🐱減量ネタ:65kgの攻防続く ― 2022年08月20日 07:22
減量ネタ:65kgの攻防続く
65kgの壁を行ったり来たりしている。
朝起きて体重を計ると、概ね66kgくらいに増えている。
昨日は、帰宅後の計量では64.7kgだったからな。
1kg以上の増加だ。
水分補給し、食事して、コーヒー飲んでくつろいで寝る。
昼間、運動している時には、ビスケットなどの軽食程度しかとらないから、夜はしっかり食べるが、1日の体重変化は大きい。
筋トレ再開すれば、夜寝ている時にも減量してくれるようになるはずなんだがな。
朝起きた時に、昨日の65kg切りは夢だったのかと疑う。
昼間、せっせと歩いて、夕方の計量で65kgを切り、夜、爆食の生活・・・。
ちょっと健全とは言えないなあ。
ある程度、筋肉量が落ちるのを許容して(来月以降に取り戻すことにして)、食事を減らし、運動も適度にして、この時期をやり過ごすのが正しいだろう。
従来、あまり重視してこなかった有酸素運動の習慣を身につけるいい機会だ。
つーか、ゆるーい筋トレが、有酸素運動も兼ねていたわけだな。
従来の有酸素運動は、クーリングダウンみたいな感じで、始めた時より脈拍が少なくなっていたからな。
眼内レンズ手術に伴う筋トレ厳禁で、運動の習慣が様変わりしている。
筋トレ無し、水泳無し。
ひたすらに歩く・・・。
クロストレーナーを復帰させたり、ストレッチマシンを入れたりして気分転換を図っているけど、飽きっぽい浮沈子に歩行器は向かない。
昨日は3セットやったが、それすら苦痛だ。
2セットが限界か。
それでは、運動量が少な過ぎる(400kcal)。
往復10kmを徒歩で歩くという選択もある。
少し涼しくなってきたから、途中で倒れることなく歩くことはできるだろうし、途中で電車に乗ってズルすることも可能だ。
感染対策としてはリスキーだがな。
冷房の効いた屋内のジムで歩くのは、やはり、苦痛を伴う。
移動というのは、運動に伴う不可欠の価値だ。
それが欠けているということは、精神的なアンバランスを生む。
動物として、健全じゃないのだ。
自分の身体を動かした分に見合った移動が伴わなければ、動物としての健全性は保てない。
ランニングマシンや、クロストレーナーの利用は、あくまでもシミュレーションなわけで、ロードでのランニング(ウォーキング)が基本だと知る。
暑いからな。
夏場は、それもやむを得ない。
その夏も、そろそろ終わりの気配が漂い始めている。
猛暑日は、おそらくないだろう。
最高気温が30度に届かない日も、ぼちぼちでてくる。
秋になれば、徒歩でフィットネスに通って、ジムで筋トレ、プールで気分転換という生活に戻れるかもしれない。
ああ、でも、まあ、自転車で行くだろうな。
楽ちんだし・・・。
意志薄弱、易きに付きやすい怠惰な性格・・・。
んなことで、過酷な減量が果たせるのかあ?。
65kgを巡る攻防が続く。
ウクライナではないけど、膠着状態が続いている。
出たり入ったり(出ている方が多いけど)。
今日は、大井町ジェクサーの定休日。
新川崎に行くつもり(はしごして、川崎にも行こうかな)。
移動距離が長いので、ウォーキングはそれぞれ1セットずつだろう(川崎のクロストレーナーは機種が違うので、エアロバイクの予定)。
それで、壁の下に戻れるのか。
戻れなければ、明日以降、頑張るしかない。
週末は、それでなくても爆食するしな。
運動制限を掛けられながら減量を続けるというのが、こんなに厳しいとは思わなかった。
食事制限を掛ければ簡単なんだろうが、それはしないと決めている。
まあ、何とかなるだろう。
筋トレ復帰しても、いきなり従来通りの負荷を掛けるわけにはいかない。
リハビリ期間が必要だ。
徐々にウエイトを増やし、負荷を調整していく。
年内くらいは、じっくり様子を見ながらの方が無難だろう。
年明けくらいから、通常負荷で筋力維持を続ける。
もう、増量とかはできない。
減る速度を落とすことくらいだ。
関節や腱と相談しながら、ピンポイントを探る。
ジジババの筋トレは、細心の注意が必要だからな。
だらだらと、有酸素運動のような筋トレを続ける。
それでも、しないよりは100倍いい。
適正体重(63kg)近辺での停滞は想定の範囲内だ。
どこかで、何かを変えていかないと、この時期を乗り切れない。
しかし、何も変えずに、ひたすら継続する姿勢も大切だ。
変えたいという誘惑に駆られる・・・。
そのこと自体は、精神的には健全かも知れない。
減量に対する意欲が継続している現れでもあるからな。
停滞期をどうやり過ごすか。
