🐼水泳ネタ:平泳ぎとバタフライ:左右対称以外は似て非なる泳法 ― 2021年09月04日 19:01
水泳ネタ:平泳ぎとバタフライ:左右対称以外は似て非なる泳法
浮世の雑事に振り回された先月が終わり、9月になった途端に、気温が10度も下がって体調不良。
それでも、頑張ってフィットネスに通って減量に励む。
今月から、水曜日の水泳教室は平泳ぎになった。
まずは、キックと蹴伸びのカタチ。
股関節が固いババ達を指導するおねーさんセンセは大変だ。
まずは、股関節の動きを柔らかくする体操から。
ついでに、肩甲骨周りもほぐす。
蹴伸びの練習は、キックと併せて行い、蹴った後、3つから4つ数えるように言われる(どっち!?)。
浮沈子は、唯一のジジなので、足が沈みやすい。
がんばって体幹を固めて、5つ数えるまで粘る。
25mを壁蹴りして、6キックで泳ぐ。
まあまあかな。
水曜日の午前中の水泳教室で使っている西端のレーン(入口に近い方)は、他のレーンとの関係で流れが出来ていて、どっち向きに泳ぐかによって回数が変わる。
南行(ジャグジーを背にして泳ぐ)するときはいいんだが、北行(ジャグジーに向かって泳ぐ)する時はつらい。
一通りのキックを練習して、伸びを重視する視点を養う。
初級平泳ぎは、手は補助的に使うから、キック中心になる。
それで、飽きさせずに上達させるのは大変だ。
引き出しの多さが必要だな。
手をおろして、その場ジャンプで外側のくるぶしに触るという定番の練習もこなす。
立ったままならできるんだが、水平になるとなぜかできない。
練習課題としてはこなせても、それが目指すところの泳ぎの改善に繋がらない。
ダイビングも同じだな。
実践の蓄積とトレーニングを交互に繰り返して、縦糸と横糸を織りなすようにスキルを上げていくのは何でも同じなのかもしれない。
まして、頭と身体のつながりが怪しい浮沈子の場合はなおさらだ。
頭では分かったつもりでいても、身体で表現できない。
水泳もダイビングも、水中で行うお遊戯のようなもので、滑らかで美しい動きにするのは大変だ。
概ねぎこちなく、無駄が多く、肝心のところで力が入らない・・・。
まあいい。
今月は、あと3回の教室がある(5週目はお休み)。
平泳ぎは、ババ達に不人気で、2か月続けることはないだろうから、来月はバタフライだな(未確認)。
水曜日は、午後にテクニカルプログラムで、バタフライベーシックに出ている。
ベーシックだから呼吸は教えない。
ドルフィンキックと片手回しくらい。
参加者は、片手回しまでできる方が多いので、リクエストして両手回しを中心にお願いしてみた。
教える方も試行錯誤だから、教わる方は混乱している。
第一キックと第二キックが染みついていて、そのタイミングでないと手が回らなくなっているのに、歩きながら手だけ回す練習を繰り返す。
キックに手を付けるのではなく、手の回しにキックをつけようという戦略なわけだ。
今週の練習ではちょこっと進化していて、1歩踏み出しながら手を回して、入水したら、そのまま潜るというパターンをやった。
うーん、考えたな・・・。
次は、それに第二キックをつけて、手の掻きのタイミングを繋げるだろう(たぶん)。
リカバリーのタイミングは、歩きながらの方が正確に取れるから、そこまではやらない。
斜め後ろ(つーか、真横?)に掻くところまで。
バタフライで一番難しいフィニッシュからリカバリー、その時のタイミングとうねりの動作との関連を、歩きながら両手で身に着けようという試みだ。
さて、上手くいくかどうか・・・。
ジジババのバタフライは、筋力や肩周りの可動に限界があるので、どうしても浮き沈みを大きくしてリカバリーを中心とした泳ぎになる。
競泳のように、ほぼ水平を保って、浅い水深でフィニッシュを後ろに掻いてガンガン進むというわけにはいかないのだ。
たぶん、違う泳ぎと考えてもいいかも知れない。
ジタバタフライとか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
左右対称で泳ぐ以外に共通点はないような気がするんだが、バタフライは平泳ぎから派生したそうだ。
