4気筒ターボ ― 2013年12月14日 03:36
4気筒ターボ
「新たに2リッター4気筒ターボを搭載するモデルが登場することになるという。」
(【レポート】ポルシェとしては約20年ぶりとなる4気筒エンジンが「マカン」に搭載)
http://jp.autoblog.com/2013/12/12/porsche-macan-four-cylinder/
「最高出力340hpのツインターボ3リッターV6を積む「マカンS」、最高出力400hpのツインターボ3.6リッターV6の「マカンターボ」、そして最高出力258hpの3リッターV6ターボディーゼルの「マカンSディーゼル」」に続き、2リッター4気筒ターボが加わる。
「現在ポルシェが開発中と言われるガソリン直4エンジンの最高出力は280hp。同じ排気量とシリンダー数のディーゼルエンジンはフォルクスワーゲンから供給されるようだ。」
いやあ、またしても直4ターボですかあ?。
しかも、2リッターとある。
賭けてもいい、きっと、直噴だ!。
LMP1のテストベンチで回っていたのは、これだったのかあ・・・。
(The Porsche LMP1 - Engine Development:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=l73GShcEFa0
46秒から47秒のところで、「PORSCHE TDFI」というヘッドカバーに刻まれた文字が写る(画像参照)。
「ターボ直接燃料噴射」 "Turbo Direct Fuel Injection"であることは、いうまでもない。
最量販車種のベースエンジンに、ルマンで走るプロトタイプ・レーシングカーのエンジンを積む。
商売人であるなあ!。
買うでしょ!?。
安物感が消し飛ぶ、ステータス性の付与である。
4気筒をタダでは出さない。
これこそが、ブランド戦略というものである。
(Porsche Macan 4cyl engine confirmed:元記事)
http://www.autoexpress.co.uk/porsche/macan/84863/porsche-macan-4cyl-engine-confirmed
「新しいエンジンは、2014年にル·マンに出場するように設定ポルシェの新しいハイブリッドLMP1プロトタイプ、に取り付けられた4気筒直噴ガソリンエンジンと密接に関連することが予想される。」(自動翻訳)
ま、当然だな。
しかし、浮沈子は、最後のパラグラフに唖然となった!。
「In time this four-cylinder engine is expected to be fitted to the Boxster and Cayman, too, offering a new more affordable entry-point to Porsche ownership. A four-cylinder Boxster could start from around £35,000, while the Macan fitted with the new engine is expected to have a starting price of £40,000.」
恐くて、訳文を載せる気力が・・・。
勇気を奮って、触りだけ。
4気筒ボクスターのベース価格は、約3万5千ポンド(本日のレートで、5879030円)とある(あんま、安くないね)。
ボクスターよ!、おまえもかあ?。
「新たに2リッター4気筒ターボを搭載するモデルが登場することになるという。」
(【レポート】ポルシェとしては約20年ぶりとなる4気筒エンジンが「マカン」に搭載)
http://jp.autoblog.com/2013/12/12/porsche-macan-four-cylinder/
「最高出力340hpのツインターボ3リッターV6を積む「マカンS」、最高出力400hpのツインターボ3.6リッターV6の「マカンターボ」、そして最高出力258hpの3リッターV6ターボディーゼルの「マカンSディーゼル」」に続き、2リッター4気筒ターボが加わる。
「現在ポルシェが開発中と言われるガソリン直4エンジンの最高出力は280hp。同じ排気量とシリンダー数のディーゼルエンジンはフォルクスワーゲンから供給されるようだ。」
