粉コーヒー2014年04月02日 19:37

粉コーヒー
粉コーヒー


近所のローソンで、試しに買ってみた100円(税込み108円)の粉コーヒー。

50gで、この値段・・・。

だいじょうび?。

ラベルを見ると、原産国はエジプトとなっている(画像参照)。

エジプト人って、コーヒー飲むのかあ?。

このブログでも、コーヒーについては若干調べたことがある。

(コーヒー依存)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/03/01/7235146

エジプトというのは出てこないなあ。

(ライジング コーヒーブレイク (100円ショップのコーヒー))
http://coffee.uraro.com/article/38437525.html

これです、これ!。

「…で飲んでみた感想ですが、美味しくも不味くもない不思議な感覚です。色はしっかり黒くなるのですが、その割に味が薄いといいますか。ただのお湯を飲むよりはコーヒー味がしていいかも、ぐらいのテイスト。」

まさにその通りの味。

独特の風味があって、「コーヒー」と思わなければ、意外と美味しい飲み物である。

生豆生産国名が、コートジボアール、カメルーン、ケニア等となっている。

「等」ってのが気になるが、この価格の安さと薄味を考えると、なんともいえない。

(コーヒー歴史年表)
http://coffee.ajca.or.jp/webmagazine/library/history

「【生産】15世紀頃
イエメン地方でコーヒーノキが栽培されだしたと思われる。(コーヒー豆の繁殖力のあるものは、他国への流出が禁止され、アラビアがコーヒー豆供給を独占していた。)」

「【消費】1510年頃
飲物のコーヒーがカイロに伝わる。(コーヒー飲用がエジプトへ)」

「【消費】1615年
コーヒーがべネチアに伝わる。(コーヒー飲用がヨーロッパ圏へ)」

まあ、歴史的には、ヨーロッパで飲用される以前にエジプトで飲まれていたわけだ。

(エジプトの美味しい★インスタントコーヒー)
http://www.tour.ne.jp/blog/egypt/62691/

こんな記事もあるくらいだから、エジプトのインスタントコーヒーがみんな薄味ということはない。

イスラム圏のコーヒーといえば、こんな感じじゃなかったっけ?。

(エジプトのコーヒーとカフェ (2))
http://plaza.rakuten.co.jp/smurfhanaco/diary/200912230000/

トルコ・コーヒーというのか。

(トルココーヒー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC

「トルコには他人に親切にせよという意味で、「1杯のコーヒーにも40年の思い出」という諺がある。トルコ語で「40」には「かなり大きな数」という意味があり、「40年の思い出」とは「長年の思い出」ということになる。つまり、他人に1杯のコーヒーをご馳走するだけで、その親切をなにかにつけて思い出してもらえるものだ、という教えになる。」

一杯の掛けそばのトルコ版だな。

そうはいっても、エジプトだってみんながトルコ・コーヒーというわけでもないようだ。

「スターバックス系の外国製カフェは、外国人の多く住むエリアやショッピングセンターなどにごさいます。ローカルなカフェでトルココーヒーが約30円位なところ、カフェラテが、300円位するので、エジプトでは、ちょっぴり高級カフェ的な面持ちです。」

ほほう、30円くらいでトルココーヒーが飲めるんだ。

今回の100円コーヒー(108円コーヒー)は、無論、トルココーヒーとは関係ない。

普通のインスタントコーヒーである。

ただ、これをコーヒーと呼ぶのは、浮沈子にはいささか抵抗がある。

コー「ピ」ーに近い(コーピーというのは、浮沈子が命名した「コーヒーに似て非なる飲料」のこと)。

ホット麦茶のようなものか。

50gもあるので、飲み終わるまでには相当掛かりそうだな。

商業捕鯨2014年04月02日 21:47

商業捕鯨
商業捕鯨


(安倍首相、捕鯨敗訴で政府代表に「厳しい叱責」)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140402/plc14040215490013-n1.htm

まあ、宮仕えは辛いというところか。

日本の調査捕鯨が、捕獲頭数が数百頭と多いこと、鯨肉が販売されていること、捕獲以外の調査方法の検討が不十分なこと等により、実態は商業捕鯨に当たるとして国際司法裁判所の判決を受けた。

