111分 ― 2016年11月02日 21:26
111分
水泳教室の後、一度帰ってから出直して、大井町のダイビングプールの底で、2時間の自主トレ。
本日のお題は、トリム、DSMB(ディレイド・サーフィス・マーカー・ブイ)の打ち上げ、ポケットパンツのハンドリング、リールを持って減圧シミュレーション、その他。
トリムは、ゴムのフルフットフィンなので、実際の状況とは異なるが、足を伸ばすと頭が下がり、縮めると頭が上がる(足が下がる)変化を確認する。
水底近くで、膝を使ってトリムのキャリブレーションを繰り返す。
バックキックしてみて、深度を変えずに下がれるかを試す。
足の伸縮を伴うので、逆ポーポーイズのような感じになる。
ビミョーに深度がぶれる。
きっと、何かコツがあるんだろう。
バックキックが目的ではないので、深く追求しない。
3mだしな・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
DSMBの打ち上げは、レギュレーターからの排気で膨らませてみた。
1回だけ吹き込んで、膨らみ具合を見る。
4分の1くらい入った。
つーことは、3回くらい入れれば、10mからの打ち上げは十分膨らむということになる。
今日は、ちょっと浮力がギリギリで、リールを外した分だけ、しっかり浮いてしまった。
まあ、許容範囲だな。
後半は、それにつかまりながら、減圧シミュレーションを行う。
20分間、リールを軽く持ってホバリングし、10分間手を放して、目の前にリールをぶら下げて、ぶれないようにホバリング・・・。
吐いた泡がDSMBを押しやるので、プールの真ん中で始めたんだが、端の方に移動していく。
手に持っているときは、原因が分からなかった。
手を離したら、なるほどと分かった。
慣れないことばかりやったので、120分になる前に、180バールを吸い切って上がった(111分)。
5mmウエットに、ポケットパンツを重ね履きしてプールで潜るのは初めてだが、目的は、ポケットの開け閉めの感覚に慣れること。
中身を持っていかなかったので、ダイコン(初代ペトレル)を腕から外して、出したり仕舞ったりして、感覚を覚える。
金曜日にも潜る。
水泳教室では、背泳が始まった。
太ももから動かせと言われて、必死に漕いだので、脚が張っている。
ダイビングでは、ほとんど動いていないので、あまり気にならなかった。
帰りに、旅行用のダイビング用バッグの中古を買い求める。
何かこう、勢い付けないと、テクニカルダイビングの世界に飛び込めない感じだ。
マニュアルは、一応、45、50まで、全部読んだ。
明日からは、二度目の熟読に入る。
テック40が一番重要だな。
基礎を養うトレーニングだしな。
45や50は、その発展ということで、経験値を上げて、いろいろ慣れてくれば、さほど困難ではない感じだ。
バルブ・シャットダウン・ドリルの時間が、多少短くなったり、減圧時間が長くなったりするだけだ。
使えるガスが、純酸素まで拡大する。
機会があれば、受けてみてもいいかもしれない。
明日は神田で器材のフィッティングを行う。
せっかく買ったので、キャリーバッグに詰めて、電車で行ってみよう。
幅広のクロッチベルトを調達しなければならないし、インフレーター用の中圧ホースを追加し、長さを揃える必要もある。
やっぱ、現物がないと、いろいろ難しいわけだな。
器材チェックの機会を設けたのは良かった。
ハサミは、鞘付きがないそうだが、自作してもいいしな。
500Eのワイパーの動きが悪かったので、明日電話してみよう。
調整で治ればいいが、アッセンブリー交換になると、目の玉飛び出る修理費が掛かる。
フィットネスには、夜行くしかないな。
今日も、水泳教室の前に、自重筋トレ以外の筋トレをした。
継続は力なり。
格言といえば、テック45のテキストの冒頭に、老子の格言が出てくる。
「知って知らざるは上なり
知らずして知るは病なり」
(老子 第七十一章 知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病なり)
http://blog.mage8.com/roushi-71
「現代語訳
自分がよく理解していてもまだよく解っていないと考えるのが最善であり、よく解っていないことを解ったつもりになってしまうのが人間の欠点である。そもそも自分の欠点を欠点として自覚するから、それを改善することもできる。このように「道」を知った聖人は、自分の欠点を欠点と素直に認めて改善しているからこそ、欠点の無い聖人でいられるのだ。」
「そもそも人間の知識や理解というものは「知っている」と「知らない」の二元論で語れるものではなく、「なんとなく解る」程度の知識の方が圧倒的に多いでござろう。しかし拙者を含め人間はその「なんとなく解る」をいつのまにか「よく知っている」と思い込みがちでござる。だから常にそういう人間の心理が持つ欠点を自覚し、自分が知っていると思っていることでもまだ知らないと考える方が良いとおっしゃっているのだと拙者は考える次第でござる。」
このページの管理人は、実に正鵠を得た解釈をしている。
ちょっと知識を得たからといって、分かった気になってはいかん、というわけだ。
生半可な知識ほど、危ういものはない。
ましてや、命に係わる話だ。
1度目を通したマニュアルだが、浮沈子はそれで分かった気になっている。
そういうのは、病(へい:悪いこと、欠点)だということだ・・・。
ありがちだな。
心して取り組まなければならない。
2度読み、3度読み、体に染みつくまで読む。
設問を考え、不明な点は、インストラクターに尋ねる。
その繰り返しの中で、なお、まだ分かっていないと自覚することが肝要だと言っている。
その通りだ。
さて、今日は活動的な1日を過ごした。
たらふく夕食を取って、目の皮が弛んでくる。
あとは、明日にしよう・・・。