いやあ、またしても直4ターボですかあ?。
しかも、2リッターとある。
賭けてもいい、きっと、直噴だ!。
LMP1のテストベンチで回っていたのは、これだったのかあ・・・。
(The Porsche LMP1 - Engine Development:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=l73GShcEFa0
46秒から47秒のところで、「PORSCHE TDFI」というヘッドカバーに刻まれた文字が写る(画像参照)。
「ターボ直接燃料噴射」 "Turbo Direct Fuel Injection"であることは、いうまでもない。
最量販車種のベースエンジンに、ルマンで走るプロトタイプ・レーシングカーのエンジンを積む。
商売人であるなあ!。
買うでしょ!?。
安物感が消し飛ぶ、ステータス性の付与である。
4気筒をタダでは出さない。
これこそが、ブランド戦略というものである。
(Porsche Macan 4cyl engine confirmed:元記事)
http://www.autoexpress.co.uk/porsche/macan/84863/porsche-macan-4cyl-engine-confirmed
「新しいエンジンは、2014年にル·マンに出場するように設定ポルシェの新しいハイブリッドLMP1プロトタイプ、に取り付けられた4気筒直噴ガソリンエンジンと密接に関連することが予想される。」(自動翻訳)
ま、当然だな。
しかし、浮沈子は、最後のパラグラフに唖然となった!。
「In time this four-cylinder engine is expected to be fitted to the Boxster and Cayman, too, offering a new more affordable entry-point to Porsche ownership. A four-cylinder Boxster could start from around £35,000, while the Macan fitted with the new engine is expected to have a starting price of £40,000.」
恐くて、訳文を載せる気力が・・・。
勇気を奮って、触りだけ。
4気筒ボクスターのベース価格は、約3万5千ポンド(本日のレートで、5879030円)とある(あんま、安くないね)。
ボクスターよ!、おまえもかあ?。
エンジンは部品なのか ― 2013年12月14日 05:01
エンジンは部品なのか
最近、クルマの記事を書くたびに、浮沈子の頭をよぎるのは、このことである。
「エンジンは、クルマにとって、単なる部品なのか、それとも、何か、それ以上の存在なのか」
答えは分かっている。
エンジンは、部品である。
原動機であって、それ以上でも、それ以下でもない。
人間にとって、脳が魂の座であるならば、エンジンもまた、クルマという機械の魂の座であるような錯覚に陥っているだけなのだろうか。
まあ、この比喩でいけば、最近のクルマの魂の座は、間違いなく車載コンピューターである。
今はまだ、車内のあちこちに分散しているが、そのうち、中枢神経系が発達して、統合制御を行うことになるのは目に見えている。
このことは、確信を持っていえる。
今日は、エンジンの話なので、クルマの電脳の話は、別の機会に。
で、浮沈子がエンジンにこだわるのは、クルマというのは動いてなんぼの代物であり、それを動かすのはエンジンだから、という単純な理由である。
もちろん、タイヤやボディがなければ話にならないし、ハンドルやブレーキ、サスペンション、エンジン以外の駆動系(アクスルや変速機、クラッチなど)がなければクルマは構成されない。
エンジンは、壊れたら載せ換えることもできるし、別のエンジンに変えてしまうことも出来る。
部品であることは、紛れもないのだが、内燃機関として動く不思議さ、爆発物であるガソリンを、燃焼室に閉じ込めて制御する仕組みの巧みさ、ピストンとシリンダーの熱的機械精度の微妙さ、それらがクランク軸を動かして、一体となって、バレエのダンスのように動く美しさに、心から痺れるのだ。
