ブランド2013年12月11日 01:38

ブランド
ブランド


家畜に押す焼印のことを指すということを、改めて確認した。

(ブランド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

例えば、牛とかは、隣の家の牛と、まあ、見分けが付かないのが普通で(飼っている方は、分かるようですが)、百頭とか、千頭とかになると、見分ける以前に、面倒くさい!。

で、今風に言えば、IDを振るわけだな。

焼印を押す(ちょっと、痛そう!:今は、耳にタグを付けるのか?)。

で、見掛けは似ていても、うちの牛だと分かる訳だ。

別に、隣の家の牛と異なるところはない。

財としての家畜は、コモディティ化されていて、頭数で資産価値が決まる(松坂牛とかになると、話は変わってきますが)。

他社との差別化を行って、ブランドの価値を上げるとかは、この話の中では関係ない。

自己の財として「区別」されていれば良く、「差別」する必要はない。

たくさん持っている方が、偉いという、分かりやすい基準だな。

交易が盛んになって、さらに、経済的に豊かになった大衆(ここでは、概ね大多数の消費者)は、価格に見合う価値の保証を求めるだけでなく、他者との差別化のために(或いは、同化するために?)、特定のブランドを支持するようになる。

この辺りから、浮沈子は良く分からなくなるのだ。

ブランドの価値を決めるのは、消費者なのだから、「無印良品」(という、ブランドもあるので、混乱するが)でいいと思うんだが・・・。

いわゆる、高級品というのは、もともと、貴族様(親の財産で一生食っていける身分)が一品モノで調達するわけで、大量生産でないために、生産コストは概ね高い。

別に、機能が高いとか、意匠が優れていなくてもいい。

世界にただ一つだけの、絶対的な希少価値があり、使用することが出来ればいいのだ。

場合によっては、使用できなくてもいい(飾っておくだけ)。

こんなものは、文化的な価値はあるかもしれないが、「大衆」とは、無縁なものである。

(大衆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A1%86

「オルテガによれば『大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである』とされる。しかしけっして愚鈍ではなく、上層階層にも下層階層にも大衆はおり、その全体として「無名」であることを特徴とする。大衆の特権は自分を棚にあげて言動に参加できることであり、いつでもその言動を暗示してくれた相手をほめ尽くし、またその相手を捨ててしまう特権を持つ。大衆とは「心理的事実」であり、大衆にはどこまでいっても罪はない。ゆえに大衆の動きや考えが何かに反映され、それが社会の「信念」だと判断すると重大な問題が生じる、とする。」

この、オルテガさんという哲学者は、なかなかうまいことを考えたもんだな(ポピュリズム批判ということだな)。

(ホセ・オルテガ・イ・ガセト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88

「大衆を批判し、貴族・エリートを擁護した。彼の定義によれば、大衆とは、「ただ欲求のみを持っており、自分には権利だけあると考え、義務を持っているなどとは考えもしない」、つまり、「みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間である」という。」

悪かったね!。

まあいい。

「自由主義を理論的・科学的真理ではなく、「運命の真理」であるとして擁護している。
保守主義者と評されることもある。日本では西部邁が影響を受けた。」

なんとなく、分かるような気がする。

さて、生産技術が進歩すると、よりすぐれた品物を、より安く、大量に作ることが出来るようになり、その結果、いままで貴族様の御用達であった品物が、大衆が買える値段で作れるようになってきた。

分かりやすい話をすれば、第二次世界大戦前の自動車のようなもんだな。

純国産車なんて、基本的には皆無だから、舶来品(最近、死語ですな)の自動車なんて、大衆には手が届かなかった。

お抱え運転手というのは、今で言えば、宇宙飛行士のような、特殊技能の持ち主であり、ハイテク満載の自動車を操縦するカッコイイ職業だったわけだ。

その自動車は、よく壊れた。

エンジンがかからなくなったり、パンクしたり、サスペンションが折れたりする(基本的に板バネですから)。

もちろん、浮沈子は、その頃は影も形も無いので、見てきたようなことを書くわけにはいかない。

(日本における自動車:歴史)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

「当初はアメリカからの輸入がほとんどで、特にフォード・モーターは1925年または1926年横浜に組立工場を建設しトラックを主力として生産を開始、これに遅れて1927年にゼネラルモーターズが大阪に工場を建設しシボレーブランドを中心に拡販に注力したが、フォード5,000台に対しシボレー500台程度の比率であったという。」

「日本の自動車保有台数はその後1000台/年程のペースで微増を続け1923年(大正12年)に12,765台だったが、9月1日の関東大震災によって公共交通機関が破壊され自動車の交通機関としての価値が認識されたことにより激増、1924年(大正13年)には24,333台、1926年(大正15年)には40,070台となっていた。1929年の世界恐慌など逆風が続く中、その後も漸増した。」

大正末期に、既に、4万台もの自動車が走っていたというのは、ちょっと驚きである。

トラックが主力であったというから、当然、お仕事で使うわけだな。

また、世界的にも、共同所有としての使用から普及していったように、我が国でも公共交通機関としての普及が始まった。

大正12年(1923年)に起きた、関東大震災が普及に弾みをつけたということは、初めて知った。

「国産化と大衆化
次第に日本国内で軍国主義的傾向が強まり、1935年に国防の観点から自動車製造事業法が制定されて国産トラックの生産を始めるよう方針が定められ、1936年(昭和11年)から本格的に国産自動車の生産が始まった。フォード・モーターやゼネラルモーターズの工場は業務が不可能となり、撤退を余儀なくされた。」