それじゃあ、なんで商業捕鯨にしないんだろうか?。

(捕鯨)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8

(捕鯨問題)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E5%95%8F%E9%A1%8C

「公海利用に関する国際法上の根拠
日本は海の憲法と言われる国連海洋法条約に基づき「公海の利用は自由」としているが、反捕鯨国は「公海の利用には国際社会の合意が必要」としている。なお、過去には多くの国が公海捕鯨を行ってきたが、現在では日本以外の捕鯨国は、ノルウェーも含めて原則として近海捕鯨・沖合捕鯨しか行っておらず、公海での捕鯨をめぐる争点は主として日本のみを対象としたものとなっている。」

「クジラを食料として捕獲してきた捕鯨国には「食文化としての鯨肉食」が存続するのに対して、反捕鯨国の多くはクジラを食料としてきた歴史が途絶えて久しいため、「クジラを『食料』と見る文化が生き残っているか、そういう文化が生き残っておらず、保護の対象となる『野生動物』と見る」という見解の相違を生じている。」

「1988年に日本は商業捕鯨から撤退した。異議撤回の背景には、米国による水産物輸入停止などの制裁措置があった。」

給食に出ていた鯨の竜田揚げで育った浮沈子は、米国の戦略にまんまと嵌り、その後は吉野家の牛丼で成長した(太っただけじゃね?)。

いろいろな経緯はあるようだが、浮沈子としては、制裁措置との比較考量を行い、原則として商業捕鯨に踏み切るべきだと考える。

残酷だとか知的生命とか、おまいら、スタートレックの見すぎなんじゃね?。

(スタートレックIV 故郷への長い道)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AFIV_%E6%95%85%E9%83%B7%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%95%B7%E3%81%84%E9%81%93

まあいい。

最近、鯨肉食べなくなって久しいので、別に個人的には全面捕鯨禁止でも支障はないが、IWCは、元々安定して捕鯨を行うための資源管理が目的であるはずだ。

人道的な動機は、毛ほどもない。

(国際捕鯨委員会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%8D%95%E9%AF%A8%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

「IWCは外交問題に関係することから、外務省漁業室も政策決定に参与しているが、その役割は副次的なものである。国としての一貫した方針を表明しなければならない必要があることから表面化することはないものの、外務省という立場上対外的な関係を重視することもあり、政策方針については水産庁側とは相当の温度差があり、こうしたことはまれにオフレコで表明されることがある。なお2008年11月、外務省参与で元副報道官の谷口智彦は、豪州紙に「捕鯨業を守ることは日本の国益にはならない」と公言し、内外の波紋を呼んだ」

まあ、そうだろうな。

しかし、国益が何であるかを決めるのは、外務省ではない。

捕鯨業を守るのが国益だと決めたならば、それを最大限にするために交渉するのがお役所の勤めである。

札びらで途上国の面をひっぱたいてきた我が国も、すでにそういう無益な努力を放棄しているようだし、判決を受けて、IWCからの脱退を決意するときが訪れたというべきだろう。

世界各国からの制裁は覚悟のうえで、独自に資源管理を行い、IWCを無力化していくことが今後の国益に繋がる。

鯨の保護は、鯨の肉を食ってる国が中心となって行うべきだ。

水産業としての捕鯨を行っていない国が、水産資源の管理を行うこと自体が矛盾している。

浮沈子は、昔(十数年前)、小笠原に行った時に、ボートの上からのホエールウォッチングというのを初めて経験した。

ジャンプしたザトウクジラの腹に触れるんじゃないかと思うほどの近さだ。

山の上の観測所にも行って、素晴らしい夕日の中で広大な海域に生息している鯨たちを遠くから見たこともある。

夜に行われたNGOのセミナーにも、最前列で出席した。

巨大海洋生物であるクジラの保護(観光資源としての)については、いくばくか理解したつもりになっている。

採り尽くして困るのは、こうした観光資源になっている鯨種であり、また、シロナガスクジラのように個体数が激減している種に限られている。

幸い、他の多くの国々は、商業捕鯨から撤退しているので、アイスランド、ノルウェーとともに実効ある資源管理を行うことが出来る。

他の国は、黙って指を咥えて見ていればいい。

食わないヤツラに、物を言う権利はないのだ。

「1982年のモラトリアム決議に対しては、当初日本、ノルウェー、ペルー及びソ連が、その法的拘束力を免れるため異議申立(条約5条3項)を行った。しかし、日本とペルーはその後に異議を撤回している。異議を維持しているノルウェーは、現在も独自に捕獲枠を設定して商業捕鯨を行っている。また、アイスランドは、2002年の条約再加入に際し、異議申立ないし留保付きの加入をしたとしている。」