音や振動がもたらす刺激、排気ガスの臭い、猛獣を手懐けているような快感、クルマの挙動の中で、最大の重量物としての存在感などなど、最も意識する部品である。
浮沈子は、ランボルギーニの実車(何だったかは忘れた)を初めて見たとき、「ああ、この車は、このエンジンを載せるために作られたに違いない」と確信した。
V12気筒エンジンは、巨大で、美しく、アットーテキな存在感を持って、クルマの後ろ半分を占めていた。
そのエンジンに、申し訳程度のキャビンが付き、四隅に踏ん張るタイヤが付いて、そのクルマは出来上がっていた。
それは、決して、エンジンを「部品」と呼ぶことを許さない迫力に満ち満ちていたのだ。
その猛々しいサウンドを聞き、走り去る時の爆音を聞きながら、鳥肌が立ったのを覚えている(ディアブロのような気がしてきた)。
浮沈子は思うのだ、エンジンは単なる部品ではない、クルマに命を宿すもの、いや、命そのものといってもいい。
エンジンを降ろされたクルマを工場で見ると、まるで、抜け殻である。
そんなときも、エンジンあってのクルマであると確信する。
福野礼一郎は、ボディが命だといっていたことがある。
ボディに代わりはない。
ボディを変えるということは、クルマを変えるということだ。
ロジカルには納得しているが、それは、リクツに過ぎない。
真実ではない!。
浮沈子の中では、エンジンこそがクルマの本質であって、エンジンが異なる車は、たとえ、同じボディであっても、違うクルマなのだと感じる。
それは、ウソ偽りのない、本当のホンネだ。
クルマの挙動は、確かにボディ(というか、シャシー)のディメンションや、重心位置、ロールセンターなどの物理的な要素で、およそ決まっていく。
それに、サスペンションとか、ハンドルとか、ブレーキ、変速装置といった付加的要素が加わって、概ねドライバビリティは確定する。
あとは、その車体に載るエンジンのバリエーションを展開すれば、メーカーとしてのクルマ作りはおしまいだ。
しかし、それは、あくまでも、クルマを作る側の論理である。
我々ドライバーは、そうではない。
そんな、クルマを作る側の論理には騙されない。
同じボディに載せられた、エンジンの異なる車の違いを、しっかりと見極め、財布と相談しながら、異なる金額を払う。
その値段の差は、エンジンの部品代の違いではないはずだ。
エンジンが部品だというなら、部品代の差額で、クルマを作ってもらいたいものだ。
そうではない。
エンジンがもたらす、クルマの違い、本質的な違いがあるから、メーカーだって、それなりの価格で売り出すのだ。
胸に手を当てて、正直な話をした。
エンジンこそ、クルマの命であり、クルマをクルマたらしめている本質であると、浮沈子は思う。
エンジン抜きで、クルマを語るヤツを、信じる気にはなれないな。
最近、クルマの記事を書くたびに、浮沈子の頭をよぎるのは、このことである。
「エンジンは、クルマにとって、単なる部品なのか、それとも、何か、それ以上の存在なのか」
答えは分かっている。
エンジンは、部品である。
原動機であって、それ以上でも、それ以下でもない。
人間にとって、脳が魂の座であるならば、エンジンもまた、クルマという機械の魂の座であるような錯覚に陥っているだけなのだろうか。
まあ、この比喩でいけば、最近のクルマの魂の座は、間違いなく車載コンピューターである。
今はまだ、車内のあちこちに分散しているが、そのうち、中枢神経系が発達して、統合制御を行うことになるのは目に見えている。
このことは、確信を持っていえる。
今日は、エンジンの話なので、クルマの電脳の話は、別の機会に。
で、浮沈子がエンジンにこだわるのは、クルマというのは動いてなんぼの代物であり、それを動かすのはエンジンだから、という単純な理由である。
もちろん、タイヤやボディがなければ話にならないし、ハンドルやブレーキ、サスペンション、エンジン以外の駆動系(アクスルや変速機、クラッチなど)がなければクルマは構成されない。
エンジンは、壊れたら載せ換えることもできるし、別のエンジンに変えてしまうことも出来る。
部品であることは、紛れもないのだが、内燃機関として動く不思議さ、爆発物であるガソリンを、燃焼室に閉じ込めて制御する仕組みの巧みさ、ピストンとシリンダーの熱的機械精度の微妙さ、それらがクランク軸を動かして、一体となって、バレエのダンスのように動く美しさに、心から痺れるのだ。
