電子ビザETAS(イータス)など ― 2019年02月16日 00:34
電子ビザETAS(イータス)など
オーストラリアに旅行するにはビザが必要になる。
迂闊にも、そのことを知らずに旅行代理店に行ったら、手数料を払えば代行するといわれて、ホイホイと払って手続きしてもらった。
金で買えるサービスは、躊躇なく買う(買えればね)。
が、帰ってきて調べてみたら、インターネットからあっという間にできるようだ。
(電子入国許可)
https://www.eta.homeaffairs.gov.au/ETAS3/etas#
米国のエスタ(ESTA)みたいなもんだな。
オーストラリアドルで20ドル(1600円弱)を、移民局にオンラインシステムを提供している業者にクレジットカードで支払うと、個人でも手続きが出来る。
ジェットスターなら、1500円でやってくれる。
(オーストラリア・ビザ ETAS(イータス)登録代行サービス)
http://tour.jetstar.com/etas/
「ETAS登録代行サービスのご案内:
ETAS登録代行サービスは、ETAS登録に必要な旅行者情報をご入力いただき、その情報を元にETAS登録を行い、電子メールにてETAS登録証明書をお送りする有料サービスです。」
「費用:
観光用 または 短期商用
お一人様(大人・子供・幼児同額):1,500円(税込)」
公式ページから申し込むより割安なわけだが、残念ながら、浮沈子はこのサービスは使えなかった(土日祝日を除いて、出発の5営業日前まで受付)。
そう、出発は来週の月曜日だ(なんで、そんなに急いで行かなくっちゃならないんだあ?)。
個人でやってもよかったんだが、初めてだしな。
不安もあったので、今回に限りお願いした。
次回からは、自分でやるか、ジェットスターの代行サービスを使おう。
今回は、下見みたいなもんだからな。
ケアンズの街を見たり、初めての南半球の景色を堪能したりするのが目的だ。
おっと、ダイビングしに行くんだっけ・・・。
サイドマウント1本差しで潜らせてくれるというので、安心して器材を持って行けるな。
いくつかあるツアーのうちで、財布と相談しながら、2つを申し込んだ。
(ツアーリスト)
http://www.dive7s.com/tourlist.html
「・日帰り最北端ツアー(初日と最終日)
・グレートバリアリーフ1泊ツアー(間の4日間)」
せっかくケアンズのドミトリーに宿を取ったんだが、2日間は船中泊ということになる。
そう、同じ1泊ツアーに2度参加する予定だ(満席なら、全部最北端ツアーになるけどな)。
本当は、ヨンガラレックに行きたいんだが、今年の催行予定がホームページに上がっていない。
(ヨンガラレックツアー)
http://www.dive7s.com/yongala.html
「開催日:2018年:2月24-25日、3月24-25日、4月21-22日、5月26-27日、6月16-17日、7月28-29日、8月25-26日、9月9-10日」
ショップへは、メールで苦言を呈しておいた(ひょっとしたら、特別に催行してくれるかも!)。
まあ、どうでもいいんですが。
このページからリンクされている鍵井さんのレポートを読んで、夢を膨らませている。
「約100年前にサイクロンの直撃で沈んだ客船」
「水深15m、船のトップに到着し、全長110mに及ぶ船体を潮の上手に向かいながら泳ぎ進むと、小魚を捕食するロウニンアジや大型のアジであるジャイアントレザースキンの群れ、大きく口を開けてクリーニングを受けるグレイトバラクーダなど、野性味あふれるシーンが続く」
アクセスは大変だが、潜りがいのある船だな。
サンゴ礁キレイ、おさかなキレイだけでは、南半球に行った甲斐がないじゃないの(そうかあ?)。
「「ヨンガラレック」は20年前にうわさを聞いて以来、ずっと潜りたかったポイント。潜り終えた感想は「アメイジング!」のひと言。世界の海で、また1つ戻って来たいポイントが増えた。」
そそるなあ・・・。
今回は、下見だからな(ウジウジ・・・)。
まあいい。
楽しみは、次回にでも取っておこう。
浮沈子的本命としては、奮発してコーラルシーのクルージングに行きたいところだが、それはCCR担いでいくことにしている。
記事の最後には、再び電子ビザの話が出てくる。
「ビザ >>入国時にビザが必要。日本人の場合、観光や商業目的での短期滞在なら、在日オーストラリア大使館のHPからETA(電子入国許可システム)での申請や代理店からETASの手続きが可能」
やれやれ・・・。
出発日が決まって、いろいろな予定を組み替えなければならなくなった。
水泳教室もサボることになる(中級クラスに振り替え予定)。
富戸での予定が入っていなければ、際限なくケアンズ界隈で潜っていそうだ。
病気だな。
南の島症候群(オーストラリアは大陸で、島じゃありませんけど)。
白豪主義で、有色人種には閉鎖的で、フランスの潜水艦買ったり、シーシェパードの本拠地だったりするくせに、米軍基地の向かいの土地を中国企業に長期貸し出したりする変な国だ(そうなのかあ?)。
イータス(最後のSを省略してETAとも)の有効期限は12か月だそうだ。
(Faqs)
https://immi.homeaffairs.gov.au/help-text/eta/pages/ja/faqs.aspx
「ETA申請の要件とは?
