「マリコ」2012年03月27日 17:54

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「マリコ」


ご存知、柳田邦夫の社会派小説(?)、の題名。外交官寺崎英成(てらさきひでなり)の娘の名であり、日米関係を示唆する暗号ともなった。

(暗号名はマリコ 外交官・寺崎英成と娘マリコ)
http://www.ntv.co.jp/shitteru/next_oa/010204.html

(マリコ・テラサキ・ミラー)
http://www.mbs.jp/portraits/portraits/2002/2002_12/m.terasaki.html

柳田の小説を読んだことはない。滝田栄が演じた日本放送協会作成のテレビドラマを遠い昔に見た記憶がうっすらと残っている程度だ。

昔の外交官は、いろいろ大変だったんだなあ(いや、今も大変だとは思いますが:どうも、外交官が赴任先の女性と結婚することはタブーだったらしい)。

杉原 千畝(すぎはら ちうね)なんていう人もいた。

(杉原千畝)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D

歴史は、この二人の人物を記録に留めたのだが、戦争の行方が異なっていれば歴史上抹殺されてしまった可能性もある。

彼らの行動を支えたのは何か。

国家という組織の中にあって、対外的にその立場を代表する外交官という職にあって、片や、当時の潮流(軍部の開戦方針)に対立し、片や、本省の訓令に背いてまで信念を貫いたのはなぜなのか。

マリコの母であり、後に「太陽の架け橋」を出版したグエンドレン・ハロルドは、「平和のためにはいつも橋を強固にする努力を惜しまないようにしなければなりません。」と訴える。

杉原千畝の言葉には、「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」というのがあり、キリスト教的博愛主義があったようだ。

それだけなんだろうか?。

個人的な信条で、国家の運命や人道上の救済が行われたのだろうか。

私はそうは思わない。

平和への希求、虐殺からの回避、大規模殺戮を忌避することは、個人の信条や単一の宗教規範を超えた普遍的な行為であると考える。

外交というセンシティブな職業柄、通常人よりも先鋭にならざるを得なかったにしても、人間としての本性に基づく極めて常識的な行動であったのではないか。

逆に言えば、組織人たる外交官は、非人間的な境遇に置かれているのかもしれない。国家と人情(!)を秤にかけるような・・・。

ちょっと調べてみたが、ノーベル平和賞というのは、ノルウェーが授与主体であるようだ(他はアルフレッド・ノーベルの母国スウェーデン)。

(ノーベル平和賞)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E

なんか、いいなあ!。かつての敵国での授賞。人間の知恵と強い心によって、絶え間ない戦争がいつの日かなくなりますように。

(世界平和度指数)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%BA%A6%E6%8C%87%E6%95%B0

(元ネタのページ)
http://www.visionofhumanity.org/

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