安全なダイビング ― 2012年09月19日 21:21
安全なダイビング
道を歩いている時も、あなたは安全ではない。自動車に轢かれるかもしれないし、建設中のビルの上から何かが落ちてくるかもしれない。
足元の石に躓いたり、暴漢に襲われるかもしれない。
竜巻に巻き込まれたり、向こうからやってくる自転車とぶつかる恐れもある。
かたときも、油断できない。
自動車を運転している時、あなたは交通事故にあうかもしれない。昨日、伊豆からの帰りの東名で、近くを走っていたトラックのタイヤがバーストして3車線に渡って飛び散った(けっこう、ドハデでした)。
破片のひとつが、私が運転していた車(500E)の正面に飛んできて、間一髪、ハンドル操作でかわした。時速100km以上で走行中の出来事である。
飛行機や列車などの公共交通機関に乗っているときでも、安心はできない。
関越自動車道路でのバス事故は、記憶に新しいところだ。
飛行機事故が起こらない年など、きっと1年も無いに違いない。毎年、どこかで事故は起こっている。
戦場にいるときも、ジャングルにいるときも、アフリカの草原にいるときも、世界のどこにいても、あなたは安全ではない。
しかし、これらの全ての場合において、確実にいえることがある。
あなたは、呼吸することだけはできる。つまり空気を吸うことができる。そして息をしている限り、直ちに死ぬことはない。ある確立で死ぬことはあるだろうが、100パーセントの確立で死ぬことはない。
その証拠に、あなたは、今、生きていてこのブログを読んでいる。ありとあらゆる危険をかいくぐり、生き延びてきたわけだ。
素晴らしい!。
そして、あなたはダイビングに興味を持つ(話の綾です・・・)。
スクーバダイビングである。空から飛び降りるやつではない。
圧縮された空気を詰め込んだタンクを背負って、水中眼鏡を着け、マウスピースを咥えて、細いホースから送られてくる空気を吸う。
不思議だ!、水中なのに息ができる!!。
深さにもよるが、30分とか、長い人では1時間くらい、そうして潜っていられる。魚が泳いでいたり、ヒトデが這っていたり、イソギンチャクが揺れていたりする。
感動だ!、スゴイ!!、これが水中の世界、沈黙の世界なんだと、驚くこと間違いない(保障します!)。
しかし、もう一つ、間違いないことがある。
あなたが、今、咥えているマウスピースを口から離し、周りにたっぷりある水を吸い込んだら、たちまち死んでしまうだろう(これも、保障します!!)。
水中は、私たち人間の住む世界ではないのだ。
どんなにトレーニングを積み、どんなに技術を身につけ、どんなに体を鍛えても、私たちは、魚のように水中で生活することはできない。
ダイバーになるということは、水中で死ぬか、潜れなくなって陸に上がるか、2つに一つであると聞いたことがある(正確には3つで、「トレーニングを続けるか」というのがある)。
危険を承知で潜る。
仕事で潜る人もいるが、レジャーで潜る人は、いつ死ぬかもしれない危険な遊びをしているという自覚が必要だ。死亡遊戯だなあ(古っ!)。
水中を気ままに泳ぎまわるというのは、実に結構な趣味なのだが、日常性からかけ離れた環境は、相応の危険が伴う。少しでも安全なダイビングを行うために、様々な工夫をする。
水中眼鏡を着けたり、ウエットスーツで体を保護、保温したり、浮力の調節をするために、BCを着たり、足ひれをつけて泳ぎやすくしたりする。
水中で吸うガスも、タダの空気(値段もタダ!)だけではなく、酸素を多くしたり(少なくしたりもしますが)、ヘリウムを混ぜたりする。
吸ったガスを、ただ吐き出すのが勿体無いからと、二酸化炭素を化学的(「科学的」ではないですよ、PADIさん!)に除去して、消費した酸素を注ぎ足して、再呼吸したりもする。
しかし、どんなに工夫をしようが、これだけは言える。
人間は、魚にはなれないのだ。
水中で適正なガスを吸えなくなれば、100パーセント確実に死ぬ。
