善きサマリア人2011年11月12日 22:53

善きサマリア人
善きサマリア人


「ユダヤ人の律法学者がイエスに永遠の生命のために何をすべきかを問いかけた際、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した。律法学者が答えた内容(神への愛と隣人への愛)に対しイエスが「正しい、その通りにせよ、そうすれば生きる」と答えると、さらに律法学者が「では隣人とは誰か」と重ねて尋ねた。これに対し、イエスは以下のたとえ話をした。

ある人がエルサレムからエリコに下る際、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていた。祭司、レビ人といった高い位にある人々はこの人を助けずに通り過ぎた。しかしユダヤ人から大変に嫌悪されていたサマリア人は、この半死半生の人を助けた。傷口の治療をし、家畜に乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した。

このたとえ話の後、律法学者に対してイエスは、このたとえ話で誰が怪我人の隣人であるかを律法学者に問い、律法学者が「助けた人(サマリア人)である」と答えると、「行って同じようにしなさい」とイエスは言った。」

と書いてあるのは、このページ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%8D%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88

例によって、引用してしまえば、以上、終わりである。が、次のような記事も読んでおくと参考になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%84%E3%81%8D%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%B3%95

このページの中程に、「医師の意識との関係」という項がある。読んでみて、ちょっとショックだった。飛行機の中では、うっかり病気にもなれないというのが正直な感想だ。

もっとも、専門家には適切な行為を行う義務がある、ということなのだろうが、そもそも行為そのものを行わないことを正当化する理由になってしまっているということは、本末転倒である。

この話を持ち出したのは、次のようなページがあったからだ。

(一次救命処置)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%AC%A1%E6%95%91%E5%91%BD%E5%87%A6%E7%BD%AE

「一次救命処置(いちじきゅうめいしょち BLS:Basic Life Support)とは、呼吸が止まり、心臓も動いていないと見られる人の救命へのチャンスを維持するため、特殊な器具や医薬品を用いずに行う救命処置であり、胸骨圧迫と人工呼吸からなる心肺蘇生法(CPR)、そしてAEDの使用を主な内容とする。」

とある。我々は専門職ではないが、「バイスタンダー」(隣人?)となった場合は、「善きサマリア人」でありたい。

(バイスタンダー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC

日本では、法的に完全に保護されている訳ではない。家族等の関係者から民事訴訟を喰らうケースもあるだろう。だが、CCRユーザー(でなくても、ダイバー)ならば、「祭司、レビ人といった高い位にある人々」のように、「この人を助けずに通り過ぎ」ることができるだろうか。

「明日は我が身」かもしれないのだから・・・。

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