「2000年頃にアメリカは、日本の調査捕鯨停止を求め、形式的ながら制裁を再度発動した。日本は沿岸捕鯨の復活を訴え続けてきたが、2007年のIWC総会でも認められず、政府代表団は「日本の忍耐は限界に近い」と脱退を示唆した。」

もう限界を超えた。

司法判断は、あくまで調査捕鯨の枠内での話であって、捕鯨活動そのものが禁じられたわけではなく、IWCの脱退によって、正々堂々と商業捕鯨を行えばいいのだ。

気分は、国際連盟脱退を宣言する松岡洋介だな。

(国際連盟:日本の貢献と脱退まで)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E7%9B%9F#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E8.B2.A2.E7.8C.AE.E3.81.A8.E8.84.B1.E9.80.80.E3.81.BE.E3.81.A7

「柳条湖事件を契機に日本が満州全土を制圧すると(満州事変)、清朝最後の皇帝・溥儀を執政にする満州国を建国した。これに抗議する中華民国は連盟に提訴。連盟ではイギリスの第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットンを団長とするリットン調査団を派遣する。リットンは日本の満州における特殊権益は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、満州を中国に返した上で日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように報告書に記した。「リットン報告書」である。」

「1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告について審議され、最終的な同意確認において、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)であり、国際連盟規約15条4項および6項についての条件が成立した。この表決および同意確認直後、席上で松岡洋右日本全権は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、その場を退席した。」

当然だな。

しかし、世界は21世紀になった。

我が国は、今では世界の中で、揺ぎ無い地位を築いている。

国際連盟時代の比ではない。

その地位を乱用(?)して、他国を買収したり、脅したり賺したりしながら自国の権益を確保していかなければならない(??)。

鯨を食わない浮沈子には、勝手なことを言う権利はないかもしれないが、我が国の脱退がIWCに与える影響は大きいだろう。

今後、調査捕鯨という枠組みの中で、捕鯨を続けることは不可能になった。

後は、商業捕鯨を再開するのみである。

捕鯨からの全面撤退とか、規模を縮小して調査捕鯨を再開するなどという消極的な方策で妥協することはない。

毎年1000頭の調査捕鯨で、資源保護のデータは揃っているはずだ。

年間、100万頭くらい捕っても大丈夫なんじゃね?。

そんでもって、吉野家に鯨竜田揚丼が出るようになったら、食べに行こうかな(大和煮も美味そうだな:画像参照)。

ポルシェ博士2014年04月03日 01:01

ポルシェ博士
ポルシェ博士


フェルティナント・ポルシェ博士については、このブログでも何度か触れた。

(もう一つのポルシェ)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2013/06/19/6870684

「このクルマの設計で得た金で、戦犯として投獄されていたポルシェ博士は保釈されたわけだな。」

そう、ポルシェ博士は、第二次世界大戦後、2年間投獄されていたのだ。

(フェルディナント・ポルシェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7

彼は叩き上げの技術者であって、大学は講義を聴講した程度で、正式に卒業して博士号を得たわけではない。

「兄が早世したため若い頃から父親の仕事を手伝っていたが、この頃電気に興味を持って独学で実験を行なうなど単なる職人に留まらない好奇心を見せていた。父親は最初頑な態度を取ったが本人の熱意に負けてライヒェンベルク工業高校の夜間部通学を許した。」

「1894年、首都ウィーンに出たポルシェは、電気機器会社ベラ・エッガー(Béla Egger、現ブラウン)で働く傍ら、ウィーン大学工学部の聴講生として熱心に学んだ。」