まあ、敵国の会社だからなあ(そういうわけじゃあ、ないんじゃない?)。

まあ、どうでもいいんですが。

「日本が第二次世界大戦に敗戦すると日本を占領するため入って来たアメリカ軍人、軍属が大量に自動車を持ち込み、あたかも下駄のように使用した。これを見て日本人は自動車に憧れを持ち、乗用車の潜在的需要が増加した。日本のメーカーも連合国軍最高司令官総司令部から許可を得て自動車の生産を再開、その後は大量生産によりコスト低下、コスト低下によりさらに販売増加、という循環ができ、日本の自動車産業は急速に発展するとともに大衆化が進んだ。」

下駄のようにベンツ(中古仕入れ値、113万円)を乗り回している浮沈子は、さしずめ、占領軍の最高司令官並みであるな(当時、ドイツ車という選択肢は、絶対に有り得ないが)。

ここに、自動車という商品が、大衆化していくプロセスを見ることが出来る。

我々は、生まれた時から現代の自動車というものを見ているから、ガソリンエンジン(ディーゼルもありますが)という内燃機関で走るのは当たり前だと思っているが、実は、電気自動車や蒸気自動車(外燃機関)を動力として用いた時代は、結構長い。

ガソリンエンジンを使用した自動車の嚆矢となったのは、1870年のマルクス1号車であるが、蒸気機関を用いた「動力付台車」であるキュニョーの砲車というのは、1769年だというから、100年間の実績(?)があるわけだな。

(ジークフリート・マルクス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9

ガソリンエンジン車の黎明期の話は、この間読んだばかりの、「午前零時の自動車評論5」(沢村慎太郎著)に詳しいので、興味がある方は読んでいただきたい(著者も、意地で16ページにも渡って、薀蓄を傾けているし・・・)。

ちなみに、電気による駆動方法はは、最初は鉄道用駆動装置(電車です!)として、1835年に登場している。

(電気自動車:黎明期 1800年代~1950年代)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E9.BB.8E.E6.98.8E.E6.9C.9F_1800.E5.B9.B4.E4.BB.A3.EF.BD.9E1950.E5.B9.B4.E4.BB.A3

「1830年代(正確な時期は不明)、スコットランドの発明家ロバート・アンダーソンが充電不可能な一次電池を搭載した世界初の電気自動車を発明した。」

「販売された初の電気自動車は、最初のガソリンエンジン車(1891年)の5年前に英国で登場した。1899年にガソリン車よりも早く初めて100km/hを突破するなど当初は有望視され、自動車の黎明期には蒸気機関・内燃機関と動力源の覇権を争っていた。ハブにモーターを搭載したインホイールモーターの原型とも言える4輪駆動車を当時ローナー社在籍のフェルディナント・ポルシェが、1900年のパリ万博に出展した。」

ポルシェ乗りとしては、一応、ここまでは書いて置かないとな。

(第24話 電気自動車)
http://www.tfm.co.jp/garage/top.php?itemid=70290

「そもそも、電気自動車はガソリンエンジン車よりも先に発明されたんだ。考えてもみろ、子供の頃に磁石とコイルで電気モーターを作って遊んだヤツも多いだろ? 電気モーターはイギリスの科学者ファラデーが1821年に発明した、とても単純な装置だ。だから1873年にスコットランドの発明家、ロバート・ダビッドソンが、ガソリンエンジン車よりも先に最初の電気自動車を発明したのは、ごく自然なことだった。」

「そして1885年にドイツの発明家、ニコラウス・オットーが4サイクルのガソリンエンジンを発明し、19世紀末は最初の自動車である「蒸気自動車」に、「電気自動車」「ガソリン車」を加えた3種類の自動車の時代となっていく。当初は電気自動車が優勢で、1896年にはニューヨークのタクシーがすべて電気自動車になり、1899年にパリ郊外のサーキットで電気自動車「ラ・ジャメ・コンタント号」が人類史上初の時速100km越えを記録したほどだった。」

ガソリンエンジンなんて、石油が大量に採掘されなければ、これほど普及することはなかったのだ。

一番普及していた(といえるかどうか)蒸気自動車を、電気自動車が追い落とす勢いだったわけだ。

で、浮沈子が驚いたのは、蒸気自動車というのが、米国では、1920年代後半まで販売されていたということである。

「1885年に、フランスのレオン・セルボレが開発し1887年に自動車に搭載したフラッシュ・ボイラーにより蒸気自動車は2分でスタートできるまでに短縮された。1900年ごろにはアメリカ合衆国で、石炭の代わりに石油を使った蒸気自動車が作られ、さらに普及していった。この頃は蒸気自動車の方がガソリン自動車よりも騒音が少なく運転が容易だった。アメリカ合衆国では1920年代後半まで蒸気自動車が販売されていた。」

テキサスで油田が見つかって、ガソリンを燃やす内燃機関が普及する前に、ボイラーを焚くのに石油を使った外燃機関が登場していたわけで、2分でスタートできるフラッシュボイラーなどは、現代の自動車よりも、性能が高いかもしれない(83ポルシェは、空冷なので割りと早く温まります)。

