スナーミ ― 2014年01月14日 09:04
スナーミ
(スマトラ島沖地震 (2004年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4)
この未曾有の災害について、浮沈子は殆んど知らなかった。
もちろん、ニュースなどでは報道されていたし、地震の後に起こった引き波のビデオ、押し寄せる水の壁、椰子の木を薙ぎ倒していく海面の盛り上がりを撮った映像は観た。
しかし、百聞無しに、一見しただけ。
そこで何が起こり、人々がどうなったのか、その影響が、どのような形で残ったのか、何がどのように変わり、何が変わらなかったのか。
そういったことを知る努力は、全くしなかった。
遠い国の、自分には縁のない話と思っていたのだ。
そして、2011年3月の地震を体験する・・・。
(津波―ASIAN TSUNAMI)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E2%80%95ASIAN-TSUNAMI-%E9%B5%9C%E9%A3%BC-%E5%BA%B7%E5%AD%90/dp/product-description/4898273513
さっき、ワンクリックで注文した。
ピピ島のダイビングについて、いろいろと連絡をさせて頂いている、鵜飼康子さんの著書である。
(このページは鵜飼康子著「津波 ~ASIAN TSUNAMI~」の紹介です。)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/sumatra_jisin_syoukai.htm
「2004年12月26日、タイのピピ島
年始年末を前にしたタイのピピ島では休暇を過ごす多くの人が訪れていました。
その朝、ダイビングインストラクターの日本人女性がピピ島のロ・ダム湾に面するビーチにいました。
彼女は迫る津波から逃れようと駆けに駆けますが逃れきれずに津波に呑まれてしまいます。彼女は重傷を負いながらも助かりました。
そのときから4年になる2008年の年12月、手記として「津波 ~ASIAN TSUNAMI~」が出版されました。」
彼女のブログの明るく、屈託のない文章からは、そんな過酷な体験をしたことなど、想像もできなかった。
12月26日の島の様子を書いた記事の中で、少しだけ、その体験を物語る記述があるだけだった。
(Yasko はどこにいったの?:2008年12月26日)
http://whereisyasko.blogspot.jp/2008/12/20081226.html
以下は、本の紹介から。
「特に注意していたわけではない。ただ、ビーチが妙に引き潮なのが少し気になった。夕方大きく潮が引くときには、地元の男の子たちがチームを組んでサッカーをしている。そのくらい遠浅の、広く干潟になる湾だ。それにしても引いている。私の記憶よりも随分大きな干潟だ。今日は満月だっけ?」
「もともと遅いと自覚している速力。もどかしかった。頭の隅では、どうやっても追いかけてくるものから逃げられないことはわかっていたように思う。でも私は走るのをやめられなかった。追いつかれるその瞬間を、できるだけ先に延ばしたかった。追いつかれてしまったら、何が起こるのか想像できなかった。それが怖かったのかもしれない。」
「やすこは助かり、丘の斜面のバンガローに避難した。出血のためであろう、朦朧としていた。周りの人はやすこが助からないのではないかという気持ちを深めていた。頭蓋骨が見えるような傷を負っていたからである。
日が西に傾く頃、やすこはカーテンで作った担架に載せられ、ヘリコプターが発着しているビーチに向かう。ヘリコプターに乗る順番を待つが、今日最後のヘリコプターは日没のため着陸できない。
スピードボートが1艘出るというニュースが入ってきた。今夜ピピ島を出る最終便になるという話であった。多くの人々の協力により、ピピ島を離れ、病院のある街に向かった。」
アマゾンのページの「なか見!検索」で内容の一部を、読むことが出来る。
以下は、その一節。
「今この瞬間に、私たちの命を左右するような事変が起こっても何の不思議もないのだ。
でも、だからこそ、今過ごすこの一瞬一瞬を心に留めて生きなければならない。現在を生きているのだと。」
「私の胸の中の表面張力を起こした入れ物は、今でもふるふると震え続けている。でも、今では前よりは少しは上手に運ぶことができるようになった。
笑顔で。」
ウィキによれば、タイではスナーミという言葉が広く使われるようになった。
「なお、タイではこの津波が起きるまで津波を「大型の波(tidal wave)」と表現することが多かったが、この津波以降は専門用語である「スナーミ(日本語の「津波」の音訳)」が一般的に使われるようになった。」とある。
ピピ島に行く理由が、また一つ増えたようだ。
今年の12月26日、あの地震から、10年が経つことになる・・・。
