抑止力という虚構 ― 2016年08月17日 17:20
抑止力という虚構
(核抑止)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E6%8A%91%E6%AD%A2
「核の傘は・・・同盟国に対する核攻撃に対して、核による報復をすることを事前に宣言することで、核攻撃の意図を挫折させる理論である。これは、冷戦が終わった現在でも存在している。」
まあ、ここでは、特に先制使用するか報復使用に留まるかは明記していない(文脈では、報復使用しか想定していないけどな)。
このウィキの記事が、どれ程正確な記述かどうかには、やや疑問を感じる。
浮沈子は、元々、核兵器の保有など(同盟国による保有含む)による抑止力には懐疑的だ。
兵器は、使ってナンボである(そうなのかあ?)。
使えもしない兵器をいくら振りかざしても、意味はない。
核兵器が実際の戦争で使用されたのは、71年も前の話で、それ以降の核実験で1000倍以上の破壊力を確認してはいるにしても、それらが実際の戦闘で有効に機能するかは証明されてはいない(たぶん、それすらできない)。
使えない核兵器は、何ら効力を持たないと考えるのが自然だろう。
したがって、それが発揮するという抑止力というのは、どう考えても虚構だ。
我が国の憲法は、さらに、通常戦力でさえ使えないとして放棄している(そうなのかあ?)。
幻に頼ることはやめて、他国との信頼に頼ろうという、まことに結構な話だ(そっちが幻だという話の方が、説得力あるけどな)。
まあいい。
数千発を保持する米国とロシアが、相互に核兵器の先制不使用を宣言すれば、世界の核戦略は大きく変わる。
見かけ上は、何も変わらないにしてもだ。
それを担保するためには、報復のための核戦力の保持が大前提となるわけだし。
十分な残存性を保証しなければならないので、コストは増大するかもしれない。
少なくとも、単価は上がるだろうな。
地域的には、核拡散を促すことになるかもしれない(極東や中東など)。
虚構に過ぎなかった抑止力が、核兵器の拡散配備という現実を生むという皮肉な結果になる。
まあ、その核兵器の配備にしても、新たな虚構を生むだけの話だ。
使えない兵器に、現実の抑止力はない。
我々を含めて、核保有国は、その事実を直視すべきなんだろうな。
核兵器なんか止めて、通常兵器をせっせと配備するべきだろう。
核兵器を使用したら、通常兵器で、実際に報復しますよという方が、余程効果があるような気がする。
戦争の中で実際に核兵器を使用したのは米国だけだ(トーゼン、先制使用)。
その米国が、先制不使用宣言を画策している。
核兵器の持つアットーテキな破壊力が、戦争の在り方を変え、世界の戦略を変えた。
冷戦が終わっても、その基本構造は変わらない。
しかし、大量の核兵器を保有しながら、71年間、1発も使えず、莫大な維持保有コストを払い続けている米国は、その虚構性について最も熟知している。
ったく、そのコストを通常兵器に振り向けていたらどれだけ米国に利益になったことか・・・。
しかし、既に、その通常戦力も縮減のさなかにある。
核の傘による抑止力は幻に過ぎない。
王様は裸だ。
核兵器という名の虚構の上に、さらに抑止力という虚構を重ね、その上に、先制使用という衣を重ねる。
その衣を、1枚剝ぐということは、その下の抑止力という虚構をあらわにして、そもそもの核兵器の虚構性を暴くことに繋がりかねない。
そこまで、一気に引き剥がさない限り、核兵器の拡散という、誰も望まない結果を生み出す。
新たな虚構は、世界を混沌の淵に陥れ、先の読めない混乱をもたらしかねない。
それよりは、今の虚構を維持し、その均衡の上に乗っていた方がいい。
核廃絶は無限の彼方に押しやって、究極の理想にしておくのがいい。
そうして、徐々に核兵器を削減し、通常兵器にシフトして、幻でない、現実の抑止力を確保していった方がいい。
使えない兵器の効果はゼロだ。
核戦力の虚構、抑止力の虚構、そして先制使用という戦術の虚構。
幻に幻を重ねた虚構の構図から、如何に早く脱却することが出来るか。
米国は、自分だけ、さっさと脱却してしまおうとしている。
浮沈子は、先制不使用に際して、米国が報復核戦力の十全の提供ではなく、通常戦力による抑止力を強調した点に注目している。
(核の先制不使用
日本に支持要請…米科学者ら書簡公開)
http://mainichi.jp/articles/20160728/k00/00m/030/106000c
「比類なき米国の通常戦力を考えれば、核の先制使用の脅しに頼る必要はない」
米国だけが、核兵器の虚構を明確に自覚しているのだ・・・。