「1917年にウィーン工科大学から名誉博士号を授与された。叩き上げの技術者で大学を卒業していないポルシェが「博士」の敬称で呼ばれているのは、自動車工学の実践的側面への傑出した功績を称えて授与されたこの名誉学位に由来する。」

ちなみに、ポルシェAGの正式名称は、「Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG」である。

彼は様々な設計を行い、いくつもの自動車会社を渡り歩く。

・1894年 ローナー(電気自動車)
・1906年 アウストロ・ダイムラー
・1923年 ダイムラー・モトーレン
・1926年 ダイムラー・ベンツ
・1929年 シュタイア
・1931年 ポルシェ事務所(シュトゥットガルト)

そして、1933年、ヒトラーに国民車の設計を依頼される。

「ようやく理想の小型大衆車開発を実現したポルシェは、3年後の1936年には流線型ボディ・空冷リアエンジン方式の1,000cc試作車を完成、1938年には計画通りの量産化に着手している。」

「またこれと並行し、やはりヒトラーの後援を受けたアウトウニオンの依頼で、ミッドシップ方式のレーシングカー「Pヴァーゲン」を1934年に開発。」

ドイツに居を置くポルシェが、時の権力者の後押しを得て、自らの夢を実現していったのである。

「ポルシェ自身はナチスの政治理念には反対であったが、ヒトラーと極めて密接な関係にあったこと、事実として枢軸側の戦力に多大な貢献をしたことからドイツ敗戦後の1945年、戦争犯罪人としてフランスにより逮捕、ディジョンの刑務所に収監され、シュトゥットガルトの本社敷地を始めとして財産は没収された。」

「収監から約20ヶ月後の1947年8月1日に釈放されるも、2年にわたる長い収監中に健康を害しており、その後は健康状態が優れなかった。」

1950年11月に脳卒中を発症、翌年1月30日死亡した。75歳没。

この伝記を追ったのは、こんな記事があったから。

(ポルシェに影落とす、創業者とナチスの過去)
http://www.afpbb.com/articles/-/3011521?pid=0

「ドイツの高級車メーカー、ポルシェ(Porsche)の名は長い間、スポーツカー愛好家を熱狂させてきた。しかし創業者フェルディナント・ポルシェ (Ferdinand Porsche)氏がナチ(Nazi)党員だった過去をめぐり、同氏の故郷であるチェコの町では論争が起きている。」

「チェコのブラティスラビツェ(Vratislavice)は2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」

「町長のアレシュ・プレイスレル(Ales Preisler)氏によると、反ナチの退役軍人やユダヤ人社会は、記念施設がポルシェ氏とナチスとの関係に一切、言及していないことに異議を唱えたという。ポルシェ氏が戦前にナチス親衛隊(Nazi SS)に所属していたことや、同氏がフォルクスワーゲン(Volkswagen、VW)でトップを務めていた時代に、独ボルフスブルク(Wolfsburg)工場で戦争捕虜に強制労働させたことなどが非難された。」

「事態を沈静化するために昨年、施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」

「ポルシェ社も自動車の貸与を中止したが、ポルシェ氏をめぐる論争については「地元の問題だ」として言及を控えている。以来、施設は空っぽのままだ。」

「また町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。町長は「これらは町の公金で賄われるべきものではない。ポルシェ氏は確かにナチスだった」と述べた。」

なんか、つれないな。

(Vratislavice nad Nisou:世界で一番難しいチェコ語)
http://cs.wikipedia.org/wiki/Vratislavice_nad_Nisou

「Významné osobnosti:
・・・
・Ferdinand Porsche (1875–1951) – automobilový konstruktér, továrník
・・・」

この町は、1919年以前は、Maffersdorf(マッフェルスドルフ)と呼ばれていたこともあり、その頃にポルシェ博士は生まれたのである。

「チェコ・テレジーン記念館(Terezin Memorial)の歴史学者ヤン・バイスケブル(Jan Vajskebr)氏は「ポルシェ氏は活動的なナチ党員で、ヒトラーと非常に良好な関係を築き、その関係を自分の事業を進めるために利用した」と解説している。」

「ヒトラーに勧められてポルシェ氏は、1935年にチェコ国籍を放棄した。それは故郷がナチス・ドイツに占領される4年前のことだった。バイスケブル氏によると「(国籍を放棄するのには)3秒もためらわなかった」という。」

