呼吸2016年01月04日 20:41

呼吸


年末年始の伊豆合宿も終わり、10日分の洗濯(クセー!)と、器材の片づけを済ませる。

今後の日程の細部は詰められなかったが、1月はIDCサポート。

2月、3月でポセイドンのアシスト、4月にインスピ。

途中のどこかで、SPI(エンリッチドエアとディープ)、テックサイドマウント。

5月以降は未定。

6月に、パラオでインスピの自主練習(イントラの日程が合えば、講習)。

7月以降の予定はない。

この他に、年頭の目標として掲げたのは、体重のコントロールは別にして(なんで、今から予防線張ってんだよ!?)、ポセイドンのテック40CCR、ポセイドンのCCRインストラクター、インスピの60mまでのトライミックス。

メインは、ポセイドンのインストラクターだな。

レクリエーショナルレベルのCCRを、早く教えることができるようになりたいのだ。

そうすれば、いろいろなところでCCRを使って潜ることができるようになり、さらに受講生が増え、ますますCCRで潜りやすくなる(たぶん)。

今までは、インスピなどのテクニカル系の器材が主流だったが、これからは数的にはレクリエーショナルレベルが多くなる(たぶん)。

我が国では、PADIの教材で日本語化されたものがないからか、本格的な普及には至っていないが、翻訳作業が進めば(生徒用だけではなくて、インストラクター用も)、普及のスピードが速くなるのではないか(たぶん:希望的観測)。

価格的な問題は、普及に伴って相対的には安くなるだろうし、そうなれば一時的には安全性も高くなる。

なぜなら、現在は、高額商品を買えるのは、一部のジジババ(?)に限られているが、若い人が増えてくれば、物覚えもいいし、基礎疾患も少なく、初めのうちは用心するだろうから事故率も下がると思われるからだ。

そのうち、オープンサーキットと同じような感覚で始めるダイバーが増えてくれば、事故(CCRの場合は、概ね死亡事故だな)は激増するだろう(これは、当たって欲しくない予想だが)。

呼吸するガスが、毒ガス(?)に変わってしまっていても、気付かずに呼吸できてしまう器材だ。

浮沈子のように、何年使っていても、モニターをチェックし忘れたり、酸素のバルブを開け忘れたりする。

イチコロダイバー続出!。

もちろん、そんなことにならないようにするために、インストラクターの存在意義があるんだがな。

そのインストラクターの方がトラブル続出では、シャレにならない。

反省・・・。

持ち込んだ器材にトラブルが発生した時に、きちんと対応して、最小限に影響を抑えてくれる態勢も欲しいところだ。

パパッとその場でレンタル出来たり、予備の部品と交換できるようでないと、複雑な器材に依存するCCRの場合は、十分に楽しむことが出来ない。

現地サービスとしても、選ばれていくことになる。

酸素とソフノダイブを調達できるだけでは、話にならない。

それでビジネスになるかどうかは、ちょっと考え物ではある。

CCR対応ということは、単に看板を掲げるだけでなく、それに相応しい品質の技術やダイビングサービスとしてのレベルを維持しているということになり、店のステータスを高めることに繋がる。

いや、そうでなくては、危なくて使えない。

そういう、信頼のおける現地サービスとして、全国(あるいは、全世界)の注目を集めることが出来れば、安心してインストラクションの場として使うこともできるし、その後のファンダイブ(こっちがメインでしょ!?)の場としても活用できる。

そこに、CCRでガイドしてくれる方がいれば、なお良い。

別に、ガイドはCCRである必要はない。

30m位なら、エンリッチ入れて、サイドマウントで2本差しにすれば、ガスは食うだろうが、NDLだって、それほど違いはしない。

テクニカルダイビングの素養があれば、浅いところでは濃い目のナイトロックスに切り替えるなり、最後に純酸素吸ってつじつまを合わせることも可能だ。

コスト的には、その方が安く上がるということもあるだろう。

でも、まあ、せっかくCCRなんだから、ガイドさんもCCRというのがいいな。

マンツーマンでは、ペイしないかもしれないけどな。

その辺りが難しいところではある。

そう考えると、シングルタンクのダイビングというのは、かなり割高ということにもなる。

ダイビングフィーでみれば、CCRはそれほど高いとは言えないのではないか。

この辺りは、もう少し研究してみよう。

いずれにしても、レクリエーショナルレベルのCCRの普及に、少しでも早いところ寄与したいというのが浮沈子の希望である。

テクニカルレベルのスキルアップと、インスピという別の器材でのトレーニングは、インストラクターとしての技量や知識を維持、発展させるための肥やしなので、同時並行的に継続できればそれでいい。