ということは、関東大震災(1923年)後も、米国本国では、蒸気自動車が作られていたわけだな。

うーん、知らなかった!。

米国は国土が広く、電気自動車で遠乗りするということは、21世紀のテスラの登場まで待たなければならなかったわけだ。

さて、ようやくガソリンエンジンを積んだクルマが普及するのは、1908年のフォードのT型が登場してからである。

この辺の話は、面倒くさいので端折るが、長々と書いてきたのは、T型という大衆車の登場の前は、自動車を個人所有できたのは、貴族様(及び成金:自分の代で財をなした人の意)だけであったということである。

安く大量に供給される石油を燃料に、ベルトコンベアー(流れ作業)による大量生産で、大衆(当時のフォードの従業員)でも、食うもの食わずに節約すれば(浮沈子には無理だな)、なんとか買えるかもしれない値段になってきたわけだ。

大衆車は、動きゃいい訳で、T型フォードの色がジミだとか、カッコが悪いとか、当初は余り関係なかった。

大衆車は、初めからコモディティ(個性のない商品)として売られたわけだ。

GMは、この無個性の大衆車の中に差別化を持ち込み、世界最大の自動車メーカーになるのだが、それは、後の話である。

一方、貴族様の乗っていたクルマは、片や高級車として、片やレースカーとして発展する。

そう、高級車は、大衆車が高級になったわけではなく、元々、貴族様が乗っていた高級車が、生産性を上げて、大衆車とあんまり区別が付かなくなってきたということなのである。

ロールスロイス(BMW)、ベントレー(VW)、ジャガー(タタ)などは、はなから大衆車なんて見向きもしなかったわけで、その生産性が低いことを、逆に、誇らしげに宣伝している(溶接後の面取りでサンダーかけたり、内装の行程の殆んどは、職人さんによる手作りである)。

もう一方のレーシングカーの方は、スポーツカーというジャンルを形成し、走ることしか能のない、ヘンタイ的欠陥車的大衆には関係ないだろ的な形で、メーカーの技術と資金と意地をかけ、宣伝効果を狙って発展した(まあ、今でも同じですが)。

これは、貴族様のクルマである。

事実、フェラーリなんかは、つい最近(現CEOのルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロになる前)まで、エンジンは1機毎に出力がバラバラで、当りのエンジンはいいが、外れると悲惨なことになっていたらしい。

もちろん、イタリアなので、当りのエンジンの出力を記載するわけだな!。

手作りの良さというか、何と言うか・・・。

フェラーリは、元々レースをするために、アルファロメオのドライバーだったエンツォが作った会社だ。

市販車なんて、後から付いてきたオマケのようなものである。

品質がどうのとか、ごちゃごちゃ抜かすヤツは、買わんでもいい!。

浮沈子が記憶しているのは、フランソワーズ・サガンが、フェラーリを買おうとしたときに、「女に売るクルマは、当社にはない!」といって、断ったという話だ。

(フェラーリとフランソワーズ・サガンと、人生の)
http://dancex2.cocolog-nifty.com/weblog/2005/06/post_cc50.html

「あなたにはこのクルマは無理です」とあるので、浮沈子の記憶違いかも知れない(事実、サガンは、この後、交通事故で瀕死の重傷となったらしい)。

また、その品質については、言っちゃあ悪いが、上等とは言えず、ランボルギーニがスポーツカーを作り始めたきっかけは、フェルッチオが買ったフェラーリの出来が、悲惨な状態だったことによるというのは、有名な話である。

(ランボルギーニ:自動車メーカーとしての成り立ち)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B#.E8.87.AA.E5.8B.95.E8.BB.8A.E3.83.A1.E3.83.BC.E3.82.AB.E3.83.BC.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E6.88.90.E3.82.8A.E7.AB.8B.E3.81.A1

「フェルッチオは、「(汗で)助手席に座るレディのメイクアップが落ちないような快適な車を作りたい」と語ったという。やがて彼は富の象徴、フェラーリのオーナーとなるが、当時のフェラーリにはクラッチに決定的欠陥があった。所有するフェラーリの度重なるクラッチの故障に頭を痛めた彼は、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。いざクラッチを分解してみると、使われていたのはなんと自社のトラクター用パーツと同型のボーグ&ベック製クラッチ板であり、しかも全く同一のパーツにフェラーリはトラクター用の十倍の値段を付けていた。」

なんだ、こんな前から、ボッタクリ(もとい、ブランドのもたらす、「超過収益」)してたわけだな。

「元々は優秀なメカニックであった彼は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたウェーバー製のダウンドラフト型キャブレターをサイドドラフト型の物に改め、エンジンヘッドをオリジナルのSOHCから当時は市販のフェラーリに採用されていなかったDOHCに改造した。完成した車は公道でのテスト走行中の新型フェラーリをカモに出来るほど速かったという。」

「既存のエキゾチックカーに少なからず不満を抱いていた彼は、これがきっかけで自動車ビジネスに乗り出す決意をしたと言われる。前述のフェラーリの高額なパーツ販売をみて、「この商売は儲かる」と踏んでもいた。フェルッチオはこの時、有望なビジネスとして高級車業界を見ておりスポーツカーへの愛情とその財力を背景にアウトモービリの創設を決意した。」

