スマホとクルマ2014年01月08日 15:32

スマホとクルマ
スマホとクルマ


(電脳自動車)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/04/08/6404254

「これからは、スマホとかタブレット(?)と連携して、「私だけの自動車」が当たり前になる。レンタカーを借りても、人の車に乗っても、シートやミラー、ハンドル、カーステは自分用にアッセンブルしてくれて、加速減速の加減、ブレーキの利き具合(ポルシェライクなのがいいな!)も調整して、普段乗っている車と同じドライバビリティを提供してくれるようになる。」

「もはや、「コンピューター付きの自動車」ではなく、「自動車の形をしたコンピューター」、あるいは、交通システム全体を考えれば、「コンピューターの中での暮らし」がいつの間にか始まっているのだ。」

「クルマとは何か。」

「かつて「自動車」と呼ばれていたものの形をした、「スマホ」なのかもしれない。」

冷静な分析と大胆な予測(聞いてないけど?)は、たまに大当たりすることがある。

デバイスの特性をコントロールする、アクティブな制御をパーソナライズすることが出来るところまでは、まだ、少々時間がかかりそうだが、インフォテインメントという、怪しげな造語の流行る中で、マンマシンインターフェースにおけるアンドロイドと自動車のネットワークは、蜜月を迎えようとしているようだ。

(グーグル、ホンダやGMらと提携--「Android」の自動車搭載に向けて)
http://japan.cnet.com/news/business/35042151/

(アウディ、「Audi Smart Display」を発表--車載システムと連携する「Android」タブレット)
http://japan.cnet.com/news/service/35042217/

(Audi shows integrated Android tablet to CES 2014 crowd:元記事) http://www.cnet.com/8301-35289_1-57616809/audi-shows-integrated-android-tablet-to-ces-2014-crowd/#ixzz2pmUDDyWS

元記事を載せたのは、翻訳記事にない次の一文があったから。

「Audi has also said that its participation in the Open Auto Alliance will let it integrate Android devices into its vehicles, similar to how iOS devices are currently integrated for music playback and calendar functions. This tablet integration suggests that an app replicating its functions on any Android device would be possible.」

(アウディは、その乗り物(iOS装置が音楽再生およびカレンダー機能のためにどのように現在統合されるかに似ている)へオープンなオート連合へのその参加がそれにアンドロイド・デバイスを統合させるだろうとさらに言いました。
このタブレット統合は、任意のアンドロイド・デバイス上のその機能を模写するアプリが可能だろうということを示唆します。:機械翻訳のまま)

この最後のセンテンスに、浮沈子は深く考えさせられた。

統合されたスマホ・クルマ環境で動作するアプリは、オープン・オート・アライアンス上のどんなクルマに積まれるアンドロイドにも複写可能だ。

このアプリの中には、やがて、そのクルマをパーソナライズする機能も含まれてくるに違いない。

General Motors(GM)、Audi、本田技研工業(ホンダ)、ヒュンダイの、どの車に乗っても、体形に合ったシートポジションがアッセンブルされ、オーディオやカーナビの設定が施され、聞きなれた曲が流れ、見慣れた画面のカーナビからは、いつもの「目的地を、おっしゃってえーん!」と鼻にかかった艶っぽいナビゲーターの声が聞こえる(別に、深い意味はありません)。

コモディティ化したクルマは、マンマシンインターフェースによりパーソナライズされ、テーラーメイドドライビングと連続したエクスペリエンスを提供する。

もちろん、クルマに乗る前に聞いていた曲やニュースの続きを聞くことができたり、持ち歩いているスマホには、目的地近くの駐車場から目的地までの徒歩の経路も表示される。

1台のクルマを所有するということの本質的な意味は、そのクルマに自身が乗ったときの経験の連続性を保証するということだ。

究極のコモディティ化と完全なパーソナライズの組み合わせは、「所有」のもたらす要素を代替する。

そればかりか、日常の連続性の中に、ドライブという経験を溶かし込みさえするのだ。

ウエイン・カニンガム記者が、どのような含みで最後の一文を記したのかは分からないが、浮沈子は、クルマの未来の姿が一瞬、照らし出されたような錯覚を覚えた。

もちろん、そんな不気味な体験は、これから作られるクルマに限ってのことで、20世紀のクルマ達には関係ないし、レンタカーでも借りなければ、3台ものクルマを所有する浮沈子には縁のない話だ。

だが、しかし、このブログを初めとして、浮沈子のパーソナル情報がネットにあることは間違いない。

相手は、帝国グーグルなのだ・・・。

週末の金曜日、ダイビングに訪れた海外の町で借りたレンタカーに乗り、走り出そうとすると、シートやミラーが動いて、ピッタリのポジションに自動的に合わせてくれ、ラジオを点けると、さっきまでスマホで聞いていたNHKのニュースの続きを、インターネット経由で流し始める。

あろうことか、カーナビからは、いつもの「目的地を、おっしゃってえーん!」と鼻にかかった艶っぽいナビゲーターの声が聞こえる(別に、深い意味はありません)。

インスツルメントパネルに目を落とすと、レトロな5連メーター(911オーナーの誇りですなあ!)が3Dで浮かび上がっていて、このクルマは確か水冷のはずなのに、油温計まである。

エンジンの音も、後ろから聞こえてくるようだ(幻聴かあ?)。

まあいい。

アクセルを踏んで走り出すと、バサバサとした空冷ファンの音まで聞こえてくる。

ちっ!、冗談も程々にしてもらいたいもんだ。

最初の角を右折する時に、唖然とする。

ハンドルが、重い!。

こっ、これは、83タルガのハンドリングではないか!。

しかし、次の角を左に曲がったときに、思わずニヤリとする。

浮沈子の83タルガは、左右のハンドルのフィーリングに差があるのだが、こいつは、そこまでは分からなかったらしい。

フッフッフッ、どんなに技術が進歩しても、所詮、機械は機械だな・・・。

帰国して、翌週に修理屋から電話が掛ってきた。

「先日のハンドリングの不具合は、先週の金曜日に直りましたので、お引き取りにおいでください!・・・」

膝頭がガクガクと振るえ、背筋を冷たいものが流れる。

引き取った83タルガのカーナビを点けると、いつもの「目的地を、おっしゃってえーん!」と鼻にかかった艶っぽいナビゲーターの声が聞こえたが、その声に、どこか勝ち誇ったような響きを感じたのは、気のせいだったのだろうか・・・。

「クルマとは何か。」

「かつて「自動車」と呼ばれていたものの形をした、「スマホ」なのかもしれない。」

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