ポセイドンしか知りませんとか、テクニカルレベルのことは、全く分かりませんというのも、何となく、受講生に申し訳ないような気もするしな。

発展家のダイバーが手を出す器材なので、興味とか、知識欲とかは旺盛な方が多いだろう。

2月からアシストする予定の、ポセイドン受講者から質問があった。

ソレノイドバルブに供給する中圧(酸素側)は、一定の範囲に収まらなければならないが、大深度下でも同一の圧力でいいのかについて、浮沈子は明確には答えられなかった。

不勉強の至りである。

器材苦手なんで・・・。

いやいや、そんなことでは、インストラクターを名乗るわけにはいかないな。

今度、少し徹底的に勉強してみよう。

年末年始の合宿で、水中での呼吸の話が出た。

ストレスダイバーは、呼吸が速く、ガスの消費も多く、概ね浅い呼吸なので、換気の効率も悪く、さらにストレスが増えていくという悪循環に晒されていくという話だ。

もちろん、オープンサーキットでの話だが、CCRにおいても、安定した呼吸は基礎中の基礎、ミニマムボリュームを保つ上でも、急に強く吸ったりしてADVを不用意に作動させないという観点から必要なスキルだ。

レクリエーショナルレベルの深度ではほとんど影響はないが、100mを超えてからの呼吸抵抗の増加は大きく、大深度のレコードブレーカーが命を落とすこともある。

ストレスと呼吸には、密接な関係があり、水中でのストレスダイバーには、まず、動きを止めて、大きくゆっくりとした呼吸をさせて、落ち着かせるというのは重要な対応だ。

安定した呼吸を取り戻せば、次に何を行うべきかを判断することができるようになる。

浮沈子は、水中でへたり込んだことが何回かある。

テニアンでのオープンウォーター講習の際にも、テックサイドマウントの講習のプール講習でもへばった(プールでかよ!?:メタリコン2本だったので!!←2本)。

テックサイドマウントの講習では、プールから上がってから、少し戻した。

きっと、過呼吸状態が続いていたんだと思う。

自分では気づかなかったが、きっと、柏崎さんは見てたんだろうな・・・。

今回は、呼吸に関するそんな話を聞いてからのトレーニングダイブだったので、ステージボトルを付けられずに悪戦苦闘している際も、呼吸には気を付けていた。

メインタンクのボトムを、違うDリングに付けろという指示で、何とかつけることができたが、深度と安定した呼吸は維持した(たぶん)。

2本目のダイブからは、なんとか自力で付けることができたし、ノートックス手順で、ガス交換もできた(セルフトレーニング)。

エア切れ状態(リアル!)の柏崎さんに、ステージのガスを供給するときに、バルブを開け忘れたのは、単なるミスである(CCRの時には、水中ではステージボトルのバルブは解放しているので、ちょっと気付くのが遅れた)。

決して、首切りサインしか出していなかったからではないので、念のため(PADIのサインでは、首切りだけではガスがないというアピールにしかならず、さらにレギュレーターを叩くようにしないと、ガスをくれという意味にはならないそうだ)。

まあ、どうでもいいんですが。

その深度、そのプロファイルにおいて、正しいガスを安定して呼吸する。

テックだろうが、レクリエーショナルだろうが関係なく、最も基本的で重要なスキルだ。

それは、オープンサーキットでも、リブリーザーでも変わらない。

吐き出した後のガスを、水中にぶちまけるか、そうでないかの違いだけで、吸う時は同じなのだ。

中性浮力、トリム、フィンワークが重要といわれるが、呼吸だって馬鹿にはできない。

呼吸は、陸上でも、ヨガとか太極拳では大切な技術だし、浮沈子がやっていた陸上競技(えーっ、ホントかよ?)でも、呼吸の維持やコントロールは、循環器系や筋肉の性能を最大限に発揮する上で重要な要素だ。

今までは、何気なく行っていた呼吸。

オープンサーキットの経験が増えてくるにつれて、CCRとの比較における呼吸の役割(浮力調整や、安定した中性浮力の維持)が見えてくる。

そして、水中でのメンタルの安定にも、重要な役割を持っていることを再確認する。

これから講習が進んでいくにつれて、新たな発見や、再認識があるに違いない。

見た目では、バックマウントのシングルタンク、サイドマウントの最大4本のタンク、CCR(ポセイドンとインスピ)と、全く異なる器材だが、ここ数年、吸っているのはただのナイトロックス(21パーセントの酸素=クウキ含む)である。

