よだかの星2015年03月04日 00:25

よだかの星


自らの存在を投げ打って何かを成し遂げようとすることに対する感情というのは、浮沈子的にはかなりヤバイという気がする。

有性生物の殆どは、そうして子孫を残していくので、まあ、そういきり立つこともないんだが、妙に美化したりすると、こいつぁ怪しいと思うわけだ。

はやぶさ(探査機)の時もそう思ったし、今国会で行われている海外派兵の問題にしてもそうだ。

自己を犠牲にしても構わないと思うのは、自分の命を継ぐ者がいる時に限る。

(「両舷前進強速」―小惑星探査機「はやぶさ2」、小惑星に向けた航行段階へ移行)
http://www.sorae.jp/030905/5459.html

『武運を信じ、いざ深宇宙動力航行に挑まん。両舷前進強速。進路、地球スイングバイ回廊』

なんかなあ、時代錯誤を感じるんだよなあ。

(本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/583182.html

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

まあ、これを連想したのは浮沈子だけではあるまいよ・・・。

しかし、武運とはね。

まあいい。

はやぶさ2については、このブログでも少し触れた。

(悪乗り)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/10/22/7468529

この中でも書いたが、はやぶさがイトカワから持ち帰ったカプセルを切り離し、全ての役割を終えて燃え尽きようとする時、ふるさとの星である地球の写真を撮る。

たった1枚、かすれたような白黒の写真が送られてくる・・・。

はやぶさ2は、初代の満身創痍の帰還がなければ実施されなかっただろうことは想像に難くない。

自らの存在を賭して成し遂げたことには、報いなければならない。

浮沈子は、ふと、よだかの星を思い出した。

(よだかの星)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%81%AE%E6%98%9F

「自らの「存在」への罪悪感から体を燃やして星へと転生するよだかの姿は、賢治の仏教思想(日蓮宗の系統)と併せて、彼が終生抱き続けた「自らの出自に対する罪悪感」を色濃く反映したものとして、宮沢賢治を論じる際にしばしば引き合いに出される。また、賢治の「自己犠牲」の物語の系譜に位置づけられている。」

(宮沢賢治)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

「広く作品世界を覆っているのは、作者みずからの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。」

よだかの星は、何度か読んだし、NHKのラジオの朗読で聞いたこともある。

(よだかの星)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/473_42318.html

「・・・よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄かにのろしのようにそらへとびあがりました。そらのなかほどへ来て、よだかはまるで鷲が熊を襲うときするように、ぶるっとからだをゆすって毛をさかだてました。
 それからキシキシキシキシキシッと高く高く叫びました。その声はまるで鷹でした。野原や林にねむっていたほかのとりは、みんな目をさまして、ぶるぶるふるえながら、いぶかしそうにほしぞらを見あげました。
 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居おりました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。」

賢治の簡明な、美しく力強い文章は、何時読んでも心に真っ直ぐに届く。

いかんいかん、こういうのが危ないんだ・・・。

「また探査機本体はカプセル分離後も航行を続け、別の星の探査を行うことなどが計画されている。」

初代はやぶさでは果たせなかった、帰還後の延命策は、今回は当初から計画されている。

ドラマチックな展開はない。

全て予定通り進んでいて、武運拙く壮絶な最期を遂げるなど、有り得ないように思える。

つまらん・・・。

浮沈子は、別にはやぶさ2によだかの星になれとか、巨人の星になれとか言ってる訳じゃない。

順調なのは結構だし、武運を祈るのもいいが、先代の後を行くだけというつまらんミッションに思えてならない。

開発期間短く、予算も限られ、今度は失敗しても褒められもせず、でくのぼうと呼ばれるだけだ(んっ?)。

そりゃあ、新たな小惑星というのは、一部の研究者にとっては魅力のある星なのかもしれないが、月面着陸とか、火星探査とかいうのと比べれば、「なんだ、また小惑星か・・・」というリアクションは想定内だ。

それも、アステロイドベルトではなく、木星のトロヤ群とかでもなく、地球近傍の名もないショボイ小惑星である。

ゴミだな。

そんなとこ行って、砂粒拾ってきたって、何か面白いことでもあるのかあ?。

生命の痕跡が見つかったとか、DNAの断片が出たとかいったら大騒ぎだろうが、まず絶対にないし・・・。

「「はやぶさ2」は自身の持つ観測機器を使って探査を行い、また砂などのサンプルを採取して地球に持ち帰るというミッションを背負っている。」

よだかだって、オリオン星座くらいの距離まで行ってるんだし。

(オリオン座)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E5%BA%A7

ちなみにリゲルは862.43 ± 85.24光年、ベテルギウスは642.22 ± 146.70光年である。

まあ、どうでもいいんですが。

「よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
 ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした。」

この後は、最近良く聞くいじめの世界だ。

さて、暗い話になりそうなので、今日はここまでにしよう。

よだかであれ、はやぶさ2であれ、名もない小惑星であれ、宇宙に存在する産物であることに変わりはない。

どれが貴くて、どれが卑しいなどということはない。

そんなことは誰にも決められないのだ。

子供たちだって、本来、そんなことを決めることはしない。

そういう差別化や序列化は、生きるために大人がすることであって、それを子供は見よう見真似でしているだけだ。

食い扶持を稼いでいないガキ風情に、その本当の意味や無意味さなど分かる訳がない。

痛ましい話を聞く度に、浮沈子は胸が苦しくなる。

はやぶさ2のニュースを読み、よだかの星の話を思い出した。

それだけのことなのに、今日は気分が晴れないでいる。

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