言い訳 ― 2012年07月03日 06:19
言い訳
人間でも、クルマでも、タブレットでも、ケイタイでも、付き合い方というのがある。
一生の付合いになるものもあれば、その時限りのものもある。
自動車の場合は、その人によっても、車によっても異なる。
まあ、何でもそうだといえばその通りなんだが。
こっちが一生付き合いたいと思っても、車が壊れていくのではどうしようもない。車のほうはまだまだいけるのに、気持ちが離れてしまうこともある。
300Eは、500Eを見初めた瞬間に心が離れた。
まだまだ乗れる個体ではあったが、心が離れると手元に置いておくのが煩わしくなる。散々手をかけて、修理してきた車なのに、愛着が湧かない。
薄情なのだ。
手放して正解である。次のオーナーに可愛がってもらうのが良い。骨格はしっかりしているし、エアコンは不調だがATはなぜか好調であった。エンジンは、アイドリング時の振動が気になるくらいで、回せばトップエンドまで一気に回る良いエンジンである。
末永く、乗り継いでもらいたいものだ。しかし、手元を離れてしまったので、どうなるかは市場が決めることだ。売れなければ廃車になる。金属とガラスと樹脂とゴムでできた工業製品なので、使用価値がなくなれば産業廃棄物になる。くず鉄として売られてしまう運命である。
買ったときには一生乗るつもりで買った。相当の投資もした。安全に関わる部分は、出し惜しみはしなかった。
それでも手放してしまった。
後悔はしていないが、ちょっと苦い思いが残る。500Eなんぞに現を抜かさないで、300Eを維持すべきだったのではないか。500Eは売り物になるので、誰かが維持してくれるが、300Eは誰も見向きもしない。市場で流通しなくなっている。
今、500Eは点検中だ。ヤナセの厳しい目に晒されている。徹底的に見てもらっている。もちろん、目視だけで分からないところもあるし、突然の不具合が予兆なく起こることはある。
そういうところは、「時間基準保全」で潰していく。一定の時間がたった消耗部品は、壊れていなくても取り替えてしまう。まだまだ使えるのに勿体無いかもしれないが、「状態基準保全」の監視コストをかけるより経済的である。
消耗品以外の部品の損耗を軽減して、個体の寿命を延ばす効果が期待できるからだ。
そういう考え方で作られた機械が、300Eであり500Eである。そのころまでのベンツは、みなそうであった。使用価値が所有価値であり、メンテナンス(部品交換)によって維持されていた幸せな時代のクルマだ。
二度と戻ることがない、機械の王国。
時間の経過と共に、崩れようとしている過去の幻。誰も省みることのない、20世紀の栄光である。
そういえば、スペースシャトルもなくなったしなあ・・・。あれこそ、莫大なメンテナンスコストをかけて維持管理されていた機械の王様だった。そういう考え方は、もう古いのかもしれない。
でも、スペースXのロケットは、再使用を目指しているというから、新しい技術の中で、新しい機械文明が誕生しつつあるのかもしれない。
所有価値と使用価値が、経済原則の中で入れ替わることが再び起きようとしているのかもしれない。
技術の進歩が、それを促す。単なる懐古的なものではなく、その時点での合理性の裏づけがちゃんとある。
現象だけを表層的に追い求めるのではなくて、しっかりと本質を意識して捉えていく。そうでなければ、振り回されるだけだ(売るほうとしては、振り回したいのかもしれない)。
クルマと付き合うのも、いろいろ言い訳が必要なのである。
人間でも、クルマでも、タブレットでも、ケイタイでも、付き合い方というのがある。
一生の付合いになるものもあれば、その時限りのものもある。
自動車の場合は、その人によっても、車によっても異なる。
まあ、何でもそうだといえばその通りなんだが。
こっちが一生付き合いたいと思っても、車が壊れていくのではどうしようもない。車のほうはまだまだいけるのに、気持ちが離れてしまうこともある。
300Eは、500Eを見初めた瞬間に心が離れた。
まだまだ乗れる個体ではあったが、心が離れると手元に置いておくのが煩わしくなる。散々手をかけて、修理してきた車なのに、愛着が湧かない。
薄情なのだ。
手放して正解である。次のオーナーに可愛がってもらうのが良い。骨格はしっかりしているし、エアコンは不調だがATはなぜか好調であった。エンジンは、アイドリング時の振動が気になるくらいで、回せばトップエンドまで一気に回る良いエンジンである。
末永く、乗り継いでもらいたいものだ。しかし、手元を離れてしまったので、どうなるかは市場が決めることだ。売れなければ廃車になる。金属とガラスと樹脂とゴムでできた工業製品なので、使用価値がなくなれば産業廃棄物になる。くず鉄として売られてしまう運命である。
買ったときには一生乗るつもりで買った。相当の投資もした。安全に関わる部分は、出し惜しみはしなかった。
それでも手放してしまった。
後悔はしていないが、ちょっと苦い思いが残る。500Eなんぞに現を抜かさないで、300Eを維持すべきだったのではないか。500Eは売り物になるので、誰かが維持してくれるが、300Eは誰も見向きもしない。市場で流通しなくなっている。
今、500Eは点検中だ。ヤナセの厳しい目に晒されている。徹底的に見てもらっている。もちろん、目視だけで分からないところもあるし、突然の不具合が予兆なく起こることはある。
そういうところは、「時間基準保全」で潰していく。一定の時間がたった消耗部品は、壊れていなくても取り替えてしまう。まだまだ使えるのに勿体無いかもしれないが、「状態基準保全」の監視コストをかけるより経済的である。
消耗品以外の部品の損耗を軽減して、個体の寿命を延ばす効果が期待できるからだ。
そういう考え方で作られた機械が、300Eであり500Eである。そのころまでのベンツは、みなそうであった。使用価値が所有価値であり、メンテナンス(部品交換)によって維持されていた幸せな時代のクルマだ。
二度と戻ることがない、機械の王国。
時間の経過と共に、崩れようとしている過去の幻。誰も省みることのない、20世紀の栄光である。
そういえば、スペースシャトルもなくなったしなあ・・・。あれこそ、莫大なメンテナンスコストをかけて維持管理されていた機械の王様だった。そういう考え方は、もう古いのかもしれない。
でも、スペースXのロケットは、再使用を目指しているというから、新しい技術の中で、新しい機械文明が誕生しつつあるのかもしれない。
所有価値と使用価値が、経済原則の中で入れ替わることが再び起きようとしているのかもしれない。
技術の進歩が、それを促す。単なる懐古的なものではなく、その時点での合理性の裏づけがちゃんとある。
現象だけを表層的に追い求めるのではなくて、しっかりと本質を意識して捉えていく。そうでなければ、振り回されるだけだ(売るほうとしては、振り回したいのかもしれない)。
クルマと付き合うのも、いろいろ言い訳が必要なのである。
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