殺生と供養2014年01月17日 01:32

殺生と供養
殺生と供養


(せっ‐しょう〔‐シヤウ〕【殺生】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/124502/m0u/

「生き物を殺すこと。仏教では最も重い罪の一つとされる。」

(供養)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E9%A4%8A

「仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。」

(供物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E7%89%A9

「「物」に限らず、捧げられるものには祈り・悔悟・精進といった行為による自己犠牲の観念にある。自分自身を含むこともある」

13年前に他界した浮沈子の母親は、昔々、浮沈子の受験の際に、米を絶って、近所の神社にお百度をしたそうだ(後になって、父親から聞いた)。

有り難い話である(あんまり効き目はなかったんだが・・・)。

フランシスコ・デ・スルバランという画家がいて、「神の子羊」(神の仔羊)という絵を描いている(画像参照)。

(フランシスコ・デ・スルバラン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%B3

プラド美術館に所蔵されているという。

(Museo Nacional del Prado:スペインにあるそうですな)
https://www.museodelprado.es/jp/visit-the-museum/

もちろん、「神の子羊」というのは、イエス・キリスト自身のことであり、自らが犠牲となって迷える子羊(浮沈子とかあ?)の罪を償ってくれたという有り難い存在である。

決して、イエスが飼っていた羊の一匹を、これから屠って食おうというところを絵にしたわけではない!。

美味そうだとか、そういう感覚で見てはいけないのだ。

敬虔なキリスト者は、この絵を見ると、感極まって涙を流すのだそうだ(ヨダレではない!)。

敬虔な気持ちで鑑賞しなければならない。

生き物を殺すことは、殺生だからいけないことと、いろいろな宗教が教えているが、一方では、神聖なものとの繋がりを得るための供物として、大切なものを捧げるという行為は大目に見ている。

極端な話になると、異教徒を滅ぼすことまで推奨されたりするので、宗教を持たない浮沈子は、ちょっと付いていけない。

こんな話を書き始めたのは、鏡開きという時節柄だから。

(鏡開き)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%A1%E9%96%8B%E3%81%8D

「鏡開き(かがみびらき)・鏡割り(かがみわり)とは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事であり、神仏に感謝し、またその供えられたものを頂いて無病息災などを祈って、汁粉・雑煮などで食す。」

「グレゴリオ暦(新暦)になった現在、松の内が1月15日の地方では1月20日(二十日正月)に行われる。」

大切なものを捧げることによって、力あるものの力を得、悪を払い、無病息災を願うわけだな。

ミッションという言葉がある。

(福音宣教)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E5%AE%A3%E6%95%99

「イエス・キリストは弟子たちに、全世界に福音を宣べ伝え、弟子とするように命じた。」

宣伝部長が、部下に対して、キリスト教を売りつけて来い、と命令したわけだ(違う?)。

(使徒)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92

「広義には、重要な役割を果たしたキリスト教の宣教者(「遣わされた者」)および、その宣教者の称号」とある。

彼らが行う宣教、伝道がミッションである。

(ミッション (映画))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

浮沈子が好きな映画なんだが、オーボエの曲がいいよね!。

(映画「ミッション」~ガブリエルのオーボエ)
http://www.youtube.com/watch?v=7BvOq0vJgjk

オリジナルもいいけど、この編曲も悪くない。

(The Mission - Gabriel's Oboe (Full HD):オリジナルのシーン)
http://www.youtube.com/watch?v=lAoT2ktM2H0

まあ、イエズス会の宣教師というのは、音楽とか、医療とか、いろいろな手段を使って伝道したらしいから、ガブリエル神父だけがこういうことをしたわけじゃあないようだ。

(イエズス会)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9%E4%BC%9A

「目に見えるものや芸術を通して人間は神と出会えるというカトリック教会の伝統的思想に従い、イエズス会では儀式や装飾の利用が奨励された。美術や音楽の重視というのは当時のイエズス会員の際立った特質であった。」とある。

ちなみに、現在のフランシスコ教皇は、初のイエズス会出身者だそうだ。

異教の地での布教は成功するとは限らないし、この映画の冒頭は、十字架に磔にされた先代の宣教師と思しき人物が、滝から落ちるシーンから始まる(ひえーっ!)。

(R. De Niro - J. Irons - E. Morricone (composer) - The Mission:その冒頭のシーン)
http://www.youtube.com/watch?v=xceFQWV3lMM

