人類の地平22013年06月30日 00:29

人類の地平2
人類の地平2


「アポロ13号はアメリカ合衆国のアポロ計画において、3度目に行なわれる予定だった有人月飛行計画である。」

(アポロ13号)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD13%E5%8F%B7

浮沈子は、初めて月周回軌道を回った8号や、初めて人類を月に送り込んだ11号や、初めてポルシェが設計した月面車が走った15号などよりも、この13号の物語が好きだ。

複合・連鎖した原因で発生した事故のために、月着陸は中止となり、如何にして宇宙飛行士3名を地球に帰還させるかが、新たな、そして極めて困難なミッションとなった。

この物語は、映画にもなった。

(宇宙で実際に起こった事件を忠実に再現した上質の歴史劇)
http://nmuta.fri.macserver.jp/movies12.html

「この映画の撮影に入る前に、監督のロン・ハワードは主任飛行管制官のジーン・クランツにインタビューを試みた。」

「ロン・ハワードはインタビューで深い感銘を受けたという。
ジーン・クランツは激闘の末「ほぼ絶望」と思われたクルーの生命を救助することに成功した。」

「4分の通信断絶の後、帰還に成功したクルーの第一声を聞いた時の感動を語るジーン・クランツは、その厳つい風貌に似合わずさめざめと涙ぐんだ。」

このインタビューを、浮沈子も見た。

(Gene Kranz:Eugene Francis Kranz)
http://en.wikipedia.org/wiki/Gene_Kranz

(Apollo 13 extra materiel - The Lost Moon:52分辺りから、泣いちゃうシーン!:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=b6FyejiWBnM

この話は、書籍で読んだのが始まりで、映画は後に観たのだが、あの息詰まる緊張を描くのは困難だろう。

「13号は自由帰還軌道をとったため、月の裏側を回る際、他の月飛行よりもおよそ100kmほど高い軌道を通った。このため、これが現在までのところ人間が地球から最も遠く離れた記録となっている。」

「もっとも地球と月の間の距離の変化は100km以上に及ぶため、13号が本当に他の月飛行よりも地球から遠ざかったとは限らないが、ギネス・ワールド・レコーズはこれを有人宇宙飛行の最高高度到達記録として認定しているので、ラヴェルら三人は正式な記録保持者となっている。」とある。

人類の、有人飛行における地平は、彼らの頭上に輝いている。

(宇宙飛行の記録一覧:最遠有人対地距離)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E6.9C.80.E9.81.A0.E6.9C.89.E4.BA.BA.E5.AF.BE.E5.9C.B0.E8.B7.9D.E9.9B.A2

また、船長だったジム・ラヴェルは、2回も月周回飛行をしたことになる(8号と13号:人類最多!)。

しかし、これらの話よりも、彼らを無事に帰還させようと尽力した人々の話が、浮沈子を魅了する。

(アポロ13 (新潮文庫):文庫本で読めます)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD13-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%83%A0-%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB/dp/4102463011/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1372517222&sr=8-1&keywords=4102463011

有名な話としては、二酸化炭素除去のための、指令船に積んであった水酸化リチウムのパッケージを、着陸船の規格に合わせて、在り合せの材料で作成するエピソードがある。

「もう一つの問題は、水酸化リチウム(LiOH)であった。宇宙船内で人間が生存するために必要な物質は、酸素だけではない。飛行士たちが呼吸をするたびに、船内には二酸化炭素 (CO2) が放出される。それを除去するためのフィルターに使用されている水酸化リチウムの量は、着陸船内に搭載されている分だけでは、帰還まではとてももたないのである。予備のボトルは船外の格納庫に置いてあり、通常は月面活動をする際に飛行士が取りに行くのだが、今回は船外活動をするだけの電力の余裕がない。ただし、司令船には十分な予備がある。しかしながらここで問題になってくるのは、司令船の濾過装置は、着陸船とは規格が全く異なっているということであった。」

「司令船のフィルターは四角形になっており、そのままでは着陸船の円形のものに装着することはできない。そのため地上の管制官たちは、船内にある余ったボール紙やビニール袋をガムテープで貼り合わせてカートリッジを製作する方法を考案し、その作り方を口頭で飛行士たちに伝えた。こうして完成させた間に合わせのフィルターを、飛行士たちは形状や設置状況が似ることから「メールボックス」と呼んだ。」

月への宇宙飛行という、ハイテク満載のメカメカしい話と、人間が協力して困難を乗り切る話のギャップが何ともいえない。

上記の書籍の中には、電力の管理について、爪に火をともすような緻密な管理の話が出てくる。

また、千分の1秒単位の正確さで噴射されなければならない、軌道修正用ロケットの制御の話も(確か)出てくる。

その一方で、ボール紙、ビニール袋、ガムテープ・・・。

宇宙空間という、ある意味では徒手空拳の状況で、人間の真の力が試されたのだ。

有名なJFKのライス大学での演説がある。

(We Choose to go to the Moon:動画出ます)
http://www.youtube.com/watch?v=g25G1M4EXrQ

「We choose to go to the moon.」

「我々は月に行く決断をした。」

「We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.」

「我々は月に行く決断をした。我々は60年代のうちに月に行き、それ以上のことを達成する決断をした。たやすいから行くのではない、困難だからこそ行くのだ。このゴールが我々の意思力と能力を組織化し測るには最良だから行くのだ。このチャレンジを我々は甘んじて受け入れ、立ち止まることを望まず、勝利への意思を持っているからこそ行くのだ。」

こんな話もある。

("The Moon Speech" John F. Kennedy at Rice University - September 12, 1962:演説の全文あります)
http://www.lizard-tail.com/isana/podcast/the_moon_speech.html

「1962年9月12日にライス大学のライス・スタジアムで行われたJFKの有名なスピーチです。」

「ケネディ大統領が暗殺されたのは1963年11月22日。この時、ジェミニ計画はまだ有人での打ち上げが行われる前です。アポロ計画はスタートしていましたが、打ち上げ機であるサターンのテストをしている最初期の段階でした。彼は自分が始めた有人月探査計画が形になるずっと前に亡くなっています。」

「そして、アポロ11号の人類初の月面着陸は1969年7月20日、このスピーチからわずか8年後のことです。」とある。

当時の米国のエネルギー、パワーを感じる。

あれから、43年が経ったが、人類の地平2は、当時のままである。

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