ⅰPad mini2012年10月24日 04:24

ⅰPad mini
ⅰPad mini


予想通りとはいえ、スペック的には落胆した。

アップルの場合、期待値が高いので、サプライズがないと「落胆」させられることになる。仕方ない。

現物は、きっと魅力的に違いない。

(iPad mini)
http://www.apple.com/jp/ipad-mini/overview/

「ミニなのは、サイズだけ」とあるように、4:3の画面比率はそのままに、筐体の短辺を切り詰めて、辛うじて片手で持てる大きさに収めた。

画面の比率がⅰPadと同じというところが、アプリにとっては極めて重要であり、アップルの製品価値がそこにあることを如実に物語っている。

ⅰPhoneなどアップル自身の製品を含めて、ほとんど全てのディスプレイが16:9をベースにした比率になっている現在、これは極めて珍しい現象である。いつまで続くか、楽しみになった(必ず、変更されると確信している)。

サイズは7.9インチと発表されている。この画面比率でほぼ8インチの大きさは、かなり広く感じる。308gという重さ(軽さ?)や、7.2mmの厚さ(薄さ?)もあって、インパクトは大きいだろう。

というか、今までのⅰPadが重すぎたのだ。この点では、やっとアンドロイド端末に追いついてきたわけだ。モバイルガジェットの仲間入りである。

値段と画素数は仕方ない。諦めるしかない。マイナーバージョンアップまで待つか、妥協して購入するか、迷うところだ。

ワタクシの周りには、この手のガジェットに「必ず」手を出す輩がいて(当然、ネクサス7は入手済み)、間違いなく11月2日にゲットしているだろうから、それを見てからにしようか、と考えている。

つまり、即買いする魅力に欠ける。

画像は、一般紙である朝日新聞が号外で(夜中の3時に)報じているところ。これは、社会現象なのである。一昔前なら、想像もできなかった。世の中、変わったなあ・・・。

控え居ろう!2012年10月24日 21:48

控え居ろう!
控え居ろう!


まあ、齧ったリンゴの紋所じゃあ、ちょっと迫力に欠ける点は仕方ない。

(片手でアイパッド・ミニ、重さ半分…auでも)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20121024-OYT1T00178.htm?from=main2

さて、さっそく批判的な記事が登場している。

(米アップルの新しい「iPad mini」、本当に必要?)
http://www.cnn.co.jp/tech/35023493.html

アップルの株価が、新製品の発表で下がったのは、知る限り初めてではないか。

(小型iPad発表で、アップル株価上昇どころか大下落=中国報道)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1024&f=it_1024_012.shtml

発表会会場で、実際に触れてみたレポートも出ている。

(「iPad mini」と「iMac」ハンズオン)
http://wired.jp/2012/10/24/hands-on-with-the-thumb-able-ipad-mini-and-the-ultrathin-imac/

僅かな金額の差や、微妙な大きさの違いに右往左往しているように見えるのは、私だけだろうか。

ⅰPad mini(以下、「ミニ」という。)の最大の特徴は、「本当に持ち運べる」実用的なタブレット端末をアップルが発売したことである。

これが、どれほど革命的な出来事であるかを、記者や投資家、アナリストは見抜いていない。

スマホは、所詮ケイタイであり、ⅰPod touchは、ビンボー人のⅰPhoneに過ぎない(ビンボーなんで、ⅰPod touchの中古買います)。

タブレットは、真の情報端末であり、インターネットを介して、全てのコンテンツにアクセスできる、世界への窓である。

しかし、使用上の優位性を追及したⅰPadは、持ち運ぶにはいささか大きすぎた。家の中やオフィス内で使うには問題ないが、モバイル製品ではない。

もちろん、アンドロイドタブレットは、既に多くの種類が出ており、その勢いは増すばかりだが、その渦中にミニを投入してきたわけだ。

個人的には、6インチでなかったのは非常に残念だが、止むを得まい。

ここで、モバイル製品になった意義を考えると、今回のミニの投入の意味するところがわかる。

(携帯情報端末)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%90%BA%E5%B8%AF%E6%83%85%E5%A0%B1%E7%AB%AF%E6%9C%AB

(タブレット (コンピュータ))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88_(%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF)

PDAが、キャラクターベースのコンテンツであり、概ねパソコンとの連携が前提であったのに対し、現代のタブレット端末は、リアルタイムに動画を再生し、テレビ電話を可能にするスーパーウエポンである。高速無線接続によって、クラウド上の全ての資源を活用できる。今日、コンテンツはクラウドにあって、端末は、ビュワーに過ぎない。

それがモバイル機器としてポケットに入るということは、世界中の全ての情報資源を、個人が何時でも、どこへでも持ち運べるということを意味する。

人類は、生まれたときからタブレットを抱いて育ち、タブレットを通じて世界を知り、タブレットで学び、タブレットで恋をして、タブレットで仕事する。タブレットで休日を過ごし、タブレットで納税し、タブレットで余生を過ごし、タブレットと共に永遠の眠りに就くのである。

世界は、タブレットになる(控え居ろう!)。

ミニは、その扉を開いたのだ。アップル自身も、ひょっとしたらこのことを過小評価しているかもしれない。コペルニクス的展開が待っていると断言する。ミニこそ、本来のタブレットの姿なのだ。

それだけに、6インチ(クドイな)のイグゾーディスプレイでないのは惜しい。ジョブズも草葉の陰で泣いているだろう。

7インチのアンドロイドが跳梁跋扈している中に降り立ったミニは、さながら掃き溜めの鶴のようなものである(ちょっとホメ過ぎかも)。

だから正直なところ、ミニは最高の性能と最高の解像度で出して欲しかった。大きさと価格に直接の関係がないことは、ⅰPhoneとⅰPadを見れば一目瞭然である。ⅰPadよりコストがかかるのであれば、消費者に負担してもらうのもいいだろう。

それは、ミニという機械に払うコストではなく、「この世界そのもの」に払う対価なのだから。