おやま、ランボもボッタクっているわけだ!。

フェラーリの名誉のために書いておくが、ボッタクリはともかく、当時(1960年代初頭)のスポーツカーなんて、ポルシェを含めて、どれも同じ様なもので、特にF社だけがボロかったわけではない。

さて、フェラーリは、第二次世界大戦後、アルファロメオのワークス・レーシングチームから、レーシングカーのコンストラクターと、それベースのスポーツカー・メーカーとして歩み始める。

(エンツォ・フェラーリ:フェラーリ設立)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA#.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.AA.E8.A8.AD.E7.AB.8B

「第二次世界大戦後の1947年に自社製レーシング・マシンを開発し、自動車製造会社としてのフェラーリを設立した。その後友人のルイジ・キネッティの勧めもあり、モータースポーツ参戦資金を稼ぐことを目的にレーシング・マシンをベースにした高級スポーツカーの販売も始めた。」とある。

動機が不純なのである(いや、レースに対しては、純粋か?)。

マトモな市販車を作ろうなんて気は、さらさらないのだ。

「スクーデリア・フェラーリは、1950年から始まったF1に参戦し、早くも1951年にはフロイラン・ゴンザレスが初優勝した。その後も古巣アルファ・ロメオを破り活躍するなど、イタリアのナショナル・チーム的存在となった。以後スクーデリア・フェラーリのマシンは、F1やル・マン24時間レース、ミッレ・ミリア、タルガ・フローリオ、カレラ・パナメリカーナ・メヒコなどの第一線で輝かしい成績を残した。」

レース会社としてのスクーデリア(馬小屋)・フェラーリとしては、順調に成功していたものの、レースに金をつぎ込み過ぎたりしたために、経営不振に陥ってしまう。

「このようにフェラーリは高い名声を勝ち取ったものの、過剰なモータースポーツへの投資や労使紛争、さらに1961年11月にはカルロ・キティら主要メンバーによるクーデターが勃発しカルロ・キティやジオット・ビッザリーニら役員8名がフェラーリを去るなどの事件が起きたことも影響し、1960年代初頭には経営が苦境に陥った。その後1963年にアメリカのフォードとの間で買収交渉を進めたが、調印寸前で交渉は決裂した。」

「その後1969年に、フェラーリはイタリア最大手の自動車会社であるフィアットの傘下に入ることで経営の安定を図ることになる。」

現CEOは、1973年にスクーデリア・フェラーリのマネージャーとなる(弱冠26歳)。

(ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ:フェラーリへ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%AD#.E3.83.95.E3.82.A7.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.83.AA.E3.81.B8

「その後チーム内の再編を行い、1975年にニキ・ラウダがドライバーズチャンピオンを獲得するなど見事にチームを立て直す。1977年まで同職を務めた後、フェラーリの親会社であるフィアットの役員に就任する。」

75年から77年は、フェラーリが優勝している。

「再度フェラーリへ
1991年にはエンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリに社長兼マネージングディレクターとして再度入社。当時F1チームの慢性的な成績不振を抱えていた上、市販車の品質にも問題を抱えていたフェラーリの建て直しに着手した。」

エンツォは、1988年に亡くなっている。

「スクーデリア・フェラーリに、ジャン・トッドをチーム監督に招聘したのを始め、ホンダの後藤治をエンジニアとして招聘するなど必要な人材を確保。その結果スクーデリア・フェラーリは1999年から2004年まで6年連続してコンストラクターズ・タイトル・チャンピオンに、ミハエル・シューマッハが2000年から2004年の5年連続でドライバーズ・チャンピオンを獲得した。」

「また、フェラーリ社の市販車の品質も大きく改善させ、その品質で高い評価を得たF355や456GT、550マラネッロを開発し市場投入させた。また同じくフィアット傘下で高級スポーツカーメーカーとして有名なマセラティをフェラーリ傘下に収め、フェラーリとともに品質改善を行い、売り上げを急増させた。」

やれやれ、ここにきて、やっと安心してフェラーリに乗れるようになったわけだな。

「フィアット傘下のフェラーリ、マセラティ、アルファロメオの3社を、フェラーリはMRもしくはFRの2ドアスポーツカー、マセラティは4ドアスポーツカー、アルファロメオはFFスポーツカーとして、ボディ形態や駆動方式による明確な住み分けを行い、いずれも販売台数を急増させた。」

さて、延々と引っ張ってきた前振りだが(ま、前振りかよ!?)、この記事を書き始めたのは、こんなニュースがあったからである。

(フェラーリの頂点、初の市販ハイブリッドのラ・フェラーリ…499台が完売)
http://response.jp/article/2013/12/10/212700.html

記事の中身は、どうでもいいんだが、最後の一言が気になった。

「ラ・フェラーリの価格は、1台およそ100万ユーロ(約1億4000万円)。その全てが完売したことで、フェラーリが狙う希少性が保たれることになる。」

なんか、変だ。

もともと499台の限定販売なのだから、希少性も何もない。

もちろん、一時の918スパイダーのように、売れ残るかもしれない状況にひやひやしたり、カレラGTのように、1500台作るつもりが、1300台位になってしまうよりはいい。

