夜明けの妄想或いは哲学的ゾンビの実在 ― 2020年10月31日 06:37
夜明けの妄想或いは哲学的ゾンビの実在
(凍った湖に落下したハンブルク隕石から有機化合物が発見される)
https://sorae.info/astronomy/20201030-hamburg.html
「2018年1月16日にアメリカ・ミシガン州・ハンブルク近郊にある凍った湖の上に落下した「ハンブルク隕石」から地球外に起源をもつ炭化水素などの有機化合物を検出した」
ほほう、で、それがどうかしたのか。
「生命の原料となった有機化合物には、太古の地球上で合成されたものに加え、隕石などによって地球外から運ばれてきたものもあるのではないかと考えられています。」
「もしかしたら、ハンブルク隕石のような隕石が地球の生命の誕生に大いに貢献したのかもしれませんね。」
この文脈には、隠された意図が見える。
つまりだ、宇宙に広く遍く存在する有機化合物が、地球とよく似た環境の惑星に落下すれば、その星の生命の誕生に大きく貢献するかもしれない・・・。
浮沈子は、地球外生命の存在に懐疑的だから、きっと何かの間違いで偶然誕生してしまった地球生命が宇宙で唯一の存在だと考えている。
唯一といっても、数に不足があるわけじゃないけど。
悠久の宇宙の歴史にとっては一瞬の出来事にも等しい地球の歴史は、せいぜいあと50億年と見られている。
そして、生命という奇妙な化学反応系は、地球という岩石惑星の消滅と共に、宇宙から永遠に消え去る。
それで、何も不都合はないし、気を病むこともない。
有機化合物というのは、概ね炭素化合物(一部を除く)と考えられており、かつては生物によってのみ生成されると考えられていた。
後年、生物に依らない有機化合物の合成が成功すると、言葉の意味的に矛盾することになっちまうが、最近は生命の材料としての新たな意味を与えられているようだな。
・過去:生物→有機化合物
・現在:有機化合物→生命
似たような話は、生命の起源論でも出てくる。
・大過去:無生物→生物
・過去:生物→生物
・現在:無生物→生物(起源)
現在の生物学では、無生物から生物(生命)が誕生したことを疑う向きは少ない。
その中には、神様が自身に似せて、土くれから作った説も含まれるかもしれない(そうなのかあ?:材料が無生物である点では似てなくもない)。
まあいい。
神様の存在に頼らなくても、無生物から生物が誕生すると考えるのが主流だ。
生物は、自己増殖したり、代謝したり、恒常性を維持したりといった点で特徴づけられているが、化学反応系としては大差ない。
全ては、やがてその文脈で理解され、物理化学的事象として扱われることになるだろう。
こういう機械論的な考え方は、脳科学の分野からは否定的にとらえられることがあるようだ。
(哲学的ゾンビ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」
外部からは、全く区別できないので、客観的に哲学的ゾンビを識別できない。
科学としては、識別できなければ同一とみなされるのが一般だからな。
我々は、意識を持たない哲学的ゾンビということになる(そうなのかあ?)。
俺様は違うといっているだけで、本人も意識がないことを意識していない(ワケワカ・・・)。
無意識のうちにあらぬことを口走ったり(独語?)、身の回りのものを異次元空間に送り込んだり(もの忘れ?)、さっき食べたはずの朝食が何だったかも定かでなくなる浮沈子にとって、おまえは哲学的ゾンビだといわれても違和感は少ない。
主観などというものが当てにならないことは、日常的に体験している。
その体験すら錯覚に過ぎず、その錯覚の実在も疑われる事態に、どう対処したものか。
我々は、哲学的ゾンビで、意識などというのは脳が勝手に作り出している幻覚なのだと考えるのが妥当だろう。
自己、非自己の区別は、自分の体を触って知る。
触られたことを身体が感じれば自己、感じなければ非自己だ。
触覚ではなく、心理的認知のレベルで行えば、自意識ということになるんだろう(未確認)。
意識の触覚などというのがあるのかは知らないが、脳は、そういう非物理的実態を構成して自己と名付けている。
そういう構造を取った方が、当面の生存に有利ということなんだろう。
哲学的ゾンビに自己意識があるかどうかは分からない。
しかし、あたかもあるかように振る舞うことができるはずだ。
「ゾンビ世界のチャーマーズは、意識体験のないゾンビ世界でいったい何について研究しているのだろうか。」
うーん、ワケワカ。
いっそのこと、意識体験などというものを特別視せず、脳が作り出す単なる幻影と割り切ってしまった方が簡単ではないのか。
そうすれば、機械論との矛盾も消失し、特異的化学反応系としての生物の一つとして、幸せに生きることができるだろう。
ああ、もちろん、その幸せな生活も幻影だがな。
今朝は、体重計に乗る勇気がない。
物理量を計測する体重計の値は幻影ではない。
幻影であってくれたら、どれだけ安堵できることか・・・。
(凍った湖に落下したハンブルク隕石から有機化合物が発見される)
