人と人の作りし物2013年04月24日 01:19

人と人の作りし物
人と人の作りし物


沢村慎太郎の「午前零時」シリーズを読み耽っている。

技術的な前振りが長いのと、「電制」こと「電子制御」についての解説をすっ飛ばしていることが気になるが、この人の価値観の根底に、「自動車はドライバーが操縦してなんぼのもの」という徹底した拘りがあるので、浮沈子は大いに共感する。

リアシートについての考察もあるが、安全性や、合わせ目の隙間に指を突っ込んで、ボディのしなりを「計測」するためだったりする(!)。

あくまで、クルマの評価の基準は、運転席、ハンドル持つ席、ペダル踏む席に座ってなんぼである。

走ってなんぼ、ハンドル切ってなんぼ、ペダル踏んでなんぼである。

本質、走り屋なのだ。

助手席の評価は、読んだ限りは皆無であり、デートカーとしての評価も「XXセリカの2リットル」くらいしかない(他にもちょっとあったかも)。

んなこたぁ、どーだっていい!。

軽トラであろうが、フェラーリであろうが、容赦はない。いいものはいい、ダメな物はダメ。ハッキリしている。トヨタだろうが、マクラーレンだろうが関係ない。

人と物、人と人の作りし物との関係でクルマを語る。

技術的な前振りは、そこのところを明確にするためのものだと分かった。長いのは、止むを得ない。読んでも良く分からないところもあるが、読み手に能力がないだけだ。

しかし、物は物に過ぎない。

クルマとは、人と物との関係性の上に成り立つ「物体」(この表現も多用されている)である。

その価値観は、1巻の「軽トラ選手権」、2巻の「良心は誰が作ったか」、3巻の「アルミの咎」、4巻の「2790万円のドライブゲーム」などに、明確に表現されている。

ドライバーに豊かな情報伝達を行わないクルマは、クズだ。

誤解を恐れずに縮めていうと、そういうことなのだろう。もちろん、その情報の質の問題もある。誤った情報や、人間の生理に反する情報をいくら与えてもダメ。

掌やシートを通じて、リニアでコントローラブルな情報伝達ができなければ失格となる。

しかも、過渡特性だけでなく、運用限界域での特性も(当然)要求される。絶対的なレベルの如何に関わらず、だ。

厳しいなあ。

軽トラも、スーパーカーも、同じ物差しだから、読んでいて分かりやすい。

なんと、4巻の「百年遡行」の中では、T型フォードも同じ基準で評価している!。

「いかがでした?」
「普通のクルマだと思いました」

「・・・機械との密なコミュニケーションによって生まれる楽しさ」が、クルマを操ることによって得られる価値であり、それを与えるクルマが良いクルマ、そうでないのがダメなクルマである。

だから、最新の技術をしこたま放り込んで出来上がった3000まんえんのMP4-12Cがダメグルマで、スバルサンバー(100まんえんくらい?)が名車になったりする。

(スバル・サンバー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC

そうかなあ?、と思わないでもない。

クルマの楽しさは、人それぞれで良い。操縦性が悪くても、資産価値を求めてクラシックなクルマを買う人もあるだろうし、自分ではその真価を引き出せなくても、見栄でドハデなクルマを買う人だっていてもいい。

極端な例は別にしても、運転が楽しくないクルマを買って、ドレスアップ(改造?)を楽しんでも、それはそれ。ハの字切ったクルマ(キャンバー崩れ)でPAにタムロするのも、それはそれ。ドンドコスピーカー積んで走るのも、それはそれ。

最近のクルマは、走りに振ったモデルがないと嘆くだけではなく、それならそれで、新しいクルマの楽しみ方、接し方を模索してもいいのではないだろうか。ユーザーは、現実の世界でクルマを選ぶしかないのだ。

メーカーは、ジドウシャヒョウロンカの言うとおりのクルマなんか、絶対に作らない。

綿密な市場調査を行い、売れる車を作る。

失敗もある。売り出しても、市場がなければ撤退する。

それは、マーケティングというよりは、博打のようなものだ。

だからこそ、自動車ショーでサウンディングもするし、工学的には全く違うクルマを、同じ名前で売ってリスクを減らそうとする(クラウンとか)。

まあいい。

人間が、なぜドライビングを楽しめる存在なのか。浮沈子は、バイクも船も自動車も操ったが、皆、楽しかった(飛行機は、まだですが)。

「自らの意思を以って操作して自由に移動するための機械は人間にとって不滅の価値をもつものであり続けるとおれは確信している。」と4巻「あとがき」にある。

それならば、なぜ自動車が「機能と費用対効果」以外の情緒的価値を持つことを21世紀の人類が拒絶しているのだろうか。

自動車がコモディティ化している現実を無視して、「人間の本能」とかいっても、単なる妄想に思える。

浮沈子は、その答えが「人間」の側にあるような気がしてならない。

自動車は、人が作りし物。機械である自動車に罪はない。

通信が移動に取って代わり、物理的な移動によって得ていた経験を、バーチャルに得られるようになった現代において、人間の脳は、クルマの運転によって得られるカタルシスを必要としなくなっているのではないか。

(カタルシス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9

「代償行為によって得られる満足」としてのカタルシスは、他の行為に容易に置き換え得るわけだし。

この話、また項を改めて書くことにする。

真の原因2013年04月24日 19:15

真の原因
真の原因


「機体後部の補助動力装置用バッテリーが自動停止してから数分間のうちに、黒煙と悪臭が発生、バッテリーから7~8センチの炎が上がったという。」

(バッテリーから7~8センチの炎=1月の787型機発火状況-米公聴会)
http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2013042301063