しかし、希少性が保たれるというのが解せない。

念のために、レスポンスのページに関連情報としてリンクされているフェラーリのブランド戦略を読んでみた。

(【新聞ウォッチ】売れ過ぎフェラーリ、ブランド堅持に生産抑制2013年5月の記事です)
http://response.jp/article/2013/05/10/197636.html

「ひとくちコメント
モーターファンにとって気になる海外のニュースが、マツダの社長交代やソニーの5年ぶり黒字などの大きな記事の陰に隠れてしまうことがある。9日の朝日など一部の夕刊などが報じていたが、イタリアの自動車メーカーである高級車フェラーリの生産を今年は7000台以下に生産抑制するという。」

「記事によると、同社のモンテゼモロ会長が本社工場で記者会見したもので「売れすぎてはブランドの価値を守れない」というのが生産抑制の理由。フェラーリは2012年は7318台を生産。営業利益は前年比12.1%増で、過去最高の3億5000万ユーロ(455億円)を計上。EU危機のなかでもフェラーリは不況知らずという。」

「さらに、モンテゼモロ会長は「フェラーリの魅力は、他社を寄せつけない独創性」と述べたうえで、「中国エリアは北米に次ぐ市場」と認めつつも「年に500台も売れては独創的な存在たりえない」と指摘。短期的な販売台数よりブランドの価値維持を優先する姿勢を明確にした、と朝日は伝えている。」

「4つのタイヤで駆動するクルマにもいろいろある。この日、スズキの鈴木修会長は決算発表の席で「今年は軽自動車を58万台売って、シェア30%を死守したい」と述べたが、軽自動車のような大衆車は量を追わなければ採算が取れない。その鈴木会長だが、以前に「フェラーリは人目にはつくが、軽であろうと、フェラーリであろうと、乗っている人の人格までは変わらない」と語ったことがあった。」

「話題が品性や人格にまで及ぶと面倒臭いが、量を抑制してまでブランド価値を維持するフェラーリの経営姿勢に対して耳の痛くなる日本の経営者も少なくないだろう。」

全部引用してしまったが、レスポンスだって、朝日の記事のパクリだから、まあいいかあ?。

この記事を書いた福田さんというのは、フェラーリがフィアット傘下の広告塔であることを、まるで理解していない。

GMの頚木から逃れて、独立系に戻った鈴木自動車にしてみれば、余計なお世話であるな。

安くて、丈夫で、乗りやすいクルマ(軽でもいいですが)だって、立派なブランドであり、鈴木自動車は、二輪車の世界では、世界に冠たるブランドである(「地獄の黙示録」にも、鈴木のバイクが一瞬出てきます:スキヤキと一緒ですが・・・)。

ポルシェ(VWか?)が911を作り続けるのと、全く同じ理由で、フィアットグループは、フェラーリを作り続ける。

フィアットは、イタリア最大の企業グループであり、22万人の従業員を抱える大企業である。

(フィアット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88

ちなみに、トヨタ自動車は、連結決算ベースで、333,498人(2013年3月末現在)となっている。

日本(5.87 兆 US ドル:2011年世銀)とイタリア(2.19 兆 US ドル:同)のGDPを考えれば、国内ではトヨタと同等以上の規模なのである。

年間7000台のフェラーリなんて、広告塔以外の何物でもない。

ちなみに、フィアットの生産台数は、2013年度で430万台規模である。

「フィアット、陸に、海に、空に」のスローガンの元、自動車のみならず、鉄道車両や船舶、航空機の製造などの産業分野全般を掌握し、出版、金融等にも進出している。かつては「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」とまで評された。」

モンテゼーモロは、イタリアの経団連の会長までやっていた。

フィアットは、クライスラーを傘下に入れ、マツダの次期ロードスターの販売も行う予定といわれている。

ついでだが、2006年には、鈴木自動車との共同開発により、セディチを発表している。

(フィアット・セディチ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%81

なんだ、SX4の兄弟車じゃん!。

(スズキ・SX4)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%82%AD%E3%83%BBSX4

浮沈子の知らないSUVの世界だな。

まあ、どうでもいいんですが。

フィアット傘下のフェラーリは、高性能高級先進テンコ盛りスーパースポーツカー(V12)と、そこそこ高性能、まあ高級、まずまず先進、あたまの大盛り(吉野家の新メニュー)程度の、実は安物スポーツカー(V8)の2種類を売っていればいいのだ。

ブランドを保持することだけを目的としたブランドなのである。

赤字を垂れ流さなければ、それでいい。

いや、短期的には、赤字になったっていいくらいのもんだろう。

中国は、長期的には発展が難しい国だが、ここ当分は、魅力的な市場である。

ポルシェの今年の販売台数は、ひょっとすると、米国を越える可能性がある。

(ポルシェ:11月中国自動車販売台数3707台(2013))
http://www.chinapress.jp/consumption/39629/

「1月から11月の累計(国別)
・中国市場販売台数が前年同期比16.6%増の3万4133台
・アメリカ市場販売台数が前年同期比21.8%増の3万2091台
(・ドイツ市場販売台数が前年同期比19%増の1万6137台:参考)」

なんだ、もう超えてんじゃん!。

でも、まあ、クリスマスに買う人が多いかもしれないから、米国が巻き返す可能性もあるな。

ちなみに、日本は、5.5%増の4,257台。

(2013年11月度輸入車新規登録台数(速報))
http://www.jaia-jp.org/wp-content/uploads/201311NewCarNews.pdf

