水の中の懲りない面々2014年05月03日 00:17

水の中の懲りない面々
水の中の懲りない面々


浮沈子は、これまで何人かのインストラクターに教わってきた。

もっとも長いのは、イントラこと豊田聡氏だが、アドバンスドダイバーとナイトロックスはASDIの鷹野与志弥氏に教えていただいた。

そして、浮沈子にダイバーとしての基本を叩き込んだのは、この方・・・。

枝村真樹氏こと、マサさん。

(クロウズネスツは「ゆっくり過ごせる隠れ処」を目指しています。)
http://www.crowsnests.net/greeting/index.html

いつかはお礼に伺わなければと思いつつ、月日を重ねてしまっている。

浮沈子がCカードを取ったのは、テニアン島である。

Cカード取ってから、そういえば一度も行ってない・・・(罰当たりであるな)。

このほかにも、門を叩いたダイバーとしては、田中光嘉氏がいる。

ファンダイビング10本くらいで、CCR教えてくれといったら、100本潜ってから来い!、と門前払いだった。

まだ、オープンサーキットでは100本潜っていないから、習いに行けない(そういうわけじゃあないんですが)。

皆さん、蒼々たる面々で、怖いもの知らずとはいえ、ずいぶん厚かましくお願いしたものだった。

来週からは、ピピ島で唯一人、日本人経営のダイビングショップであるパールアンダマンスクーバを経営する服部一之氏の門を叩く。

(ピピ島でダイビング)
http://pearlandamanscuba.com/

「パールアンダマンスクーバ(Pearl Andaman Scuba)は店舗を閉じインターネットでの予約のみの営業展開とさせていただくことになりました。今まで以上サービスが提供できるようにしたいと思いますので今後共によろしくお願いいたします。」

あれま!、お店畳んじゃったんですね。

「現在はピピシーフロッグの設備を使用して営業しています。ピピシーフロッグのスタッフも私(服部)の事を知っていますので来島のさいはお声掛けください。」

シーフロッグは、2月に行った時に、YASKOさんが使用していたショップでもある。

服部氏とは、シーフロッグが仕立てたダイビングボートの上でお目にかかった。

ダイブマスターのコースをピピで取るか、バリで取るかは、悩ましいところだ。

費用の問題もあるが、今後のメインのゲレンデをどこにするかということもある。

タイ、特にプーケットやピピ島は、浮沈子の肌に合う。

普通のダイビングを行っていく上で、この環境は捨てがたい魅力がある。

しかし、それ以上のものは、逆にないのだ。

テクニカルに強い面々がいるわけでもなく、リブリーザーが普及しているわけでもない。

石灰岩質の島々には、多くのケーブがあり、ゲレンデとしては可能性に溢れているが、現在はそういったショップはなくなってしまった。

モスキートに、ケーブダイバーが在籍していたという情報はあったのだが、いなくなってしまった。

そういうダイバーは、多くないのだろう。

バリのブルーシーズンには、そういったスキルのスタッフもいるし、お店自体がテックレックをやっている。

(インターンシップ・スタッフ紹介)
http://www.idc-bali-internships.com/jp/idc_bali_course_directors

「・青山生馬氏:テックディープダイバー
・トム・ウェスト氏:PADI テックディープ・インストラクター・トレーナー、PADIトライミックス・インストラクター・トレーナー
・渡部泰臣氏:PADI テックディープ・インストラクター、PADIテックサイドマウント・インストラクター、IANTD Ad.Nitrox インストラクター、PADIトライミックス・ダイバー、PADI POSEIDON MK6 CCRダイバー、IART JJ-CCRダイバー」

