風化 ― 2016年08月07日 18:59
風化
(原爆投下の日、答えられたのはわずか3割弱 際だつ長崎での風化)
http://withnews.jp/article/f0150808000qq000000000000000W0090401qq000012341A
去年の記事なんだが、ちょっと驚いたな。
「■広島への投下日の正答率
【広島市】
77.0%(1995年)
68.6%(2015年)
【長崎市】
85.1%(1995年)
50.2%(2015年)
【全国】
37.5%(2005年)
29.5%(2015年)
■長崎への投下日の正答率
【広島市】
57.9%(1995年)
54.2%(2015年)
【長崎市】
89.8%(1995年)
59.2%(2015年)
【全国】
25.6%(2015年)」
「調査手法が異なっており、単純な比較はできないが、数字上は正答率は広島市、長崎市、全国、いずれも右肩下がり。」
「特に長崎市ではこの20年で両都市への投下日の正答率が8割台から5割台にまで急減した。」
長崎市民は、忘れっぽいということなのか。
そんなことはないだろうが、いずれにしてもショックだ。
浮沈子の父方の先祖は、長崎らしいから、少しは関心がある。
全国でも、10年で10パーセント近く下がっているので、このままいけば、あと30年くらいで、我が国に原子爆弾が投下されたということすら忘れ去られていくかもしれない。
今世紀中には、第二次世界大戦があったことも、人々の記憶から薄れ、一部の研究者や歴史家の間だけで知られるようになるに違いない。
1000年も経てば、十分消え去るだろう。
その頃に残っている21世紀の遺物は、原発の放射性廃棄物だけだ。
せっせと、残しておかなきゃな!(そうじゃないだろお?)。
まあいい。
「戦後70年の世論調査の結果でもう一つ注目を集めたのが、「米国による原爆投下をどう考えるか」という質問への答えだった。」
「■米国による原爆投下をどう考えるか
【広島市】
今でも許せない:43.1%
やむを得なかった:44.2%
【長崎市】
今でも許せない:45.7%
やむを得なかった:40.8%
【全国】
今でも許せない:48.8%
やむを得なかった:39.6%」
記事では、何もコメントしていないが、不思議な数字だな。
浮沈子は、こんな風に考えている。
戦争という行為は、生き残るために相手を殺す行為だ。
勝負は時の運、勝つ時もあれば負ける時もある。
我が国は、多くの殺りくを行い、近隣諸国に大迷惑を掛けてきた。
それは、その時代の列強が行ってきたことと同じかもしれないが、同じだからといって正当化は出来ない。
核兵器(原爆)は、確かに非戦闘員を巻き込む大量破壊兵器だが、都市への絨毯爆撃だって、多くの市民が犠牲になる。
米国は、人種差別の国だから、そういう背景があったのかもしれないし、事実、ベトナム戦争では、無差別爆撃を行ってきた。
市民を蹂躙する兵器に対して、市民が憤るのは当然だし、一方で、戦争という行為に残虐性が付きまとうのは仕方ないという気もする。
欧州でも、大規模な空爆や、ロケット攻撃で多くの市民が犠牲になっている。
戦争そのものが、多くの非戦闘員の犠牲を生む時代になり、その象徴が原爆だという考え方もある。
やむを得ないというのは、そういうことなのかもしれない。
浮沈子は、もちろん、戦後に生まれ育って、直接の経験はないし、広島にも長崎にも行ったが、そこで何かを感じることもなかった。
歴史の彼方の出来事であり、自分の人生とは直接の縁はない。
それでも、かつて戦渦を受け、そこから立ち直っていった歴史は忘れてはならないと思うし、その行為を許してはなるまい。
許さないということと、憎しみを抱き続けるということは別のことだろう。
だいたい、誰を憎めばいいというのか。
憎しみからは何も生まれず、不幸な時間を積み重ねるだけだ。
その意味では、「今でも許せない」というのは、選択肢として適当かどうかということもある。
戦に負ければ、男は全員(赤ん坊まで)皆殺しにされ、女は勝者の子供を産むしかなくなるというのが、徹底した占領政策なんだろうし、歴史の中ではそんな話はいくらでもあるだろう。
現代では流行らないだろうが、当時米国が考えていた戦略は、17発の原爆を次々に製造して投下していくという、ちょっと信じられない話だ。
3発目の原爆は、既に製造工程にあり、8月中にも小倉か新潟に投下されていたかもしれない。
1945年中には、我が国の主だった都市に投下され、生産はストップし、戦争遂行が不可能な状況になり、上陸作戦が行われて、本土決戦になっていたら、最悪の結末を迎えていたかもしれない。
そうはならなかった。
やむを得なかったという回答には、様々な思いが交錯しているに違いない。
浮沈子は、「今でも許せないが、やむを得なかった」という選択肢を作ってもらいたかったな(「やむを得なかったが、今でも許せない」でもいいですが)。
歴史にタラレバはない。
刻まれた事実だけが、未来に残っていく。
71年前に時間を戻したとしても、マシな歴史が刻まれるわけではなかろう。
そんなことを考えても仕方ないし、そんな暇があれば、少しでもマシな歴史を刻むべく、現在を生きる方が余程いい。
しかし、その根底には、過去の歴史が踏まえられていなければならないだろう。
我々の一挙手一投足は、新たな歴史を作る。
忘れ去られていく歴史と、次々と起こる現代の事象。
その狭間で、必死に生き抜きながら、歴史的な選択を積み重ねていかざるを得ない。
未来の人類から、キビシー評価を得る覚悟でな。
今でも許せないとかな・・・。