どっかの政党の親分が、「風呂は上の方から温まる」と言ったそうだが、わが国は、米国に比べれば、ジニ係数が小さいとはいえ、ドイツよりは所得格差が大きいので、もうちょっと売れてもいいんじゃないかあ?。

(ジニ係数:世界地図参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%8B%E4%BF%82%E6%95%B0

まあ、浮沈子には関係ないですが(中古しか買えないんで)。

やっと、ここまで書いてきて、個人所有の自動車には2種類あって、高級車と大衆車は、形は似ていても別の商品であること、大衆車は、概ね(クラス別には)コモディティ化していて、種類と台数を数えれば売り上げが分かるが、高級車は「超過収益」(ブランドの付加価値によるボッタクリ)を維持する必要から、単に数を売ればいいというわけではないことを見てきた。

特に、フェラーリという会社は、フィアットという巨大コングロマリット(古いですなあ)の一部であることを抜きには考えられない。

イタリア人(ヨーロッパ人、いや、白人か?)が、中国という国をどう見ているかということも分かった(米国で売りまくっているときは、何にも言わなかったくせに)。

まあ、モンテゼーモロは、貴族様だからな。

ちなみに、2009年のジニ係数だけ見ると、米国と中国は、同じ程度の格差社会である(一人当たりの所得は、8.6対1くらいか)。

(世界の名目GDP(USドル)ランキング)
http://ecodb.net/ranking/imf_ngdpd.html

(国の人口順リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

・米国:16,244.58(10億ドル)/310,383,948)=52,337$
・中国:8,221.02(10億ドル)/1,349,335,152)=6,092$
(・日本:5,960.27(10億ドル)/126,535,920=47,103$:参考)
(・ドイツ:3,429.52(10億ドル)/82,302,465=41,669$:参考)

GDPは2012年、人口は2010年なので、まあ、参考値程度である。

もちろん、国の豊かさの指標としては、購買力平価で見なければいけないのだろうが、ポルシェの値段は、日本が異常に高いだけで、全世界ではそれ程違わないだろうから、ちょうどいい指標になるかもしれないな。

ドイツは、我が国よりも名目上の一人当たり国内総生産は低いが、ポルシェはたくさん売れていて、販売の伸び率もいい。

どっかの党首に、聞いてみなけりゃいかんかな?。

それとも、日本の貴族様(と、成金)は、ポルシェのような「大衆車」は買わないで、RR(レイス)とかベントレー(ミュルザンヌ)とか買うのかあ?(そんなに台数は売れてないようですが)。

まあいい。

アストン(ヴァンキッシュ)とか、AMGの12気筒ターボかも知れない。

フェラーリなら、FFとか(F12ベルリネッタは2人乗りだし)。

中国のある経営者(確か、女性だったような)が言っていた言葉が、浮沈子の脳裏に刻み込まれている。

「経営資源として重要なのは、唯一、ブランドであり、それ以外は全て負債である」(ちょっと、正確ではないかもしれませんが)。

けだし、名言である。

ウエアラブル・コンピューター2013年12月11日 13:31

ウエアラブル・コンピューター
ウエアラブル・コンピューター


マイクロソフトといえば、パソコンの販売低迷が続く中、明日をも知れない、お先真っ暗の状況に陥っていると思っていた。

(バルマー退任に思う、マイクロソフト帝国最大の危機)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/masakazuhonda/20130824-00027520/

「”デバイスとサービスの会社”にマイクロソフトを変えていく」という。

「”勝ち続けるまでやめなければ、負けることはない”。それがマイクロソフトのやり方だからだ。」ともある。

競馬じゃないんだけどなあ・・・。

まあいい。

Surface RTが、コケまくって、9億ドル(たった900億円?)の損失(在庫調整費)を計上して、出足で躓いたきらいはあるが、勝ち続けるまでやめることはないだろう。

大本営発表には、「転進」という便利な言葉があった。

その実は、「後退」に過ぎなかったのだろうが。

マイクロソフトには、後がない。

パソコンのOS(サーバー含む)とキラーソフトだけでは、食っていけない(こともないが・・・)。

基幹OSの世界やクラウドには、強敵がゴロゴロいて、とても手が出せないし。

デバイスとサービスというが、ワンストップで全てをこなせるサービスは、別に、マイクロソフトでなくても構築できるし、大鑑巨砲主義の企業に、サービス間の細かい調整ができるかどうか。

デバイスに至っては、インターフェースを含めて、10年は出遅れている。

そりゃあ、勝つまでやめなければ、ということだが、ライバルたちもそう思っているわけだから、勝ち残れるかどうかは怪しい。

そんな折も折、こんなニュースを目にした。

(マイクロソフトが「スマートブラ」を開発)
http://wired.jp/2013/12/09/microsoft-smart-bra/

「マイクロソフト等の研究者チームは、ストレスや悪い習慣によるむやみな摂食行為を防ぐための、さまざまなシステムの開発に取り組んでいる。その一環として「スマートブラ」が開発された。」