渡辺氏は、2種類のCCRのサーティフィケートを受けている。

テックサイドマウント・インストラクターでもあり、浮沈子的には、お話してみたい方の一人だ。

ティーチングプロというのは、浮沈子には職業としては向かない。

特に、ダイビングのように、生死に係わる遊びで責任を問われる立場になることは御免被りたい。

しかし、職業ダイバーとしては、ガイド業だけでは食って行けない。

新たな人身御供をネプチューンに捧げることは、生活の糧を得ることでもある。

CPRくらいなら教えてもいいかな。

ということで、ダイブマスターを目指そうと考えたわけだ。

人に教える技術を持つということは、自らがそれを確実に実践していかなければならないわけで、それ自体が安全の向上に繋がるわけだし、そういう目線でダイビングの安全管理を考えるということは、一段と高度な安全に繋がる。

レクリエーショナルダイビングで、ガイディングされながら潜る時も、ガイドダイバーが、何を考え、何を見ているかを知りつつ潜るということは、上手にガイドされることで安全を向上させることになる。

実際、トゥバタハリーフツアーでご一緒した方は、そういう理由でノンアクティブのダイブマスターだった。

同じ考えのダイバーに巡り合ったという奇遇もさることながら、浮沈子の発想もアリだな、という点で心強かったわけだ。

さて、それをどこで取るか。

一番いいのは、レスキューを取った服部さんに習ってしまうのがいいだろうが、バリ島のブルーシーズンのチームワークも捨て難い。

水の中には、懲りない面々が大勢いる。

きっと、今日も何人か、何十人か、何百人かのダイブマスター、インストラクターが生まれ、新たな貢物(ダイバー)をネプチューンに捧げるべく、世界の海に散っているに違いないのだ。

まあいい。

それは、過去にも繰り返された営みだし、今後もしばらくは続く行為である。

サイドマウントであれ、リブリーザーであれ、フツーのダイビングであれ、必要なスキルを身に着けて、控えめに潜る限り、直ちに死んだりはしないものだ。

「病気、へたくそ、思い上がりが事故の元」だというのが、須賀次郎氏の名言だ。

そうでなくても、事故は起こる。

外的要因で避けがたい事故というのは、必ず起こる。

ダイビングは危険な行為で、それをレジャーとして楽しもうということ自体が、所詮は無謀なのである。

それでも、ダイバーの再生産は止まらない。

それほど、水中は魅力的なのだろうか?。

命かけて潜るに値する世界なのだろうか。

答えは明らかである。

懲りない面々は、今日も水中に赴くのだ・・・。

最後の6気筒?2014年05月03日 02:03

最後の6気筒?
最後の6気筒?


次期ボクスター・ケイマンは、4気筒水平対向+ターボエンジンが搭載されるという、もっぱらの噂だ。

ということは、このクルマは、最後の6気筒エンジンを積んでいるということになる。

(【北京モーターショー14】パフォーマンスアップしたボクスターGTS、最高速度は281km/h[詳細画像])
http://response.jp/article/2014/05/02/222498.html

2世代も前の、986型ノーマルエンジンのボクスターの中古買いオーナーである浮沈子は、同じ名前のクルマが281kmで走ると言われてもピンと来ない。

浮沈子の愛車である流星号(っていうのかあ?)は、せいぜい200km位までで音をあげるだろう。

十分である。

実際、それ以上で走っても、楽しいクルマではない。

もともと、オープンで走る車だ。

「「GTS」とはグラン・ツーリスモ・スポーツの意味を持ち、ポルシェの中でもスポーティなモデルの頂点に付けられる特別な名称で、バイキセノンのヘッドライトがブラックアウト化されるなど、差別化が図られている。」

「グランツーリスモ」と「スポーツ」は、元々相容れない要素だ。

長大な距離を快適に走るための素養と、俊敏な運動性を追及したモデルが、同じ車体に宿ることは有り得ない。

どちらも中途半端に終わり、結局は、2台持ちには敵わないのだ。

しかし、981型のボクスターSに試乗した時、浮沈子は、その性格の豹変振りに舌を巻いた。

半端ない固さに締め上げられた足回り(最近は、これをボディ性能というらしいが)、そして、コーナーを駆け抜ける時の「破綻してなるものか!」という安定感、そのガチなボディが、スイッチ一つで町乗りのオープンカーに一変した。

