「真」ゴジラ ― 2016年08月10日 15:25
「真」ゴジラ
公開中の映画、「シン・ゴジラ」の、超ネタバレ記事につき、ご注意ください!(画像は、大洗水族館の特別展示で見つけたグリーンイグアナ。米国産ゴジラでは、核兵器によって、イグアナが巨大化してゴジラになったらしい)。
核エネルギーで活動してるのに、腹減ると固まって動かなくなる、まるでバッテリー式の電気自動車のような設定・・・。
距離的にも、せいぜい、そのくらいしか動けないしな。
コンクリート流し込むときに使うポンプ車で、怪しげな液体を無理やり注ぎ込むと、飲み込んでいる様子もないのに、全身が凍り付く(マイナス190度以下)という、これまた無理やりな設定・・・。
凍結前、腹減って固まっているときに剥がれ落ちた破片が、自己増殖して第二、第三のゴジラが誕生するかと思ったが、それもない。
ラストシーンの尻尾の先端の造形は、浮沈子には一発で分かったな(例によって、当てにはなりませんが)。
あれは、核兵器で死んでいった者たちの怨念に決まっている。
元々の、ハリウッドゴジラを含めて、ゴジラの放つメッセージは「反核」だ。
フランス野郎に頭下げて、国連軍の核攻撃を阻止(延期)させたり、放射性物質が、半減期の短い未確認の核種だったり、仕掛けは、あちこちにあるが、福一の事故後に、よく、これだけの映画を作ったと感心する。
一方で、核攻撃を容認する論理も登場して興味深い。
一種の焦土作戦で、復興に国際協力を得るための捨て身の戦術だ。
ニューヨークで同じことが起こったって、米国がそんな判断、するわけないじゃん!?。
突っ込みどっころ満載の映画なんだが、面白かったな。
海猿シリーズみたいな感じで、娯楽映画として素直に楽しめる。
つまり、あらゆるナンセンス設定は、深く突っ込んで考えてはいけないという、制作者側のサインなのだ。
娯楽映画として楽しむ。
それ以上ではないということだな。
大体、光線で、瞬時に爆弾を破壊できるわけだから、SLBM発射したって、おそらく、上昇段階で破壊されちゃうんじゃね?。
腹減って固まっているときに、思いっきり多弾頭叩き込まない限り、無理と思うがな。
列車に爆弾詰め込んで、東京駅に突っ込ませる設定は、お笑い以外の何物でもないが、ビルを爆弾やミサイルで破壊して倒壊させるというのは、アップルシードでも使われた手段だ。
元々のゴジラに対するオマージュ、庵野監督らしい、エヴァファンに対するサービスとともに、荒削りのストーリーや、ご無体な設定の一つ一つに、他の映画などで登場する設定やシーンがちりばめられているような気がする。
なぞの老科学者が、結果も見ずに自殺を遂げる(靴、揃えてあったしな:しかし、何で革靴なんだあ?)なんぞは、パトレイバー劇場版第1作だし、暴れまわる怪獣(?)の中に、犠牲になった人々の怨念が宿っているという設定も、どっかで観たような気がする(「ベクシル 2077日本鎖国」のジャグとか)。
それらは、しかし、観客がそれぞれの観方をすればいいだけの話で、何も知らなくても、それはそれで十分楽しめる。
ミリオタは、ミリオタで、いろいろ楽しめるんだろう(浮沈子は、あまり詳しくないんで、ははあ、戦車の火力って、スゲーなとか、無感動に観てましたが)。
丸子橋が吹っ飛んだり、多摩川の河川敷が戦場になったりと、馴染みのロケーションにもドキドキしたしな。
東京タワーとの絡みがあれば、もっと良かったんだがな(繭作れとか、無理は言いませんが)。
浮沈子は、非国民だし、非都民(?)なので、映画の中だけなら、核爆弾を東京駅の辺りにしこたま落としてもらいたかったな。
そして、次のゴジラの襲撃に備えて、高層ビルを地下に引き込む仕掛けを作って、迎撃都市とするわけだな。
だって、ゴジラが1匹(1頭?)しかいないという保証はないしな。
自己増殖ではないタイプのやつもいるかもしれないしな。
えっ?、どうやって増えるのかってえ?(子供は、分かんなくていいです!)。
まあいい。
米国だって、自分の作った原爆が、回り回って、自国で爆発する映画を作っている(邦題:トータル・フィアーズ)。
再上陸が、湘南海岸じゃなくって、福島辺りだったら、シャレにならない。
広島とか、長崎だったら、公開さえできないだろう。
この時期だしな。
しかし、東京ならいいのかあ?。
まあ、どこでもいいんですが。
米国のゴジラは、とりあえず、ニューヨークに出たしな。
続編が出そうなエンディングなんだが、タイトルは、どうすんだろうな。
「シン・シン・ゴジラ」だったりして・・・。
