカーは(ポルシェに限らず)大変な手間隙かけてチューニングする。

記事の中にも、試乗車の個体差について触れられているが、特にポルシェの場合は、イヤーモデル毎に乗り味が変わるほど、しつこく弄っている。

いや、絶対そうに決まっている。

部品番号を見たりすると、年式で変わっているものが結構ある。

もちろん、調達先や様々な都合で変えるものもあるのだろうが、ヤツラは偏執的に弄っている。

最近は、サスとかハンドリングを切り替えて、様々な乗り味を実現しようとしているが、そこで変えられるものは表面的なものだ。

クルマのディメンション、車重、重心の位置、その周りのモーメントは、弄りようがない。

浮沈子は、クルマはエンジンだと信じているが、今日の話にエンジンは出てこない。

その話をしなくても、車の話は山ほどある。

その、エンジン以外の話のキモが、ナチュラルな動きを実現することなのだ。

クルマは、交通社会の構成要素だから、安全性や環境性、経済性など様々な要求をクリアしなければ商品として成り立たない。

ポルシェといえども、実際には妥協の産物なのだ。

その妥協点を如何に高みに置くか。

金属とガラスと樹脂とゴムとで作られた機械に、どうしたらナチュラルな動きを与えられるか。

「テスト初日のシチリア島北西部には突風が吹き荒れていたから、深い谷を渡るブリッジの上ではステアリング操作に神経を集中する必要を感じたし、道路を粘土質の土が覆った場所では当然ながら細心のスロットルワークを要求されたが、それはそれとしてボクスターの実力の高さと気持ちよさをあらためて見直した気分になったものだった。」

神経を研ぎ澄ましたステアリングの操作に反応し、細心のスロットルワークをしっかりとタイヤに伝達することが出来て、初めて高揚したドライブが可能になる。

機械の神様は、機械のことしか考えない。

機械としてきちんと動作し、適正に選択された材料と構造を支配する。

しかし、クルマとは人間が移動するための機械だ。

そのうち、運転が機械の世界に行ってしまうことは最早疑う余地はない。

しかし、その時に、中に乗っている人間にナチュラルな動きを与えることが出来なければ、それは出来の悪い機械だ。

無人で走るクルマなら、それでも良い。

人間が乗って走る以上、ある意味では、ナチュラルな動きを実現することは、最も優先度が高い目標なのではないか。

うまく表現できないもどかしさはあるが、この辺にする。