早く、ヘリウム吸いてーっ!。

深夜の第三京浜2016年01月05日 01:58

深夜の第三京浜


83タルガにダックテイルを付けた。

カッコ悪い・・・。

もう少し、サマになるかと思ったんだがな。

ちょっとがっかりだ。

おまけに、前が浮く(オープンだと、特に)。

フロントにスポイラーが付いているが、リアスポイラーとバランスして、いい具合になると思ったんだがな。

ブレーキにジャダーが出ている。

ディスクが寿命なのか。

うーん、悩ましいところだ。

サーペンタイルベルトが鳴く。

ハンドルが左に取られる癖が、少し強くなったようだ。

シフトレバーがセンターに戻らないのは、慣れればどうということはない。

このままでも、全く支障はない。

しかし、屋根を付けたときの風切り音は、耐えられない程大きくなった。

久々にノリのいいスピードだったので、気になっただけかもしれない。

明日、少し補修してから走ってみよう。

屋根と三角窓との隙間風であることは分かっている。

トリップメーターが、積算しなくなっていたので、再度リセットしたら動き出したようだ。

50km程、追加して計算すればいい。

リセットの度に、気を付けることにしよう。

ドアの閉まりは、調整したら、余計に悪くなった気がする。

勢いよく閉めないと、浮いてしまう。

ちょっと興醒めだな。

せっかく調整してもらったのに・・・。

ウェザーストリップが、へたっているのかもしれない。

いろいろ、細かいところは気になるが、それらを全て帳消しにしてくれるのが、いったん温まると、モーターのようにスムーズに回るエンジンだ。

この感触を楽しむためだけに、このクルマを維持しているようなもんだな。

まるで、マルチシリンダーのオートバイのエンジンのように、滑らかに澱みなく吹け上がる・・・。

6200回転まで、キッチリ回る。

点火系か、燃料カットか分からないが、そこでガクッと落ちる。

パーシャルで回している時でも、気持ちいい回転は変わらない。

ショックがへたり、トーションバーが柔になっても、このエンジンと、相性のいいトランスミッションがあれば、恐いものはない。

ストリートカーは、タイムを削り取るマシンではない。

基本的に、走って気持ちがいいかどうかだ。

残念なのは、その速度域が、我が国の交通環境や法規に馴染まないだけ。

浮沈子は、袖ケ浦で走らせる時でも、タイムより気持ちよさを優先させる(だから、1分30秒切れないんだな)。

今日は、深夜の第三京浜で、ダックテイルの特性を確認するために、それなりの速度で短距離を走ってみる。

何度かブレーキも掛けて、踏み代や踏力を確認する。

ジャダーが出るのは、軽く街道で踏んだ時だけで、高速から一気に踏んでも、片効きしているようなことはない。

袖ケ浦で走らせる分には問題ないだろう。

ブレーキパッドとかも、点検してもらっているはずだ(未確認)。

左に取られるのは、タイヤのせいかもしれない。

山は十分あるので、暫くこのまま乗ることにしよう。

ダックテイルは、屋根を付けて走れば、気になる挙動はない。

やや安定感が増した感じはするが、気のせいかもしれないしな。

ケツを振って走っているような気配は、微塵もない。

リアの接地性が向上したことは、間違いない。

高速走行時の安定感は、損なわれていない。

まあ、法定速度に毛が8本付いたくらいでは、本当のところは分からない(良い子は、マネしないでね!)。

袖ケ浦の最高速くらいなので、その速度域までで妙な挙動を示さなければ、それでいいのだ(法定速度は、守りましょう!)。

保土ヶ谷往復だけではもったいない気がして、環七を少し走って、目黒通りから、もう一度第三京浜に入る。

都筑までのショートコースを流す。

料金所からの加速で、リミッターを効かせて、再度健康診断して戻った(あそこの法定速度は60kmです!)。

まあ、こんなもんかな。

このエンジン、美味しい。

ツボにはまったときの感じは、絶妙だ。

ターボのような湧き上がるトルクはないが、回転の高まりに素直に追随する、リニアなトルクを味わえる。

3速とかで走っていると、とろけそうだ・・・。

ホイールベースの短さで、クイクイと進路変更する。

それも楽しい。

無意味に車線を変えたくなる(蛇行運転は、危険なのでやめましょう!)。

周りのクルマに迷惑を掛けないように、綺麗に抜き去ってから車線変更する。

真夜中に走り回る、怪しげな黒いダックテイルの空冷タルガ・・・。

そんなオリジナルモデルなんて、ありっこないって!。

が、これで、カッコは一応整った。

冬、エンジンに一番いい季節だ。

しっかりと暖機してから、丁寧に回していけば、美味しい回転域では、甘いとろけるような感触を味わうことができる。

ダックテイルは、オープンにしている時には効き過ぎるということが分かっただけでも、今日は収穫だった。

屋根付けた時の風切り音対策だけで、とりあえずはいいかな。

空調のファンコイルを交換した効果は、あまり感じられなかったが、カラカラとした異音がしなくなっただけでも、少し回してみようという気になる。

雨の日とかのガラスの曇りが取れればいいのだ。

さてと、心地良いエンジンの咆哮を夢で聞きながら、眠るとするか・・・。

TP10アップデート2016年01月05日 10:02

TP10アップデート


ThinkPad10をウインドウズ10240から、アップデートする。

この機種は、2か月くらい遅れてアップデートされるようだ。

いわゆる、ノーベンバー・アップデートというやつ。

順番が遅いのか、それとも、機種ごとに対応が異なっているのかは不明だ。

(Windows 10初の大型アップデートはココに注目 (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/24/news046.html