音や振動がもたらす刺激、排気ガスの臭い、猛獣を手懐けているような快感、クルマの挙動の中で、最大の重量物としての存在感などなど、最も意識する部品である。
浮沈子は、ランボルギーニの実車(何だったかは忘れた)を初めて見たとき、「ああ、この車は、このエンジンを載せるために作られたに違いない」と確信した。
V12気筒エンジンは、巨大で、美しく、アットーテキな存在感を持って、クルマの後ろ半分を占めていた。
そのエンジンに、申し訳程度のキャビンが付き、四隅に踏ん張るタイヤが付いて、そのクルマは出来上がっていた。
それは、決して、エンジンを「部品」と呼ぶことを許さない迫力に満ち満ちていたのだ。
その猛々しいサウンドを聞き、走り去る時の爆音を聞きながら、鳥肌が立ったのを覚えている(ディアブロのような気がしてきた)。
浮沈子は思うのだ、エンジンは単なる部品ではない、クルマに命を宿すもの、いや、命そのものといってもいい。
エンジンを降ろされたクルマを工場で見ると、まるで、抜け殻である。
そんなときも、エンジンあってのクルマであると確信する。
福野礼一郎は、ボディが命だといっていたことがある。
ボディに代わりはない。
ボディを変えるということは、クルマを変えるということだ。
ロジカルには納得しているが、それは、リクツに過ぎない。
真実ではない!。
浮沈子の中では、エンジンこそがクルマの本質であって、エンジンが異なる車は、たとえ、同じボディであっても、違うクルマなのだと感じる。
それは、ウソ偽りのない、本当のホンネだ。
クルマの挙動は、確かにボディ(というか、シャシー)のディメンションや、重心位置、ロールセンターなどの物理的な要素で、およそ決まっていく。
それに、サスペンションとか、ハンドルとか、ブレーキ、変速装置といった付加的要素が加わって、概ねドライバビリティは確定する。
あとは、その車体に載るエンジンのバリエーションを展開すれば、メーカーとしてのクルマ作りはおしまいだ。
しかし、それは、あくまでも、クルマを作る側の論理である。
我々ドライバーは、そうではない。
そんな、クルマを作る側の論理には騙されない。
同じボディに載せられた、エンジンの異なる車の違いを、しっかりと見極め、財布と相談しながら、異なる金額を払う。
その値段の差は、エンジンの部品代の違いではないはずだ。
エンジンが部品だというなら、部品代の差額で、クルマを作ってもらいたいものだ。
そうではない。
エンジンがもたらす、クルマの違い、本質的な違いがあるから、メーカーだって、それなりの価格で売り出すのだ。
胸に手を当てて、正直な話をした。
エンジンこそ、クルマの命であり、クルマをクルマたらしめている本質であると、浮沈子は思う。
エンジン抜きで、クルマを語るヤツを、信じる気にはなれないな。
安くしてね! ― 2013年12月14日 10:38
安くしてね!
2014年度からの中期防(中期防衛力整備計画)で、オスプレイとかたくさん買うことになったらしい(17日閣議決定予定)。
(中期防衛力整備計画 離島防衛強化のためオスプレイ17機取得へ)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00259676.html
「お買い物の一部
・オスプレイ:17機
・水陸両用車:52両
・機動戦闘車:99両
・滞空型無人機:3機
・PAC-3 MSE:一式」
「5年間の経費総額は24兆6,700億円程度で、前回の中期防に比べ、1兆円以上の増額となった。」とある。
(政府防衛計画 オスプレイ、5年で17機 中朝念頭、無人機は3機)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131214/plc13121408280004-n1.htm
「戦車は44両を取得するが、旧型を順次退役させ将来的に現状の約740両から約300両まで減らす方向。」
なんか、大丈夫なんだろうか。
概要が分かる表があったので、画像にした。
戦闘機を初め、オスプレイやグローバルホーク、PACー3など、米国から導入することが明らかなものが多い。
兵器産業の育成は、どうするんだあ!?。
水陸両用車や、機動戦闘車は、是非とも国産で導入していただきい。
(スカイダック:これじゃないだろ!)