面白いと感じたのは、競泳では平泳ぎが上下の移動が激しく、バタフライがそうでないのに対して、ジジババ泳ぎでは、平泳ぎが上下動を少なくして、バタフライがうねりを大きくとっている点だな。
もちろん、それなりの理由があるんだろうが、似て非なる泳法という観点からは興味深い。
平泳ぎもバタフライも、自転車に初めて乗るようなものかもしれない。
タイミングや形を覚えるまでは、なかなか上手にはいかないものだ。
効率的に体を使い、柔らかくしなやかな動きが出来るようななるまで、お遊戯の練習を繰り返す。
動きのパーツを寄せ集めても、スムーズな泳ぎにはならないが、パーツが出来ていなければそもそも形にならない。
動きの正確さとタイミングが組み合わさって、連続した流れになるためには、どこかでカチッとスイッチが入る必要だあるのだ。
それは、人によっても、年齢によっても異なるかも知れない。
身体の使い方が未熟な子供たちに教える教え方と、もう、これ以外に動かしようがなくなったジジババとでは異なるだろう(未確認)。
ご一緒した参加者のひとりが、死ぬまでにバタフライで泳ぎたいとおっしゃっていた。
生涯を賭けた夢・・・。
蝶のように舞うという見果てぬ夢を追って、週に1度、バタフライベーシックのテクニカルプログラムに通う。
何かに情熱を傾け、挑戦し続ける姿こそが美しい。
華麗に飛ぶことが出来なくても、蝶のように羽を広げてみたい。
羽根を広げ、空を見上げることで、夢を育むことはできる。
ゴールすることだけが意義ではない。
ゴールを目指して泳ぎ続けることが大切だろう。
残り時間を数えながら生きるようになれば、この人生で達成できなかったことが山のようにあることは自然と見えてくる。
その中で、自分自身が最後まで追求したいことが何なのかを見いだせた者は幸いだ。
まあ、それがバタフライであれなんであれ、その人にとって価値があればそれでいい。
ジジババの水泳教室は難しい。
出来るようになることより、満足してその練習を終えることの方が重要だったりする。
文字通り、参加することに意義があるわけだな。
有意義な時間を過ごしに、来週もサボらず通おう・・・。
浮世の雑事に振り回された先月が終わり、9月になった途端に、気温が10度も下がって体調不良。
それでも、頑張ってフィットネスに通って減量に励む。
今月から、水曜日の水泳教室は平泳ぎになった。
まずは、キックと蹴伸びのカタチ。
股関節が固いババ達を指導するおねーさんセンセは大変だ。
まずは、股関節の動きを柔らかくする体操から。
ついでに、肩甲骨周りもほぐす。
蹴伸びの練習は、キックと併せて行い、蹴った後、3つから4つ数えるように言われる(どっち!?)。
浮沈子は、唯一のジジなので、足が沈みやすい。
がんばって体幹を固めて、5つ数えるまで粘る。
25mを壁蹴りして、6キックで泳ぐ。
まあまあかな。
水曜日の午前中の水泳教室で使っている西端のレーン(入口に近い方)は、他のレーンとの関係で流れが出来ていて、どっち向きに泳ぐかによって回数が変わる。
南行(ジャグジーを背にして泳ぐ)するときはいいんだが、北行(ジャグジーに向かって泳ぐ)する時はつらい。
一通りのキックを練習して、伸びを重視する視点を養う。
初級平泳ぎは、手は補助的に使うから、キック中心になる。
それで、飽きさせずに上達させるのは大変だ。
引き出しの多さが必要だな。
手をおろして、その場ジャンプで外側のくるぶしに触るという定番の練習もこなす。
立ったままならできるんだが、水平になるとなぜかできない。
練習課題としてはこなせても、それが目指すところの泳ぎの改善に繋がらない。
ダイビングも同じだな。
実践の蓄積とトレーニングを交互に繰り返して、縦糸と横糸を織りなすようにスキルを上げていくのは何でも同じなのかもしれない。
まして、頭と身体のつながりが怪しい浮沈子の場合はなおさらだ。
頭では分かったつもりでいても、身体で表現できない。
水泳もダイビングも、水中で行うお遊戯のようなもので、滑らかで美しい動きにするのは大変だ。
概ねぎこちなく、無駄が多く、肝心のところで力が入らない・・・。
まあいい。