「実際にシステムのバージョン情報を確認すると「1511」の名称が表示される。」

どれどれ・・・。

「バージョン1511(OSビルド10586.36)」

なるほど。

このブログを打ち込んでいるノートパソコンであるTPのX220と同じになった。

アップデート後の修正パッチも当てて、細心になったことを確認する。

このアップデートの目的は、何なのだろうか。

単なるバグ取りなのか、機能の追加があるのか(その中には、当然、新たなバグが・・・)。

「Microsoftが最初のWindows 10リリース(7月29日時点)で本来出したかったもの」

「新機能の追加などブラッシュアップ以上の変更点もあるが、全体として未完成な感のあったWindows 10を補強するような(より完成品に近い)アップデートだ。」

(次のWindows 10大型アップデート「Redstone」はいつ登場する? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/18/news046.html

「OSを代替わりすることなく、定期的なアップデートでバグ修正やセキュリティ対策を行いつつ、OSの機能強化を少しずつ進めていく「永遠に未完成」の状態を維持していくとみられている。」

「悪く言えば「当初計画していて実装が間に合わなかった機能を後のアップデートで追加するやり方」となる」

なんだ、今までと同じじゃん!。

ユーザーは、永遠にベータテストをやらされる羽目になるわけだな(場合によっては、アルファテストも?)。

まあいい。

マイクロソフトとは、そういう会社だし、それを承知で製品を買うのは、消費者の自由だ。

具体的なアップデートの内容は、この記事に出ている。

(「Windows 10は皆さんと一緒に作るOSです」――“November Update”で日本語版はどう変わった? (1/3))
http://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1511/19/news052.html

「パーソナルアシスタント「Cortana」が日本語に対応」

「日本語フォント「游ゴシック」の改善」

「話題のワードも簡単に変換できるMS-IMEのクラウド候補」

「細かい使い勝手が向上したMicrosoft Edge」

「標準搭載アプリの改良」

「多数の法人向け機能も強化」

初出の記事で注目しているのは、コルタナのウインドウズストアとの関連での発展と、エッジの機能強化(不足?)、企業対応の強化ということになる。

浮沈子には、あまり関係ないな。

ブラウザーはクロームだし。

「以上を振り返ると、日本語がサポートされたCortanaを除けば、November Update(1511)の主要な新機能は、企業向けのものに偏っているのではないかと考えられる。」

「これは、同アップデートのタイミングで初めて登場したWindows 10 Mobileに由来するものだ。MicrosoftはWindows 10のモバイル環境における企業ユーザーへの浸透を重視しているのだろう。」

パソコンのOSを、がっちり握るマイクロソフトならではの戦略だが、そううまくいくのだろうか。

今回のアップデートは、企業向けの改善が中心だったということで、納得した。

浮沈子には余り関係ないが、来年辺りリリースされる次期大型バージョンアップに期待というところかな。

コルタナを使ってみたが、合成音声がショボイのでガッカリ(追加)。

エピソード7(ネタバレ注意!)2016年01月05日 21:13

エピソード7(ネタバレ注意!)
エピソード7(ネタバレ注意!)


超ネタバレ(!?)なので、迂闊にも読み始めてしまった方のために、少し、周辺の話から始めようか。

といっても、予告編の話から。

(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=BDvZ9UECfj8

この予告編、実によくできている。

というより、本編そのものが、壮大な予告編のようなものだから、どこを取っても絵になる。

本編では、巨大な構造物が出てきて、当然、高所恐怖症の浮沈子には、脚のすくむシーンもある。

宇宙船の追いかけっこも迫力満点、ご都合主義的な設定も相変わらずだが、分かり辛いところもある。

<<<この辺りから、本格的なネタバレなので、知りたくない方は、読まない方がいいです。>>>

(「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」予告編2:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=SdAUiyeJMFQ

予告編に登場している女性が、新たなヒーロー(ヒロイン?)である。

まあ、エピソード7は、浮沈子的にはエピソード4(第1作)のネクストジェネレーション版というとこだな。

親子の確執を描いた物語は、今度は兄妹げんかのような感じになってきた。

強いフォースを宿していたのは、ダースベイダーの孫にあたる2人の兄妹ということだ(たぶん)。

レイア姫(レイア・オーガナ将軍)には、あんまフォースはなさそうなので、隔世遺伝というところか。

(隔世遺伝)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%94%E4%B8%96%E9%81%BA%E4%BC%9D