水泳教室の後、一度帰ってから出直して、大井町のダイビングプールの底で、2時間の自主トレ。
本日のお題は、トリム、DSMB(ディレイド・サーフィス・マーカー・ブイ)の打ち上げ、ポケットパンツのハンドリング、リールを持って減圧シミュレーション、その他。
トリムは、ゴムのフルフットフィンなので、実際の状況とは異なるが、足を伸ばすと頭が下がり、縮めると頭が上がる(足が下がる)変化を確認する。
水底近くで、膝を使ってトリムのキャリブレーションを繰り返す。
バックキックしてみて、深度を変えずに下がれるかを試す。
足の伸縮を伴うので、逆ポーポーイズのような感じになる。
ビミョーに深度がぶれる。
きっと、何かコツがあるんだろう。
バックキックが目的ではないので、深く追求しない。
3mだしな・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
DSMBの打ち上げは、レギュレーターからの排気で膨らませてみた。
1回だけ吹き込んで、膨らみ具合を見る。
4分の1くらい入った。
つーことは、3回くらい入れれば、10mからの打ち上げは十分膨らむということになる。
今日は、ちょっと浮力がギリギリで、リールを外した分だけ、しっかり浮いてしまった。
まあ、許容範囲だな。
後半は、それにつかまりながら、減圧シミュレーションを行う。
20分間、リールを軽く持ってホバリングし、10分間手を放して、目の前にリールをぶら下げて、ぶれないようにホバリング・・・。
吐いた泡がDSMBを押しやるので、プールの真ん中で始めたんだが、端の方に移動していく。
手に持っているときは、原因が分からなかった。
手を離したら、なるほどと分かった。
慣れないことばかりやったので、120分になる前に、180バールを吸い切って上がった(111分)。
5mmウエットに、ポケットパンツを重ね履きしてプールで潜るのは初めてだが、目的は、ポケットの開け閉めの感覚に慣れること。
中身を持っていかなかったので、ダイコン(初代ペトレル)を腕から外して、出したり仕舞ったりして、感覚を覚える。
金曜日にも潜る。
水泳教室では、背泳が始まった。
太ももから動かせと言われて、必死に漕いだので、脚が張っている。
ダイビングでは、ほとんど動いていないので、あまり気にならなかった。
帰りに、旅行用のダイビング用バッグの中古を買い求める。
何かこう、勢い付けないと、テクニカルダイビングの世界に飛び込めない感じだ。
マニュアルは、一応、45、50まで、全部読んだ。
明日からは、二度目の熟読に入る。
テック40が一番重要だな。
基礎を養うトレーニングだしな。
45や50は、その発展ということで、経験値を上げて、いろいろ慣れてくれば、さほど困難ではない感じだ。
バルブ・シャットダウン・ドリルの時間が、多少短くなったり、減圧時間が長くなったりするだけだ。
使えるガスが、純酸素まで拡大する。
機会があれば、受けてみてもいいかもしれない。
明日は神田で器材のフィッティングを行う。
せっかく買ったので、キャリーバッグに詰めて、電車で行ってみよう。
幅広のクロッチベルトを調達しなければならないし、インフレーター用の中圧ホースを追加し、長さを揃える必要もある。
やっぱ、現物がないと、いろいろ難しいわけだな。
器材チェックの機会を設けたのは良かった。
ハサミは、鞘付きがないそうだが、自作してもいいしな。
500Eのワイパーの動きが悪かったので、明日電話してみよう。
調整で治ればいいが、アッセンブリー交換になると、目の玉飛び出る修理費が掛かる。
フィットネスには、夜行くしかないな。
今日も、水泳教室の前に、自重筋トレ以外の筋トレをした。
継続は力なり。
格言といえば、テック45のテキストの冒頭に、老子の格言が出てくる。
「知って知らざるは上なり
知らずして知るは病なり」
(老子 第七十一章 知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病なり)
http://blog.mage8.com/roushi-71
「現代語訳
自分がよく理解していてもまだよく解っていないと考えるのが最善であり、よく解っていないことを解ったつもりになってしまうのが人間の欠点である。そもそも自分の欠点を欠点として自覚するから、それを改善することもできる。このように「道」を知った聖人は、自分の欠点を欠点と素直に認めて改善しているからこそ、欠点の無い聖人でいられるのだ。」
「そもそも人間の知識や理解というものは「知っている」と「知らない」の二元論で語れるものではなく、「なんとなく解る」程度の知識の方が圧倒的に多いでござろう。しかし拙者を含め人間はその「なんとなく解る」をいつのまにか「よく知っている」と思い込みがちでござる。だから常にそういう人間の心理が持つ欠点を自覚し、自分が知っていると思っていることでもまだ知らないと考える方が良いとおっしゃっているのだと拙者は考える次第でござる。」
このページの管理人は、実に正鵠を得た解釈をしている。
ちょっと知識を得たからといって、分かった気になってはいかん、というわけだ。
生半可な知識ほど、危ういものはない。
ましてや、命に係わる話だ。
1度目を通したマニュアルだが、浮沈子はそれで分かった気になっている。
そういうのは、病(へい:悪いこと、欠点)だということだ・・・。
ありがちだな。
心して取り組まなければならない。
2度読み、3度読み、体に染みつくまで読む。
設問を考え、不明な点は、インストラクターに尋ねる。
その繰り返しの中で、なお、まだ分かっていないと自覚することが肝要だと言っている。
その通りだ。
さて、今日は活動的な1日を過ごした。
たらふく夕食を取って、目の皮が弛んでくる。
あとは、明日にしよう・・・。
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