深海と宇宙2012年03月28日 10:17

深海と宇宙
深海と宇宙


ナショジオの記事によれば、キャメロンは再び潜るという(もうやめたら?)。

(キャメロン監督「深海底は宇宙のよう」)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120327002&expand&source=gnews

機器の故障、パイロットの過酷な環境、つまらん景色、ほとんどいない生物、エトセ、エトセ・・・。

行ってもしょうがないんじゃないか。

ミッションとしての潜行は失敗ともいえる。しかし、記事にもあるとおり、一般の関心をかきたてた功績は大きい。

それで、十分なんじゃないか?。

次に潜るのはロボットでもいい。冒険は一度でたくさんだ。

深海と宇宙は似ていると彼は言う。日常との隔絶感、一人での長時間の作業がそんなイメージを与えるのだろうか。別の惑星などではない、それこそが地球の真の姿なのだ。

人類は何度も宇宙に出かけた。そして、そこには茫漠の虚無が広がっていることを見てきた。この地球でしか人間が生きられないことを確認してきた。無人機が行って、資源を持ち帰ることはあるだろうし、短期間宇宙ステーションに滞在するような「宇宙開発」はあるだろう。

でも、そこに生活の場を築くことはできない。

深海も同じだ。1万メートルまで行かなくても、100メートルでさえ、生活の場とするには適当ではない。

人間は、地上の大気の薄いわずかの層の間にひっそりと暮らす控えめな生物でいい。それしかないのだ、ということを確認する行為が冒険なのだ。

火星に行こうとしている人類。まあ、行って行けない事はないだろうが、それはもう、行くことに意味があるだけである。そこまでが、限界でもある。だって、金星なんて500度でっせ!。

人間なんて、せいぜい火星まで(行けても小惑星くらい)で、有人宇宙開発なんてそこで終わり。いってみれば、そこが宇宙の果てである。

モノリスでも発見されない限り、木星軌道まで行くことはないだろう。

恒星間旅行なんて、絶対にありえない。SFの題材でしかない。というより、ありえないことが確認されれば、SFのネタからも消える(タコ足の火星人みたいに)。

宇宙も、有人の冒険という観点からは結構うすっぺらなのだ(それでも十分広大ですが)。

夢のない話になった。

地球近傍の宇宙開発はこれからが本番だが、こんな記事があった。

(あまり知られていない「宇宙旅行」20の事実)
http://labaq.com/archives/50954042.html

そして、ナショジオの宇宙のページ
http://www.nationalgeographic.co.jp/science/

限界があるからといっても、それを極めることは大変だ。まだまだフロンティアはたくさんあるのだ。

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