ダイビングの自由と制約について考えているうちに本格的リバウンドに突入した今週のサボリ2019年09月26日 11:03

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ダイビングの自由と制約について考えているうちに本格的リバウンドに突入した今週のサボリ


体調を崩している。

つーか、夏の疲れがどっと出て、ゴロゴロする日々が続く。

もちろん、月曜からフィットネスはサボりだ。

もう、4日目になる。

昨日は水泳教室だったけど、電動スクーターに乗って行った(なんじゃく・・・)。

なんと、水泳用パンツを忘れる大失態!。

レンタル品を借りたが、3Lのパンツがきつかったな。

やれやれ・・・。

スタートのコツを教わって、壁蹴って進む距離が少し伸びた。

水泳教室だけ出て、そのまま帰ってきて爆食し、寝てしまう。

体調が悪いと言っても、頭の方はそうでもないので(元々悪い?)、宿題になっているDPVの資料を読み込む。

PDFからコピペでパソコンに取り込んで、自動翻訳して読む。

アホな自動翻訳の爆笑誤訳を直しながら、一応読み終える(CSS使って英文を隠して、ポチっとすると出てくる仕掛けも作る)。

DPV使ってダイビングした際の制限要素については、久々にジャバスクリプトを書いて計算したりする。

詳細は書けないが、様々なパラメーターを入れて、ごちゃごちゃ計算すると、DPV使ってどのくらい遠くに行けるかが出てくるという仕掛けだ。

ファンダメンタルズの時に習ったガス量の計算式を引っ張り出して適用したりする(やっと意味が分かった!←今頃納得してどーする?)。

スクリプトを書いているのがウインドウズのオマケのテキストだったりするので、カッコの数が合わずに動かなかったりして苦労する(ちゃんとしたエディタ使えばあ?)。

まあいい。

G社のDPV1コースは、テクニカルダイビング向けのものではない。

最大水深30m、無減圧、オープンウォーター環境のレクリエーショナルレベルだ。

しかし、水中を驀進する動力機械を運用するわけだからな。

それなりの知識と技術、トラブル対処などを学ぶ必要がある。

P社の講習は、まず、楽しむことを教わり、その中で必要最低限の知識を身に付けるが、G社はそうはいかない。

レクリエーショナルレベルだろうが何だろうが、最初からキッチリ本格的にやる。

そういうダイビングだし、そういう器材だからな。

どちらがいいとは言えない。

最終的に洞窟潜水を想定したカリキュラムを組んでいるG社の場合、DPVに限らず、全てはそこに繋がっていく。

停まってホバリングしている時でさえ、水平のトリムを要求するのはそのためだ。

膝が落ちたり足が開き過ぎていると、テックパスが頂けなかったりするのもそう。

ひろびろした海洋などでは、そこまでしなくても差し支えない(水底に近いところでは、砂の巻き揚げやサンゴなど水底生物の保護に配慮する必要があります)。

そんなG社のDPVの資料を読んでいて、ダイビングって、こんなに制約を課せられた窮屈なレジャーだったのかと感じる。

世界の海を潜っても、残圧50残して上がってこられればいーや程度に、テキトーなダイビングしていた浮沈子にとっては不自由さをぬぐい切れない。

様々な制約はガイドが把握し、それに配慮したガイディングの中で、お客さんにはそこを意識させずにクリアしているとしてもだ。

G社は、そこんところを明確にする。

洞窟探検では、そんなことは言ってられないからな。

これが限界だというところを、まず把握してから潜る。

いや、その前に潜水計画を立て、あーでもないこーでもないと確認してからでないと、水に浸かることすらできない(暑い時は、足の立つ水中でGUEエッヂしますけど!)。

P社は、とにかく潜りましょう!、と潜らせて、それからその経験を踏まえていろいろ学ぶ。

内容の精度の違いこそあれ、教わる項目に大した違いはなくても、アプローチは大きく異なる。

最終的なゴールがどこにあるかということは、その理由の一つだろう。

基本の設えがダブルタンクでドライスーツ、水中でクウキ吸ってはならんという団体だからな。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイビングって不自由なレジャーだな、と感じさせるのに十分な制約の部分を、まずはキッチリ認識させる(そうなのかあ?)。

楽しさも、安全性も、評価されたリスクも、自由も、発見や興奮も、全てはその中に納まる。

納まるように制約を明確にする。

P社のように、40m、無減圧、オープンウォーターとかいう、アバウトな表現ではない(シングルタンクという制約もあるかも)。

計算式をスクリプトで書きながら、ダイビングには無限の自由などというものはないのだと知る。

もちろん、酸素毒性とか、減圧に伴うリスクとか、DPV1では見えていない制約もある。

行動範囲を広げようとすれば、そこには新たな壁が立ちふさがり、それを超えようとすれば、新たな器材、それを使いこなすスキル、トレーニング、運用が必要になってくる。

水中探検家たちは、その最先端にいて、制約の限界を押し広げようと挑戦する。

そういう世界を見据えてダイビングのトレーニングを続けるのか、アバウトな限界(つまり、まだ余裕があるということ)のなかで、お手軽なレクリエーションとして楽しむのか。

探検マインドがあるかどうかがポイントかもな。

浮沈子には、そういう欲望はない。

人跡未踏な世界ではなく、既に誰かが行っていて、かつ、安全に行けることが確かめられていて、まあ、個人的に興味関心があって、テキトーなダイビングでも行くことができる、浅く明るく暖かい世界だけで十分だ。

南の島の沈船とか・・・。

トレーニングでは、ダイビングの楽しさは教えてくれない。

楽しむ上での制約や、楽しむための方法を教わる。

もちろん、自分の知識やスキルが広がることだけでも楽しいけど、水中世界の楽しさは教わるもんじゃない。

自分で潜って、自分で感じて、自分で見つける。

その際のネガな部分を緩和したり、知らずに限界を超えてしまわないようにするためのトレーニングだ。

制約を認識したら、それを超えないような態度を養うことも求められるな(ここ重要です!)。

ダイビングは、常に死の危険を伴うリスキーなレジャーだ。

数百メートルのドロップオフに引きずり込まれたり、エア切れしたり、流されたり、オニダルマオコゼ踏んじゃったり・・・。

若さ(馬鹿さ?)に任せて、制約を超えて突っ走ることは許されない。

それはもう、自己責任とかというのとは、別の話だ(事故責任?)。

確認しておこう。

ダイビングに無限の自由などというものはない。

あれはダメ、これもダメ・・・。

しかし、それは物理的な限界に過ぎない。

人の心に限界はない。

様々な物理的な制約の中で、無限の自由を心で感じることは可能に違いない。

それには自分で潜り、自分で感じ、自分で見つけなければならない。

また潜ろう。

心の自由を求めて・・・。

あれっ、またプログラムが動かなくなっちまった。

まーたカッコの数が違うのかな(カッコ悪い?)。

こっちの世界も、制約が多いな・・・。

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