これには、やられた。

8ぴゃくまんえんを、即決で払ってしまおうかと思った。

このクルマに、何の文句を付けようというのか。

まあ、二人乗りくらいかな。

だから、GTSという、自己矛盾的、何でも合体的、てんこ盛り的、商魂剥き出し的ネーミングを与えても、許す・・・。

しかし、PDKモデルは949まんえんだと・・・。

もちろん、多くのオプションが付いていての値段なのだろうが、それにしても、たかがボクスターが、いっせんまんえんを伺う値付けとは・・・。

いやいや、これは、ポルシェMDシリーズ最後のNA6気筒としての、プレミアムを含んでのお値段である。

そう考えなければ、手を出す気にはなれない。

そして、MD用330馬力のNAエンジンの後継機は、最早、作られることはないのだ・・・。

911は、引き続き6気筒モデルを継続するだろう。

それが差別化であり、商売というものだ。

(「ポルシェ・マカン」に直4ターボモデルが登場)
http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2014042854191.html

「ポルシェ ジャパンは新型SUV「マカン」に直4ターボエンジンを搭載したエントリーグレードを設定し、4月25日に予約受注を開始した。」

「エンジンは2リッター直4直噴ターボで、237ps(174kW)の最高出力と35.7kgm(350Nm)の最大トルクを発生する。これに組み合わせるトランスミッションは7段デュアルクラッチ式ATのみ。車重は上級グレードの「マカンターボ」より150kgほど軽量に仕上がっている。」

これで十分なのである。

ちなみに、浮沈子の986型の素のボクスター(2.7リッターNA)は、228馬力である。

現在開発中の次期ボクスター・ケイマン用エンジンは、これよりはパワフルであると思われるし、水平対向エンジンで登場することになろうが、マルチシリンダーでNAのまま出力を上げるという手法は、最早、許されないのだ。

ダウンサイジングし、燃費を向上させ、そのうち絶対ハイブリッドにするに決まっている!。

商品価値を高め、いっせんまんのボクスター・ケイマンを登場させようというのかあ?。

まあいい。

ポルシェの蓋を開けると、そこにアウディが一杯に詰まっていたとしてもだ。

外皮にシュトゥットガルトの紋章があれば、中身がインゴルシュタットであってもポルシェである。

(インゴルシュタット)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88

「高級自動車メーカー、アウディの本社・工場があることでも知られる。」

画像は、インゴルシュタット市の紋章である。

全然、ポルシェじゃない・・・。

まあ、どうでもいいんですが。

浮沈子は、そのうち、ディーゼルエンジンの911が走り出すに違いないと確信している。

日本には導入されていないが、カイエンにはディーゼルモデルがあるのだ。

(ポルシェ・カイエンSディーゼル)
http://www.autocar.jp/firstdrives/2012/10/30/17071/

エンジンカバーの下には、きっとワッカが4つ付いているに決まっている(未調査)。

世も末だな。

しかし、実際、技術的にはスポーティなディーゼルエンジンを作ることは可能だ。

(驚くべきアウディの電動ターボ)
http://carview.yahoo.co.jp/article/testdrive/200407/

「電動ターボの威力はカタログで書けるスペックの域を超えている。通常のTDIでも驚くほど力強い加速を示すが、電動ターボのレスポンスはフェラーリのエンジンのように好感度なのだ。スロットル操作に敏感にトルクが追従し、エンジンは勢い余るかのように回転の上昇が速い。」