それは、別の意味でも、本質的な要素を含んでいる。
そう、目標体重に達した後、どう、それを維持するかという、減量における最大の命題と直結している。
減量はいつまで続けるのか。
答えは、死ぬまで。
体重の減少は、目標体重辺りでお終いになるけど、その後は、死ぬまで停滞期を続けなければならない。
摂取と消費のバランスの上に成り立っている体重維持は、究極の停滞期だからな。
浮沈子の場合は、まだまだ先の話(8kgくらい減らさないと・・・)だが、現在の停滞期は、そのシミュレーションでもある。
基礎代謝が落ち、加齢に伴う筋肉の減少が続き、爆食の習慣は衰えず(それはそれで、有難いことでもありますが)、運動の習慣は、なかなか身に付かない。
腸内細菌に操られているヘタレな脳味噌が出来ることは、せいぜい運動を継続することくらいだ。
食欲は、完全に操られているからな。
無駄な抵抗はできない。
どこかに、ベストなバランスポイントがあって、そのスイートスポットを探る作業が必要だ。
しかも、それは、減量の進展とともに、動的に変化していく。
量的にも、質的にも。
そこに、筋トレ禁止という運動制限が変数として加わり、ノイズが増大しているのだ。
それらを加味して、戦略的に停滞期を過ごす。
まあ、こんな与太ブログを書いている暇があれば、近所の散歩でもした方がマシということはある。
正論だ。
まあいい。
今日は、フィットネスの休館日。
他店舗利用を目論んでいる。
10時にならないと、利用できないからな(川崎、新川崎共)。
結局サボることになるかも知れない(そんなあ!)。
このブログを書いているのは、それを阻止するための景気づけだ(そうなのかあ?)。
拙い戦術・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
実質、66kgの体重を、58kgまで落とすのは至難の業だ。
65kgの壁の下には、適正体重である63kgの壁、キリのいいところで60kgの壁(未確認)もある。
年内は、落せたとしても適正体重程度までだろうな。
下手したら、リバウンドするリスクもある。
それらを乗り越えて、来年は、適正体重以下での攻防に入る(希望的観測)。
摂取カロリーの厳格な管理、シビアな筋トレのウエイト調整、有酸素運動とのバランス、気分転換の水泳。
1kg落とすのに、たぶん3か月くらいかかるかも知れない(5kg落とすのに15か月!?)。
来年には、押しも押されぬ高齢者になる。
それまでに、適正体重くらいには落としておきたいな。
そこから、2年計画くらいで、目標体重まで持って行く。
そして、死ぬまでそれを維持するわけだ。
筋力の衰えと戦いながら。
やれやれ・・・。
長い話だな。
現在の停滞期は、それに比べれば一過性のものに過ぎない。
停滞期の過ごし方を工夫することは、目標体重に到達後の体重維持の予行演習にもなる。
落ち込むことなく、前向きに捉えて、明るく元気に過ごそう・・・。
<以下追加:8月21日記>ーーーーーーーーーー
昨日は、結局、新川崎で1セット、川崎で半分(100kcal)だけやって帰ってきた。
それでも、自転車の走行距離が長かったので、帰宅後の計量では64.5kgと、壁の下に戻った。
前日の半分の300kcalだが、これが丁度いいかも知れない。
或いは、エアロバイクを組み合わせるとか。
自転車こぎは、あまり好きじゃないんだがな。
記事にも書いたように、マシンを使った有酸素運動というのは、移動が伴わないのでストレスが溜まる。
以前は、水泳で発散していたんだが、現在はそれが出来ないでいる。
この先、筋トレが復活したら、どういう結果になることか(そのストレスが、帰宅後の爆食に繋がる?)。
まあいい。
スフィンクスの問いというのがあったな。
(なぜスフィンクスの謎かけの答えは「人間」だったのか)
https://shimirubon.jp/reviews/1688349
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、これなーんだ?」
さしずめ、朝は66kg、昼は64kg、夜は65kg、これなーんだ?、というところか(そんなあ!:答えは減量で停滞期の浮沈子)。
この記事には、オディプス王にまつわる、深ーい話が書いてあるけど、幾度となく減量で玉砕し、リバウンドを繰り返してきた浮沈子的には、レベルは違うけど、人間の知性と運命について、深く考えさせられた。
結局、減量に成功するかどうかは、運命(=腸内細菌のご意向?)でしかないのか、知性(=それに操られてしまうヘタレな脳味噌)が勝利することになるのか。