太宰治でなくても、死ねる(入水って、水死だもんな)。
死ぬのが怖くて潜ることができなくても、別に恥ずかしいことはない。まっとうな神経の持ち主であると、言っているに過ぎない。他の娯楽はいくらでもあるのだ。
何度か書いたが、今日も書く。
「安全なダイビングなどない。」
少し危険なダイビングと、かなり危険なダイビングと、めちゃくちゃ危険なダイビングがあるくらいである。
長生きがしたかったら、ダイビングだけは止めたほうがいい。特に、未来ある若者は、こんなことに現を抜かすような真似はしないほうがいい。
伊豆の某所にあるプールには、今回も大勢の生徒さんを連れて、インストラクターたちが来ていた。
コンファインドウォーター(静水域)のトレーニングを行うためだ。
このなかの何人かは、減圧症にかかって二度とダイビングができない体になるんだろうな、とか、一人くらいは、今年か来年には土左衛門になるんだろうな、とか、本人たちが聞いたら、ギョッとするようなことを、CCRで潜っているオジサンは考えたりする(そうして、残念ながら、現実にそうなる)。
ダイビングは、危険なレジャーである。
子育てを終え、社会の中での役割を果たし、後顧の憂いなく、いつ身罷ってもいいという、じい様やばあ様が、冥土の土産に水中の景色でも見ておこうか、ってな感じで行うべき道楽である。
ダイビングの指導団体は、私に言わせれば、自殺幇助をしているようなものだ(そこまで言うか?)。
うそだと思うなら、誓約書をよく読んでみればいい。一切責任は問いません、と書いてある。しかも、ダイビングの危険性についての説明も、本人が納得するまで十分にしたと書いてある(ホントかよ!)。
それが本当なら、誓約書にサインして潜るやつは、明らかな自殺企図があると思われても仕方なかろう。さもなければ、余程の馬鹿だ。
というわけで、来月も、自殺企図のある(?)余程の馬鹿な私(!)は、プールトレーニングを続けるのであった・・・。
道を歩いている時も、あなたは安全ではない。自動車に轢かれるかもしれないし、建設中のビルの上から何かが落ちてくるかもしれない。
足元の石に躓いたり、暴漢に襲われるかもしれない。
竜巻に巻き込まれたり、向こうからやってくる自転車とぶつかる恐れもある。
かたときも、油断できない。
自動車を運転している時、あなたは交通事故にあうかもしれない。昨日、伊豆からの帰りの東名で、近くを走っていたトラックのタイヤがバーストして3車線に渡って飛び散った(けっこう、ドハデでした)。
破片のひとつが、私が運転していた車(500E)の正面に飛んできて、間一髪、ハンドル操作でかわした。時速100km以上で走行中の出来事である。
飛行機や列車などの公共交通機関に乗っているときでも、安心はできない。
関越自動車道路でのバス事故は、記憶に新しいところだ。
飛行機事故が起こらない年など、きっと1年も無いに違いない。毎年、どこかで事故は起こっている。
戦場にいるときも、ジャングルにいるときも、アフリカの草原にいるときも、世界のどこにいても、あなたは安全ではない。
しかし、これらの全ての場合において、確実にいえることがある。
あなたは、呼吸することだけはできる。つまり空気を吸うことができる。そして息をしている限り、直ちに死ぬことはない。ある確立で死ぬことはあるだろうが、100パーセントの確立で死ぬことはない。
その証拠に、あなたは、今、生きていてこのブログを読んでいる。ありとあらゆる危険をかいくぐり、生き延びてきたわけだ。
素晴らしい!。
そして、あなたはダイビングに興味を持つ(話の綾です・・・)。
スクーバダイビングである。空から飛び降りるやつではない。
圧縮された空気を詰め込んだタンクを背負って、水中眼鏡を着け、マウスピースを咥えて、細いホースから送られてくる空気を吸う。
不思議だ!、水中なのに息ができる!!。
深さにもよるが、30分とか、長い人では1時間くらい、そうして潜っていられる。魚が泳いでいたり、ヒトデが這っていたり、イソギンチャクが揺れていたりする。