浮沈子が、ディーゼル911を確信する所以である。

ターボであれ、ディーゼルであれ、内燃機関であるうちはまだいい。

時が来れば、クルマは皆、電気で走るようになる。

911に、かつて「エンジン」という「部品」が付いていたなどという昔語りが語られるようになるのだ。

おそらくは、浮沈子が生きているうちに、そのようになるに違いない。

いやはや、なんともいえないな。

ボクスターGTS。

最後のMR6気筒エンジン車。

このエンジンは、紛れもなくポルシェのものだ(アウディは、フラット6持ってません!)。

浮沈子は、自分の03ボクスターの遠い国で作られたエンジンが、はるばる海を越えてやってきて、この島国の空気を吸って快音を上げているのを見ると(聞くと?)、なんともいえない寂寥感に襲われる。

ボクスターを手放すことも考えたが、やはり手元に置いておきたい。

ボクスターというクルマは、かつて、瀕死のポルシェを救った救世主なのだ。

エンジンという動力機関が、自動車に搭載されている時代は、そう長くはない。

ましてや、50年の歴史のある水平対向6気筒エンジンである。

もう少しだけ、その快音を聞いていたい・・・。

脚は開いているか?2014年05月03日 03:04

脚は開いているか?
脚は開いているか?


アドルフ・ヒトラーは、パリが燃えているかと尋ねたという。

(パリは燃えているか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AF%E7%87%83%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8B

「映画の終盤、降伏する前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が下ったが、最終的にコルティッツ将軍は命令に従わずに連合国に無条件降伏し、パリを破壊から守った。」

まあ、どうでもいいんですが。

画家を志していたヒトラーが、芸術の都を焦土とする命令を下すというのが、実に戦争の悲劇である。

(アドルフ・ヒトラー:青年期の挫折)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F.E3.81.AE.E6.8C.AB.E6.8A.98

「1905年、漸く正規の教育課程から解放されたヒトラーは父の遺産と年金から仕送りを得る約束を母親から貰い、芸術の都であるウィーンへ移住して美術を学ぶ事を決めた。1907年にはウィーン美術アカデミーを受験した。」

まあ、受験は失敗し、その後もぱっとしなかった。

「人物デッサンを嫌う傾向から「画家は諦めて建築家を目指してはどうか」と助言されたエピソードは有名である。ウィーンでの美術館巡りでは建物自体の観賞を好んだと書き残すなど、ヒトラーは実際には建築物を好んでいてこの助言に大いに乗り気になったが、程なく彼は建築家を目指すのは画家より更に非現実的な望みである事を知ったと書き残している。」

「1908年2月からは生活の拠点もウィーンに移し、アウグスト・クビツェクと共同生活を始めた。この年にもアカデミーを受験したが、再び失敗した。二度目の試験では予備試験にすら受からず、むしろ合格は遠ざかっていたという。」

さて、話は変わって、先月の19日早朝(日本時間)に打ち上げられたスペースX社のファルコン9の1段目の写真が上がっている。

(FIRST STAGE LANDING VIDEO)
http://www.spacex.com/news

ビデオで見ると、ブロックノイズがひどいが、修復されたものを見ると、一瞬、画像が鮮明になる(画像参照)。

おお、脚が開いているじゃん!。

生データを公開して、世間に協力を求めるなんざ、イーロン・マスクも味なことやるねえ!。

ソフトウェア屋の発想だな。

(伽藍とバザール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E3%81%A8%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB

「人月の神話」と共に、ソフトウェア関連の書籍(?)の古典である。

(人月の神話)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%9C%88%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1

まあいい。

今後、テレメトリーされたデータの解析が進めば、第一段目の回収の成否が明らかになるだろう。

スペースXが、更なる実験を行い、ロケットの再利用の実用化に目処を付けることが出来るかどうか。

浮沈子は、大注目している。

それは、人類が再び地球周辺を離れて、月や火星に行くことができるかどうかという、歴史的な話だからである。

その要素技術の一つが、再利用であり、ソフトランディングの技術なのだ。

しかも、地球重力下で成功すれば、火星で行うことは容易いに違いない。

脚は、開いていた。

そして、再利用ロケットの開発は、今年、山場を迎えそうだ。

憲法と集団的自衛権2014年05月03日 12:26

憲法と集団的自衛権


法律に疎い浮沈子は(じゃあ、何に詳しいんだあ?)、憲法改正をしないと集団的自衛権が発動できないというのが、どうしても理解できないでいる。

(憲法と自衛権)
http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html

「2.憲法第9条の趣旨についての政府見解:(4)集団的自衛権:
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。」