「個体の持つ遺伝形質が、その親の世代では発現しておらず、祖父母やそれ以上前の世代から世代を飛ばして遺伝しているように見える遺伝現象のこと。」

ははあ、それで副題がフォースの隔世(?:覚醒!)ということになっているわけだな(いきなり、オヤジギャグかよ!?)。

(【ユーザー寄稿】レイの正体、出生の謎を考える)
http://star-wars-episode7.com/manakin-skywalker/

ハンソロは、レイのことを知らなさそうなので、浮沈子の読みでは、異父兄弟ということもあり得る。

父親は、一体誰なんだあ?(後述)。

まあいい。

シス(今回からは、ファースト・オーダーと改名?)の親玉(スノーク)がホログラム映像だけというのも、ちょっとな。

ベン・ソロ(カイロ・レン)が、実の父親を手に掛けるシーンは、本作の最大の極秘ネタだ(あーあ、バラしちゃった!)。

まあ、ハリソンフォードは、このシーンでお役御免になったわけで、あとは母ちゃん役のキャリーフィッシャーが頑張るんだろう。

あんたが、ちゃんと育てなかったから、息子がひねくれて悪道に走ったんだからね!、とかグチグチいわれて、柄にもなく父親面して不用意に近づいたのが運の尽き・・・。

男は辛いよ!。

ルークの時には、フォースを引き出すのに、オビワンとか、ヨーダのところに弟子入りして特訓するんだが、レイの場合は簡単に使えてしまうというのも、ご都合主義的、女性重視的、やっぱ、王女様はいいな的、男は辛いよ的設定だな。

