アンテロープ再訪 ― 2016年06月08日 21:38
アンテロープ再訪
パラオ到着後(6月1日午前1時)、直接龍馬1号に乗船し、1週間のクルーズを終えて、昨日、アンテロープにチェックインした。
寛げる・・・。
ここでは、まったりとした時間が流れている。
誰も慌てて走り回ったりはしない。
お客さんは何人かいるようだが、お互いに干渉しないような配慮をしている。
時折、話しかけられたりもするが、まあ、適当に答える。
構って欲しくないという意思を、やんわりと伝えればいいのだ。
夜の食堂(サマーハウスと呼んでいる)は、今夜も浮沈子とカウンターのスタッフだけ・・・。
昔は、ここでもホテルに宿泊している以外のお客さんにも食事を出していたようだが、現在は、宿泊客か、そのゲストだけのようだ。
午後3時までに予約しないと、夕食にはありつけないし、前日に予約しないと朝食は出てこない。
いけねっ、明日の朝食の予約をしていなかったことに気付く。
面倒くさいので、18日まで、纏めて予約をした。
この時期、雨期に入っているせいもあって、蒸し暑い。
蚊が多く、蚊取り線香が足元に置かれている。
4階の部屋にはデスクがないので、パソコンを打つときには食堂に降りてきて打つのだが、この蒸し暑さは堪えるな。
今夜は、そよとも風が吹かない。
まあ、そんな晩もあるさ・・・。
穏やかな時間だけが過ぎてゆき、蚊取り線香の渦巻きが短くなっていく・・・。
1週間、龍馬1号にゆられて、下船してみると、揺れていないのが不思議な気がしてくる。
陸酔いというのではないのだが、揺れるだろうと体が構えている。
人間が陸生動物になってから、随分と時間が経っているに違いないのだが、波に揺られていたころの記憶が、どこか奥深いところに仕舞われているのかも知れない。
そういえば、船で揺られているうちに、その揺れが心地良くなってきた瞬間が何度かあったな。
しかし、その記憶は、もっと最近の、ゆりかごで揺られていたころのものかもしれない。
さて、我が家にゆりかごなんて、あったかな?。
まあいい。
遠い遠い、或いは、やや遠い記憶を手繰りながら、世界がゆったりと揺れていたころの感覚を再び味わう。
船旅の情緒は、そんな記憶をベースにしているのかもしれない。
今回は、本当に天気に恵まれた航海だったな。
昨夜、再び出港した龍馬1号は、波が荒くて往生しているという連絡もあったようだ。
ゲメリス方面に行った高速船も、外洋には出られなかったそうだしな。
自然相手の遊びは、そういう不確定要素が付きまとう。
それは、陸上でも、人間の作り上げた人工環境である都市でも同じことだ。
立派な道路を作り、橋を架け、ビルを建てても、それだけでは生活は出来ない。
そこへ水や食糧を供給しなければならないし、ガスや電気も送らなければならない。
南の島に来ると、そんな当たり前のことに、今更ながら気づかされる。
どこにいても、人間は、自然の脅威から逃れることは出来ないし、自然の豊かな恵みに頼って生きている存在なのだと・・・。
また、こうも思うのだ。
その中で、たった一人で生きている人間はいない。
どこかで助け合い、頼り合っている。
無人島ならいざ知らず、今回訪ねた島々では、わずかな人数で暮らしを切り盛りしていたし、島の外部からの支援も大きいだろう。
我々は、もちろん歓迎されているには違いないが、所詮はお客さんとしてお邪魔しているに過ぎない。
そして、そこには裸の自然がそのままあり、人々はそれと寄り添って生きているのだ。
東京という大都会の片隅で棲息している浮沈子にも、そのことは分かる。
しかし、たぶん、頭で分かった気になっているだけで、骨身にしみて分かっているわけではないのだろう。
ウミガメの産卵をヘレンで見た時には、夜空は満天の星だった。
夜にも関わらず、海鳥たちの鳴き声が騒がしく、いささか情緒を削いでくれてはいたが、この星の生き物たちが、星屑から生まれたということを確信させられた。