感動だ!、スゴイ!!、これが水中の世界、沈黙の世界なんだと、驚くこと間違いない(保障します!)。
しかし、もう一つ、間違いないことがある。
あなたが、今、咥えているマウスピースを口から離し、周りにたっぷりある水を吸い込んだら、たちまち死んでしまうだろう(これも、保障します!!)。
水中は、私たち人間の住む世界ではないのだ。
どんなにトレーニングを積み、どんなに技術を身につけ、どんなに体を鍛えても、私たちは、魚のように水中で生活することはできない。
ダイバーになるということは、水中で死ぬか、潜れなくなって陸に上がるか、2つに一つであると聞いたことがある(正確には3つで、「トレーニングを続けるか」というのがある)。
危険を承知で潜る。
仕事で潜る人もいるが、レジャーで潜る人は、いつ死ぬかもしれない危険な遊びをしているという自覚が必要だ。死亡遊戯だなあ(古っ!)。
水中を気ままに泳ぎまわるというのは、実に結構な趣味なのだが、日常性からかけ離れた環境は、相応の危険が伴う。少しでも安全なダイビングを行うために、様々な工夫をする。
水中眼鏡を着けたり、ウエットスーツで体を保護、保温したり、浮力の調節をするために、BCを着たり、足ひれをつけて泳ぎやすくしたりする。
水中で吸うガスも、タダの空気(値段もタダ!)だけではなく、酸素を多くしたり(少なくしたりもしますが)、ヘリウムを混ぜたりする。
吸ったガスを、ただ吐き出すのが勿体無いからと、二酸化炭素を化学的(「科学的」ではないですよ、PADIさん!)に除去して、消費した酸素を注ぎ足して、再呼吸したりもする。
しかし、どんなに工夫をしようが、これだけは言える。
人間は、魚にはなれないのだ。
水中で適正なガスを吸えなくなれば、100パーセント確実に死ぬ。
太宰治でなくても、死ねる(入水って、水死だもんな)。
死ぬのが怖くて潜ることができなくても、別に恥ずかしいことはない。まっとうな神経の持ち主であると、言っているに過ぎない。他の娯楽はいくらでもあるのだ。
何度か書いたが、今日も書く。
「安全なダイビングなどない。」
少し危険なダイビングと、かなり危険なダイビングと、めちゃくちゃ危険なダイビングがあるくらいである。
長生きがしたかったら、ダイビングだけは止めたほうがいい。特に、未来ある若者は、こんなことに現を抜かすような真似はしないほうがいい。
伊豆の某所にあるプールには、今回も大勢の生徒さんを連れて、インストラクターたちが来ていた。
コンファインドウォーター(静水域)のトレーニングを行うためだ。
このなかの何人かは、減圧症にかかって二度とダイビングができない体になるんだろうな、とか、一人くらいは、今年か来年には土左衛門になるんだろうな、とか、本人たちが聞いたら、ギョッとするようなことを、CCRで潜っているオジサンは考えたりする(そうして、残念ながら、現実にそうなる)。
ダイビングは、危険なレジャーである。
子育てを終え、社会の中での役割を果たし、後顧の憂いなく、いつ身罷ってもいいという、じい様やばあ様が、冥土の土産に水中の景色でも見ておこうか、ってな感じで行うべき道楽である。
ダイビングの指導団体は、私に言わせれば、自殺幇助をしているようなものだ(そこまで言うか?)。
うそだと思うなら、誓約書をよく読んでみればいい。一切責任は問いません、と書いてある。しかも、ダイビングの危険性についての説明も、本人が納得するまで十分にしたと書いてある(ホントかよ!)。
それが本当なら、誓約書にサインして潜るやつは、明らかな自殺企図があると思われても仕方なかろう。さもなければ、余程の馬鹿だ。
というわけで、来月も、自殺企図のある(?)余程の馬鹿な私(!)は、プールトレーニングを続けるのであった・・・。
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