最初、映画館で観た時に、マックスフォンシドーが扮してるのがルークなのかと思った(別の役みたいですな)。

ちょっと混乱したが、最後にチラッとだけマーク・ハミルふんするルークが出てくる(これも、超ネタバレだな)。

ひょっとしたら、レイの父親は、実はルークなんじゃないかってのが、浮沈子の読みなんだがな(とすると、母ちゃんは・・・)。

隠し子だから、人目につかない砂漠の惑星「ジャクー」に置き去りにされたんじゃなかろうか?。

フォースが強いのも、当たり前だ。

フォース、特盛つゆだくでお願いしまーす!。

レイの出生については、謎ということになっているが、その辺りが次回作で明かされるのかどうか。

無謀にも、カイロ・レンに立ち向かって、あっさりやられちゃったフィンについても、生きてるんだか死んでるんだか分からない。

どう見たって生きてっこないと思ってたポーが生きてたりするんだから、何だってアリなストーリーに期待だな。

浮沈子的にイケてると思ったのは、酒場の女主人(マズ・カナタ)と、新登場のドロイドBB-8だな。

BB-8は、キャラを作り過ぎてるきらいはあるが、C-3POのような通訳ロボットを介さないでもコミュニケーションが取れるという設定のようだ。

デススターを巨大化しただけのスターキラー基地に、Xウイングが突入するという設定は、第1作(エピソード4)へのオマージュだな。

オシレーター(本来は、発信機の意味)を破壊すると、惑星ごと吹っ飛ぶという設定も、似たようなもんだ。

さて、新しい3部作のプロローグの幕は、切って落とされた。

新たなヒーロー(ヒロイン?)、新たな悪役(ちっと、役不足感あるけどな)、脇を固める魅力的な存在・・・。

宇宙のどこへでも、超光速で移動できるくせに、ラストシーンでルークに会いに行く時には、階段登ったりしてる辺りはご愛敬である。

しかし、フォースというのは、いささか考え物だな。

怨念といってもいい。

ふつーの生活を破壊し、それを持つものに艱難辛苦を与える。

そんなもん、持ってない一般市民は、惑星ごと吹っ飛ばされちまうので、どっちがいいかはビミョーだがな。

銀河の運命が掛かっている時に、好いた女のことしか頭にないフィンの存在が、妙に新鮮だったりもする(フォース、なさそうだし)。

レイがフォースを使って頸木から逃れるシーンでは、砂の惑星デューンのワンシーンを思い出した。

まあ、あれもフォースみたいなもんだがな。

通奏低音のように、このシリーズを通して存在するフォースとは、一体何を象徴しているんだろう?。

御伽噺の中では、例えば指輪物語のリングとか、何らかのアイテムを手に入れると万能な力を得たりするのもある。

あるいは、忍者やカンフーなど、苦しい修行を積むと、超人的な力を得たりするというのもある。

しかし、この物語のフォースというのは、ちょっと違うようだ。

ごくごくふつーの人にも、何か隠された力があって、特定の、それが強い人がたまにいるという、潜在力のようなもんだな。

それが、遺伝的な存在と関連してたりもする(隔世遺伝?)。

その強力な力が、人や組織を支配する。

力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり。

じゃあ、何が正義かというところで、物語は発展していく。

帝国は不正義で、共和国は正義なのか?。

フォースの暗黒面(ダークサイド)は不正義で、ライトサイドは正義なのか?。

娯楽映画の限界というのもあって、営業上、若者の成長とか、困難に立ち向かう勇気とか、そういう点を強調したお話にしなければならない。

家族愛とか、ロマンスとか、そういう観点も重要だ(世の中の価値観は、概ねそれで動いている)。

エピソード7。

今日、川崎の109シネマコンプレックスで、アイマックス3D字幕で見てきた。

F-18の席で、前から6列目の中央だったが、右隣のサラリーマン(サボリですかあ?)の足を蹴ったりして(すいません・・・)、大興奮で観てきた。

娯楽作品としては、超一級である。

スターウォーズの知識がなくても楽しめるが、全6作品を観て、あらすじや人物関係を把握してから観ると、100倍楽しめるに違いない。

浮沈子は、このシリーズを劇場で観るのは40年ぶりくらいだ。

第1作しか、映画館では観ていない。

その第1作に相当するドラマ性と、特撮の凄さがある。

チャラいSFなんて、御免被るという方は、観ても仕方ない。

観ようかな、どうしようかな、と思っている方は、観て損はしない(たぶん)。

若者の物語であり、親子の物語であり、宇宙の物語であり、戦争の物語である。

当代一流の俳優が脇を固め、新しい俳優が育っていく。

世代を超えて楽しめる、優れたエンターテインメントであることだけは確かだ。

そこに、何を見出して、何を感じるかは人それぞれでいい。

浮沈子の個人的な好みから言うと、正直、レイについては、それほど感情移入は出来なかった。

ハンソロが、実の息子に殺されるシーンは、ちょっとアドレナリンが出過ぎたな。

ライトセイバーで刺し貫かれながら、ベン(カイロ・レン)の頬を左手で撫でる演出は心憎い・・・(ポロッ)。

浮沈子は思うのだが、フォースなんてない方がいいのではないか。

人の力には限りがあり、運命に身を委ねて、心静かに生き、穏やかに死ぬのがよろしい。

家族の愛を否定したり、お互いに争ったり戦ったりせず、限りある時間と富を分け合いながら助け合うに限る。

神に全能が与えられているのは、人にはそれを使いこなすことが出来ないからに他ならない。

ルーク探しに旅立つレイを、レイアが見送る際に、例の決め台詞が出る。

「May the Force be with you.」(フォースとともにあらんことを)

元々は、「神のご加護を」(May God be with ye.)という言葉から来ているらしい。

(スターウォーズで「フォースとともにあらんこ・・・)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q105298355

現代人は、昔の人々から見たら、さながらフォースの使い手である。

ライトセイバーならぬスマホを手に、世界の情報を居ながらにして得る。

買い物はネットでポチるし、航空機の予約も、ホテルの手配も可能だ。

宇宙に観光で行くようになるのも間近だし、自動車に乗れば好きなところに連れて行ってもらえる。

スターウォーズの世界は、すぐそこにある。

しかし、その一方で、格差の拡大や、残忍な統治、帝国さながらな国家も存在する。

フォースの暗黒面の面目躍如というところだ。

知恵の実を食べた時から、人間はフォースを得たといってもいい。

それを使いこなして、幸福になれればいいが、不幸を招く使い方も覚えた。

フォースと共にあるということは、結構シンドイ話なんだろう。

そう考えると、軽々しくメイザフォースビウィズユーとは言えないな。

ネットには、スターウォーズネタが溢れている。

似たような感想もあるに違いない。

しかし、浮沈子は、自分の目で観て、心で感じ、頭で考えたことを書いている。

浮沈子のフォースなんて、高々そんな程度だ。

実は、この作品で、最大に涙腺が緩んだのが、スリープモードになっていたR2-D2が復旧するシーンだった。

やはり浮沈子は、頭が少し(?)イカレているようだ。

人間の覚醒より、機械の覚醒に感動している。

まあ、どうでもいいんですが。

ルークを探せプロジェクトは終了し、ファーストオーダーとの戦いが、本格的に始まる。

エピソード8は、近々作成されるようだ。

(スター・ウォーズ エピソード8)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%898

「公開予定日は2017年5月26日」

来年の5月じゃん!?。

「『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』の公開から数えて40年と1日後」

そういう時代だということだ。

(スター・ウォーズ エピソード9)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%899

「公開は2019年を予定している。」

2年に1度の公開が決定しており、レイ役は同じ俳優だ。

新しい主役で織りなす銀河の物語。

それは、人間の物語であり、愛と友情の物語である。

家族、友人、仲間、組織、国家、レジスタンス・・・。

そこには、神の姿はないが、帝国も共和国も、何かに弄ばれているような気がする。

浮沈子は、新世代のスターウォーズには夢中になれないんじゃないかと心配していたが、杞憂に終わった。

新3部作は、全て劇場で観たいものだ。

どんな物語が展開し、フォースの謎が解き明かされていくのかが楽しみである。

あるいは、謎は謎のままになるかも知れないけどな。

画像は、レイ役のレイジー・リドリー。

オジサン的には、感情移入しにくいキャラだが、是非とも素晴らしい演技で、観客を魅了してもらいたい。

その意味で、最後にリドリーに、決め台詞を・・・。

フォースと共にあらんことを!。

フォース(ちょっとネタバレ?)2016年01月06日 10:16

フォース(ちょっとネタバレ?)