赤道まで数百キロの島で見える星々は、半分近くは見慣れない星座だったが、まあ、その辺はどうでもいい。
北斗七星も、さそり座も、火星も、土星も見えていたし、明け方にはカシオペアも上がった。
北極星は、水平線の上に、かすかに顔を出しているだけだったな。
そんなことを思い出しながら、蒸し暑いアンテロープでの夜をうだうだと過ごす。
何人かの宿泊客やスタッフが、食堂に立ち寄りはしたが、再び静かな時間が流れ出している。
テレビでは、113番元素が、ニホニウム(Nh)という名前になりそうだと報じている。
まあ、どうでもいいんですが。
宇宙が作りだせなかった元素を、一瞬、人間が生み出して名前を付ける。
それは、直ちに分解して、別の元素になってしまうようだが、何か我々の存在を象徴しているような気がしないでもない。
浮沈子は、地球外知的生命の存在には懐疑的で、ヨタ話以上のものではないと思っている。
そして、何億年か後に、地球上の生命がみんな滅んでしまったら、当分、この宇宙を認識する存在は現れないのではないかと考えている。
113番元素のようなもんだな。
一瞬の存在に、名前を付けているだけかもしれない。
それが意味のない事とは思わないし、その短い時間の中で、歴史を刻み、精一杯生き抜くことしか出来ないのだ。
ああ、こういうことは、やはり東京の片隅にいると考えづらいかもしれないなあ。
脳みそを、1週間揺すられ続けて、少し柔らかくなったのかもしれない。
さて、明日からの実技講習に備えて、早めに休んでおこうかな。
今朝は、電池が切れて、部屋の目覚ましが鳴らず、もう少しで朝食を食べそこなうところだった!。
そういえば、前回の宿泊の時も、別の部屋だったが、目覚まし時計の電池(珍しい単二)が切れていたっけ・・・。
画像は、部屋の窓から見た龍馬1号(6月7日午後撮影:白い船の方です)。
パラオ到着後(6月1日午前1時)、直接龍馬1号に乗船し、1週間のクルーズを終えて、昨日、アンテロープにチェックインした。
寛げる・・・。
ここでは、まったりとした時間が流れている。
誰も慌てて走り回ったりはしない。
お客さんは何人かいるようだが、お互いに干渉しないような配慮をしている。
時折、話しかけられたりもするが、まあ、適当に答える。
構って欲しくないという意思を、やんわりと伝えればいいのだ。
夜の食堂(サマーハウスと呼んでいる)は、今夜も浮沈子とカウンターのスタッフだけ・・・。
昔は、ここでもホテルに宿泊している以外のお客さんにも食事を出していたようだが、現在は、宿泊客か、そのゲストだけのようだ。
午後3時までに予約しないと、夕食にはありつけないし、前日に予約しないと朝食は出てこない。
いけねっ、明日の朝食の予約をしていなかったことに気付く。
面倒くさいので、18日まで、纏めて予約をした。
この時期、雨期に入っているせいもあって、蒸し暑い。
蚊が多く、蚊取り線香が足元に置かれている。
4階の部屋にはデスクがないので、パソコンを打つときには食堂に降りてきて打つのだが、この蒸し暑さは堪えるな。
今夜は、そよとも風が吹かない。
まあ、そんな晩もあるさ・・・。
穏やかな時間だけが過ぎてゆき、蚊取り線香の渦巻きが短くなっていく・・・。
1週間、龍馬1号にゆられて、下船してみると、揺れていないのが不思議な気がしてくる。
陸酔いというのではないのだが、揺れるだろうと体が構えている。
人間が陸生動物になってから、随分と時間が経っているに違いないのだが、波に揺られていたころの記憶が、どこか奥深いところに仕舞われているのかも知れない。
そういえば、船で揺られているうちに、その揺れが心地良くなってきた瞬間が何度かあったな。
しかし、その記憶は、もっと最近の、ゆりかごで揺られていたころのものかもしれない。
さて、我が家にゆりかごなんて、あったかな?。