http://skybus.jp/d01.php
(機動戦闘車:これは国産だな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E5%8B%95%E6%88%A6%E9%97%98%E8%BB%8A
「新型の早期警戒機を4機導入。」
「いずれも国産新型機のP1哨戒機は23機、C2輸送機は10機を導入する。」
国内の兵器産業を育成して、輸出していくというのは、是非とも進めていただきたい。
日本の優秀な兵器が世界に普及し、戦争の抑止と平和と安全を守ることに繋がれば、これに越したことはない。
兵器輸出というと、人殺しの道具を輸出するとは何事か、というステレオタイプの批判ばかりが聞こえてくるが、浮沈子は、そうは思わない。
自衛権を行使するためには、必要最低限度の装備は必要だし、戦闘を抑止する部隊展開も、手ぶらでは出来ない。
大体は、約束を破る結果に終わる、停戦協定を遵守させるために、偵察だって必要だ。
誰かが、兵器を供給しなければ、現実の世界で平和を維持することは出来ない。
核兵器を作れとか、大陸間弾道弾を輸出しろとか(まあ、普通、輸出しないですが)いっているわけではない。
また、戦闘が継続している地域に供給するとか、新幹線とか直ぐにコピペするどっかの国へ輸出しろとかいっているわけでもない。
世界が必要としている、必要最低限の兵器があるならば、そして、優れた製造能力があるならば、工業製品として堂々と輸出するべきだといっているだけである。
輸出されたトヨタのランクルが、機関銃を搭載して兵器となっているのならば、その改装を我が国で行って、トータルで安価に供給することの方が、我が国にとっても、先様にとっても好ましいことであることは間違いない。
さらにいえば、我が国が果たすべき役割としては、武器の市場をコントロールし、紛争地域に武器が供給されないようなルールを確立することに貢献すべきである。
国連においては、既に、外交的な活動が行われていると聞いているが、一歩進めて、市場で一定規模のシェアを握ることによって、実質的に抑止力を働かせるという方法もあるのだ。
ありていにいえば、強大な武器商人になれ、といっているのである。
我が国の工業力、資本力をもってすれば、こういった形での平和貢献も可能かもしれない。
どっかの国の首相は、積極的平和主義とかいっているようだが、口先だけじゃなくて、地に足の着いた政策を打ち出して欲しいものだ。
それが、国産兵器の価格低下に繋がって、国防費の低減に繋がるなら、一石二鳥である。
それにしても、米国の兵器ばっかだが、安くしてね!。
(機関銃の試験データを改ざん、防衛省に納入 住友重機:追記)
http://www.asahi.com/articles/TKY201312130454.html?ref=com_top6_1st
こんなことじゃあ困りますな。
2014年度からの中期防(中期防衛力整備計画)で、オスプレイとかたくさん買うことになったらしい(17日閣議決定予定)。
(中期防衛力整備計画 離島防衛強化のためオスプレイ17機取得へ)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00259676.html
「お買い物の一部
・オスプレイ:17機
・水陸両用車:52両
・機動戦闘車:99両
・滞空型無人機:3機
・PAC-3 MSE:一式」
「5年間の経費総額は24兆6,700億円程度で、前回の中期防に比べ、1兆円以上の増額となった。」とある。
(政府防衛計画 オスプレイ、5年で17機 中朝念頭、無人機は3機)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131214/plc13121408280004-n1.htm
「戦車は44両を取得するが、旧型を順次退役させ将来的に現状の約740両から約300両まで減らす方向。」
なんか、大丈夫なんだろうか。
概要が分かる表があったので、画像にした。
戦闘機を初め、オスプレイやグローバルホーク、PACー3など、米国から導入することが明らかなものが多い。
兵器産業の育成は、どうするんだあ!?。
水陸両用車や、機動戦闘車は、是非とも国産で導入していただきい。
(スカイダック:これじゃないだろ!)