(集団的自衛権)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。— 国連憲章第51条」

「上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない」

つまり、集団的自衛権という法的概念自体、第二次世界大戦後の国際情勢の中で生まれた、まあ、ご都合主義的な考え方であったということだ。

単一国家が固有している自衛権とは、本質的に異なる。

「国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合やアフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された。」

「このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った。」

「冷戦期には集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された」

まず、紛争を防ぐために、地域的機関による集団的な強制行動が規制され、安全保障理事会の事前承認を受けることになる。

常任理事国の拒否権にあったら、実施できないわけで、共同防衛を行うことができなくなる。

それを可能とするために明文化されたわけだ。

(国際連合憲章 第8章 地域的取極め)
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jchapter8.html

「第53条
1 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。」

続く記述は、意味深長だな。

「もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」

我が国は、この「敵国」に当たる。

仮定の話として、我が国がNATO加盟国を侵略しようとすれば、NATO軍は集団的自衛権を行使して自衛隊を粉砕できるというわけだ。

まあ、どうでもいいんですが。

「集団的自衛権が攻撃を受けていない第三国の権利である以上、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではない」

「そのため米州共同防衛条約、北大西洋条約、日米安全保障条約などのように、締約国の間で集団的自衛を権利から義務に転換する条約が結ばれることもある」

米国は、日米安全保障条約により、我が国が攻撃された時に応戦する集団的自衛権を、義務的かつ片務的に課せられている。

我が国には、米国に対しそのような義務は負っていないため、「武力攻撃を受けた国(米国)に対して援助をする義務を負うわけではない」ということになる。

政府解釈では、「憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきもの」とされていて、「他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるもの」だというのだ。

それって、おかしいと感じないか?。

もともと、共同防衛を実効たらしめるための集団的自衛権を、個別的自衛権の議論とごちゃ混ぜにしている。

我が国が有する集団的自衛権は、他国侵略のためでもなければ、米国国民を守るためのものでもない。

我が国の国土と主権を守るためのものである。

そのための日米安全保障条約であり、米国との共同防衛システムなのだ。

それが行使できないということ自体、そもそもおかしい議論である。

今時、他国の侵略を単一で阻止できる実力を持つ国など、限られている。

米国、ロシア、中国くらいのものではないか。

多くの国々が、自衛の為に軍事同盟を結び、共同防衛を行っているのが実態だ。

その実態に合わせて国連憲章も作られている。

憲法解釈上、行使できないとする我が国の立場は、日米軍事同盟(日米安全保障条約)が片務的であることを前提とした、ご都合主義的解釈なのではないのか。

まあ、それでもいいんですが、憲法上許されないというのは、どう考えてもおかしい。

議論としては、共同防衛機構である日米軍事同盟が合憲ならば、双務的であれ片務的であれ、集団的自衛権は憲法上行使可能であって、改定すべきは日米軍事同盟のお約束の方だと考えるのが自然だ。

そもそも、安保には片務的だからといって、双務的行為を禁じる条項もない。

我が国が軍事同盟を結んでいることで、集団的自衛権はいつでも行使可能な状態にある。

政府解釈が、憲法を根拠にするのは勝手だが、周辺諸国に対する単なるリップサービスに過ぎないと浮沈子は見ている。

集団的自衛権の抑止に、本気じゃないんだ。

不真面目すぎる。

そのことは、個別的自衛権についてもいえる。

侵略が試みられようとする時、敵国のミサイル基地を直接打撃する兵器を持たないで、どうして国土を守れるのか?。

「個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母を自衛隊が保有することは許されないと考えています。」

