中央アフリカ ― 2013年12月09日 03:02
中央アフリカ
中央アフリカ共和国という国がある。
(中央アフリカ共和国)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
(中央アフリカ共和国:外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/car/
在留邦人3人とある。
あんまり縁のない国の一つであるな。
この国の名前を、久しぶりに聞いた。
(中央アフリカ共和国:安保理、仏軍介入を承認)
http://mainichi.jp/select/news/20131206k0000e030180000c.html
(感染・スポット・危険情報)
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=112
「中央アフリカ:バンギ市内における戦闘の発生に伴う注意喚起
本情報は2013年12月09日現在有効です。
2013年12月06日
1.2013年12月5日早朝、首都バンギ市内において局所的に大規模な戦闘が発生しました。報道等によれば、戦闘は、元セレカ(2013年3月にボジゼ大統領を追放した旧反政府勢力。9月にジョトディア「暫定大統領」により解散令が出されたものの、その後も分子が各地で活動している。)とキリスト教自警団のアンチバラカ(一部にボジゼ氏を支持する勢力も含まれている)と見られる集団との間で衝突があり、同日の戦闘で少なくとも死者105人、多数の負傷者が発生した模様です。
2.今般の戦闘を受けて、フランス軍部隊約250人がバンギ市内に展開し、更に増援部隊をバンギ市に派遣した模様ですが、今後も同様の戦闘が発生する可能性は排除できず、また、混乱に乗じた略奪行為のほか、フランス軍の介入に対する報復行為や抗議行動等が発生する可能性もあります。
3.現在、中央アフリカには全土に対して「退避を勧告しています。渡航は延期してください。」の危険情報(http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=112#header )を発出していますので、中央アフリカへの渡航・滞在については目的の如何を問わず延期してください。また、既に滞在中の方については退避を勧告します。」
この国は、独立後も、数回のクーデターを経験している。
「独立・ダッコ政権
1958年のフランス第五共和国憲法国民投票に賛成、フランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称、1960年8月、フランスより独立 、ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任する。」
「クーデター・ボカサ政権
1965年12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。」
「クーデター・ダッコ政権
1979年9月 ボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆。フランスが介入し共和制復活。新憲法の制定、複数政党制の導入など行われた。ダッコ元大統領が再就任。」
「クーデター・コリンバ政権
1981年9月1日、国軍参謀総長コリンバによるクーデター発生。ダッコはカメルーンに亡命。」
「パタセ政権
1993年の選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任。」
「クーデター・ボジゼ政権
2003年、チャドのイドリス・デビ大統領の支援を受けたフランソワ・ボジゼが、パタセ大統領が国外にいる間に権力の掌握に成功して大統領に就任。」
「クーデター・セレカ政権(現政権)
2012年12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体であるセレカは、北部および東部の広域を掌握。翌年3月には、1月の和平合意を履行しなかったとしてボジゼ政権への攻撃を再開し、24日首都バンギを制圧した。ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へと脱出した。旧宗主国であるフランスは、バンギ空港を確保した。
セレカの主導者ミシェル・ジョトディアが自ら暫定大統領に就任(軍事独裁、軍事政権(英語版))し、3年後の選挙までチャンガイ(英語版)首相が政権を担うことになった。だが、アフリカ連合はセレカによる首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。4月、ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置。ほかに候補者がいないなかで、暫定評議会から大統領に選出された。8月、宣誓式が行われ、正式にジョトディアが大統領に就任した。」
まあ、なんというか、政権交代は、1993年の1回を除いて、全てクーデターである!。
なんか、ぶっそうな国であるな。
旧宗主国のフランスが、武力介入するというのだが、一人1日当たりの所得が、2ドルに満たないこの国に、なにか価値があるんだろうか?。
「主要産業
農業(綿花,コーヒー,タバコ)
林業(木材)
鉱工業(ダイヤモンド,金,食品加工,木材加工)
一人当たりGNI:490ドル(2012年世銀)」