浮沈子は、食欲については勝ち目はないと諦めて、勝負のステージを運動によるカロリーの消費に置くことにした。
そこには、腸内細菌の魔の手は及ばないからな。
摂取した栄養をシェアして、共存を図る観点からも、彼らも満足だし、分け前を受けた浮沈子の方では、シェアした下流での消費ということになるから、ロジカルには影響はないハズだ・・・。
しかし、運動が過剰になって身体を壊し、食欲減退とか、運動が出来なくなるなどの弊害も予想されるからな(体調の変化で、腸内細菌叢が変化して何か起こるかも知れない)。
戦略的には優位であっても、戦術を誤れば戦いには敗れる。
オディプス王が、自ら目を潰して乞食となったことは、運命に対する人間としての勝利かも知れない。
世俗的な浅知恵は、軽々と運命に翻弄されてしまうが、人間の存在はもっと重いものだ。
なぜなら、それが我々自身であるから。
人間が人間としてある限り、世俗的成功とは異なる地平で自らを省みることが出来る。
スフィンクスの謎については、別の記述も見つけた。
(オイディプース)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%B9
「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」
哺乳類というのは、かなり成長するまで親が面倒見ることが多い(哺乳するし)。
タマゴのままほっぽり出して、後は知らんぷりが多い魚類や昆虫などとは異なる(もちろん、例外はあります)。
全ての生き物の中で最も姿を変えるというのは、当たらないような気がするんだがな(胎内での発生過程まで見れば別ですが)。
スフィンクスは、少し不勉強だったのではないのかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
神話には、スフィンクスのような合成獣(代表的なのがキメラ)が登場する。
人間と合体した形であることも多い(スフィンクスもそうだけど)。
ああ、そういえば、最近流行りのケンタウロス(BA.2.75)も合成獣(人間と馬)だったな。
取っ掴まらないように気を付けないとな・・・。
65kgの壁を行ったり来たりしている。
朝起きて体重を計ると、概ね66kgくらいに増えている。
昨日は、帰宅後の計量では64.7kgだったからな。
1kg以上の増加だ。
水分補給し、食事して、コーヒー飲んでくつろいで寝る。
昼間、運動している時には、ビスケットなどの軽食程度しかとらないから、夜はしっかり食べるが、1日の体重変化は大きい。
筋トレ再開すれば、夜寝ている時にも減量してくれるようになるはずなんだがな。
朝起きた時に、昨日の65kg切りは夢だったのかと疑う。
昼間、せっせと歩いて、夕方の計量で65kgを切り、夜、爆食の生活・・・。
ちょっと健全とは言えないなあ。
ある程度、筋肉量が落ちるのを許容して(来月以降に取り戻すことにして)、食事を減らし、運動も適度にして、この時期をやり過ごすのが正しいだろう。
従来、あまり重視してこなかった有酸素運動の習慣を身につけるいい機会だ。
つーか、ゆるーい筋トレが、有酸素運動も兼ねていたわけだな。
従来の有酸素運動は、クーリングダウンみたいな感じで、始めた時より脈拍が少なくなっていたからな。
眼内レンズ手術に伴う筋トレ厳禁で、運動の習慣が様変わりしている。
筋トレ無し、水泳無し。
ひたすらに歩く・・・。
クロストレーナーを復帰させたり、ストレッチマシンを入れたりして気分転換を図っているけど、飽きっぽい浮沈子に歩行器は向かない。
昨日は3セットやったが、それすら苦痛だ。
2セットが限界か。
それでは、運動量が少な過ぎる(400kcal)。
往復10kmを徒歩で歩くという選択もある。
少し涼しくなってきたから、途中で倒れることなく歩くことはできるだろうし、途中で電車に乗ってズルすることも可能だ。
感染対策としてはリスキーだがな。
冷房の効いた屋内のジムで歩くのは、やはり、苦痛を伴う。
移動というのは、運動に伴う不可欠の価値だ。
それが欠けているということは、精神的なアンバランスを生む。
動物として、健全じゃないのだ。
自分の身体を動かした分に見合った移動が伴わなければ、動物としての健全性は保てない。
ランニングマシンや、クロストレーナーの利用は、あくまでもシミュレーションなわけで、ロードでのランニング(ウォーキング)が基本だと知る。
暑いからな。