https://sorae.info/astronomy/20201030-hamburg.html
「2018年1月16日にアメリカ・ミシガン州・ハンブルク近郊にある凍った湖の上に落下した「ハンブルク隕石」から地球外に起源をもつ炭化水素などの有機化合物を検出した」
ほほう、で、それがどうかしたのか。
「生命の原料となった有機化合物には、太古の地球上で合成されたものに加え、隕石などによって地球外から運ばれてきたものもあるのではないかと考えられています。」
「もしかしたら、ハンブルク隕石のような隕石が地球の生命の誕生に大いに貢献したのかもしれませんね。」
この文脈には、隠された意図が見える。
つまりだ、宇宙に広く遍く存在する有機化合物が、地球とよく似た環境の惑星に落下すれば、その星の生命の誕生に大きく貢献するかもしれない・・・。
浮沈子は、地球外生命の存在に懐疑的だから、きっと何かの間違いで偶然誕生してしまった地球生命が宇宙で唯一の存在だと考えている。
唯一といっても、数に不足があるわけじゃないけど。
悠久の宇宙の歴史にとっては一瞬の出来事にも等しい地球の歴史は、せいぜいあと50億年と見られている。
そして、生命という奇妙な化学反応系は、地球という岩石惑星の消滅と共に、宇宙から永遠に消え去る。
それで、何も不都合はないし、気を病むこともない。
有機化合物というのは、概ね炭素化合物(一部を除く)と考えられており、かつては生物によってのみ生成されると考えられていた。
後年、生物に依らない有機化合物の合成が成功すると、言葉の意味的に矛盾することになっちまうが、最近は生命の材料としての新たな意味を与えられているようだな。
・過去:生物→有機化合物
・現在:有機化合物→生命
似たような話は、生命の起源論でも出てくる。
・大過去:無生物→生物
・過去:生物→生物
・現在:無生物→生物(起源)
現在の生物学では、無生物から生物(生命)が誕生したことを疑う向きは少ない。
その中には、神様が自身に似せて、土くれから作った説も含まれるかもしれない(そうなのかあ?:材料が無生物である点では似てなくもない)。
まあいい。
神様の存在に頼らなくても、無生物から生物が誕生すると考えるのが主流だ。
生物は、自己増殖したり、代謝したり、恒常性を維持したりといった点で特徴づけられているが、化学反応系としては大差ない。
全ては、やがてその文脈で理解され、物理化学的事象として扱われることになるだろう。
こういう機械論的な考え方は、脳科学の分野からは否定的にとらえられることがあるようだ。
(哲学的ゾンビ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93
「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」
外部からは、全く区別できないので、客観的に哲学的ゾンビを識別できない。
科学としては、識別できなければ同一とみなされるのが一般だからな。
我々は、意識を持たない哲学的ゾンビということになる(そうなのかあ?)。
俺様は違うといっているだけで、本人も意識がないことを意識していない(ワケワカ・・・)。
無意識のうちにあらぬことを口走ったり(独語?)、身の回りのものを異次元空間に送り込んだり(もの忘れ?)、さっき食べたはずの朝食が何だったかも定かでなくなる浮沈子にとって、おまえは哲学的ゾンビだといわれても違和感は少ない。
主観などというものが当てにならないことは、日常的に体験している。
その体験すら錯覚に過ぎず、その錯覚の実在も疑われる事態に、どう対処したものか。
我々は、哲学的ゾンビで、意識などというのは脳が勝手に作り出している幻覚なのだと考えるのが妥当だろう。
自己、非自己の区別は、自分の体を触って知る。
触られたことを身体が感じれば自己、感じなければ非自己だ。
触覚ではなく、心理的認知のレベルで行えば、自意識ということになるんだろう(未確認)。
意識の触覚などというのがあるのかは知らないが、脳は、そういう非物理的実態を構成して自己と名付けている。
そういう構造を取った方が、当面の生存に有利ということなんだろう。
哲学的ゾンビに自己意識があるかどうかは分からない。
しかし、あたかもあるかように振る舞うことができるはずだ。
「ゾンビ世界のチャーマーズは、意識体験のないゾンビ世界でいったい何について研究しているのだろうか。」
うーん、ワケワカ。
いっそのこと、意識体験などというものを特別視せず、脳が作り出す単なる幻影と割り切ってしまった方が簡単ではないのか。
そうすれば、機械論との矛盾も消失し、特異的化学反応系としての生物の一つとして、幸せに生きることができるだろう。
ああ、もちろん、その幸せな生活も幻影だがな。
今朝は、体重計に乗る勇気がない。
物理量を計測する体重計の値は幻影ではない。
幻影であってくれたら、どれだけ安堵できることか・・・。
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