ソニエリの復活2012年10月28日 00:47

ソニエリの復活
ソニエリの復活


SIMカードをドコモと契約するために、いわば便宜的に買ってしまった、ソニエリのS51SE(イーモバイルの名称:以下、「ソニエリ」という。)が、DTIのServersMan SIM 3G 100で復活した。

N8000で動くことを期待していたのだが、残念ながら動かない。何がいけないのか分からないが、各種設定を散々いじくっても動かない。

仕方ないので、たぶん確実に動作すると思われるソニエリに差したら、あっけなく繋がる。アンテナ立たないけど(あらあら・・・)。

それにしても、確かに死ぬほど遅い。

無線ネットワーク接続をWi-Fi以外で初めて行ったが、とても耐えられそうにない。月額490円の理由は、良く分かった。

しかし、メールなどのキャラクターベースのコミュニケーションなら、十分である。ガラケーが3Gで引っ張ってきた理由がここにある。

しかし、字が小さくて読めない。拡大を繰り返して初めて読むことができる。手の中にすっぽりと入る大きさなので、持ち運ぶのに苦にならないのはいいんだが・・・。

(携帯復活!)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/06/24/6491187

「アンドロイドが2.3とかショボイが、まさかこの大きさでインターネットに接続することはないので(字が小さすぎて、読めませんから)、電話がかけられればいいのだ。 」

甘かったなあ!。

(対応機器一覧)
http://dream.jp/mb/sim/apparatus.html

2ちゃんにも出ている。

(ServersMan SIM 3G 100 動作機種報告スレ)
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/mobile/1344793149/

年寄りの目に優しい端末でも、探しに行こうかな。

ソニエリの復活(その2)2012年10月28日 02:09

ソニエリの復活(その2)
ソニエリの復活(その2)


眠いので、短めに。

画像は、DTIのページのスクリーンショット。

(ネットワーク実効速度状況)
http://dream.jp/support/sensing/traffic_week.html?area=md-tokyol1

このページの右の「速度測定はこちら」というボタンで、「スマートフォン版」をクリックすると、別画面で表示される。

80kbpsといえば、80パーセントの実効率である。ベストエフォートか。「努力してます」って感じがする。

しかし、遅いなあ。

このブログを書いている自宅のワイファイは、スマホで5Mbps、ノートパソコン(無線接続)で10Mbpsだから、60倍から120倍の差がある。

月額490円が、安いのか高いのか。ワイマックスの月額3880円は、実に良くできた値付けであると思う。もう少し電池が持ってくれれば、言うことはないんだが・・・。

ソニエリの復活(その3)2012年10月28日 11:19

ソニエリの復活(その3)
ソニエリの復活(その3)


テザリングなどという裏技を使って、DTIのServersMan SIM 3G 100を骨までしゃぶる。

(テザリング)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%B6%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0

(テザリングを使ってみよう:<例:Sony Ericsson mini (S51SE)>)
http://emobile.jp/service/tethering.html

(Pocket WiFi)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Pocket_WiFi

スマホを通話でしか使わなかった(わきゃない!)オジサンにも分かりやすい解説が載っている。

ワイファイのオーバーヘッドがかかるので、実効速度の低下に、さらに泣きが入って67kbpsに落ちるが、画面が広いN8000で見られるのはありがたい。

無線ルーターを買いに行かなくてよかった!(ネットで探して、もう少しで買いに行くところであった)。

雨に感謝である。

気のせいか、画面表示が早くなったような気がする。最終的な通信速度は、デバイスの処理速度にも依存する。電波が直接見えるわけじゃあないので、当然といえば当然だ(中には、電波が見えると主張する方もいるようですが・・・)。

イーモバイルの無線ルーターが気に入ったので、詳細を調べているうちに、S51SEがテザリング機能を持っていることに気づいた(待ちうけ画面のど真ん中にあるのに?)。

ダイビングと同じく、自分の持っている器材の性能は、完璧に把握しておくべきである。

というわけで、現在、テザリングすると、どのくらいバッテリーが減っていくかを確認中である。いやはや、これでバッテリーの予備を買う破目になったら、目も当てられないか・・・。

YouTubeについては、事実上使えない。転送に時間がかかりすぎて、生きているうちには見られないんじゃないかと思うほどである。

だめだ、もう待てない。

静止画までが、限界と思われる。

音声ファイルも重いようだ(「らじるらじる」のストリーミングが、ブチブチ切れる)。

まあ、月額490円の限界かも。

コンテンツ2012年10月28日 20:52

コンテンツ
コンテンツ


(コンテンツ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84

インターネットが普及する前は、あまり聞いたことがなかったが、最近は、やたらと使われている。

このブログでも、何とはなしに多用しており、検索エンジンで「コンテンツ kfujito」とやると、自分でもいやになるほど出てくる・・・。

従来の情報発信が、メディアの高い壁に阻まれており、限られた人々(ギョーカイ)によって牛耳られていた(今でもそうだが)のと違い、インターネットという超敷居の低いメディアが出現したことにより、訴求するかどうかは別として、発信する行為は誰もが手にすることができる。