(スマトラ島沖地震 (2004年))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%A9%E5%B3%B6%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2004%E5%B9%B4)
この未曾有の災害について、浮沈子は殆んど知らなかった。
もちろん、ニュースなどでは報道されていたし、地震の後に起こった引き波のビデオ、押し寄せる水の壁、椰子の木を薙ぎ倒していく海面の盛り上がりを撮った映像は観た。
しかし、百聞無しに、一見しただけ。
そこで何が起こり、人々がどうなったのか、その影響が、どのような形で残ったのか、何がどのように変わり、何が変わらなかったのか。
そういったことを知る努力は、全くしなかった。
遠い国の、自分には縁のない話と思っていたのだ。
そして、2011年3月の地震を体験する・・・。
(津波―ASIAN TSUNAMI)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E2%80%95ASIAN-TSUNAMI-%E9%B5%9C%E9%A3%BC-%E5%BA%B7%E5%AD%90/dp/product-description/4898273513
さっき、ワンクリックで注文した。
ピピ島のダイビングについて、いろいろと連絡をさせて頂いている、鵜飼康子さんの著書である。
(このページは鵜飼康子著「津波 ~ASIAN TSUNAMI~」の紹介です。)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/sumatra_jisin_syoukai.htm
「2004年12月26日、タイのピピ島
年始年末を前にしたタイのピピ島では休暇を過ごす多くの人が訪れていました。
その朝、ダイビングインストラクターの日本人女性がピピ島のロ・ダム湾に面するビーチにいました。
彼女は迫る津波から逃れようと駆けに駆けますが逃れきれずに津波に呑まれてしまいます。彼女は重傷を負いながらも助かりました。
そのときから4年になる2008年の年12月、手記として「津波 ~ASIAN TSUNAMI~」が出版されました。」
彼女のブログの明るく、屈託のない文章からは、そんな過酷な体験をしたことなど、想像もできなかった。
12月26日の島の様子を書いた記事の中で、少しだけ、その体験を物語る記述があるだけだった。
(Yasko はどこにいったの?:2008年12月26日)
http://whereisyasko.blogspot.jp/2008/12/20081226.html
以下は、本の紹介から。
「特に注意していたわけではない。ただ、ビーチが妙に引き潮なのが少し気になった。夕方大きく潮が引くときには、地元の男の子たちがチームを組んでサッカーをしている。そのくらい遠浅の、広く干潟になる湾だ。それにしても引いている。私の記憶よりも随分大きな干潟だ。今日は満月だっけ?」
「もともと遅いと自覚している速力。もどかしかった。頭の隅では、どうやっても追いかけてくるものから逃げられないことはわかっていたように思う。でも私は走るのをやめられなかった。追いつかれるその瞬間を、できるだけ先に延ばしたかった。追いつかれてしまったら、何が起こるのか想像できなかった。それが怖かったのかもしれない。」
「やすこは助かり、丘の斜面のバンガローに避難した。出血のためであろう、朦朧としていた。周りの人はやすこが助からないのではないかという気持ちを深めていた。頭蓋骨が見えるような傷を負っていたからである。
日が西に傾く頃、やすこはカーテンで作った担架に載せられ、ヘリコプターが発着しているビーチに向かう。ヘリコプターに乗る順番を待つが、今日最後のヘリコプターは日没のため着陸できない。
スピードボートが1艘出るというニュースが入ってきた。今夜ピピ島を出る最終便になるという話であった。多くの人々の協力により、ピピ島を離れ、病院のある街に向かった。」
アマゾンのページの「なか見!検索」で内容の一部を、読むことが出来る。
以下は、その一節。
「今この瞬間に、私たちの命を左右するような事変が起こっても何の不思議もないのだ。
でも、だからこそ、今過ごすこの一瞬一瞬を心に留めて生きなければならない。現在を生きているのだと。」
「私の胸の中の表面張力を起こした入れ物は、今でもふるふると震え続けている。でも、今では前よりは少しは上手に運ぶことができるようになった。
笑顔で。」
ウィキによれば、タイではスナーミという言葉が広く使われるようになった。
「なお、タイではこの津波が起きるまで津波を「大型の波(tidal wave)」と表現することが多かったが、この津波以降は専門用語である「スナーミ(日本語の「津波」の音訳)」が一般的に使われるようになった。」とある。
ピピ島に行く理由が、また一つ増えたようだ。
今年の12月26日、あの地震から、10年が経つことになる・・・。
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