機械の気持ち ― 2015年11月12日 12:27
機械の気持ち
(MRJ:国産の翼、やっと大空 5度延期 機長「最高の着陸」)
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20151112ddm041020039000c.html
「離陸は午前9時35分。「離陸速度に達すると、飛行機が『飛びたい』と言っているような感じ」(安村機長)」
そりゃあ、翼に揚力が生じているんだからとか、ベルヌーイの定理がどうのこうのといってはならない・・・。
機械が飛びたい!、といっていたに違いないのだ。
半世紀ぶりの国産旅客機、設計変更や部品調達に伴う5度の延期・・・。
数値計算で、シミュレーターの中では何度も飛んでいたのだろうが、実機が飛ぶのとはわけが違う。
エンジンが回り、機体に力が掛かり、空気が壁となり、同時に力強い揚力を発生させ、翼が反り返って胴体を持ち上げる。
前輪が、続いて、後輪が地面を離れ、飛行機はランディングギアに頼っていた地上走行体から、地面の束縛から解き放たれ、飛行機として生まれ変わる。
浮沈子は、今でも、空気より重い飛行機が空を飛ぶことが許せない。
理屈では分かっても、感覚として受け入れられない。
もちろん、セスナの助手席で体験しただけで、自ら操縦したことはない。
だから、テストパイロットの感想については、想像の域を出ない。
が、分かるような気がする。
機械の気持ち・・・。
その、本来の姿で、力いっぱい飛びたいと願う気持ち。
もちろん、機械に人間のような意識はない(たぶん)。
しかし、人を乗せ、その操縦で動く乗り物には、あたかも意識や意思があるような振る舞いを感じることがある。
それは、機械としての特性に決まっているのだが、それを気持ちとして感得する。
機械に気持ちはあるのだろうか?。
ここまで書いておいて、浮沈子の結論は明快だ。
機械に気持ちはない。
それは、それを感じる人間の側の問題に過ぎない。
錯覚、幻想、思い込み、一人合点・・・。
あーあ、つまらん!。
が、そう頭で分かっていても、浮沈子の心のどこかで、金属と樹脂とガラスとゴムとでできた機械の塊にも、魂が宿るのではないかという疑いが残る。
乗り手の意思とは関わりなく、ある時、その魂の叫びを聞く。
それは、作り手の意思なのか。
そうとばかりは言えない。
作り手と、乗り手、双方の意思が通い合った時なのか。
うーん、それも違うような気がする。
機械と人との繋がりは難しい。
自動運転になって、機械と人との紐帯が、また一つ切れていく。
機械の気持ちは、機械にしか分からなくなる・・・。
機械の気持ちが分かるというのも不気味だが、機械にしか分からない気持ちというのも怪しい・・・。
ベテランの機長にしか分からない気持ちというなら、何か許せるような気もするんだがな。
(MRJ:国産の翼、やっと大空 5度延期 機長「最高の着陸」)
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20151112ddm041020039000c.html
「離陸は午前9時35分。「離陸速度に達すると、飛行機が『飛びたい』と言っているような感じ」(安村機長)」
そりゃあ、翼に揚力が生じているんだからとか、ベルヌーイの定理がどうのこうのといってはならない・・・。
機械が飛びたい!、といっていたに違いないのだ。
半世紀ぶりの国産旅客機、設計変更や部品調達に伴う5度の延期・・・。
数値計算で、シミュレーターの中では何度も飛んでいたのだろうが、実機が飛ぶのとはわけが違う。
エンジンが回り、機体に力が掛かり、空気が壁となり、同時に力強い揚力を発生させ、翼が反り返って胴体を持ち上げる。
前輪が、続いて、後輪が地面を離れ、飛行機はランディングギアに頼っていた地上走行体から、地面の束縛から解き放たれ、飛行機として生まれ変わる。
浮沈子は、今でも、空気より重い飛行機が空を飛ぶことが許せない。
理屈では分かっても、感覚として受け入れられない。
もちろん、セスナの助手席で体験しただけで、自ら操縦したことはない。
だから、テストパイロットの感想については、想像の域を出ない。
が、分かるような気がする。
機械の気持ち・・・。
その、本来の姿で、力いっぱい飛びたいと願う気持ち。
もちろん、機械に人間のような意識はない(たぶん)。
しかし、人を乗せ、その操縦で動く乗り物には、あたかも意識や意思があるような振る舞いを感じることがある。
それは、機械としての特性に決まっているのだが、それを気持ちとして感得する。
機械に気持ちはあるのだろうか?。
ここまで書いておいて、浮沈子の結論は明快だ。
機械に気持ちはない。
それは、それを感じる人間の側の問題に過ぎない。
錯覚、幻想、思い込み、一人合点・・・。
あーあ、つまらん!。
が、そう頭で分かっていても、浮沈子の心のどこかで、金属と樹脂とガラスとゴムとでできた機械の塊にも、魂が宿るのではないかという疑いが残る。
乗り手の意思とは関わりなく、ある時、その魂の叫びを聞く。
それは、作り手の意思なのか。
そうとばかりは言えない。
作り手と、乗り手、双方の意思が通い合った時なのか。
うーん、それも違うような気がする。
機械と人との繋がりは難しい。
自動運転になって、機械と人との紐帯が、また一つ切れていく。
機械の気持ちは、機械にしか分からなくなる・・・。
機械の気持ちが分かるというのも不気味だが、機械にしか分からない気持ちというのも怪しい・・・。
ベテランの機長にしか分からない気持ちというなら、何か許せるような気もするんだがな。
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