まあ、命がけだな・・・。

カトリックの営業も、楽じゃない。

既にある、他の宗教の地盤をひっくり返して、本社の命令に従って販路を切り開かなければならないのだ。

ガブリエル神父は、自分もまた、ペケされるかも知れない状況の中で、オーボエ1本さらしに巻いて(?)、単身乗り込むわけだな。

ガブリエル・オーボエのオリジナルシーンは、そういう背景の中でのワンシーンである。

使命(ミッション)というのは、人間にとって、最も大切な「命」を「使」って行う行為だという(ホントかあ?)。

(し‐めい【使命】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/100971/m0u/

「1 使者として受けた命令。使者としての務め。「特別な―を帯びる」
2 与えられた重大な務め。責任をもって果たさなければならない任務。「教師の―」」

1の意味は、単なるパシリだし、2の意味も、命がけというほどのものではない。

まあ、命令した上司が、「失敗して戻ってきたら、命はないと思え!」とか言って命令したなら、話は別だが・・・。

使命=命を使う、というのは、どうも、文字の意味をうまく使った、適当な説明のようだな。

まあ、どうでもいいんですが。

しかし、光合成とか出来ない、動物としての人間が生きるということは、食物として、他の命を頂いて生きるということであり、殺生という避け難い行為を行わなければならない「業」(宿命的な行為、その行為で生じる罪悪)を負っているのである。

さらに、大切な人のために、自らの人生(命)の幾許かを捧げて生きるということもある。

もちろん、その行為が、自分の命を継ぐ者や、自分の命に繋がる者のために行われるというのが通常の行為といえる。

その、動物的な行為を昇華させて、何か象徴的なモノのために、命を使うということもあるのかもしれない。

宗教とか、民族とか、国家とか(天皇陛下とかあ?)。

浮沈子は、どうも、その辺りが胡散臭い気がしてならない。

この時期、寒さに震えつつ、活動を縮小させている爬虫類的生活(変温動物かよ!)を送りながら暖かくなるのを待っていると、人間の最も基礎的な在り方(生きるということの意味といってもいい)について、妄想逞しくなる。

映画・ミッションでは、最後にヨーロッパ本国から送られてきた軍隊に、みーんな殺されちゃうという、シュールな結末になっている。

「作品の後半の展開のモデルになっているのは、1753年に始まる「グァラニー戦争」である。1750年の「マドリード条約」によって南米大西洋岸の、スペイン・ポルトガル両国の帰属があいまいで係争の種であった地域(現在のブラジル南部~ウルグアイ付近)における国境の画定がはかられた。伝道所が立地していた地域はポルトガル領に帰属することになり、住民は移動を命じられたが、イエズス会士と先住民は協力して抵抗した。映画では数日間の戦闘シーンに凝縮されているが、実際には、スペイン・ポルトガル連合軍による鎮圧に1756年まで要した。」

「伝道所が最終的に解散・放棄されたのは1759年(ブラジルから)・1767年(スペイン領から)のイエズス会追放令によってであり、一部世俗権力下の市町村に再編された村落もあった。」

この映画の舞台となったブラジルやアルゼンチン奥地の伝道所群は、後に世界遺産となった。

(グアラニーのイエズス会伝道所群)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%BA%E3%82%B9%E4%BC%9A%E4%BC%9D%E9%81%93%E6%89%80%E7%BE%A4

「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。」

なんかピンとこない基準に該当しているようだ。

「ブラジルは、世界で最も多くのカトリック人口を擁する国である。国民の約73%が、カトリックの信者で、これは1億1240万人に相当し、カルナヴァルなどをはじめとして現在も社会に強い影響を持つ。」(ウィキ:ブラジル:国民:宗教より)

「国民の大多数の93%がカトリック教徒だと申告しているが、教会はより正確には70%ぐらいだと見積もっている。現行憲法第二条によると、アルゼンチン共和国はカトリックを保護すべきであるとなっているが、これはアルゼンチンの国教がカトリックであるということではなく、圧倒的に信徒数が多いカトリックに国家の優先権があることを認めるのみとなっている」(ウィキ:アルゼンチン:文化:宗教より)

フランシスコ教皇が、アルゼンチン出身であることは、有名だな(アルゼンチンは新大陸出身のローマ教皇を輩出した最初の国になった)。

映画・ミッションに描かれた伝道活動が、ポルトガルの奴隷商人からスペインの植民地を保護するという政策のもとに行われたという背景も重要である。

スペインの南米政策の変更から、イエズス会のミッションが衰退し、消えていったという史実も直視すべきだ。

人間を人間として扱わないという奴隷政策。

それもまた、人間の業であるな。

(Guaraní people:Slavery)
http://en.wikipedia.org/wiki/Guaran%C3%AD_people#Slavery

(Treaty of Madrid (13 January 1750))
http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Madrid_(13_January_1750)