(核抑止)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E6%8A%91%E6%AD%A2
「核の傘は・・・同盟国に対する核攻撃に対して、核による報復をすることを事前に宣言することで、核攻撃の意図を挫折させる理論である。これは、冷戦が終わった現在でも存在している。」
まあ、ここでは、特に先制使用するか報復使用に留まるかは明記していない(文脈では、報復使用しか想定していないけどな)。
このウィキの記事が、どれ程正確な記述かどうかには、やや疑問を感じる。
浮沈子は、元々、核兵器の保有など(同盟国による保有含む)による抑止力には懐疑的だ。
兵器は、使ってナンボである(そうなのかあ?)。
使えもしない兵器をいくら振りかざしても、意味はない。
核兵器が実際の戦争で使用されたのは、71年も前の話で、それ以降の核実験で1000倍以上の破壊力を確認してはいるにしても、それらが実際の戦闘で有効に機能するかは証明されてはいない(たぶん、それすらできない)。
使えない核兵器は、何ら効力を持たないと考えるのが自然だろう。
したがって、それが発揮するという抑止力というのは、どう考えても虚構だ。
我が国の憲法は、さらに、通常戦力でさえ使えないとして放棄している(そうなのかあ?)。
幻に頼ることはやめて、他国との信頼に頼ろうという、まことに結構な話だ(そっちが幻だという話の方が、説得力あるけどな)。
まあいい。
数千発を保持する米国とロシアが、相互に核兵器の先制不使用を宣言すれば、世界の核戦略は大きく変わる。
見かけ上は、何も変わらないにしてもだ。
それを担保するためには、報復のための核戦力の保持が大前提となるわけだし。
十分な残存性を保証しなければならないので、コストは増大するかもしれない。
少なくとも、単価は上がるだろうな。
地域的には、核拡散を促すことになるかもしれない(極東や中東など)。
虚構に過ぎなかった抑止力が、核兵器の拡散配備という現実を生むという皮肉な結果になる。
まあ、その核兵器の配備にしても、新たな虚構を生むだけの話だ。
使えない兵器に、現実の抑止力はない。
我々を含めて、核保有国は、その事実を直視すべきなんだろうな。
核兵器なんか止めて、通常兵器をせっせと配備するべきだろう。
核兵器を使用したら、通常兵器で、実際に報復しますよという方が、余程効果があるような気がする。
戦争の中で実際に核兵器を使用したのは米国だけだ(トーゼン、先制使用)。
その米国が、先制不使用宣言を画策している。
核兵器の持つアットーテキな破壊力が、戦争の在り方を変え、世界の戦略を変えた。
冷戦が終わっても、その基本構造は変わらない。
しかし、大量の核兵器を保有しながら、71年間、1発も使えず、莫大な維持保有コストを払い続けている米国は、その虚構性について最も熟知している。
ったく、そのコストを通常兵器に振り向けていたらどれだけ米国に利益になったことか・・・。
しかし、既に、その通常戦力も縮減のさなかにある。
核の傘による抑止力は幻に過ぎない。
王様は裸だ。
核兵器という名の虚構の上に、さらに抑止力という虚構を重ね、その上に、先制使用という衣を重ねる。
その衣を、1枚剝ぐということは、その下の抑止力という虚構をあらわにして、そもそもの核兵器の虚構性を暴くことに繋がりかねない。
そこまで、一気に引き剥がさない限り、核兵器の拡散という、誰も望まない結果を生み出す。
新たな虚構は、世界を混沌の淵に陥れ、先の読めない混乱をもたらしかねない。
それよりは、今の虚構を維持し、その均衡の上に乗っていた方がいい。
核廃絶は無限の彼方に押しやって、究極の理想にしておくのがいい。
そうして、徐々に核兵器を削減し、通常兵器にシフトして、幻でない、現実の抑止力を確保していった方がいい。
使えない兵器の効果はゼロだ。
核戦力の虚構、抑止力の虚構、そして先制使用という戦術の虚構。
幻に幻を重ねた虚構の構図から、如何に早く脱却することが出来るか。
米国は、自分だけ、さっさと脱却してしまおうとしている。
浮沈子は、先制不使用に際して、米国が報復核戦力の十全の提供ではなく、通常戦力による抑止力を強調した点に注目している。
(核の先制不使用
日本に支持要請…米科学者ら書簡公開)
http://mainichi.jp/articles/20160728/k00/00m/030/106000c
「比類なき米国の通常戦力を考えれば、核の先制使用の脅しに頼る必要はない」
米国だけが、核兵器の虚構を明確に自覚しているのだ・・・。
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