メディアの特性としても、出版に近い。

電波や劇場などは、限りあるメディアであり、そこにコンテンツを載せることができるようになるためには、職業的な技能や資金、コネ、運、ハッタリ、ドギツさ、権力などなど、「普通の人々」では困難な資質を求められている。

それに対して、メディアの制限が低い書籍(ビラなど含む)の出版は、別に出版社でなくても可能であり、近所の本屋さんと仲良しになって、コピーした原稿を置いてもらう事だって可能だし、ビラのように手渡しで頒布することもできる。

紙と印刷という媒体の要素が、低コストであることと、その資源が潤沢にあることが特徴である。

ここにきて、デジタル化の波が押し寄せ、インターネットの普及と相まって、コンテンツの配信は低コスト化した。事実上、無料となり、対象は世界中の端末となった。文字や静止画だけではなく、音楽や動画も配信できる。

既存メディアが独占してきた配信行為(背信行為か?)が、中抜けして、産地直送状態になってしまった。

特に、配信コストが低廉となっている新聞やCDやビデオ媒体を含む出版業にとっては、大きな転換を迫られることとなった。

お茶屋さんや米屋さんと同じで、お店を持っていると客が自然に買いに来る状態ではなくなってきたということである。

しかも、そのスピードが早い。

紙の発明は紀元前だし、グーテンベルグが印刷機を発明したのが15世紀で、数千年とか500年間の歴史があったのだが、わずか十数年の間に、電子媒体に取って代わられようとしている。

音楽や映像がデジタル化するのには、数年しかかからなかった。元々、配信コストがかかる媒体だったので、デジタル化のメリットが大きかったことが挙げられる。市場への普及は、経済性を抜きにしては語れない。

その音楽映像媒体も、通信による頒布に置き換えられつつある。近所の貸しビデオ屋が、次第に減りつつある(ツタヤ遠いし)。アップルのパソコンからは光学媒体のドライブが消えた。

おまけに、最近では、クラウドとかいって、コンテンツそのものが、手元にない。コンテンツを買うということは、現代では、コンテンツにアクセスする権利を買うことであり、その権利を証明する手段は、IDとパスワードになっている(たまに忘れるんだが・・・)。

「買う」という行為そのものが、現金の授受ではなく、IDとパスワードによる電子マネーなのだから、何をかいわんやである。

そもそも、現金にしたって、記号化された価値であることに違いないのだが。

話が逸れた。

先日、キンドルが上陸した。

アルファベット26文字の文化圏で、電子出版を制した巨人が、2バイト文字文化圏に乗り込んでくる。これまで、既得権にがんじがらめとなっていた日本の出版界は戦々恐々としていることだろう。

コンテンツの配信に、新たな原則が打ち立てられ、文字や画像の媒体が、紙への印刷からタブレットへと変わる日が来たのだ。

昨日アキバで見たKOBOの端末は、4千円台で売られていた(新品です)。やがて、千円を切り、無料になり、全ての文字・画像コンテンツが置き換えられていく。

町内の掲示板、スーパーの特売、レジのレシート、教科書、取り説、不在配達通知、不動産屋の投げ込み広告、ピザ屋のチラシ、新聞の勧誘(!)。美しい印刷が施された「紙」という高機能媒体が、ポスターなどの限られたものを除いて消えていく(それだって、程なくデジタルサイネージになっちまうだろうし)。

電車の吊広告が消え始めて、ハッとする。

紙はどこへ消えた?

身の回りから、いつの間にか、情報伝達媒体としての「紙」が消え始めているのだ。

ダンボールや袋、化粧箱など、パッケージ用としての用途は残るだろう。元来が植物由来のエコ素材である。完全になくなることはないだろし、最近では、建築素材としても注目されている。

コンテンツの頒布、電子化された情報、ラストワンマイルという問題は、ラストワンフィートに置き換えられて、後、残されたイノベーションは、ウェアラブルコンピュータと、人間の感覚器官にダイレクトに伝達する「埋め込み」技術であろう。

「電波が見える」という冗談が、リアルな話になってくる。

その電波に乗せるコンテンツは、誰が作り、誰が管理し、誰が受け取るのか。究極の中抜きになったコンテンツの配信は、送り手と受け手の関係をハダカにする。

メディアの本質、支配する側の統治手段という生々しい姿を、どのように覆い隠し、心地よい刺激として洗脳していくか。

コンテンツの本質は、人間関係そのものである。闘争、恫喝、信頼、愛情、甘え、反抗、説得、依存、支配、服従などなど、それらが、集団的にも個別的にも、直接行われるようになり、文字通り、「世界は一つの村」になるのである。

匿名性を失った未来の都会人(村人?)が、次に逃げ込む先は、サイバーワールドしかないかもしれない。