「ペトル・イラスコ氏は、町の記念施設ではポルシェ氏とヒトラーの関係すべてを公開すべきだと主張する人々の一人だ。「彼はナチだった。歴史書は嘘をついていない」と憤る。」

「一方で、年金生活者のミノスラフ・シュピードレン氏は「ポルシェ氏はすべてのドライバーが感謝することを成し遂げた。どんな人物だったにせよ、評価はする」との意見だ。」

「ビール醸造所に自前のポルシェ記念館を作ってしまった自動車コレクターで、バス運転手のミラン・ブンバ氏は「ポルシェ氏に選択肢はなかった。ヒトラーがポルシェ氏を選んだんだ。ポルシェ氏が拒んでいたら、彼の人生は強制収容所で終わり、何も成し遂げられなかっただろう」と話し、ポルシェ氏は「車の開発に興味があっただけで、周囲で起きていることは見えていなかったんだと思う」と語った。」

浮沈子は、気が重くなる。

大好きなクルマのメーカーの創始者であり、20世紀最高の設計者といわれる人物が、故郷の町では戦犯扱いされている。

中には、善意に解釈している人もいるが、町としては公的にアピールすることを止めてしまった。

ポルシェも、当初は車両を貸し出したようだ。

「2010年、ポルシェ氏の記念施設を開設した。100万ドル規模をかけて造られた超近代的な建物は町役場に隣接。ドイツに本社があるポルシェも、創業者の技術的才能を知らしめる展示を支援するため、車両を施設に貸し出した。町が掲げた看板には「フェルディナント・ポルシェの生まれ故郷、ブラティスラビツェにようこそ」と記された。」

しかし、前述のように、ポルシェは車両を引き上げ、「町役場は、ブラティスラビツェがポルシェ氏の生誕地であることを記した看板も撤去した。」

ヨーロッパでは、戦後69年が経ってもなお、ナチスドイツへの反感が強い。

優秀な技術者であったればこそ、彼は時の権力と迎合し、その才能を発揮したのだ。

しかし、故郷の町でさえそれを許さない。

浮沈子は、最近ニュースで流れている慰安婦問題と重ね合わせて、気が重くなる。

戦後は終わってなどいない。

所を変え、形を変えて、今も我々の生活の傍らにある。

ドイツは、戦後の反省を徹底的に行ってきたという。

しかし、それでも、蹂躙された人々は、全てを許したわけではない。

「施設の名称は「記念館」から「展示センター」に変更され、ポルシェ氏がナチ党員だったことの説明が加えられた。」

この施設に、ポルシェのクルマが再び展示され、人々がその設計者の才能を愛でる日が訪れることがあるのだろうか。

ナチスドイツの行為を許せとは言わない。

ポルシェ博士が党員だったことを隠せとは言わない。

それと共に、賞賛されるべきものがあれば、故郷の町として誇っていいのではないか。

そんな、戦後生まれの甘ちゃんの願いなど許さないものがあるのかもしれない。

今日は、ちっと堪えたな。

650S2014年04月03日 02:19

650S
650S


マクラーレン650Sについては、ポルシェ961の当て馬として、このブログでも触れた。

(二つの961)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/03/31/7263179

「(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」の画像と概要を発表!)
http://www.huffingtonpost.jp/autoblogjapan/650s_b_4840881.html

こっちは、当然フルカーボンだろう。

(マクラーレン、650Sの価格を発表)
http://carview.yahoo.co.jp/news/newmodel/200325/

「イギリスでの販売価格はクーペが19万5250ポンド(1ポンド=170円換算で約3320万円)から、スパイダーは21万5250ポンド(約3660万円)から設定される。」

わお、ガチンコだな。

割安感さえある。

ポルシェ961は、前門のフェラーリ、後門のマクラーレンという窮地に陥りかねない。」

ちと、引用が長いな。

まあいい。

で、日本でもお披露目となった。

(マクラーレン、新型スーパーカー「650S」を日本初公開)
http://www.topnews.jp/2014/04/01/auto/105595.html

「マクラーレン東京は、1日(火)に新型スーパーカーである「650Sクーペ」と「650Sスパイダー」を日本初公開した。発売は今年の春を予定しており、価格は「650Sクーペ」が3,160万円、「650Sスパイダー」が3,400万円となる。」