公開中の映画、「シン・ゴジラ」の、超ネタバレ記事につき、ご注意ください!(画像は、大洗水族館の特別展示で見つけたグリーンイグアナ。米国産ゴジラでは、核兵器によって、イグアナが巨大化してゴジラになったらしい)。
核エネルギーで活動してるのに、腹減ると固まって動かなくなる、まるでバッテリー式の電気自動車のような設定・・・。
距離的にも、せいぜい、そのくらいしか動けないしな。
コンクリート流し込むときに使うポンプ車で、怪しげな液体を無理やり注ぎ込むと、飲み込んでいる様子もないのに、全身が凍り付く(マイナス190度以下)という、これまた無理やりな設定・・・。
凍結前、腹減って固まっているときに剥がれ落ちた破片が、自己増殖して第二、第三のゴジラが誕生するかと思ったが、それもない。
ラストシーンの尻尾の先端の造形は、浮沈子には一発で分かったな(例によって、当てにはなりませんが)。
あれは、核兵器で死んでいった者たちの怨念に決まっている。
元々の、ハリウッドゴジラを含めて、ゴジラの放つメッセージは「反核」だ。
フランス野郎に頭下げて、国連軍の核攻撃を阻止(延期)させたり、放射性物質が、半減期の短い未確認の核種だったり、仕掛けは、あちこちにあるが、福一の事故後に、よく、これだけの映画を作ったと感心する。
一方で、核攻撃を容認する論理も登場して興味深い。
一種の焦土作戦で、復興に国際協力を得るための捨て身の戦術だ。
ニューヨークで同じことが起こったって、米国がそんな判断、するわけないじゃん!?。
突っ込みどっころ満載の映画なんだが、面白かったな。
海猿シリーズみたいな感じで、娯楽映画として素直に楽しめる。
つまり、あらゆるナンセンス設定は、深く突っ込んで考えてはいけないという、制作者側のサインなのだ。
娯楽映画として楽しむ。
それ以上ではないということだな。
大体、光線で、瞬時に爆弾を破壊できるわけだから、SLBM発射したって、おそらく、上昇段階で破壊されちゃうんじゃね?。
腹減って固まっているときに、思いっきり多弾頭叩き込まない限り、無理と思うがな。
列車に爆弾詰め込んで、東京駅に突っ込ませる設定は、お笑い以外の何物でもないが、ビルを爆弾やミサイルで破壊して倒壊させるというのは、アップルシードでも使われた手段だ。
元々のゴジラに対するオマージュ、庵野監督らしい、エヴァファンに対するサービスとともに、荒削りのストーリーや、ご無体な設定の一つ一つに、他の映画などで登場する設定やシーンがちりばめられているような気がする。
なぞの老科学者が、結果も見ずに自殺を遂げる(靴、揃えてあったしな:しかし、何で革靴なんだあ?)なんぞは、パトレイバー劇場版第1作だし、暴れまわる怪獣(?)の中に、犠牲になった人々の怨念が宿っているという設定も、どっかで観たような気がする(「ベクシル 2077日本鎖国」のジャグとか)。
それらは、しかし、観客がそれぞれの観方をすればいいだけの話で、何も知らなくても、それはそれで十分楽しめる。
ミリオタは、ミリオタで、いろいろ楽しめるんだろう(浮沈子は、あまり詳しくないんで、ははあ、戦車の火力って、スゲーなとか、無感動に観てましたが)。
丸子橋が吹っ飛んだり、多摩川の河川敷が戦場になったりと、馴染みのロケーションにもドキドキしたしな。
東京タワーとの絡みがあれば、もっと良かったんだがな(繭作れとか、無理は言いませんが)。
浮沈子は、非国民だし、非都民(?)なので、映画の中だけなら、核爆弾を東京駅の辺りにしこたま落としてもらいたかったな。
そして、次のゴジラの襲撃に備えて、高層ビルを地下に引き込む仕掛けを作って、迎撃都市とするわけだな。
だって、ゴジラが1匹(1頭?)しかいないという保証はないしな。
自己増殖ではないタイプのやつもいるかもしれないしな。
えっ?、どうやって増えるのかってえ?(子供は、分かんなくていいです!)。
まあいい。
米国だって、自分の作った原爆が、回り回って、自国で爆発する映画を作っている(邦題:トータル・フィアーズ)。
再上陸が、湘南海岸じゃなくって、福島辺りだったら、シャレにならない。
広島とか、長崎だったら、公開さえできないだろう。
この時期だしな。
しかし、東京ならいいのかあ?。
まあ、どこでもいいんですが。
米国のゴジラは、とりあえず、ニューヨークに出たしな。
続編が出そうなエンディングなんだが、タイトルは、どうすんだろうな。
「シン・シン・ゴジラ」だったりして・・・。
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