今月は、あと3回の教室がある(5週目はお休み)。
平泳ぎは、ババ達に不人気で、2か月続けることはないだろうから、来月はバタフライだな(未確認)。
水曜日は、午後にテクニカルプログラムで、バタフライベーシックに出ている。
ベーシックだから呼吸は教えない。
ドルフィンキックと片手回しくらい。
参加者は、片手回しまでできる方が多いので、リクエストして両手回しを中心にお願いしてみた。
教える方も試行錯誤だから、教わる方は混乱している。
第一キックと第二キックが染みついていて、そのタイミングでないと手が回らなくなっているのに、歩きながら手だけ回す練習を繰り返す。
キックに手を付けるのではなく、手の回しにキックをつけようという戦略なわけだ。
今週の練習ではちょこっと進化していて、1歩踏み出しながら手を回して、入水したら、そのまま潜るというパターンをやった。
うーん、考えたな・・・。
次は、それに第二キックをつけて、手の掻きのタイミングを繋げるだろう(たぶん)。
リカバリーのタイミングは、歩きながらの方が正確に取れるから、そこまではやらない。
斜め後ろ(つーか、真横?)に掻くところまで。
バタフライで一番難しいフィニッシュからリカバリー、その時のタイミングとうねりの動作との関連を、歩きながら両手で身に着けようという試みだ。
さて、上手くいくかどうか・・・。
ジジババのバタフライは、筋力や肩周りの可動に限界があるので、どうしても浮き沈みを大きくしてリカバリーを中心とした泳ぎになる。
競泳のように、ほぼ水平を保って、浅い水深でフィニッシュを後ろに掻いてガンガン進むというわけにはいかないのだ。
たぶん、違う泳ぎと考えてもいいかも知れない。
ジタバタフライとか・・・。
まあ、どうでもいいんですが。
左右対称で泳ぐ以外に共通点はないような気がするんだが、バタフライは平泳ぎから派生したそうだ。
面白いと感じたのは、競泳では平泳ぎが上下の移動が激しく、バタフライがそうでないのに対して、ジジババ泳ぎでは、平泳ぎが上下動を少なくして、バタフライがうねりを大きくとっている点だな。
もちろん、それなりの理由があるんだろうが、似て非なる泳法という観点からは興味深い。
平泳ぎもバタフライも、自転車に初めて乗るようなものかもしれない。
タイミングや形を覚えるまでは、なかなか上手にはいかないものだ。
効率的に体を使い、柔らかくしなやかな動きが出来るようななるまで、お遊戯の練習を繰り返す。
動きのパーツを寄せ集めても、スムーズな泳ぎにはならないが、パーツが出来ていなければそもそも形にならない。
動きの正確さとタイミングが組み合わさって、連続した流れになるためには、どこかでカチッとスイッチが入る必要だあるのだ。
それは、人によっても、年齢によっても異なるかも知れない。
身体の使い方が未熟な子供たちに教える教え方と、もう、これ以外に動かしようがなくなったジジババとでは異なるだろう(未確認)。
ご一緒した参加者のひとりが、死ぬまでにバタフライで泳ぎたいとおっしゃっていた。
生涯を賭けた夢・・・。
蝶のように舞うという見果てぬ夢を追って、週に1度、バタフライベーシックのテクニカルプログラムに通う。
何かに情熱を傾け、挑戦し続ける姿こそが美しい。
華麗に飛ぶことが出来なくても、蝶のように羽を広げてみたい。
羽根を広げ、空を見上げることで、夢を育むことはできる。
ゴールすることだけが意義ではない。
ゴールを目指して泳ぎ続けることが大切だろう。
残り時間を数えながら生きるようになれば、この人生で達成できなかったことが山のようにあることは自然と見えてくる。
その中で、自分自身が最後まで追求したいことが何なのかを見いだせた者は幸いだ。
まあ、それがバタフライであれなんであれ、その人にとって価値があればそれでいい。
ジジババの水泳教室は難しい。
出来るようになることより、満足してその練習を終えることの方が重要だったりする。
文字通り、参加することに意義があるわけだな。
有意義な時間を過ごしに、来週もサボらず通おう・・・。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。