(社説:アフリカの新たな危機)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39283
「今年3月、イスラム教徒が多い北部を本拠地とする反政府勢力セレカがフランソワ・ボジゼ大統領を権力の座から追い落とした。以来、セレカの山賊行為がキリスト教徒とイスラム教徒との襲撃と報復を引き起こし、CAR(中央アフリカ共和国)は無法地帯と化した。大規模な人口移動が起き、62万人が避難民となった。国家機関は崩壊した。この国は人道危機に陥っている。」
「フランスは国連安全保障理事会に、強力なアフリカ連合軍による平和維持への道を開く決議案を来月可決するよう要請している。潘基文(バン・キムン)国連事務総長は先週、状況が許せば、最大9000人の部隊による国連平和維持活動の立ち上げを支持すると述べた。アムネスティ・インターナショナルのような人権団体は、もっと緊急の行動を要請している。」
どうやら、深刻な事態が進行しつつあるようだ。
宗教対立が原因かどうかは別として、国家の崩壊と無秩序状態は、国民にとっては悲劇である。
(中央アフリカ:「私たちを忘れないで!」)
http://jp.globalvoicesonline.org/2013/11/26/25851/
「中央アフリカでは、政府軍とセレカ(訳注:反政府武装勢力の連合体)の衝突が、2012年12月以来驚くほどに激化している。セレカは、政府軍への攻撃を開始してから数カ月経った2013年3月24日、大統領府の制圧を発表した。当時のフランソワ・ボジゼ大統領はコンゴ民主共和国に亡命し、セレカの指導者ミシェル・ジョトディアが自ら大統領に就任した。セレカはその後統一に向け何度か試みるも失敗に終わり、正式に解散を宣言した。それにもかかわらず、セレカの元兵士たちは、彼らが通るどの町でも堂々と略奪などの残忍な行為を繰り返している。」
「私たちはアフリカの忘れ去られた人々だ。この争いのことさえも忘れさられている。私が訴えたいのは、みなさんには私たちのことを忘れないでほしいということだ。私たちはお互いに殺し合ってはならない、でもこの国ではそれが実際に起きているんだ。」
平和の国にいる我々は、この声に耳を傾けるべきだろう。
浮沈子は、随分昔に、この国について調べたことがある。
その時も、クーデターがらみの話があった。
国家は暴力を管理し、対外的な戦力の保持と治安の維持を図る。
国家が機能しなくなった時、単なる暴力が国を支配する。
生々しい暴力が、国を疲弊させ、国力を削いでいく。
中央アフリカ共和国の現状は、独立後のフランスの支援が十分でなかったからなのかもしれない(たぶん)。
今回の大規模な軍事介入が、この国の安定に繋がるように、しっかりとした支援を行う必要がある。
中央アフリカ共和国という国がある。
(中央アフリカ共和国)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
(中央アフリカ共和国:外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/car/
在留邦人3人とある。
あんまり縁のない国の一つであるな。
この国の名前を、久しぶりに聞いた。
(中央アフリカ共和国:安保理、仏軍介入を承認)
http://mainichi.jp/select/news/20131206k0000e030180000c.html
(感染・スポット・危険情報)
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=112
「中央アフリカ:バンギ市内における戦闘の発生に伴う注意喚起
本情報は2013年12月09日現在有効です。
2013年12月06日
1.2013年12月5日早朝、首都バンギ市内において局所的に大規模な戦闘が発生しました。報道等によれば、戦闘は、元セレカ(2013年3月にボジゼ大統領を追放した旧反政府勢力。9月にジョトディア「暫定大統領」により解散令が出されたものの、その後も分子が各地で活動している。)とキリスト教自警団のアンチバラカ(一部にボジゼ氏を支持する勢力も含まれている)と見られる集団との間で衝突があり、同日の戦闘で少なくとも死者105人、多数の負傷者が発生した模様です。
2.今般の戦闘を受けて、フランス軍部隊約250人がバンギ市内に展開し、更に増援部隊をバンギ市に派遣した模様ですが、今後も同様の戦闘が発生する可能性は排除できず、また、混乱に乗じた略奪行為のほか、フランス軍の介入に対する報復行為や抗議行動等が発生する可能性もあります。
3.現在、中央アフリカには全土に対して「退避を勧告しています。渡航は延期してください。」の危険情報(http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=112#header )を発出していますので、中央アフリカへの渡航・滞在については目的の如何を問わず延期してください。また、既に滞在中の方については退避を勧告します。」
この国は、独立後も、数回のクーデターを経験している。
「独立・ダッコ政権
1958年のフランス第五共和国憲法国民投票に賛成、フランス共同体内の自治共和国となり、国名を中央アフリカ共和国と改称、1960年8月、フランスより独立 、ダヴィド・ダッコ (David Dacko) が初代大統領に就任する。」
「クーデター・ボカサ政権