馬鹿じゃないのかあ?。

21世紀の現代、地球の裏側からでも我が国を狙ってミサイルを発射することは、いつでも可能である。

我が国が独自に保有しなくても、米国との軍事同盟の中で抑止できればそれでいいが、その米国の(日本防衛用の)ミサイル基地が攻撃された時は、いったいどうするのか?。

自衛隊は、歪な軍隊である。

日本侵略という規模の有事の際は、日米軍事同盟の中でしか機能しない。

丸裸にされた自衛隊などで、我が国の国土を防衛できると、政府が本気で考えているのなら、直ちに政権を交代させなければならない。

我が国の防衛は、現実的に日米軍事同盟によって確保されており、その取り決めが合憲である限り、集団的自衛権はいつでも行使できると考えるのが普通だろう?。

憲法を変える必要なんて、全くない。

変えるべきなのは、おかしな政府解釈である。

集団的自衛権を行使しないのは、国際法上の義務ではなく、地域的機関である日米安全保障条約も義務化を求めていないという政策上の理由からであって、憲法に根拠を求めるのはそもそも無理がある。

個別的自衛権や集団的自衛権を行使して、他国を侵略することが禁じられているだけだ。

それだって、敵国の軍事拠点を無力化することを妨げているわけではない。

浮沈子は、日本国憲法は、米国が(下案を)作ったにしてはなかなか良く出来ていると思っている。

しかし、単なる国家統治の道具であることに変わりはない。

200年後にはなくなっているだろうこの国を、今、どうしたいのか。

どうすべきなのか。

夕べNHKのニュースに登場していた学者が、憲法擁護と国防を量りにかけた議論をしていた。

浮沈子は、なんの躊躇いもなく国防を採る。

国家なくして、だれが憲法を擁護するのか。

他国に侵略され、その国の憲法を擁護したいのなら、それもいい。

真の護憲は、我が国の国防を、真面目に考える者にしか語れないと浮沈子は固く信じている。

今日は憲法記念日、平和な日本が今後も続くことを願う日であるな。

(憲法記念日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

ウクライナの憲法記念日は6月28日とある。

彼らがその日を祝うことが出来るかどうか。

世界には、国家の存亡を問われている国々が、この瞬間にも存在するのだ。

「各国の憲法記念日:
アゼルバイジャン, 11月12日 (1995年)
アメリカ合衆国, 9月17日 (1787年)
アルメニア, 7月5日 (1995年)
ウクライナ, 6月28日 (1996年)
ウズベキスタン, 12月8日 (1992年)
ウルグアイ, 7月18日 (1830年)
オーストラリア, 1月1日 (1901年)
オランダ, 12月15日
ジブラルタル, 1月29日 (2006年)
スウェーデン, 6月6日 (1809年, 1974年)
スペイン, 12月6日 (1978年)
スロバキア, 9月1日 (1992年)
セルビア, 4月27日 (1835年)
タイ王国, 12月10日 (1932年)
大韓民国, 7月17日 (1948年)
台湾, 12月25日 (1946年)
タジキスタン, 11月6日 (1994年)
デンマーク, 6月5日 (1849年, 1953年)
ドイツ, 5月23日 (1949年)
ドミニカ共和国, 11月6日 (1844年)
ニウエ, 10月19日 (1974年)
日本, 5月3日 (1947年)
ノルウェー, 5月17日 (1814年)
プエルトリコ, 7月25日 (1952年)
フェロー諸島, 6月5日
ベルギー, 11月15日
ベラルーシ, 3月15日 (1994年)
ポーランド, 5月3日 (1791年)
ミクロネシア連邦, 5月10日 (1979年)
メキシコ, 2月5日 (1917年)
リトアニア, 10月25日 (1992年)
ルーマニア, 12月8日 (1991年)
ロシア, 12月12日 (1993年)」