夏場は、それもやむを得ない。
その夏も、そろそろ終わりの気配が漂い始めている。
猛暑日は、おそらくないだろう。
最高気温が30度に届かない日も、ぼちぼちでてくる。
秋になれば、徒歩でフィットネスに通って、ジムで筋トレ、プールで気分転換という生活に戻れるかもしれない。
ああ、でも、まあ、自転車で行くだろうな。
楽ちんだし・・・。
意志薄弱、易きに付きやすい怠惰な性格・・・。
んなことで、過酷な減量が果たせるのかあ?。
65kgを巡る攻防が続く。
ウクライナではないけど、膠着状態が続いている。
出たり入ったり(出ている方が多いけど)。
今日は、大井町ジェクサーの定休日。
新川崎に行くつもり(はしごして、川崎にも行こうかな)。
移動距離が長いので、ウォーキングはそれぞれ1セットずつだろう(川崎のクロストレーナーは機種が違うので、エアロバイクの予定)。
それで、壁の下に戻れるのか。
戻れなければ、明日以降、頑張るしかない。
週末は、それでなくても爆食するしな。
運動制限を掛けられながら減量を続けるというのが、こんなに厳しいとは思わなかった。
食事制限を掛ければ簡単なんだろうが、それはしないと決めている。
まあ、何とかなるだろう。
筋トレ復帰しても、いきなり従来通りの負荷を掛けるわけにはいかない。
リハビリ期間が必要だ。
徐々にウエイトを増やし、負荷を調整していく。
年内くらいは、じっくり様子を見ながらの方が無難だろう。
年明けくらいから、通常負荷で筋力維持を続ける。
もう、増量とかはできない。
減る速度を落とすことくらいだ。
関節や腱と相談しながら、ピンポイントを探る。
ジジババの筋トレは、細心の注意が必要だからな。
だらだらと、有酸素運動のような筋トレを続ける。
それでも、しないよりは100倍いい。
適正体重(63kg)近辺での停滞は想定の範囲内だ。
どこかで、何かを変えていかないと、この時期を乗り切れない。
しかし、何も変えずに、ひたすら継続する姿勢も大切だ。
変えたいという誘惑に駆られる・・・。
そのこと自体は、精神的には健全かも知れない。
減量に対する意欲が継続している現れでもあるからな。
停滞期をどうやり過ごすか。
それは、別の意味でも、本質的な要素を含んでいる。
そう、目標体重に達した後、どう、それを維持するかという、減量における最大の命題と直結している。
減量はいつまで続けるのか。
答えは、死ぬまで。
体重の減少は、目標体重辺りでお終いになるけど、その後は、死ぬまで停滞期を続けなければならない。
摂取と消費のバランスの上に成り立っている体重維持は、究極の停滞期だからな。
浮沈子の場合は、まだまだ先の話(8kgくらい減らさないと・・・)だが、現在の停滞期は、そのシミュレーションでもある。
基礎代謝が落ち、加齢に伴う筋肉の減少が続き、爆食の習慣は衰えず(それはそれで、有難いことでもありますが)、運動の習慣は、なかなか身に付かない。
腸内細菌に操られているヘタレな脳味噌が出来ることは、せいぜい運動を継続することくらいだ。
食欲は、完全に操られているからな。
無駄な抵抗はできない。
どこかに、ベストなバランスポイントがあって、そのスイートスポットを探る作業が必要だ。
しかも、それは、減量の進展とともに、動的に変化していく。
量的にも、質的にも。
そこに、筋トレ禁止という運動制限が変数として加わり、ノイズが増大しているのだ。
それらを加味して、戦略的に停滞期を過ごす。
まあ、こんな与太ブログを書いている暇があれば、近所の散歩でもした方がマシということはある。
正論だ。
まあいい。
今日は、フィットネスの休館日。
他店舗利用を目論んでいる。
10時にならないと、利用できないからな(川崎、新川崎共)。
結局サボることになるかも知れない(そんなあ!)。
このブログを書いているのは、それを阻止するための景気づけだ(そうなのかあ?)。
拙い戦術・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
実質、66kgの体重を、58kgまで落とすのは至難の業だ。
65kgの壁の下には、適正体重である63kgの壁、キリのいいところで60kgの壁(未確認)もある。
年内は、落せたとしても適正体重程度までだろうな。
下手したら、リバウンドするリスクもある。
それらを乗り越えて、来年は、適正体重以下での攻防に入る(希望的観測)。
摂取カロリーの厳格な管理、シビアな筋トレのウエイト調整、有酸素運動とのバランス、気分転換の水泳。
1kg落とすのに、たぶん3か月くらいかかるかも知れない(5kg落とすのに15か月!?)。
