ドキュメンテーションコース終了 ― 2020年02月25日 10:01
ドキュメンテーションコース終了
何十年も持たずに済ませていた体温計を新たに購入したりして、体調管理に神経質になって臨んだGUEドキュメンテーション講習が終了した。
新型コロナの懸念が巷に渦巻く中、未発症地域の静岡県での開催だから、まあいいか・・・。
筋肉痛と疲労はいつもの通りだが、おかげで講習中の体調はまあまあだった。
ドキュメンテーション講習って、浮沈子的にざっくり一言でいえば、ダイビングに新たな目的を与えるものだった。
気分転換やレクリエーション(くたびれた心と体をリフレッシュするレジャー)として潜ったり、スキルアップを目指して講習受けたりトレーニングダイブするだけでも楽しい。
おさかなの写真撮ったりするのもいいかも知れない。
でも、それだけ?。
写真は、フォトコンテストに出したり、動画をシェアしてお終いになる。
次に繋がるものは何も残らず、楽しい思い出もその場限りだ。
もちろん、それでもいいし、何も悪いことはない。
ファンダイビングって、そういうもんじゃね?。
でも、それだけ?。
水中世界を客観的体系的に記録し、更に持続して記録し続けることができれば、今まで漫然と眺めていたものが違って見えてくるかもしれない。
経験と勘(?)に頼らず、データと記述を基に語ることができるようになる。
人はなぜ潜るのか。
そこに海があるから、というのは、究極的に正しい答えだが、その「そこにある海」を、よりよく知るために潜るという答え方があってもいい。
知ることとは、見て、聴いて、感じることだ(塩水飲んで味わってもいいですが)。
しかし、それだけでは、記憶と共に忘却のブラックホールに吸い込まれていく(得意です!)。
経験を確かな形として残し、共有し、発展させていくためには記録しておかなければならない。
じゃあ、どうやって、どんな形で、どの程度記録しておくべきなのか。
それは、時代によっても、目的によっても変わってくるかもしれないから、正解は1つじゃない。
プロフェッショナルのリサーチダイビングや、映像番組を作るプロセスは参考にはなるかも知れないが、投入できる資源が限られている中では、あくまでも参考にする程度だ。
その基礎的な部分を、現在のスキルと器材でどこまでやるか。
つーか、最低限、ここは押さえておかないと、人様にお見せできるもの、共有して次に繋げられるものにはならないというミニマムな所を押さえておくのが、このコースの立ち位置のような気がする。
おさかなの写真を上手に撮る技術を教えるコースじゃない。
むしろ、水中構造物を被写体として3Dのフォトグラメトリーを作成する時には、おさかな邪魔だしな(そんなあ!)。
ビデオ撮影も、もっぱらダイバーと水中構造物を被写体として撮ってるからな。
大瀬崎の一般のダイバー(=ジャパンスタンダード)から見たら、絶対ヘンタイに見えること請け合いだ(うーん、否定できません!)。
大瀬館のレクチャールームでは、無言でテーブルの長さを計ったりしてるしな(水中コミュニケーションの練習なので、しゃべれない:ロゴシーズ使えばあ?)。
まあいい。
ダブルタンク担いで、メジャー持ち込んで水中構造物の長さ計ったり、周りをぐるぐる泳ぎながら写真撮ったり、その作業風景をビデオに収めたり・・・。
ランドドリルの重要性を再認識したり、技術的な細部や実施に当たっての具体的な運用については課題を残したけど、恒例のスイムテストや学科試験(!)も楽しめたし。
2回に分けて行った講習は無事に終わり、ダイビングの目的がまた一つ増えた。
定点観測のような、簡単なプロジェクトを立ち上げて、学んだことを実際に適用してみようかな。
無目的に漫然と潜るのも楽しいし、浮沈子的にはその方が気楽だが、マンネリ化しかねないからな。
プロジェクト名だけは決まっている。
「プロジェクトMIN(ミン)」
一人ではなく、みんなで楽しむ意味の「MIN」(みん)。
小さく始める意味の「MIN」(ミニマム)。
Maxにいつかなりたいという願いを込めての「MIN」(Max ni Itsuka Naritai)。
つーことは、この次のプロジェクト名は「プロジェクトMID」で、最終的には「プロジェクトMAX」なわけだ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
立ち消えになったら、ご容赦を。
終わった直後、そんな気分になれたのは意外だったな。
講習は終わったけど、それは、新しいダイビングの世界の始まりかも知れない。
寝不足で筋肉痛がする朝から、妄想の世界に漂う浮沈子。
ああ、音楽とかBロールとか、宿題になってるのをやっつけないとな・・・。