http://skybus.jp/d01.php
(機動戦闘車:これは国産だな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E5%8B%95%E6%88%A6%E9%97%98%E8%BB%8A
「新型の早期警戒機を4機導入。」
「いずれも国産新型機のP1哨戒機は23機、C2輸送機は10機を導入する。」
国内の兵器産業を育成して、輸出していくというのは、是非とも進めていただきたい。
日本の優秀な兵器が世界に普及し、戦争の抑止と平和と安全を守ることに繋がれば、これに越したことはない。
兵器輸出というと、人殺しの道具を輸出するとは何事か、というステレオタイプの批判ばかりが聞こえてくるが、浮沈子は、そうは思わない。
自衛権を行使するためには、必要最低限度の装備は必要だし、戦闘を抑止する部隊展開も、手ぶらでは出来ない。
大体は、約束を破る結果に終わる、停戦協定を遵守させるために、偵察だって必要だ。
誰かが、兵器を供給しなければ、現実の世界で平和を維持することは出来ない。
核兵器を作れとか、大陸間弾道弾を輸出しろとか(まあ、普通、輸出しないですが)いっているわけではない。
また、戦闘が継続している地域に供給するとか、新幹線とか直ぐにコピペするどっかの国へ輸出しろとかいっているわけでもない。
世界が必要としている、必要最低限の兵器があるならば、そして、優れた製造能力があるならば、工業製品として堂々と輸出するべきだといっているだけである。
輸出されたトヨタのランクルが、機関銃を搭載して兵器となっているのならば、その改装を我が国で行って、トータルで安価に供給することの方が、我が国にとっても、先様にとっても好ましいことであることは間違いない。
さらにいえば、我が国が果たすべき役割としては、武器の市場をコントロールし、紛争地域に武器が供給されないようなルールを確立することに貢献すべきである。
国連においては、既に、外交的な活動が行われていると聞いているが、一歩進めて、市場で一定規模のシェアを握ることによって、実質的に抑止力を働かせるという方法もあるのだ。
ありていにいえば、強大な武器商人になれ、といっているのである。
我が国の工業力、資本力をもってすれば、こういった形での平和貢献も可能かもしれない。
どっかの国の首相は、積極的平和主義とかいっているようだが、口先だけじゃなくて、地に足の着いた政策を打ち出して欲しいものだ。
それが、国産兵器の価格低下に繋がって、国防費の低減に繋がるなら、一石二鳥である。
それにしても、米国の兵器ばっかだが、安くしてね!。
(機関銃の試験データを改ざん、防衛省に納入 住友重機:追記)
http://www.asahi.com/articles/TKY201312130454.html?ref=com_top6_1st
こんなことじゃあ困りますな。
そういうもんかあ? ― 2013年12月14日 13:13

そういうもんかあ?
中国の月探査機が、今夜、軟着陸の予定である。
(月探査機「嫦娥三号」、14日夜に月面着陸へ)
http://www.sorae.jp/030905/5063.html
「着陸の具体的な時刻については、新華社は中国標準時21時ごろ(日本時間22時ごろ)、法制晩報は21時40分(同22時40分)と報じている。また中国中央電視台(CCTV)では、20時(同21時)から特別番組を放送するとしている。」
「また着陸に際しては、欧州宇宙機関(ESA)が持つ、オーストラリアにある深宇宙通信用アンテナも協力する。」
世界が注目する中、そして、我が国が指を咥えて見守る中、今年最後の宇宙ショーが行われようとしている。
と、ここで、とんでもないニュースがあった!。
(ロケット残骸が民家直撃 中国、月探査機打ち上げで)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131203/chn13120319350008-n1.htm
「周辺には1990年代初めからこれまでに20回近く、ロケットの残骸が落下しており、住民らは残骸の落下に「慣れている」(同紙)という。」
「慣れている」って、そういうもんかあ?。
この射場(西昌衛星発射センター)では、1996年に悲惨な事故が発生している。
(長征(ロケット):打ち上げ事故)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BE%81_(%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)#.E6.89.93.E3.81.A1.E4.B8.8A.E3.81.92.E4.BA.8B.E6.95.85
「1996年2月14日には、インテルサット708を搭載し西昌衛星発射センターより打ち上げられた長征3B型1号機が打ち上げ直後に機体が傾きだしコントロールを失い、そのまま市街地に落下。500人以上が犠牲となる史上最大の惨事をもたらした。」
まあ、地図を見ると、ほんとに山の中の狭隘な谷間に射場があるのが分かる(座標の北西1km程のところに射点がある)。
(GeoHack - 西昌衛星発射センター)