エピソード7の映画を見て、スターウォーズに登場する超能力(?)であるフォースについて、改めて考えされられた。

(フォース)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9

「フォース(The Force)は銀河系のあらゆる生命を繋ぐエネルギー場である。フォースの感応能力を持つ者はフォースの力を使うことが出来た。フォースの力は、細胞内に共生する微生物ミディ=クロリアンを通して引き出された。」

設定では、生物由来ということになっているらしい。

寄生虫のようなもんかあ?。

まあ、SFの物語の中の設定なので、実際問題、どうでもいい話ではある。

(ミディ=クロリアン)
http://ja.starwars.wikia.com/wiki/%E3%83%9F%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

「あらゆる生命体の細胞内に生息していた、知的な共生微生物である。充分な数のミディ=クロリアンの持ち主は、フォースと呼ばれるエネルギー場の感知能力に恵まれた。」

浮沈子のこのブログと同程度の、ヨタ話である(一緒にするなという、ファンの声あり!)。

そういえば、こんな話もあったな。

(ガイア理論)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96

「地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。」

映画の中で、恒星のエネルギーを吸収して、惑星兵器が他の惑星を吹っ飛ばしたりする映像を見ていると、惑星が生命体で、そこに生息する人間などは、さながら共生生物のようなものだという話は、アリなのではないか。

今回のエピソード7では、人工惑星であるデス・スターではなく、ナチュラルな惑星を改変して最終兵器を作り込んでいるので、惑星が惑星を破壊する(殺す)というのは、あながち比喩とは言えない。

もちろん、そんな途方もないことをしているのは、惑星にとってのミディ=クロリアンたる人間なのだが、その考えをフォースに当てはめると、ダークサイド(暗黒面)やライトサイドを持つというのは、人間の方ではなくて共生体由来なのではないかという考えも出てくるだろう。

人間は、ミディ=クロリアンに操られる、入れ物に過ぎないのではないか。

正しくフォースを使うということは、ミディ=クロリアンを懐柔し、人間に都合良く飼い慣らすことに他ならない。

このメタファが妥当かどうかは、この際、問題ではないだろう(どのみち、ヨタ話だしな)。

フォースの明暗の葛藤に悩む人間の姿は、地球上で争いを続ける人間の姿に重なる。

悪の帝国(開くの定刻?)が勝つか、自由の共和国が勝つか。

ひょっとしたら、ミディ=クロリアンにも、悩みがあるかもしれないしな。

どっちつかずの奴とか、寝返りするやつとか・・・。

ミディ=クロリアンにも、下位のミディ=クロリアンが共生しているのかもしれないじゃん!?。

上部構造は下部構造に依存し、下部構造の態様が上部構造に発展しているという弁証法的関係があるのかもしれない。

アウフヘーベンと、覚醒というのは、考えてみればよく似ているしな。

ライトサイドのフォースの持ち主が、ダークサイドに落ちたり、アナキンのように死の間際にライトサイドに戻ったりするというのも、ミディ=クロリアンの勢力分布が、環境(人間の体内のホルモンバランスなど)によって影響を受けるからかもしれない。

エピソード7の中で、カイロ・レンがフォースの光の面を感じて、じいちゃんであるアナキンのマスクの前で悶絶(?)するシーンがある。

じいちゃん程強くなれないかもしれないという潜在的な悩みを、レイに見抜かれてタジタジになったりもする。

これって、人間側の悩みというよりは、フォースの方が持っている根源的な矛盾のような気がするな。

内面における二面性のバランスによって、かろうじて保たれている人間の精神。

それは、本人にもどうしようもない、ある種の業のようなもの。

そういった、現実の人間の悩みを、フォースという架空の力を借りて、拡大して見せているのかもしれない。

そして、その原因は、人間に共生する知的生命体という、ワケワカな存在のせいにして、人間自体の罪を贖う。

神だな。

ミディ=クロリアンという仮定は、偏在する神の概念に近い。

(ユビキタス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%93%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%B9

「英語のubiquitousは、もともと「神は遍在する」という意味である。」

(神が遍在されるとはどういう意味ですか?)
http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-God-omnipresent.html

「遍在は、神が時間と空間のすべての範囲に臨在する方法なのです。」

「神はすべての時間と空間におられるけれど、神が地域的に、ある時間や空間に限界があるのではありません。」

「神は今という時間のすべてのどこにでもおられるのです。」

「どんなに少量の微分子も原子も小さすぎて神がそこに臨在できないということはないし、どんな銀河系も広大すぎて神がその周りに境界線を描くことができないということはありません。」

