外骨格2013年04月14日 02:20

外骨格
外骨格


(外骨格)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%AA%A8%E6%A0%BC

「内骨格の対義語として使われ、皮膚に付属するように形成される骨格を指す。」

「往々にして外骨格と殻とは混同される。一般に殻は動物体表面から分泌されるカルシウム分などが固まったものであり、生物体の外と考えられる。殻には生体組織がなく、表面は摩耗したり他の動物が穴を開けたりすることがよくある。」

「外骨格はあくまでも動物体表面が硬化したものであり、厚くなったクチクラ層、あるいはそれに石灰質が沈着したものからなる。」

「外骨格の表面には多くの感覚器があったり、物質を分泌する穴があったりと、生物としての機能を持っている。」

はあ。

外骨格と殻の区別をしないといけないことは分かった。

こんなことを考えてみたのは、クルマというのが、人間の外骨格に当るのではないかという気が、ふっとしたからである。

殻なのかもしれない。

少なくとも、生物体の外である。

(傷ついた脊髄を人工的につないで手を自在に動かす「人工神経接続」技術を開発)
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20130411/

「運動麻痺患者の切なる思いは、自分自身の体を自分の意思で自由自在に動かしたい、これにつきます。今回の手法はこれまでの研究とは異なり、ロボットアームのような機械の手(義手)を自分の手の代わりに使っていません。自分自身の麻痺した手を人工神経接続により、損傷した神経経路をブリッチして自分の意思で制御できるように回復させているところが新しい点です。従来、考えられてきた義手やロボットを使う補綴より実現の可能性が高い(早道である)のではないかと考えています」とある。

「ブリッチ」とあるが、「ブリッヂ」であろう(ブリヂストンちゅうくらいだし)。

まあ、どうでもいいんですが。

補綴(ほてつ)というのは、歯医者の使う用語だとばかり思っていた。

(補綴)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%9C%E7%B6%B4

「補綴(ほてつ)とは、身体の欠損した部位の形態と機能を人工物で補うことを指す」とある。

アバターという映画の中で、主人公は自分の分身を脳波でコントロールする。最後には、中身(?)を入れ替えて、乗り移ってしまうという、究極の二元論的展開になる。

自分の手足を動かしたいというのは、確かに人間の本性である。

浮沈子も右肩を骨折して固定していた際に、不自由を感じた。

しかし、同時に、自分の手足でなくても、同等以上の機能を備えた補綴であってもいいような気がする。

現に、浮沈子の前歯2本は人工物であり、以前の欠けた歯よりも、咀嚼する上では高機能である(虫歯になる心配もないし)。

クルマはハンドルやブレーキやアクセルを、わざわざ手足で操作して動かしてやらなければならないが、自分の体の延長のように、脳が直接コントロールできれば、殻ではなく、外骨格のようになるのではないか。

前出のアバターでは、馬(?)や翼竜に、神経系を直接接続して乗りこなすという設定もあった。

馬やバイクでは、人馬一体とか人車一体ということがいわれる。

自動車の場合は、あまり聞かれないが、概念としてはあってもいい。

その際の位置付けは、外骨格ということになるのだろう。

完全自動運転の方向に発展しつつある自動車だが、脳が直接コントロールするような方向性があってもいいのではないか。

「ポルシェを着る」という比喩があるが、「ポルシェになる」(!)という比喩が生まれるかもしれない。

「攻殻機動隊」というアニメの中で、主人公が首の後ろのコネクターに繋いだケーブルを介して、装甲車を操縦するシーンがあった。

「機動警察パトレイバー2 the Movie」の冒頭でも、搭乗者が、「背中やお腹の下に目が付いてるみたいで気持ち悪い」というセリフがある。

具体的なイメージはなかなか掴めないが、感覚系と運動系を連動させてフィードバックさせながら制御する必要がある。

どのくらいハンドルを切っているのか、どのくらいアクセルを踏んでいるのか。自分の体の感覚にマッチしていなければいけない。

交通環境の中で運転するということが、まるで、歩道を他の歩行者と同じ方向へ歩いているような感じになる。

妙齢の女性が運転するクルマに接近しすぎると、香水の匂いがしてきたりして!。

「車両感覚」という言葉が、比喩から実体を伴ったものになる。

ハンドルに伝わる路面からのキックバックなども、裸足で道路を歩く感覚になる。

強く蹴れば、速く走り、燃料が少なくなればお腹が空く感じになる(ガソリン満タンにすると、満腹感かあ?)。

ほほう、なんとなくイメージが出来てくる。

人間が作り出した道具は、人間の能力を拡張するために生まれてきた。自らの意思で動き、自らの思いを実現する機能。

神が創りしものではなく、人が作りし物による補綴・・・。

この思索は、何となく危うさを感じさせるが、それに勝る魅力に溢れている。

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