http://tools.wmflabs.org/geohack/geohack.php?language=ja&pagename=%E8%A5%BF%E6%98%8C%E8%A1%9B%E6%98%9F%E7%99%BA%E5%B0%84%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC¶ms=28_14_10.16_N_102_2_8.44_E_
こんなところに射場を作ったのも、1960年代の中ソ対立が原因だったというから、近隣住民にとってはいい迷惑だ。
500人以上の死者を出したこの大事故を、当初、中国政府は隠蔽しようとしたふしがある。
(中国の宇宙開発 長征2号3号の失敗:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=WI-RN2_h9GI
さらに、驚くのは、「西昌での打ち上げは爆発事故の同年7月3日に再開され」とあり、わずか、5か月後には同じ射場からロケットを打ち上げているのだ。
我々は、隣国で行われている宇宙開発を、米国や我が国のそれと同列に考えがちだが、国家体制の違いだけでは到底理解できない、異質のものであると感じてしまうのは、浮沈子だけだろうか。
地元紙は、「慣れている」と報じているが、それで済む問題ではなかろう。
十数万円の保証金を受け、落下したノズルに手を添える住民の写真が、痛々しい。
米国やソ連(ロシア)も、これまでに、何人もの犠牲者を出しながら宇宙開発を進めてきた。
それとは、桁違いの被害である。
今回の月探査ロケットの成功の陰に、悲惨な歴史があることを忘れてはなるまい。
中国の月探査機が、今夜、軟着陸の予定である。
(月探査機「嫦娥三号」、14日夜に月面着陸へ)
http://www.sorae.jp/030905/5063.html
「着陸の具体的な時刻については、新華社は中国標準時21時ごろ(日本時間22時ごろ)、法制晩報は21時40分(同22時40分)と報じている。また中国中央電視台(CCTV)では、20時(同21時)から特別番組を放送するとしている。」
「また着陸に際しては、欧州宇宙機関(ESA)が持つ、オーストラリアにある深宇宙通信用アンテナも協力する。」
世界が注目する中、そして、我が国が指を咥えて見守る中、今年最後の宇宙ショーが行われようとしている。
と、ここで、とんでもないニュースがあった!。
(ロケット残骸が民家直撃 中国、月探査機打ち上げで)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131203/chn13120319350008-n1.htm
「周辺には1990年代初めからこれまでに20回近く、ロケットの残骸が落下しており、住民らは残骸の落下に「慣れている」(同紙)という。」
「慣れている」って、そういうもんかあ?。
この射場(西昌衛星発射センター)では、1996年に悲惨な事故が発生している。
(長征(ロケット):打ち上げ事故)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BE%81_(%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88)#.E6.89.93.E3.81.A1.E4.B8.8A.E3.81.92.E4.BA.8B.E6.95.85
「1996年2月14日には、インテルサット708を搭載し西昌衛星発射センターより打ち上げられた長征3B型1号機が打ち上げ直後に機体が傾きだしコントロールを失い、そのまま市街地に落下。500人以上が犠牲となる史上最大の惨事をもたらした。」
まあ、地図を見ると、ほんとに山の中の狭隘な谷間に射場があるのが分かる(座標の北西1km程のところに射点がある)。
(GeoHack - 西昌衛星発射センター)
http://tools.wmflabs.org/geohack/geohack.php?language=ja&pagename=%E8%A5%BF%E6%98%8C%E8%A1%9B%E6%98%9F%E7%99%BA%E5%B0%84%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC¶ms=28_14_10.16_N_102_2_8.44_E_
こんなところに射場を作ったのも、1960年代の中ソ対立が原因だったというから、近隣住民にとってはいい迷惑だ。
500人以上の死者を出したこの大事故を、当初、中国政府は隠蔽しようとしたふしがある。
(中国の宇宙開発 長征2号3号の失敗:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=WI-RN2_h9GI
さらに、驚くのは、「西昌での打ち上げは爆発事故の同年7月3日に再開され」とあり、わずか、5か月後には同じ射場からロケットを打ち上げているのだ。
我々は、隣国で行われている宇宙開発を、米国や我が国のそれと同列に考えがちだが、国家体制の違いだけでは到底理解できない、異質のものであると感じてしまうのは、浮沈子だけだろうか。
地元紙は、「慣れている」と報じているが、それで済む問題ではなかろう。
十数万円の保証金を受け、落下したノズルに手を添える住民の写真が、痛々しい。
米国やソ連(ロシア)も、これまでに、何人もの犠牲者を出しながら宇宙開発を進めてきた。
それとは、桁違いの被害である。
今回の月探査ロケットの成功の陰に、悲惨な歴史があることを忘れてはなるまい。
最近のコメント