まあ、もう、何でもアリなわけだが(だからこそ、全能の存在なわけだ)、ミディ=クロリアンは、生命限定なのでそこそこ限界はあるかもしれない。

だが、モデルとしては、偏在する神というのは、悪くないだろう。

フォースは、神の力、人間の存在を借りた、万能の力だ。

そうだとすれば、フォースは人間に支配されているのではなく、神の意思ということになる。

暗黒面は、悪魔のささやきだな。

スターウォーズは、その相克に弄ばれる、迷える子羊の姿を描いたドラマということになるだろう。

帝国とレジスタンスの戦いは、神と悪魔の代理戦争のようなものかもしれない。

ったく、いい迷惑である。

神も悪魔も、どちらも超人的な力を有する。

常人の及ばぬ能力を示す。

また逆に、そういう存在を、神や悪魔として恐れたということもある。

それが支配に繋がっていく。

フォースによる支配だ。

フォース抜きの支配というのは、さび抜きの寿司のようなもので、すぐに腐敗する。

共和国は腐敗の果てに乗っ取られたし。

常人の力を過信した帝国の最終兵器(デススターや、スターキラー基地は、あっけなく(映画の設定上)破壊される運命にある。

しぶとく生き残るのは、暗黒面の統領であったり、ジェダイの生き残りだったりするのだ。

フォースは、文字通りの力というより、その流れをコントロールするスキルのような気がする。

巨大な力には逆らえないが、それを制御することによって、大きな力を得ることができる。

何万トンもの水が入ったタンクのバルブを開けたり閉めたりするのに、大きな力はいらないだろう。

電動バルブなら、スイッチポンで制御できる。

フォースとは、そのようなものかもしれない。

(ミディ=クロリアン)
http://www.starwars.jp/wiki/%E3%83%9F%E3%83%87%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

「細胞中に存在するミディ=クロリアンの数が十分に多いとき、彼らは共生者にフォースとして知られる普遍的なエネルギー場を検出させることができるようになる。」

(フォース)
http://www.starwars.jp/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9

大量の情報が記されているが、フォースが何であるかは、浮沈子には依然として謎だ。

英語表記などでは、定冠詞が付く。

(6-2 定冠詞の用法)
http://www.eibunpou.net/02/chapter6/6_2.html

「(1) 定冠詞の一般的用法:
(c)唯一のもの(またはそのように認められているもの)を指すとき」

「The sun is farther from the earth than the moon is.
 (太陽は月よりも地球から離れている)」

「The sea、 the sky、 the universe(宇宙)、 the world、the equator(赤道)、The Force(フォース)」

んっ?。

最後のは、ご愛敬である。

一神教の神(キリスト教など)には、定冠詞は付かない。

まあ、固有名詞のようなもんだからな。

先の引用によれば、固有名詞にtheを付けることもあるらしいが、ここでは触れない(英語、苦手なんで・・・)。

英語のforceの意味はこちら。

(force)
http://ejje.weblio.jp/content/force

いろいろあるが、こんなのがあった。

「出典:『Wiktionary』 (2015/12/10 06:42 UTC 版):名詞:
11.(science fiction) A binding, metaphysical, and ubiquitous power in the fictional universe of the Star Wars galaxy created by George Lucas.」

一応、解説はされているな。

「こじつけ」、「こじつける」という意味もある。

日本語の「力(ちから)」に対応する英語には、powerというのもある。

(power)
http://ejje.weblio.jp/content/power

「《★【類語】 power は力・能力の一般語; force は実際に用いられた力で,腕力・暴力の意にもなる; energy は潜在的な力または蓄積された力; might は権力・武力などの強力な力; strength は個人の行為・行動を可能にする力》」

ところで、ミディ=クロリアンというのは、実際の細胞構造でいえば、ミトコンドリアが近い存在だ。

(ミトコンドリア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2

「独自のDNA(ミトコンドリアDNA=mtDNA)を持ち、分裂、増殖する。」

「ミトコンドリアは好気性細菌でリケッチアに近いαプロテオバクテリアが真核細胞に共生することによって獲得されたと考えられている」

「真核生物のミトコンドリアの起源は単一であるとされている」

「リケッチアは、細胞内寄生体であること、TCA回路を持ち好気呼吸ができるが解糖系を持たないこと、細胞膜にADP/ATP輸送体を持っていること、ゲノムが小さくAT含量が高いことなど、ミトコンドリアと共通した特徴を持っている」

「ミトコンドリアの主要な機能は電子伝達系による酸化的リン酸化によるATPの産生(ADPのリン酸化)である。細胞のさまざまな活動に必要なエネルギーのほとんどは、直接、あるいは間接的にミトコンドリアからATPの形で供給される。」

糖の同化によるエネルギーの産生だ。

パワーの源、ATPという細胞の生存に不可欠な電池(?)を充電する。

どうみても、知的生物には程遠いけどな。

まあいい。

所詮、SFの中の架空の力だ。

物語を牽引していく要素であるが、謎の部分も多い。

謎でなければ、話にならないのかもしれないしな。

単純な筋力などの物理的なものではない。

精神力とも異なる。

実際に、物理的効果をもたらし、精神にも作用する。

便利な設定だが、暗黒面など、やっかいな側面もある。

それがまた、ストーリー的には都合がいいのだ。

日常的なものではないが、しかし、全くかけ離れたものでもない。

「ひょっとしたら?」と思わせることも重要なのだ。

ミディ=クロリアンは、全ての生命に宿る。

それがフォースと繋がり、宿主にパワーを与えるのだ。

ささやかではあれ、浮沈子にも宿るという設定・・・。

そのビミョーなころあいが、仮想世界と現実世界の境界を曖昧にして、作品にリアリティを生み出す。

いってみれば、スターウォーズの世界に、観客を引きずり込む力といってもいい。

というわけで、ルーカスフィルムを買収したディズニーは、全世界の人々に宣伝するわけだな・・・。

フォースと共にあらんことを!。