フルカーボンボディ、バタフライドア、650馬力のV8ツインターボ、7速デュアルクラッチなどなど、高い商品性でこのお値段!。

バーゲン価格ですなあ!。

「<「650S」の概要と価格>
・エンジン:3.8リッターV型8気筒DOHCツインターボ
最大出力:650PS(478kW)/7,200rpm
最大トルク:678Nm(69.1kgm)/6,000rpm
・トランスミッション:7速シームレスシフト(デュアルクラッチ)
・タイヤサイズ:235/35R19(前)・305/30R20(後)
・車両重量:1,330kg(クーペ)・1370kg(スパイダー)
・最高速度:333km/h(クーペ)・329km/h(スパイダー)
・時速0-100km加速:3.0秒
価格】 クーペ/3,160万円 スパイダー/3,400万円」

(マクラーレン最新モデル「650S」デビュー:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=bkyRF6nxZm4#t=13

あーあ、ポルシェもこういうカッコいいクルマ作りたいだろうなあ(カエル面じゃなくて)。

(マクラーレン「650S」桜の下で披露! ドライバーとの一体感強化 - 画像63枚)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/034/

「ボルティガ氏は、「McLaren 650S」の名称について、「マクラーレン製3.8リッターV8ツインターボ・エンジン『M838T』の最高出力650PS(641bhp)に由来しています。(名称の末尾の)『S』はスポーツを意味し、優れたハンドリング、トランスミッション、ドライバビリティを実現します」と述べた。」

動画でしゃべってる人が、ボルティガさんだな。

まあ、どうでもいいんですが。

(マクラーレン「650S」日本初公開! 伝説のロードカー「F1」上回る加速を発揮)
http://news.mynavi.jp/news/2014/04/02/140/

「0-100km/h加速は3.0秒、0-200km/h加速は8.4秒ときわめて優れており、0-400m加速は10.5秒、最高速度は333km/hとなっている。これはマクラーレンの伝説のロードカー「F1」を0-200km/h加速で1秒、0-400m加速で0.6秒上回るものだ。」

うーん、F1との比較かあ。

F1は、636PS/7,400rpmだが、車両重量は1,140kg(2,513lb)と軽い。

最高速度 391km/h(メーター読み)となっており、比較の対象にはならないんじゃないか?。

21年も前のクルマだし。

(マクラーレン・F1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BBF1

このクルマ、日本では、どうやらMP4-12Cの置き換えになるようだ。

(新型スポーツカー「マクラーレン650S」日本上陸)
http://www.webcg.net/articles/-/30538

「なお、これまで扱われていた12Cについては、日本で販売されるのは在庫限り。そのポジションは650Sに受け継がれることになる。」

まあ、スペックは殆ど同じだしなあ。

「ボディーサイズは、開発の元となった「12C/12C スパイダー」に準ずるもので、クローズドボディーのクーペの場合で全長×全幅×全高=4512×2093×1199mmと、12C(同4509×2093×1203mm)との違いはごくわずか。ホイールベースは変わらず、2670mm。」

「エンジンは、12Cのものと基本を同じくする、ツインターボ付きの3.8リッターV8ユニット。さらなるチューニングが施された結果、12Cに50psと7.9kgmの上乗せとなる、最高出力650ps/7250rpmと最大トルク69.1kgm/6000rpmを発生する。」

期待していた12Cの下位バージョンは、いつ出てくることやら。

MH370長期化?2014年04月03日 22:58

MH370長期化?
MH370長期化?