発汗と心電図で気分を測るというのだが、ブラジャーというのがミソであるな。

心臓近辺に密着するセンサーを保持する、女性専用のデバイスである(昔、磐田のゴンが、嫁さんのブラ着けてましたが)。

文字通りのウエアラブル・コンピューターである。

下着というところが重要で、センサーとか、チップとか、基盤とかが薄く軽く小さくなり、フィット感が良くなってきたことにより実現した(まだ、研究段階のようだが)。

いくつか、問題点もある。

洗濯とか、大丈夫なんだろうか?(論文には、取り外して洗濯するとある)。

寝てるときゃ、外すというデメリットもあるし(寝てるときゃ、食わないな)。

何より、女性専用というのが、男の子としてはジェラシーを感じる(腹巻でも、するかあ?)。

肌に密着する下着ということなら、パンツでもいいが、若い方は、夜脱いじゃうことも多い(子供は、分かんなくていいです!)。

それに、技術は進歩の一途を辿っており、埋め込み型のチップに送信機能を付けて、直接身体からデータを取っていく方向になるかもしれない(血糖と酸素で発電するとか)。

ホルター心電計を、ずーっと着けてるようなもんだな。

労作性狭心症の浮沈子には、有り難いデバイスである(ブラでもするかあ?)。

最近、うつ状態が亢進しているので、そちらの管理にも役立つかもしれない(食いすぎるのは、そのせいかも)。

いずれにしろ、なかなかユニークかつ、合理的な発想のデバイスであることは、間違いない。

「その結果、「スマートブラ」システムは、覚醒状態(気分がどの程度冴えている、または退屈しているか)および感情価(感情がどの程度ポジティヴ、またはネガティヴか)の測定に関して、73%から75%の割合で成功した。」

下手な精神科の医者より、的確な診断かもしれない。

(Food and Mood: Just-in-Time Support for Emotional Eating)
http://www.cs.rochester.edu/hci/pubs/pdfs/FoodMood.pdf

元の論文を自動翻訳で流し読みしたが、咀嚼・嚥下センサー(イヤホン)や、拡張現実メガネ(グーグルグラスみたいなもんかあ?)で、食品の選択や、実際食べたかどうかまで、監視されるシステムを目指しているようだ(ワイヤードの記事にもある)。

「The technology in their system included, to name a few parts: an earpiece for monitoring chewing and swallowing;augmented reality glasses for capturing foods consumed; and heart rate recording for sensing exercise.」

もちろん、運動不足の浮沈子のような方のために、心拍数で、運動量も計測してくれる。

読んでいくと、今回開発したブラには、心拍・発汗のほか、加速度センサーや、ブルートゥースによる通信機能も付いていて、なかなか優れもののようである。

「The GRASP boards in this study were configured to capture heart rate and respiration with an electrocardiogram (EKG)sensor; skin conductance with an electrodermal activity (EDA)sensor; and movement with a 3-axis accelerometer and a 2-axis gyroscope. The board transmitted the sensor stream data to a mobile phone application using Bluetooth, which was thenstored remotely into a Microsoft Azure Cloud.」

将来的には、感情不安定が原因で、何か食べようとすると、スマホが鳴って、注意してくれるようになるんだろうか?。

「あなたは、感情不安定のために、爆食しようとしていますね?」とか・・・。

うるせーっ!。

失礼・・・。

金閣寺という三島由紀夫の小説がある。

(金閣寺 (小説))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%96%A3%E5%AF%BA_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

このウィキには、あらすじが細かく書かれている。

主人公が、エッチしようとする度に、金閣寺の幻影が脳裏に浮かぶという、心理学的には面白い設定となっている。

アンビバレンツという単語が、これほどハマル小説もないだろう。

(アンビバレント)
http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84

「別表記:ambivalent、アンビバレンツ
同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと。一人の人物について、好意と嫌悪を同時に持つ、などのような場合が該当する。」とある。

いやなに、爆食しようとする度に、スマホが鳴って食えなくなるというから、単に連想したまでのことだ(ブラジャーに対する、アンビかな?)。

別に、浮沈子が下着フェチであるとか、そういうことはない(子供は、分かんなくていいです!)。

まあ、どうでもいいんですが。

ちなみに、元論文が置いてあるニューヨークのロチェスター大学は、カミオカンデでノーベル物理学賞を受賞した、小柴昌俊(こしばまさとし)の学んだ学校でもある。

(小柴昌俊)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9F%B4%E6%98%8C%E4%BF%8A

さらにちなみに、小柴さんは、ロングスリーパー(長時間睡眠者)だそうで、1日11時間寝ていたといわれている(最近は、どうなんでしょうか?)。

寝ればノーベル賞が取れるわけではない。

東大受験やロチェスター大学のPh.D.の取得の時のように、ここ一番で集中できるからこその受賞なのであろう。

話が大分逸れた。

「研究チームは次に、気分を計測する「Affectiva Q3」ブレスレットを使用したテストへと進んでいる。したがって、女性だけでなく男性もテストに参加することが可能だ。」とワイヤードの記事にある(ブラジャー着けなくてもOK!)。

スマートウォッチの拡張機能(アプリケーション)として使えそうだ。

正に、デバイス・アンド・サービスだな。

そういえば、アイウォッチというのは、どうなったのだろうか?。

「我々に手の届かないものはない」2013年12月11日 23:37

「我々に手の届かないものはない」
「我々に手の届かないものはない」


「NOTHING IS BEYOND OUR REACH」のロゴ入りのワッペン(画像参照)。

怪しい衛星が打ち上げられたという。

('Nothing is beyond our reach,' National Reconnaissance Office's new logo claims)
http://www.foxnews.com/tech/2013/12/06/nothing-is-beyond-our-reach-nro-new-logo-claims/