平和な日本では、国民の祝日であり、連休初日ということもあって、高速道路は40kmとかの大渋滞になっているという。

大韓民国では、フェリーに続いて地下鉄の事故が起こっている。

タイ王国でな反政府デモが続き、中国は新疆ウイグル自治区での爆弾テロに揺れている。

アフガニスタン(憲法記念日って、あるのかあ?)では、地滑りで多数の犠牲者が出ている。

日本は平和だ。

この平和な国を、大切に守りたい。

戦力の保持は、その使い方を誤ると、抑止力から一転して侵略の道具になる。

為政者には、改めて自制を促したいな。

ダイビングの安全2014年05月03日 20:35

ダイビングの安全


スクーバダイビングは、レジャーとして確立しているように見える。

スクーバ器材を操るスキルと、器材が故障したときのバディシステムによる冗長性により、セルフダイビングにおける安全性は確保されているというのだ。

ホントかよ!?。

ダイバーに起因しないアクシデントに対して、現在のダイビングシステムは、殆ど何の効果もない。

浮沈子のこれまでの僅かな経験でも、ダイビング中に2mの距離に投錨されたりしたこともある!(もちろん、投錨禁止区域である)。

浮上した水面で、スピードボートにぶつけられて即死したダイバーも知っている。

どこが安全なもんか!。

ダイビングは常に、死の危険と隣り合わせのレジャーである。

ダイバーが如何にスキルを身に着けても、それは避けようがない。

「病気、へたくそ、思い上がり」だけが事故の原因ではないのだ。

水中という野生の自然に対する脅威だけではなく、先の例のように、船舶等との接触も現実的な脅威である。

ダイビングボートのスクリューに巻き込まれる事故は、1年に1回くらい、必ず耳にする。

ドリフトダイビングの場合、ボートと逸れて漂流するという危険もある。

今年2月のバリ島の事故も、そうして起こった。

かつてボートを所有し、操船もしていた浮沈子は、ゲレンデの一つであった千葉県の金谷において、ダイビングスポット(エントリー・エキジットポイント)の傍を幾度となく通過していた。

金谷マリーナの指導で、徐行し、緊急浮上する可能性があるダイバーに気をつけるようにしていたが、今考えれば恐ろしい話だ。

金谷から保田や浮島に向かう航路上で、何度もそのポイントを横切っていた。

(千葉・内房の海)
http://paroparo.jp/web/myogane/

船舶だけではない。

魚網や釣り糸、放棄されたロープなど、海中の様々な人工物は、ダイバーにとっては脅威である。

保安庁が公表するダイビング事故の中には、これらに拘束されて浮上できずに溺死した例もある。

しかし、この種の事故は、バディダイビングを無視した単独潜水か、事故者が逸れてバディシステムが機能しなくなった状況で発生している。

避け得ない事故ではない、とはいえるな。

昨年の事故統計が発表されたが、浮沈子は余り関心がない。

(平成24年レジャーダイビング事故発生状況)
http://www.kaiho.mlit.go.jp/marine/figure/2012diving.pdf

これは、あくまでも、海上保安庁の管轄内で起こった事故の統計であって、海外での事故は含まれないからだ。

国内ではダイビングプールでしか潜らない浮沈子には、全く関係ない(ダイビングプールでの事故は、どういった統計にのるんだろうか?)。

まあいい。

PADIは、中高年の事故者、死亡者の数と事故者中の死亡者の割合に注目している。

(海上保安庁が平成24年度の「レジャーダイビング事故発生状況」を公開)
https://www.padi.co.jp/visitors/news/pn13046.asp

「傾向として見られるのは、やはり中高年の事故が多いということ。
◆事故者のうち、40歳以上の占める割合は67%
◆40歳以上の事故者のうち、死者・行方不明者の占める割合は54%
◆死者・行方不明者のうち、40歳以上の占める割合は97%
と、事故者数が多いだけでなく、重大な事故につながりやすいという傾向も出ています。」