何十年も持たずに済ませていた体温計を新たに購入したりして、体調管理に神経質になって臨んだGUEドキュメンテーション講習が終了した。
新型コロナの懸念が巷に渦巻く中、未発症地域の静岡県での開催だから、まあいいか・・・。
筋肉痛と疲労はいつもの通りだが、おかげで講習中の体調はまあまあだった。
ドキュメンテーション講習って、浮沈子的にざっくり一言でいえば、ダイビングに新たな目的を与えるものだった。
気分転換やレクリエーション(くたびれた心と体をリフレッシュするレジャー)として潜ったり、スキルアップを目指して講習受けたりトレーニングダイブするだけでも楽しい。
おさかなの写真撮ったりするのもいいかも知れない。
でも、それだけ?。
写真は、フォトコンテストに出したり、動画をシェアしてお終いになる。
次に繋がるものは何も残らず、楽しい思い出もその場限りだ。
もちろん、それでもいいし、何も悪いことはない。
ファンダイビングって、そういうもんじゃね?。
でも、それだけ?。
水中世界を客観的体系的に記録し、更に持続して記録し続けることができれば、今まで漫然と眺めていたものが違って見えてくるかもしれない。
経験と勘(?)に頼らず、データと記述を基に語ることができるようになる。
人はなぜ潜るのか。
そこに海があるから、というのは、究極的に正しい答えだが、その「そこにある海」を、よりよく知るために潜るという答え方があってもいい。
知ることとは、見て、聴いて、感じることだ(塩水飲んで味わってもいいですが)。
しかし、それだけでは、記憶と共に忘却のブラックホールに吸い込まれていく(得意です!)。
経験を確かな形として残し、共有し、発展させていくためには記録しておかなければならない。
じゃあ、どうやって、どんな形で、どの程度記録しておくべきなのか。
それは、時代によっても、目的によっても変わってくるかもしれないから、正解は1つじゃない。
プロフェッショナルのリサーチダイビングや、映像番組を作るプロセスは参考にはなるかも知れないが、投入できる資源が限られている中では、あくまでも参考にする程度だ。
その基礎的な部分を、現在のスキルと器材でどこまでやるか。
つーか、最低限、ここは押さえておかないと、人様にお見せできるもの、共有して次に繋げられるものにはならないというミニマムな所を押さえておくのが、このコースの立ち位置のような気がする。
おさかなの写真を上手に撮る技術を教えるコースじゃない。
むしろ、水中構造物を被写体として3Dのフォトグラメトリーを作成する時には、おさかな邪魔だしな(そんなあ!)。
ビデオ撮影も、もっぱらダイバーと水中構造物を被写体として撮ってるからな。
大瀬崎の一般のダイバー(=ジャパンスタンダード)から見たら、絶対ヘンタイに見えること請け合いだ(うーん、否定できません!)。
大瀬館のレクチャールームでは、無言でテーブルの長さを計ったりしてるしな(水中コミュニケーションの練習なので、しゃべれない:ロゴシーズ使えばあ?)。
まあいい。
ダブルタンク担いで、メジャー持ち込んで水中構造物の長さ計ったり、周りをぐるぐる泳ぎながら写真撮ったり、その作業風景をビデオに収めたり・・・。
ランドドリルの重要性を再認識したり、技術的な細部や実施に当たっての具体的な運用については課題を残したけど、恒例のスイムテストや学科試験(!)も楽しめたし。
2回に分けて行った講習は無事に終わり、ダイビングの目的がまた一つ増えた。
定点観測のような、簡単なプロジェクトを立ち上げて、学んだことを実際に適用してみようかな。
無目的に漫然と潜るのも楽しいし、浮沈子的にはその方が気楽だが、マンネリ化しかねないからな。
プロジェクト名だけは決まっている。
「プロジェクトMIN(ミン)」
一人ではなく、みんなで楽しむ意味の「MIN」(みん)。
小さく始める意味の「MIN」(ミニマム)。
Maxにいつかなりたいという願いを込めての「MIN」(Max ni Itsuka Naritai)。
つーことは、この次のプロジェクト名は「プロジェクトMID」で、最終的には「プロジェクトMAX」なわけだ・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
立ち消えになったら、ご容赦を。
終わった直後、そんな気分になれたのは意外だったな。
講習は終わったけど、それは、新しいダイビングの世界の始まりかも知れない。
寝不足で筋肉痛がする朝から、妄想の世界に漂う浮沈子。
ああ、音楽とかBロールとか、宿題になってるのをやっつけないとな・・・。
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