来年には、押しも押されぬ高齢者になる。
それまでに、適正体重くらいには落としておきたいな。
そこから、2年計画くらいで、目標体重まで持って行く。
そして、死ぬまでそれを維持するわけだ。
筋力の衰えと戦いながら。
やれやれ・・・。
長い話だな。
現在の停滞期は、それに比べれば一過性のものに過ぎない。
停滞期の過ごし方を工夫することは、目標体重に到達後の体重維持の予行演習にもなる。
落ち込むことなく、前向きに捉えて、明るく元気に過ごそう・・・。
<以下追加:8月21日記>ーーーーーーーーーー
昨日は、結局、新川崎で1セット、川崎で半分(100kcal)だけやって帰ってきた。
それでも、自転車の走行距離が長かったので、帰宅後の計量では64.5kgと、壁の下に戻った。
前日の半分の300kcalだが、これが丁度いいかも知れない。
或いは、エアロバイクを組み合わせるとか。
自転車こぎは、あまり好きじゃないんだがな。
記事にも書いたように、マシンを使った有酸素運動というのは、移動が伴わないのでストレスが溜まる。
以前は、水泳で発散していたんだが、現在はそれが出来ないでいる。
この先、筋トレが復活したら、どういう結果になることか(そのストレスが、帰宅後の爆食に繋がる?)。
まあいい。
スフィンクスの問いというのがあったな。
(なぜスフィンクスの謎かけの答えは「人間」だったのか)
https://shimirubon.jp/reviews/1688349
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、これなーんだ?」
さしずめ、朝は66kg、昼は64kg、夜は65kg、これなーんだ?、というところか(そんなあ!:答えは減量で停滞期の浮沈子)。
この記事には、オディプス王にまつわる、深ーい話が書いてあるけど、幾度となく減量で玉砕し、リバウンドを繰り返してきた浮沈子的には、レベルは違うけど、人間の知性と運命について、深く考えさせられた。
結局、減量に成功するかどうかは、運命(=腸内細菌のご意向?)でしかないのか、知性(=それに操られてしまうヘタレな脳味噌)が勝利することになるのか。
浮沈子は、食欲については勝ち目はないと諦めて、勝負のステージを運動によるカロリーの消費に置くことにした。
そこには、腸内細菌の魔の手は及ばないからな。
摂取した栄養をシェアして、共存を図る観点からも、彼らも満足だし、分け前を受けた浮沈子の方では、シェアした下流での消費ということになるから、ロジカルには影響はないハズだ・・・。
しかし、運動が過剰になって身体を壊し、食欲減退とか、運動が出来なくなるなどの弊害も予想されるからな(体調の変化で、腸内細菌叢が変化して何か起こるかも知れない)。
戦略的には優位であっても、戦術を誤れば戦いには敗れる。
オディプス王が、自ら目を潰して乞食となったことは、運命に対する人間としての勝利かも知れない。
世俗的な浅知恵は、軽々と運命に翻弄されてしまうが、人間の存在はもっと重いものだ。
なぜなら、それが我々自身であるから。
人間が人間としてある限り、世俗的成功とは異なる地平で自らを省みることが出来る。
スフィンクスの謎については、別の記述も見つけた。
(オイディプース)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%B9
「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」
哺乳類というのは、かなり成長するまで親が面倒見ることが多い(哺乳するし)。
タマゴのままほっぽり出して、後は知らんぷりが多い魚類や昆虫などとは異なる(もちろん、例外はあります)。
全ての生き物の中で最も姿を変えるというのは、当たらないような気がするんだがな(胎内での発生過程まで見れば別ですが)。
スフィンクスは、少し不勉強だったのではないのかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
神話には、スフィンクスのような合成獣(代表的なのがキメラ)が登場する。
人間と合体した形であることも多い(スフィンクスもそうだけど)。
ああ、そういえば、最近流行りのケンタウロス(BA.2.75)も合成獣(人間と馬)だったな。
取っ掴まらないように気を付けないとな・・・。
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