ダイバー全体の母数とか、ダイビング全体の年齢分布とかを見ないで、事故結果だけを見ているというのは、いかがなものかと思う。

浮沈子は、ジジババが死ぬのは勝手だと思っている(業界としては、困った話であって、死ぬならよそで死んでくれ!、というのがホンネだろう)。

それよりも、若い方が、ダイビングなどという危険なレジャーに巻き込まれて亡くなることが痛ましい。

いっそのこと、ダイビングを始めることができる年齢を、40歳以上としてはどうか(実現可能性なし!)。

どうせ、死んでも文句は言いません、などという不埒な書類に署名するなら、それなりの覚悟が出来ている中高年以上だけがダイビングを行う資格があるというものだ(暴論!)。

社会として、死んでもらっては困る若い人々は、命がけのレジャーなどはご遠慮いただきたい(極論!)。

業界としては、金を持っているジジババから、如何に安全に巻き上げるか(もとい、如何に安全にダイビングを楽しんでいただけるか)を、真剣に考える時期に差し掛かっているといえる(正論!)。

我が国の高齢化に伴い、若者には、ダイビングに現を抜かしていないで、しっかりと働いてもらって、ジジババになったらラクチンなダイビングを楽しんでもらいたい(身勝手!)。

もちろん、一山10円の、バックマウントダイビングなどではなく、最低でもナイトロックスのサイドマウントで、できればCCR、あわよくば、サイドマウントのCCRで潜っていただきたい(そんなもんが、どこにあるんだあ?)。

40代では、まだ若すぎる。

せめて、50歳以上でないと、エグゼクティブダイビングの世界にお連れすることは出来ない(そんなもんが、どこにあるんだあ?)。

最低でもマンツーマン、可能であれば、一人に対して2人以上のサポート・ガイドダイバーを付ける。

安全管理最優先で、ガリレオ・ソルの心拍監視モニターは最低限。

残圧の管理も、テレメーターで飛ばして、サポートダイバーが行う。

そもそも、CCR(ディスカバリー)なら、異常があればバッテリーが赤色に点灯してサポートダイバーに知らせるのだ。

問題は、水中での老眼対策であるな。

老眼用のマスクを揃えなければなるまい。

(水中老眼鏡)
http://oceana.ne.jp/goods/9044

こ、これかあ!?。

まあ、どうでもいいんですが。

病気、へたくそ、思い上がり、大歓迎!。

どんなダイバーでも、安全に潜らせてみせるというサービスでなければ、真の安全など考えられないだろう。

もちろん、暖かい南の海限定である。

40分でエキジットするなどというケチなダイビングではなく、1時間でも2時間でも、好きなだけ潜っていただきたい。

それを可能とする器材があるのに、なんで40分でエキジットしなけりゃならんのか。

ダイビングをクウキタンク1本で済ませなければならないなどと決めたのは、どっかの指導団体であって、物理的医学的合理性はない。

ビジネスモデルとテクノロジーの折衷でしかないのだ。

潜水深度を18mとしているのも、その一つであり、安全停止などといういい加減な減圧をしているのもそうだ。

無限圧潜水じゃなかったのかあ?。

まあ、どうでもいいんですが。

ジジババの安全を確保し、最新の器材を駆使して、新たなビジネスモデルを構築しなければ、業界は衰退する。

そうなれば、浮沈子が潜れるところもなくなっていくわけだ。

それは困る。

しかし、まあ、海外で潜っている限り、我が国のダイビング業界がどうなろうと関係ない。

高齢者を排除し、一山10円のダイビングを続けていけばいいのだ。

海外だって、何も変わるところはない。

ただし、選択肢があるだけまだいい。

客である浮沈子は、サービスを選ぶことが出来る。

選ばれるサービスを提供できるかどうか。

安全管理も含めて、ダイビングというレジャーが生き残れるかどうか。

新しい時代になったといえよう。