まあいい。
遠い遠い、或いは、やや遠い記憶を手繰りながら、世界がゆったりと揺れていたころの感覚を再び味わう。
船旅の情緒は、そんな記憶をベースにしているのかもしれない。
今回は、本当に天気に恵まれた航海だったな。
昨夜、再び出港した龍馬1号は、波が荒くて往生しているという連絡もあったようだ。
ゲメリス方面に行った高速船も、外洋には出られなかったそうだしな。
自然相手の遊びは、そういう不確定要素が付きまとう。
それは、陸上でも、人間の作り上げた人工環境である都市でも同じことだ。
立派な道路を作り、橋を架け、ビルを建てても、それだけでは生活は出来ない。
そこへ水や食糧を供給しなければならないし、ガスや電気も送らなければならない。
南の島に来ると、そんな当たり前のことに、今更ながら気づかされる。
どこにいても、人間は、自然の脅威から逃れることは出来ないし、自然の豊かな恵みに頼って生きている存在なのだと・・・。
また、こうも思うのだ。
その中で、たった一人で生きている人間はいない。
どこかで助け合い、頼り合っている。
無人島ならいざ知らず、今回訪ねた島々では、わずかな人数で暮らしを切り盛りしていたし、島の外部からの支援も大きいだろう。
我々は、もちろん歓迎されているには違いないが、所詮はお客さんとしてお邪魔しているに過ぎない。
そして、そこには裸の自然がそのままあり、人々はそれと寄り添って生きているのだ。
東京という大都会の片隅で棲息している浮沈子にも、そのことは分かる。
しかし、たぶん、頭で分かった気になっているだけで、骨身にしみて分かっているわけではないのだろう。
ウミガメの産卵をヘレンで見た時には、夜空は満天の星だった。
夜にも関わらず、海鳥たちの鳴き声が騒がしく、いささか情緒を削いでくれてはいたが、この星の生き物たちが、星屑から生まれたということを確信させられた。
赤道まで数百キロの島で見える星々は、半分近くは見慣れない星座だったが、まあ、その辺はどうでもいい。
北斗七星も、さそり座も、火星も、土星も見えていたし、明け方にはカシオペアも上がった。
北極星は、水平線の上に、かすかに顔を出しているだけだったな。
そんなことを思い出しながら、蒸し暑いアンテロープでの夜をうだうだと過ごす。
何人かの宿泊客やスタッフが、食堂に立ち寄りはしたが、再び静かな時間が流れ出している。
テレビでは、113番元素が、ニホニウム(Nh)という名前になりそうだと報じている。
まあ、どうでもいいんですが。
宇宙が作りだせなかった元素を、一瞬、人間が生み出して名前を付ける。
それは、直ちに分解して、別の元素になってしまうようだが、何か我々の存在を象徴しているような気がしないでもない。
浮沈子は、地球外知的生命の存在には懐疑的で、ヨタ話以上のものではないと思っている。
そして、何億年か後に、地球上の生命がみんな滅んでしまったら、当分、この宇宙を認識する存在は現れないのではないかと考えている。
113番元素のようなもんだな。
一瞬の存在に、名前を付けているだけかもしれない。
それが意味のない事とは思わないし、その短い時間の中で、歴史を刻み、精一杯生き抜くことしか出来ないのだ。
ああ、こういうことは、やはり東京の片隅にいると考えづらいかもしれないなあ。
脳みそを、1週間揺すられ続けて、少し柔らかくなったのかもしれない。
さて、明日からの実技講習に備えて、早めに休んでおこうかな。
今朝は、電池が切れて、部屋の目覚ましが鳴らず、もう少しで朝食を食べそこなうところだった!。
そういえば、前回の宿泊の時も、別の部屋だったが、目覚まし時計の電池(珍しい単二)が切れていたっけ・・・。
画像は、部屋の窓から見た龍馬1号(6月7日午後撮影:白い船の方です)。
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