スピナー2016年11月24日 03:52

スピナー
スピナー


何か、テックなネタはないかと、ネットを徘徊するうちに、見つけた記事がこれ。

(人も乗れるタクシードローン「Cormorant UAV」初自動飛行に成功 無人や遠隔操作が可能)
http://sorae.jp/030201/2016_11_22_drone.html

関連の動画がいくつかネット上に上がっていて、見ているうちに、あるもののことを思い出した。

(ブレードランナーのDVDとBlu-rayのポリススピナーを比較してみる!)
http://himag.blog.jp/46162392.html

工業デザイナーのシドミードのデザインだという。

映画史上、最高のSFが2001年宇宙の旅であることは間違いないが、最良のSFは、たぶん、ブレードランナーだろう(あれって、2019年の11月の設定だったんですねえ)。

いや、やっぱ、スターウォーズ第1作(エピソード4)か。

まあ、どうでもいいんですが。

雑多な時代背景の中に、チョーハイテクなアイテムが、さりげなく登場するという、近代SF映画のスタイルを築いた点では、史上稀にみる傑作だ。

特撮とかの品質というより、SFの世界を作り上げ、観客をどっぷりとその中に漬けこんでしまうという手法だ。

リアリティというのは、そういうものなのではないか。

主人公デッカードのアパートで、一枚の写真から、犯人の一人の女性アンドロイドを特定していくシーンがある。

(Blade Runner Theme • Vangelis)
https://www.youtube.com/watch?v=ccJJ0uxigVA

ありそうで、なかなか実現しない仕掛けだが、演出的には効果的だな。

ビルの谷間を飛び交うスピナーのシーンもたくさん出てくる。

21世紀になっても、空飛ぶクルマは結局できていないし、遺伝子工学の進歩で人型アンドロイド(人型だから、アンドロイドなんですが)を作るところまでには行っていない。

人間は、結局、今まで通りの世界で、今まで通りの方法で生活し、繁栄していくしかない。

だが、21世紀は、まだ始まったばかりだ。

20世紀当初、宇宙は、まだ銀河系だけだと信じられていた(ウソみたいですが、ホントです)。

原子核エネルギーを開放したのも、20世紀になってからだし、DNAを遺伝情報とする、生命の基本的な仕組みのモデルが考え出されたのは、半ばになってからだ。

ノイマン型コンピューターが生まれたのも20世紀だし、宇宙開発が行われたのも20世紀。

ガソリン自動車が本格化したのも20世紀なら、飛行機が飛んだのも20世紀だ。

21世紀は、まだ、根本的なテクノロジーの変革は生み出していない。

相対性理論、量子力学も、20世紀に生まれた。

空飛ぶ自動車くらいでは、到底20世紀には対抗できないだろう。

反物質の大量生産に成功するとか、軌道エレベーターを実用化して、宇宙旅行を本格化させるなどの、何か抜本的なテクノロジーの変革が必要だろう。

人間の意識の移植に成功するとか、ちょっと気持ち悪い系の話とか。

ブレードランナーの劇場版映画の中では明らかになってはいないけど、アンドロイドのメーカーの社長であるエルドンタイレルは、自身アンドロイドになって生き延びていたという設定だったらしい。

次々と、意識を移植し続ければ、肉体という乗り物を乗り換えて、永遠の命を得ることも可能になるかもしれない。

それが、幸せなのかどうかは、また、別の話だろうけど。

そして、ふっと気付くのだ。

自動車をはじめとする乗り物というのは、人間を運んでいるのではなくて、意識を運んでいるのだということに。

乗り物の中で、肉体は拘束され、不自由であって、乗り物を降りた時に、解き放たれる。

そして、比較的、意のままになる自らの肉体を通して、この世界を再認識するのだ。

乗り物は、その意味では、肉体のメタファーではない。

しかし、意識を運ぶ担い手としてみれば、肉体と似ている。

肉体を拘束して、時空を移動する。

乗り物に乗りたがる人間は、その意味では、正常な精神の持ち主なんだろう。

浮沈子は、酔いやすいけどな。

VRのことを考えると、もっとわかりやすいかもしれない。

あれは、一種の乗り物なのだ。

視覚や聴覚をだまくらかして、電子の世界の乗り物に乗せる。

肉体と現実世界の代わりに、仮想の乗り物、仮想の肉体に乗せて、仮想世界に放り込む。

肉体が、意識にとっては乗り物のようであるという極端な例かも知れない。

ダイビングとかも、その延長でとらえられるかもしれない。

体験とか、移動とか、認識とか、そういう意識の構造の中に、乗り物というのは、本質的に位置づけられているんだろう。

そのことを、別の形で示して見せたのが、アバターという映画だった。

(アバター (映画))
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

「キャッチコピーは「観るのではない。そこにいるのだ。」。これは、デジタル3D映像の魅力を謳ったものである。」

浮沈子に言わせれば、大いに違う。

アバターという、意識の乗り物に乗り移って、新たな現実の世界を得る。

ラストシーンでは、まさに、その乗り換えが行われるわけだな。

「魂の木の下、アバターと共に静かに横たわるジェイクは、エイワの力によってその意識をアバターの肉体に移される。」

しかしなあ、これって、典型的な二元論だよなあ。

精神というか、意識というか、それって、肉体と不可分な存在だしな。

何らかの抽象化を経て、移植された意識が、元の意識と同じかどうかは分からない。

抽象化の中で、大量の情報が捨てられるわけだし、それらを全て拾い出したとしても、同じ意識が形成されるかどうかは分からないのだ。

複雑系の中で、唯一、偶然獲得された意識が、今、クオリアを伴って、自意識として存在しているわけで、それを模倣したり、コピーしたり、移植したりすることはできないのではないのか。

丸ごと、脳みそと、それに繋がる神経系を、ごっそり移植するしかない。

そして、それこそが、肉体と意識の二元論を明確に否定する。

どうも、脳の中の記憶というのは、いろいろややっこしい構造に依存しているらしく、それらを特定することは簡単ではないようだ。

つまり、特定の記憶が、特定の場所にあるわけではなく、分散して保存されていたりするらしい。

あーあ、ややっこしい。

いつか、その構造自体が明らかにされる時が来て、全く同じ構造を、生化学的に合成することが出来れば、意識もコピーすることが出来て、ヘタレな脳から、マシな脳へと乗り換えることが出来るようになるのかもしれない。

21世紀とかでは、まだ無理だろうな。

所詮は、SFの世界だ。

恒星間旅行が可能になり、人類の存在が肉体に依存しなくなり、遺伝子情報と、わずかの生体材料で再構築可能になり、宇宙放射線の影響をキャンセルすることが出来るようになれば、そういう話というのも意味を持ってくる。

意識や肉体、乗り物やVR、アバターの話も、もう少しマシなレベルで考えることが出来るだろう。

宇宙のチリから、なぜ、生命という化学反応系が生じたのか。

その反応系の、少なくとも人類という系統に於いて、明確に意識が存在しているのはなぜなのか。

それらの問いにも、ちゃんと回答が与えられることになるだろう。

浮沈子的には、その前に人類は絶滅して、回答は決して得られない方に、一票だけどな・・・。

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