(原爆投下の日、答えられたのはわずか3割弱 際だつ長崎での風化)
http://withnews.jp/article/f0150808000qq000000000000000W0090401qq000012341A
去年の記事なんだが、ちょっと驚いたな。
「■広島への投下日の正答率
【広島市】
77.0%(1995年)
68.6%(2015年)
【長崎市】
85.1%(1995年)
50.2%(2015年)
【全国】
37.5%(2005年)
29.5%(2015年)
■長崎への投下日の正答率
【広島市】
57.9%(1995年)
54.2%(2015年)
【長崎市】
89.8%(1995年)
59.2%(2015年)
【全国】
25.6%(2015年)」
「調査手法が異なっており、単純な比較はできないが、数字上は正答率は広島市、長崎市、全国、いずれも右肩下がり。」
「特に長崎市ではこの20年で両都市への投下日の正答率が8割台から5割台にまで急減した。」
長崎市民は、忘れっぽいということなのか。
そんなことはないだろうが、いずれにしてもショックだ。
浮沈子の父方の先祖は、長崎らしいから、少しは関心がある。
全国でも、10年で10パーセント近く下がっているので、このままいけば、あと30年くらいで、我が国に原子爆弾が投下されたということすら忘れ去られていくかもしれない。
今世紀中には、第二次世界大戦があったことも、人々の記憶から薄れ、一部の研究者や歴史家の間だけで知られるようになるに違いない。
1000年も経てば、十分消え去るだろう。
その頃に残っている21世紀の遺物は、原発の放射性廃棄物だけだ。
せっせと、残しておかなきゃな!(そうじゃないだろお?)。
まあいい。
「戦後70年の世論調査の結果でもう一つ注目を集めたのが、「米国による原爆投下をどう考えるか」という質問への答えだった。」
「■米国による原爆投下をどう考えるか
【広島市】
今でも許せない:43.1%
やむを得なかった:44.2%
【長崎市】
今でも許せない:45.7%
やむを得なかった:40.8%
【全国】
今でも許せない:48.8%
やむを得なかった:39.6%」
記事では、何もコメントしていないが、不思議な数字だな。
浮沈子は、こんな風に考えている。
戦争という行為は、生き残るために相手を殺す行為だ。
勝負は時の運、勝つ時もあれば負ける時もある。
我が国は、多くの殺りくを行い、近隣諸国に大迷惑を掛けてきた。
それは、その時代の列強が行ってきたことと同じかもしれないが、同じだからといって正当化は出来ない。
核兵器(原爆)は、確かに非戦闘員を巻き込む大量破壊兵器だが、都市への絨毯爆撃だって、多くの市民が犠牲になる。
米国は、人種差別の国だから、そういう背景があったのかもしれないし、事実、ベトナム戦争では、無差別爆撃を行ってきた。
市民を蹂躙する兵器に対して、市民が憤るのは当然だし、一方で、戦争という行為に残虐性が付きまとうのは仕方ないという気もする。
欧州でも、大規模な空爆や、ロケット攻撃で多くの市民が犠牲になっている。
戦争そのものが、多くの非戦闘員の犠牲を生む時代になり、その象徴が原爆だという考え方もある。
やむを得ないというのは、そういうことなのかもしれない。
浮沈子は、もちろん、戦後に生まれ育って、直接の経験はないし、広島にも長崎にも行ったが、そこで何かを感じることもなかった。
歴史の彼方の出来事であり、自分の人生とは直接の縁はない。
それでも、かつて戦渦を受け、そこから立ち直っていった歴史は忘れてはならないと思うし、その行為を許してはなるまい。
許さないということと、憎しみを抱き続けるということは別のことだろう。
だいたい、誰を憎めばいいというのか。
憎しみからは何も生まれず、不幸な時間を積み重ねるだけだ。
その意味では、「今でも許せない」というのは、選択肢として適当かどうかということもある。
戦に負ければ、男は全員(赤ん坊まで)皆殺しにされ、女は勝者の子供を産むしかなくなるというのが、徹底した占領政策なんだろうし、歴史の中ではそんな話はいくらでもあるだろう。
現代では流行らないだろうが、当時米国が考えていた戦略は、17発の原爆を次々に製造して投下していくという、ちょっと信じられない話だ。
3発目の原爆は、既に製造工程にあり、8月中にも小倉か新潟に投下されていたかもしれない。
1945年中には、我が国の主だった都市に投下され、生産はストップし、戦争遂行が不可能な状況になり、上陸作戦が行われて、本土決戦になっていたら、最悪の結末を迎えていたかもしれない。
そうはならなかった。
やむを得なかったという回答には、様々な思いが交錯しているに違いない。
浮沈子は、「今でも許せないが、やむを得なかった」という選択肢を作ってもらいたかったな(「やむを得なかったが、今でも許せない」でもいいですが)。
歴史にタラレバはない。
刻まれた事実だけが、未来に残っていく。
71年前に時間を戻したとしても、マシな歴史が刻まれるわけではなかろう。
そんなことを考えても仕方ないし、そんな暇があれば、少しでもマシな歴史を刻むべく、現在を生きる方が余程いい。
しかし、その根底には、過去の歴史が踏まえられていなければならないだろう。
我々の一挙手一投足は、新たな歴史を作る。
忘れ去られていく歴史と、次々と起こる現代の事象。
その狭間で、必死に生き抜きながら、歴史的な選択を積み重ねていかざるを得ない。
未来の人類から、キビシー評価を得る覚悟でな。
今でも許せないとかな・・・。
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