(アトラスVロケット NROL-39打ち上げミッション成功…キューブサット12機も打ち上げ)
http://response.jp/article/2013/12/09/212570.html

最近は、スパイ衛星の打ち上げも、一般に報道されるようになったんだな。

この衛星は、米国の国家機密のため、衛星本体の画像は公開されていない(同時に打ち上げられたキューブサットは、画像が上がっている)。

(米国の新監視衛星のロゴは「地球を貪るタコ」)
http://wired.jp/2013/12/11/new-us-spy-satellite-features-world-devouring-octopus/

(New US spy satellite features world-devouring octopus:元記事)
http://arstechnica.com/tech-policy/2013/12/new-us-spy-satellite-features-world-devouring-octopus/

「NROは1960年、ホワイトハウス、CIA、空軍、国防総省の協議により設立され、偵察衛星の設計や打ち上げなど総合運用を行う。かつては現職長官名も公開されない極秘機関だったが、このような秘匿は情報公開法に抵触するため、現在では公式サイトでその概要を知ることができる。なお、サイトによれば、NROは2012年に4基の偵察衛星を打ち上げ、それぞれに「バッファロー」や「黒豹」などの動物ロゴが付いている。絵葉書版もダウンロードできる。」

(ナショナル・リコネッサンス・オフィス)
http://www.nro.mil/about/launches/index.html

今日の時点では、タコの絵葉書はないようだ。

まあ、どうでもいいんですが。

(アメリカ国家偵察局)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%81%B5%E5%AF%9F%E5%B1%80

「偵察衛星の設計、打ち上げ、回収など総合運用を行う」ということなので、どちらかといえば現場指向の組織のようだ。

米国を初め、各国には、情報機関を統括する組織、会議体がある。

(インテリジェンス・コミュニティー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

「日本
各情報機関が内閣情報会議や合同情報会議に重要な情報を提出することは少なく、直接、内閣官房長官や首相補佐官に伝えられることが多い。そのため、実際に機能しているとはいえない。」

「アメリカの情報機関は縄張り意識が強く、国家情報長官がどれだけ組織をまとめていけるかが課題である。」

まあ、国家機密を扱う機関が、オープンで、フレンドリーで、明るい笑顔のイメージということは考えにくいから、分からないでもないが、情報を統合し、評価し、判断の基礎として纏め上げるのは重要なことである。

ゆめゆめ、税金の無駄遣いといわれることのないように、きちんと機能させてもらいたい。

NROのウィキに、ポピー衛星へのリンクがあった。

(ポピー (人工衛星))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%BC_(%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E8%A1%9B%E6%98%9F)

ヒューミント(対人諜報)、シギント(通信諜報)は聞いたことがあるが、エリントというのは、初耳だった。

「ソ連のレーダーの電子情報収集(ELINT)を行う衛星であり、1962年から1971年にかけて打ち上げられた。」とある。

ページの一番下の表では、シギント(低軌道衛星)に分類されている。

最近は、イミント(画像諜報)、マジント(科学諜報)にも、衛星が使われている。

(諜報活動:参考)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%9C%E5%A0%B1%E6%B4%BB%E5%8B%95#.E5.85.AC.E9.96.8B.E8.B3.87.E6.96.99

「ポピーの存在は2005年9月にNROが機密指定を解除したことにより明らかにされた。しかし、その能力や詳細な運用については未だ機密とされている。」

確かに、NASAのサイト(国際衛星識別符号:NSSDC ID)へのリンクを辿ってみても、データ等は秘匿されている。

NSSDC IDが複数あるものは、たぶん、打ち上げ用ロケットかも知れない。

(国際衛星識別符号)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%A1%9B%E6%98%9F%E8%AD%98%E5%88%A5%E7%AC%A6%E5%8F%B7

「 一般に公開された衛星のみが命名される。いくつかの軍事衛星はカタログに掲載されず、通年の一連番号をつける上でもカウントされない。」

「失敗した打上げには標準の NSSDC ID は付与されない。それらはカタログには任意の名称で掲載される。例えば VAGSL1 は失敗した ヴァンガード SLV 1 のIDである。」

NROL-39のほかにも、NROが打ち上げ、管理しているスパイ衛星はたくさんある。

2011年4月14日に打ち上げられたNORL-34のワッペンには、バイキングの絵に「STRENGTH DEFENDS FREEDOM」(強さは自由を守る)とある。

なんか、クサイキャッチだな。

今回のタコも、同じようなものかもしれない。

どんなタイプのスパイ衛星であるかも謎である。

今日の天声人語には、こんな句が紹介されていた。

(戦争が廊下の奥に立つてゐた:渡邊白泉)
http://takanomutu.exblog.jp/20647026

昭和14年の作とある。

作者が見たのは、実際は、憲兵だったらしい。

それを、「戦争」という時代状況に瞬時に拡張、感得した句である。

現代は、宇宙時代である。

「我々に手の届かないものはない」(図らずも、五七五の俳句調!)

宇宙からタコの足が下りてきて、われわれの日常に絡みつくのだ。

ちょうどいい季節だから、おでんダネにして、食ってしまうというのもアリだな。