スペインとポルトガルの手打ちで、スペイン王国が送り込んだミッションは、邪魔になったわけだ。

(Guaraní War)
http://en.wikipedia.org/wiki/Guarani_War

「In February 1756 a combined force of 3,000 Spanish and Portuguese soldiers attacked the settlements. It resulted in the death of 1,511 Guarani, while the Europeans suffered only 4 deaths. In the aftermath of the battle, the joint Spanish-Portuguese army occupied the seven missions.」

これじゃ、戦争というより、虐殺だな。

(Treaty of El Pardo (1761))
http://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_El_Pardo_(1761)

浮沈子はスポーツには疎いんだが、2年後にはオリンピックがリオで開かれるらしい。

(リオデジャネイロオリンピック)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

この都市は、18世紀に奥地の金鉱発見による金の集積地として、サンパウロに続いて発展する。

(リオデジャネイロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%AD

「18世紀前半に内陸のミナスジェライス州周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、1725年にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスの金やダイアモンドの積出港となり、ブラジル植民地の交通と富の中心となった。」

もちろん、金鉱山での労働力は、奴隷によって賄われた。

「1832年4月4日から7月5日まで、ダーウィンの乗ったイギリス海軍のビーグル号が寄港している。ここでダーウィンは奴隷に対する酷い仕打ちを目撃した。このときの深い嫌悪感を終生忘れることがなかった。」

(Bandeirantes)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bandeirantes

ブラジルという国自体が、ポルトガルの植民地で、鉱物資源の収奪と、奴隷商人達が徴発した労働力によって築かれていったわけだ。

オリンピックは、民族の祭典といわれる。

その中には、ヨーロッパ人やグアラニー族も、当然、含まれている。

ウィキには、奴隷商人が跋扈した時期の、南米の歴史に関する日本語の記述が乏しいように感じるのは、浮沈子だけだろうか?。

たとえ、植民地政策の一環として、一時期であるにせよ、宣教師たちによるパラダイスが存在したということが、小さな救いのように感じられる。

君の瞳は何V?2014年01月17日 15:24

君の瞳は何V?
君の瞳は何V?


前に、どこかで、ちらっと聞いたことがあった。

(グーグル、スマートコンタクトレンズを開発中--「Google X」最新プロジェクト)
http://japan.cnet.com/news/service/35042682/

浮沈子は、父方でも母方でも初孫であったため、よく「目の中に入れても痛くない」というセリフを聞いて育った。

長男で初孫なんて、甘やかされて育ったもんだから、ろくな人間にならなかった。

まあ、どうでもいいんですが。

グーグルのスマートコンタクトレンズは、まあ、理解できない話ではない。

Ⅱ型糖尿病の浮沈子は、まだ、常時血糖値を監視してインスリンの投与を行わなければならない状況ではないが、医者からは時間の問題だといわれている。

こういうものを、スピーディに開発してもらって、あの、指先の「チクッ」という痛み(血糖測定のための、針刺し)をなくしてもらえば何よりである。

LEDを仕込んで、警告を出すというので、CCRのヘッドアップディスプレイに使えないかと考えた。

こっちは、別に、涙の中の血糖値を測るなんて芸当は出来なくてもいい。

無線で信号を受け取ったら、緑と赤のLEDの点灯、点滅の組み合わせで、呼吸回路の中のPO2の警告をしてくれればいいのだ。

問題は、マスクに水が入ると外れやすいという欠点があることだが、そこはなんとかしてもらう。

陸上では、グーグルグラスよりはスマートに、装着できるわけで、携帯への着信程度なら、直ぐにでも実用化できそうだ。

もちろん、医療機器扱いになるので、ややこしい手続きが必要だし、電源はおそらく誘導電流とかになるから、電池が入ったメガネとセットになると思われるので、それならメガネでいいじゃないか!、という話もあるな。

まあいい。

「君の瞳は1万ボルト」という歌詞の歌があった。

(君の瞳は10000ボルト 堀内孝雄 2009' 5 UPH‐0197)
http://www.youtube.com/watch?v=uGgl-GBw2_0

ちゃんと歌おうとすると、裏拍になるサワリの部分に一発で入れないという、カラオケの難曲の一つである(浮沈子は、いつも表拍になってしまう)。

スマートコンタクトの誘導起電力は、何ボルトだろう。

少女漫画とかで、顔に対して不釣合いにデカイ目の中に、星がいっぱい描いてある画風があるが、そんなのが現実になるのかもしれない。

目力というか、目に物言わせるというか(今度は、目でしゃべるのかあ?)。

ウエアラブルというのが、現在のパーソナルコンピューティングのキーワードなんだそうだが、グーグルはその先を見据えている。

もちろん、コンタクト越しに・・・。