金木犀2014年10月13日 23:36

金木犀
金木犀


(キンモクセイ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%A4

「秋に小さいオレンジ色の花を無数に咲かせる。雌雄異株であるが、日本では雄株しか入っていないので結実しない。」

「キンモクセイの花は甘めでしっかりした強い香りであることから、日本において汲み取り式便所が主流で悪臭を発するものが多かった時期には、その近くに植えられることもあった。その要因から、香りがトイレの芳香剤として1970年代初頭から1990年代前半まで主流で利用されていたため、一部年齢層においてはトイレを連想させることがある。」

ははあ、そういう匂いなわけだな。

(濃縮セボンneo ハッピーキンモクセイの香り 容器付)
http://www.amazon.co.jp/%E6%BF%83%E7%B8%AE%E3%82%BB%E3%83%9C%E3%83%B3neo-%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A-%E5%AE%B9%E5%99%A8%E4%BB%98/dp/B009FUATYI

浮沈子の母親は、14年前のこの時期に他界した。

葬式は金木犀の花の時期と重なり、強い香りを放っていて、夏から秋へ、闘病から死への慌しい日常の中で、はっきりと季節を感じさせてくれたことを覚えている。

爾来、この花の香りを嗅ぐと、母の最期を思い出す。

(最中(もなか))
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/06/27/7358605

一昨日は、都内の霊園に愚弟を伴って恒例の墓参に出かけた。

足は、点火系の交換を行い、エンストの症状を解消した500Eである。

エアコンも、猛暑の盛りを越えると快調に動き出す(意味ないじゃん!?)。

冷房が効きすぎるほど効いて、暖かめにすると、なんと暖房が入った。

500Eのエアコンはクライメイト・コントロールなので、冷気と暖気をミックスしているんだが、季節の移ろいを金木犀の強烈な芳香と共に感じる。

今年の夏は、雑草にとってはいい季節だったらしく、墓石の周りに生い茂っていた。

手入れをして、花を生け、線香を焚いて手を合わせる。

半年に一度、春と秋の墓参りを、物心ついてから半世紀も続けている。

何かが変わるわけでもなければ、ご利益があるわけでもない。

90を過ぎた父親は、介護施設で健在だが、最近体重が落ちてきているので、栄養補助食品を与えたいと、今日、施設から連絡があった。

(メイバランス:これだそうである)
http://www.meiji.co.jp/meiji-eiyoucare/products/meibalance_brand/

月に1度はご機嫌伺いに行くのだが、多少ボケていても会話は成立するので、訪ね甲斐がある。

そんな浮世の義理を果たしながら、現を抜かして浮沈子は生きている。

外は、台風19号が近づいて、雨風が強くなってきた。

台風特有の、息継ぎするような風である。

18号よりは陸側を通っているようだ。

行き過ぎてしまえば、本格的な秋になる。

再び富戸に赴いて、水中マップを仕上げることになる。

10月も中旬になり、近所のコンビニでは、クリスマスケーキの予約が始まろうとしている。

ちょっと気が早いんじゃね?。

まあいい。

先んじれば人を制す。

(先んずれば人を制す)
http://kotowaza-allguide.com/sa/sakinzurebaseisu.html

「『史記』に「先んずれば人を制す、後るれば則ち人の制する所と為る」とあるのに基づく。」

人の制する所で生きてきた浮沈子だが、ダイビングの世界に於いても、人様の後を付いて行くスタイルに変わりはない。

先駆となる度量もなければ、覇気もない。

誰かが先んじてくれるのを待つか、せいぜい、早くやってよ!、と急かすくらいが関の山だ。

それが、自分の生きる道だと分かっている。

分相応な生き方が、相応しいのだ。

その中で、最善を尽くし、結果を受け入れるしかない。

それで十分である。

それだけでも、荷が重いくらいだ。

出来る範囲で、無理をせずに、少しずつ行う。

それなりの成果しか得られなくても、それは仕方ない。

台風は、名古屋の辺りにいるようだな。

明日の未明には、東京の北を通り過ぎるだろう。

接近する台風は、これが最後かもしれない。

生きることに精一杯で、何も考えずに歳を重ねただけだった。

それでも、自分なりに生きてこられたのは、時代が良かったからだと感謝している。

この国に生まれたことも、ラッキーだったに違いない。

西アフリカ地域とかでは、とても生き延びられなかったろうから。

我が国は、太平洋戦争後は、主体的に戦争をすることもなく、人様の戦争のおこぼれを頂戴して成長することが出来た。

その是非はともかく、そのおかげで経済成長が軌道に乗った。

これからも、コバンザメのように、宿主のおこぼれを頂いて生きていくのだろう。

「彼は自分の育った国と似ていた。」

追憶(映画)の中の一節だが、確かに多くの人は、その国の有り様をその人生に宿している。

逆なのではない。

国民が国家を作っているというのは、まあ、何かの錯覚のようなもので、大多数の人々は、国家が規定した枠組みの中で泳ぐだけである。

外は、益々荒れ模様になってきた。

叩きつけるような雨。

金木犀の花も、大部分が落ちてしまうだろう。

妄想を育むには、いい晩になってきたな・・・。

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