1965年12月にダッコの従兄弟で当時国軍の参謀総長だったジャン=ベデル・ボカサ中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。1966年1月、ボカサ中佐が大統領に就任、独裁政治をはじめる。」
「クーデター・ダッコ政権
1979年9月 ボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆。フランスが介入し共和制復活。新憲法の制定、複数政党制の導入など行われた。ダッコ元大統領が再就任。」
「クーデター・コリンバ政権
1981年9月1日、国軍参謀総長コリンバによるクーデター発生。ダッコはカメルーンに亡命。」
「パタセ政権
1993年の選挙でコリンバは落選し、パタセが大統領に就任。」
「クーデター・ボジゼ政権
2003年、チャドのイドリス・デビ大統領の支援を受けたフランソワ・ボジゼが、パタセ大統領が国外にいる間に権力の掌握に成功して大統領に就任。」
「クーデター・セレカ政権(現政権)
2012年12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体であるセレカは、北部および東部の広域を掌握。翌年3月には、1月の和平合意を履行しなかったとしてボジゼ政権への攻撃を再開し、24日首都バンギを制圧した。ボジゼ大統領は隣国コンゴ民主共和国へと脱出した。旧宗主国であるフランスは、バンギ空港を確保した。
セレカの主導者ミシェル・ジョトディアが自ら暫定大統領に就任(軍事独裁、軍事政権(英語版))し、3年後の選挙までチャンガイ(英語版)首相が政権を担うことになった。だが、アフリカ連合はセレカによる首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。4月、ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置。ほかに候補者がいないなかで、暫定評議会から大統領に選出された。8月、宣誓式が行われ、正式にジョトディアが大統領に就任した。」
まあ、なんというか、政権交代は、1993年の1回を除いて、全てクーデターである!。
なんか、ぶっそうな国であるな。
旧宗主国のフランスが、武力介入するというのだが、一人1日当たりの所得が、2ドルに満たないこの国に、なにか価値があるんだろうか?。
「主要産業
農業(綿花,コーヒー,タバコ)
林業(木材)
鉱工業(ダイヤモンド,金,食品加工,木材加工)
一人当たりGNI:490ドル(2012年世銀)」
(社説:アフリカの新たな危機)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39283
「今年3月、イスラム教徒が多い北部を本拠地とする反政府勢力セレカがフランソワ・ボジゼ大統領を権力の座から追い落とした。以来、セレカの山賊行為がキリスト教徒とイスラム教徒との襲撃と報復を引き起こし、CAR(中央アフリカ共和国)は無法地帯と化した。大規模な人口移動が起き、62万人が避難民となった。国家機関は崩壊した。この国は人道危機に陥っている。」
「フランスは国連安全保障理事会に、強力なアフリカ連合軍による平和維持への道を開く決議案を来月可決するよう要請している。潘基文(バン・キムン)国連事務総長は先週、状況が許せば、最大9000人の部隊による国連平和維持活動の立ち上げを支持すると述べた。アムネスティ・インターナショナルのような人権団体は、もっと緊急の行動を要請している。」
どうやら、深刻な事態が進行しつつあるようだ。
宗教対立が原因かどうかは別として、国家の崩壊と無秩序状態は、国民にとっては悲劇である。
(中央アフリカ:「私たちを忘れないで!」)
http://jp.globalvoicesonline.org/2013/11/26/25851/
「中央アフリカでは、政府軍とセレカ(訳注:反政府武装勢力の連合体)の衝突が、2012年12月以来驚くほどに激化している。セレカは、政府軍への攻撃を開始してから数カ月経った2013年3月24日、大統領府の制圧を発表した。当時のフランソワ・ボジゼ大統領はコンゴ民主共和国に亡命し、セレカの指導者ミシェル・ジョトディアが自ら大統領に就任した。セレカはその後統一に向け何度か試みるも失敗に終わり、正式に解散を宣言した。それにもかかわらず、セレカの元兵士たちは、彼らが通るどの町でも堂々と略奪などの残忍な行為を繰り返している。」
「私たちはアフリカの忘れ去られた人々だ。この争いのことさえも忘れさられている。私が訴えたいのは、みなさんには私たちのことを忘れないでほしいということだ。私たちはお互いに殺し合ってはならない、でもこの国ではそれが実際に起きているんだ。」
平和の国にいる我々は、この声に耳を傾けるべきだろう。
浮沈子は、随分昔に、この国について調べたことがある。
その時も、クーデターがらみの話があった。
国家は暴力を管理し、対外的な戦力の保持と治安の維持を図る。
国家が機能しなくなった時、単なる暴力が国を支配する。
生々しい暴力が、国を疲弊させ、国力を削いでいく。
中央アフリカ共和国の現状は、独立後のフランスの支援が十分でなかったからなのかもしれない(たぶん)。
今回の大規模な軍事介入が、この国の安定に繋がるように、しっかりとした支援を行う必要がある。
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