(前略)
・ETAを取得したら、ETA発行日から12カ月間もしくはパスポートの有効期限(どちらか早い方)までの期間何度でもオーストラリアに出入国できます。
(中略)
・結核を患ったことがないこと。
(後略)」
ほほう、結核罹患歴があると、別途手続きが必要なわけだな(これがホントの「結核」(欠格)条項?)。
まあ、どうでもいいんですが。
浮沈子のイータスは、無事に発給されているだろう(たぶん)。
「・刑期の合計が12ヶ月を越える有罪判決(実刑・執行猶予に関わらず)を受けていないこと。」
オーストラリアって、確か犯罪者を島流しにしたのが始まりだったような気がするんだがな(だから、島じゃないって!)。
(オーストラリアの歴史:流刑地)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#%E6%B5%81%E5%88%91%E5%9C%B0
「1780年代のイギリスは、エンクロージャーによる土地喪失者、産業革命による失業者などが都会に集まって犯罪者の数が激増した。微罪に問われた者でも収監する法制度もあいまって国内の監獄は満員となり、囚人を収容しようにも余裕がなくなる事態となった。加えて1776年のアメリカ独立は、巨大な流刑地の喪失を意味していた。流刑地の確保は、政府にとって重要課題だったのである。」
「1787年5月13日、フィリップ率いる第1船団 (first fleet) 11隻は、1500名弱の人員(うち流刑囚約780名)を乗せてポーツマスを出航し、翌1788年1月18日にボタニー湾に到着した。その後、より入植に適した土地を求めて、北に12キロメートルのポート・ジャクソン湾内のシドニー・コーブを発見した。1月26日に上陸、この地のイギリスによる領有を宣言し、入植を開始した。」
そうか、流刑者は半分くらいだったわけだ。
「入植開始時に、治安維持のため囚人らと共に到来した「ニュー・サウス・ウェールズ軍団 (New South Wales Corps) 」と呼ばれる将校らは、公有地を私有化した上、富裕層と結んで船荷の購入を独占した。未だ必需品を自給できない当時にあって、彼らは輸入貿易を押さえることにより利益を壟断した。また、通貨が普及していなかったことを利用し、輸入したラム酒を通貨の代わりとして巨利を得た。」
残りもヤクザまがいだな。
それから230年の時が流れ、彼らの子孫は犯罪者の電子ビザでの入国を制限している。
今は昔だな・・・。
オーストラリアに旅行するにはビザが必要になる。
迂闊にも、そのことを知らずに旅行代理店に行ったら、手数料を払えば代行するといわれて、ホイホイと払って手続きしてもらった。
金で買えるサービスは、躊躇なく買う(買えればね)。
が、帰ってきて調べてみたら、インターネットからあっという間にできるようだ。
(電子入国許可)
https://www.eta.homeaffairs.gov.au/ETAS3/etas#
米国のエスタ(ESTA)みたいなもんだな。
オーストラリアドルで20ドル(1600円弱)を、移民局にオンラインシステムを提供している業者にクレジットカードで支払うと、個人でも手続きが出来る。
ジェットスターなら、1500円でやってくれる。
(オーストラリア・ビザ ETAS(イータス)登録代行サービス)
http://tour.jetstar.com/etas/
「ETAS登録代行サービスのご案内:
ETAS登録代行サービスは、ETAS登録に必要な旅行者情報をご入力いただき、その情報を元にETAS登録を行い、電子メールにてETAS登録証明書をお送りする有料サービスです。」
「費用:
観光用 または 短期商用
お一人様(大人・子供・幼児同額):1,500円(税込)」
公式ページから申し込むより割安なわけだが、残念ながら、浮沈子はこのサービスは使えなかった(土日祝日を除いて、出発の5営業日前まで受付)。
そう、出発は来週の月曜日だ(なんで、そんなに急いで行かなくっちゃならないんだあ?)。
個人でやってもよかったんだが、初めてだしな。
不安もあったので、今回に限りお願いした。
次回からは、自分でやるか、ジェットスターの代行サービスを使おう。
今回は、下見みたいなもんだからな。
ケアンズの街を見たり、初めての南半球の景色を堪能したりするのが目的だ。
おっと、ダイビングしに行くんだっけ・・・。
サイドマウント1本差しで潜らせてくれるというので、安心して器材を持って行けるな。
いくつかあるツアーのうちで、財布と相談しながら、2つを申し込んだ。
(ツアーリスト)
http://www.dive7s.com/tourlist.html
「・日帰り最北端ツアー(初日と最終日)
・グレートバリアリーフ1泊ツアー(間の4日間)」
せっかくケアンズのドミトリーに宿を取ったんだが、2日間は船中泊ということになる。
そう、同じ1泊ツアーに2度参加する予定だ(満席なら、全部最北端ツアーになるけどな)。
本当は、ヨンガラレックに行きたいんだが、今年の催行予定がホームページに上がっていない。
(ヨンガラレックツアー)
http://www.dive7s.com/yongala.html