(不明マレーシア機、乗客に不審な点なし 警察)
http://www.cnn.co.jp/world/35046042.html

「同機が消息を絶ってから27日が過ぎた今も、同機に何が起き、どこに行き着いたのかを示す確固たる手がかりは見つかっていない。」

「オーストラリア海上保安局(AMSA)によると、同国西部沖のインド洋では3日も航空機8機と、英国の潜水艦1隻を含む船舶9隻が出動して捜索に当たる。」

「いつまでかかろうと捜索は続ける」

「何カ月も、何年もかかるかもしれない」

(自衛隊機が南インド洋で浮遊物発見、マレーシア機か)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2164823.html

「現地時間の午後6時前、海上に浮遊物を発見し、目印となる発煙筒を投下」

「南インド洋におけるマレーシア航空機の捜索には、日本の自衛隊のほかオーストラリアや中国など7か国が参加していますが、いまだに機体やその一部は発見されていません。」

衛星や航空機からの発見は、今のところ全てマレーシア機のものではなかった。

(米最新鋭哨戒機ポセイドンも苦戦、不明のマレーシア機捜索)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA3103O20140402

「航空史上最も複雑な謎を解くのに最も有力とされる米海軍の最新鋭哨戒機「P─8ポセイドン」をもってしても難航が続いている。」

「P─8ポセイドンはこのほど、インド洋で5時間にわたり海上90メートルまで低空飛行して機体の残骸などを捜した」

おいおい、大丈夫なのかあ?。

P-8は、中身は旅客機として開発されたB737である。

(P-8(航空機))
http://ja.wikipedia.org/wiki/P-8_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

「ボーイングは737-800ERX旅客機の改修型である「737MMA(Multimission Maritime Aircraft-多用途海上航空機)」を応募した。ボーイングは既存の自社旅客機の軍事利用をたびたび提案し、E-767、KC-767を開発したが、本機もその一環であった。」

「P-3Cで実施していた海面上低高度での索敵も想定していない。」

なんか不安だなあ・・・。

まあいい。

二次災害にならないように、気をつけて捜索してもらいたいもんだ。

1か月近くになる捜索は行き詰っている。

「3月8日に消息を絶ったMH370便の捜索には米国、中国、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、日本が参加。オーストラリア西部パースの西約2000キロの海域で活動を続けているが、これまでのところ、難破船の漂流物などしか見つかっていない。」

「何も見つからなかったとしてもその海域を捜索の範囲から排除できる」

そうなのか?。

同時に探したのならともかく、海は動いている。

見落としだってあるかもしれない。

航空機による捜索は、時間の制約も大きく基地から遠いエリアになればなるほどはかどらない。

そうして、もたもたしているうちに、海流によって流されてしまう。

こういうときは、マーフィの法則により、概ね既に捜索が行われたとして排除された海域に行ってしまうことになるのだ。

フライトレコーダーの音響発信は、バッテリー切れであと数日で切れてしまう。

どこに落ちたか特定できない状況の中、広大なインド洋をソナーを引きずりながら探すわけだ。

何年も掛かる、根気の要る作業だ。

英国は、原潜「タイアレス」を投入した。

(トラファルガー級原子力潜水艦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%B4%9A%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6

「1985年10月5日就役」とある。

今年辺り退役するかもしれない老朽艦である。

就役中の同型艦5隻のうち最も古い・・・。

「基本的に対潜任務に用いられているが、対艦攻撃や対地攻撃も可能。」

墜落旅客機の捜索には向かないんじゃね?。

退役に向けての花道作りかあ?。

「本艦級最後の1隻は2024年まで運用される予定である。」

大事に使ってください。

潜行深度600m、最大速力:水上20kt、水中29ktとあるが、浮沈子には評価はできない。

英国は、行方不明機の捜索については、インマルサットの解析をチェックするなどの役割を果たしている。

この潜水艦が何かの役に立つとは、浮沈子には思えないんだが、見当違いな協力でないことを期待しよう。

浮沈子は、時間がかかっても、この行方不明機の謎は解明すべきだと考える。

様々な情報が錯綜し、人工衛星まで使って探しても見つからない。

情報が少ないのは、マレーシア政府が小出しにしていることもあるが、実際に情報がないからでもある。

現在のところ、オーストラリアが推定した海域での捜索が行われているが、それもインマルサットの推測に修正を加えたもので、どれほどの正確さがあるかはわからない。

見当ハズレの場所を探しているかも知れないのだ。

捜索範囲はインド洋全体だといってもいい。

気の遠くなる話である。

MH370便に何があったのか。

消えた機体、乗客乗員、そして失踪の真実。

それらを明らかにして、評価することなく空の安全は確保できない。