「NTSBのハースマン委員長は23日、787のリチウムイオン電池が過熱する確率の算出方法について同社の情報提供は不十分だと指摘。787の運航停止の原因となったリチウムイオン電池の使用を当局が許可したことを調査する公聴会の初日に同委員長は、「故意に不明瞭にされているところがあると思う」と述べた。」

(ボーイング「787」めぐる米公聴会続く-欧州は運航再開を承認)
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MLQ6IR6S972P01.html

「FAA(連邦航空局)が、ボーイング787の運航再開を承認したことについては、「運輸安全委員会は勧めていない」としている。」

(ボーイング787トラブル 米運輸安全委による公聴会始まる)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00244729.html

「トラブルの原因が究明できていないにもかかわらず、日米当局が787型機の運航再開に向け動いていることについて、JTSBの後藤委員長は「コメントする立場にない」と述べるにとどめた。ボーイングの是正措置についても「評価する立場にない」としてコメントを控えた。」

(787トラブル、ボーイング提示の80項目以外の原因は想定せず=運輸安全委員長)
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK066290520130424

B787機の運行再開が決定し、粛々と準備が進む中、NTSBの公聴会では、冒頭の生々しい証言があり、浮沈子は唖然とする。

当初FAAが設定した特別な条件をクリアするために、B社が算出した発火の確率は、「故意に不明瞭にされているところがあると思う」ということだし、原因究明を司るNTSBは、現段階での運行再開を勧めてはいない、と明言しているにも拘らず、事故機の当事国であるJTSBのトップには、当事者意識のかけらもない。

奇しくも、三菱自動車は、バッテリーの製造過程に問題があったことを認め、本日、リコールの発表と共に公表した。

(三菱自、アウトランダーPHEVを3839台リコール)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93M03520130423

ま、「制御コンピューターの暴走」というリコールの中身の方が、ヤバイような感じだが・・・(フェイル・セーフになってないのかよ!)。

人の作りし物に完全なものなどない。

リチウムイオンバッテリーは、現代におけるバベルの塔なのかもしれない。

いや、原発や、地球温暖化など、人が作りし物に関わるありとあらゆる現象は、神の創造物を蔑ろにし、人間の奢りと高ぶりによって、結果、天に唾する形で我が身に降りかかってきたわけだ。

自動車にしても、我が国だけで年間数千人の命を奪う「走る凶器」、「走る棺桶」であることは変わりない。

それでも、原発は作るし、温暖化ガスは撒き散らすし、自動車に乗って走り回る。当然、発火の危険をかかえたままのリチウムイオンバッテリーを積んだ、B787も飛ばすわけだな。

真の原因は何か。

人間が未来を知り得ないという、ただ1点だろうと浮沈子は思っていた。

そして、ある確率の中で博打(合理的な選択?)をする。

15メートルの津波が来ると分かっていたら、10メートルの防波堤は築かない。

引き渡して1年余りで「黒煙と悪臭が発生、バッテリーから7~8センチの炎が上が」ると分かっていたら、バッテリーを裸同然で転がしてはおかなかったろう。

地球温暖化で気象が激変し、農業に壊滅的な被害が及んで先進国での飢餓が発生するなんてことが分かっていたら、もうちょっとなんとかするかもしれない(これは、どうかな?)。

明日、出かけた先で大事故に巻き込まれると分かっていたら、自動車の運転を見合わせるだろう。

未来は確率の中にある。

1000パーセント男のラフード運輸長官は別にして(!)、普通は0から100パーセントの確率の世界で生きている。

B787に乗って、無事に目的地へたどり着けば、0パーセントである。何事もなく、人生は続いていく。

そうでなければ、そうではなくなる。

ただし、バッテリーの中の単セルの1つが火を吹いて、直列接続のバッテリー全体が、飛行中のバックアップ電源としての機能を失っても、今度は、B787は最寄の避難空港に緊急着陸することは絶対ない。

そんなことになっても、航空機の安全には全く支障がないと、メーカーも規制当局も太鼓判を押したのだ。

B787は、安全な航空機であるとメーカーであるB社はいう(当然ですな!)。

しかし、人が作りし物に完全なものなどない。

事故はある確率で発生し、巻き込まれた当事者にとっては、100パーセントの結果をもたらす。

B787の安全性については、B社の技術者が言うんだから、信頼性は高いと思うが、そのB社がミスって日本航空123便の墜落事故が起こったことを、浮沈子は絶対忘れない。

そう、真の原因は、本当は未来が見えないことではなく、人間が過去に学ばず、重大な結果をもたらした事実を蔑ろにし、根拠なき妄言に惑わされて、合理的な判断を行えなくなるということなのだ。

(「ボーイング想定から出ない」=全日空787トラブルで-運輸安全委)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013042400784

「根本原因の特定に至っていないが、ボーイングは約80項目の想定原因に対して対策を立てている。現時点で、それらの範囲の外に出る原因は想定していない」とある。

高松空港の機体から取り出された、わずかな膨らみのあるAPUバッテリーの調査をしている(ハズの)政府機関のトップの発言だそうである。

こりゃ、続報どころか、もみ消されちまいそうだな。