「開催日:2018年:2月24-25日、3月24-25日、4月21-22日、5月26-27日、6月16-17日、7月28-29日、8月25-26日、9月9-10日」
ショップへは、メールで苦言を呈しておいた(ひょっとしたら、特別に催行してくれるかも!)。
まあ、どうでもいいんですが。
このページからリンクされている鍵井さんのレポートを読んで、夢を膨らませている。
「約100年前にサイクロンの直撃で沈んだ客船」
「水深15m、船のトップに到着し、全長110mに及ぶ船体を潮の上手に向かいながら泳ぎ進むと、小魚を捕食するロウニンアジや大型のアジであるジャイアントレザースキンの群れ、大きく口を開けてクリーニングを受けるグレイトバラクーダなど、野性味あふれるシーンが続く」
アクセスは大変だが、潜りがいのある船だな。
サンゴ礁キレイ、おさかなキレイだけでは、南半球に行った甲斐がないじゃないの(そうかあ?)。
「「ヨンガラレック」は20年前にうわさを聞いて以来、ずっと潜りたかったポイント。潜り終えた感想は「アメイジング!」のひと言。世界の海で、また1つ戻って来たいポイントが増えた。」
そそるなあ・・・。
今回は、下見だからな(ウジウジ・・・)。
まあいい。
楽しみは、次回にでも取っておこう。
浮沈子的本命としては、奮発してコーラルシーのクルージングに行きたいところだが、それはCCR担いでいくことにしている。
記事の最後には、再び電子ビザの話が出てくる。
「ビザ >>入国時にビザが必要。日本人の場合、観光や商業目的での短期滞在なら、在日オーストラリア大使館のHPからETA(電子入国許可システム)での申請や代理店からETASの手続きが可能」
やれやれ・・・。
出発日が決まって、いろいろな予定を組み替えなければならなくなった。
水泳教室もサボることになる(中級クラスに振り替え予定)。
富戸での予定が入っていなければ、際限なくケアンズ界隈で潜っていそうだ。
病気だな。
南の島症候群(オーストラリアは大陸で、島じゃありませんけど)。
白豪主義で、有色人種には閉鎖的で、フランスの潜水艦買ったり、シーシェパードの本拠地だったりするくせに、米軍基地の向かいの土地を中国企業に長期貸し出したりする変な国だ(そうなのかあ?)。
イータス(最後のSを省略してETAとも)の有効期限は12か月だそうだ。
(Faqs)
https://immi.homeaffairs.gov.au/help-text/eta/pages/ja/faqs.aspx
「ETA申請の要件とは?
(前略)
・ETAを取得したら、ETA発行日から12カ月間もしくはパスポートの有効期限(どちらか早い方)までの期間何度でもオーストラリアに出入国できます。
(中略)
・結核を患ったことがないこと。
(後略)」
ほほう、結核罹患歴があると、別途手続きが必要なわけだな(これがホントの「結核」(欠格)条項?)。
まあ、どうでもいいんですが。
浮沈子のイータスは、無事に発給されているだろう(たぶん)。
「・刑期の合計が12ヶ月を越える有罪判決(実刑・執行猶予に関わらず)を受けていないこと。」
オーストラリアって、確か犯罪者を島流しにしたのが始まりだったような気がするんだがな(だから、島じゃないって!)。
(オーストラリアの歴史:流刑地)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#%E6%B5%81%E5%88%91%E5%9C%B0
「1780年代のイギリスは、エンクロージャーによる土地喪失者、産業革命による失業者などが都会に集まって犯罪者の数が激増した。微罪に問われた者でも収監する法制度もあいまって国内の監獄は満員となり、囚人を収容しようにも余裕がなくなる事態となった。加えて1776年のアメリカ独立は、巨大な流刑地の喪失を意味していた。流刑地の確保は、政府にとって重要課題だったのである。」
「1787年5月13日、フィリップ率いる第1船団 (first fleet) 11隻は、1500名弱の人員(うち流刑囚約780名)を乗せてポーツマスを出航し、翌1788年1月18日にボタニー湾に到着した。その後、より入植に適した土地を求めて、北に12キロメートルのポート・ジャクソン湾内のシドニー・コーブを発見した。1月26日に上陸、この地のイギリスによる領有を宣言し、入植を開始した。」
そうか、流刑者は半分くらいだったわけだ。
「入植開始時に、治安維持のため囚人らと共に到来した「ニュー・サウス・ウェールズ軍団 (New South Wales Corps) 」と呼ばれる将校らは、公有地を私有化した上、富裕層と結んで船荷の購入を独占した。未だ必需品を自給できない当時にあって、彼らは輸入貿易を押さえることにより利益を壟断した。また、通貨が普及していなかったことを利用し、輸入したラム酒を通貨の代わりとして巨利を得た。」
残りもヤクザまがいだな。
それから230年の時が流れ、彼らの子孫は犯罪者の電子ビザでの入国を制限している。
今は昔だな・・・。
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