ボクスター日和2013年04月28日 00:15

ボクスター日和(画像はF430)
ボクスター日和(画像はF430)


春の麗らかな日差しの中、秋葉原へ行くのにボクスターを駆り出す(当然、オープン!)。

「春の日やあの世この世と馬車を駆り:中村苑子」

(今日の一句)
http://koshisha.com/daily/?p=1711

「クメール仏教の世界では、勇敢な戦士が亡くなったとき、天翔る馬車が迎えにくるという。」とある。

「イノセンス」の中で取り上げられて、初めて知った句である。

「馬車」の意味が分からなかったのだが、こういうことなのか。

(中村苑子の句 一)
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Fukuyama-san/Haiku-Nakamurasonoko1.html

まあ、ボクスターで「あの世」に行きたかぁないな。

現在、4点減点中の免許を労わる、超安全運転で走る。

オープンカーは、ゆっくり走っても楽しい!。

風のそよぎ、鳥の声、ボクサー・シックス・エンジンの澱みない回転フィール・・・、ダンプの排気ガスの臭い、他車のエゲツないエンジン音・・・。

まあいい。

「この世」には、様々な事どもがあるのだ・・・。

秋葉原からの帰り、白いF430(クーペ)としばらく走る。V8フェラーリの先代である(今は458イタリア)。

そういえば、黄色い360モデナが秋葉原に停まっていたな。

フェラーリ日和でもある。

430は、勇ましいエンジン音だ。

「グァ、ロロロロローーーーー、グワァーーー・・・」

屋根を開けて走っていると、フェラーリの音も良く聞こえたりするわけだ。

音を聞かせるクルマなんだなあ。

リアビューも、スッキリした360とは異なり、結構複雑な造形を見せる。

赤坂辺りで別れる。

麻布十番では、水色っぽいプジョーの406と張る。

おばちゃん(失礼!)の運転だったが、かなり踏んでいる!。

ま、秋葉原からの下道の信号のタイミングを熟知している、浮沈子の敵ではない(自慢かよ・・・)。

白金台あたりで千切って、高輪台の交差点を気持ちよく駆け抜ける。

裏道に入り、一転、ゆっくりと流す。

オープンにしていると、歩行者とのコミュニケーションが豊かだ。

ジイサマやバアサマは、耳が遠いのか、クルマが来ても関係なく、道のど真ん中をテレテレ歩いている。

「すいましぇーん!」と声をかけて、端に寄ってもらう。

クラクション鳴らすなんて、無粋なマネはしない。

避けてもらった歩行者に、笑顔を返す。

いいなあ!。オープンならではのシーンである。

ドライバーの顔が見えるクルマである。これでは、乱暴な運転などはできない。

駐車場に納めて、幌を閉める。

世界が変わり、閉じた空間ができる。

これはこれで、クルマに乗る楽しみでもあるのだが。

オープンカーは、「魂に効く」。

ボクスターに乗る楽しみを、満喫した午後だった。

過去の栄光2013年04月28日 02:43

過去の栄光
過去の栄光


(2014年にル・マンLMP1クラス復帰へ)
http://openers.jp/car/exclusive_auto_collection/porsche/2014_le_man.html

2011年の記事である。

1970年に初優勝して以来、16回の最多優勝を誇るポルシェが、総合優勝から消えて15年になる。

ぼちぼち復帰しないと、常勝アウディ(11勝)に抜かれそうだ。

LMP1でワークス参戦すれば、優勝争いに加わることは間違いないが、同じVWグループのアウディとの熾烈な争いになる。

トヨタが割って入れる余地があるのか。

ハイブリッドとか、ディーゼルとかが話題になるが、市販を前提としないプロトタイプ、しかも、LMP1ともなれば、「レーシングカーを作る技術」だけが問われる。

レギュレーションの中で、最も速く、最も遠くへ行くことができるクルマを作って、実戦で運用することが全てだ。

過去の栄光や、前年の実績は、何の参考にもならない(言い切ってしまおう!)。

耐久レースは、元々自動車の黎明期に、スピードと故障の少なさをアピールして、移動機械としての総合性能を示すことによって、市販されるクルマの宣伝をしようとするものだった。

元来の意味は、とうに失われていて、メーカーの意地を賭けた技術競争の様相を呈している。市販車とは関係ない世界で、レースが行われている。

それはそれで良い。

速さは正義だ!。

しかも、遠くへ行けなければ勝てない。

24時間走ること自体は、軽自動車だって当たり前にできる。

速いだけなら、ロケットエンジン積んでぶっ飛ばすのもいい。

今でも、レースとして成立するというのが面白い。速さと耐久性という相反する要素を組み合わせて、競うことがポイントだ。

実は、もう一つ、重要なファクターがある。

燃費だ。

2014年のレギュレーションでは、燃費規制が行われる。

( 【自動車競技】ルマン24時間レース、2014年からは気筒数、リストリクター、ターボの過給圧の規制を撤廃)
http://news.guideme.jp/kiji/1fed76ac60b4a3cfe9149f130aa588de

明確な燃費規定がなくても、ガソリンタンクの容量と、ピットロスによって、レースにおける燃費の要素は取り込まれているが、それを明確にしたわけだな。

(2013年ル・マン24時間/WEC/各ル・マン・シリーズの主要レギュレーション)
http://www.michelin.co.jp/Motorsports_report/lemans_24hours/2013/04/201324wec.html

毎年のようにレギュレーションが変わるというのは、多少ややっこしいが、スリリングなレース展開を演出するための主催者の工夫である(やっぱ、プジョーを勝たせたいだけなのかあ?)。

そう、ルマンは「見世物」なのだ。

演出された栄光。

しかし、そこで繰り広げられるドラマにウソはない。

技術の粋と、人間の運用能力の極限が試される。

ルマンカーを、ロボットが自動操縦することはない。

そうなった時が、ルマンが本当に過去の栄光になるときである。