生命とは何かという無意味な話 ― 2019年01月11日 09:23
生命とは何かという無意味な話
昨年3月、浮沈子は、細胞が生命ではないという話を聞いてショックを受けた。
(細胞と生命)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796229
「先日見つけたネット動画の中で、細胞は生命ではないというのがあって、ちょっとドキッとした。」
ちょっと再度引用しておこう。
(What Is Life? Is Death Real?:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=QOCaacO8wus
「1分7秒辺りで「しかし細胞は 生きているとは言えない」と出てくる(日本語字幕)。」
ウィキで「生命」を調べると、ヒーラ細胞の話が出てくる。
人間の細胞で最初に分離培養に成功したもので、現在も培養され続けている(他に似たようなのがあるかどうかは知りません)。
(生命:定義)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD#%E5%AE%9A%E7%BE%A9
「何が「生きているか」を考える難しさを示す実例にHeLa細胞が挙げられる事もある。これはヘンリエッタ・ラックスというアメリカ人女性の子宮がん細胞を元にしたヒト細胞であり、培養され世界中の研究所に分配され試験に用いられている。ヘンリエッタ個人は既に亡くなったが、彼女由来の細胞は現在でも生きている。」
代謝し、分裂し、遺伝子的に多様性を獲得したりする。
(HeLa細胞:染色体数)
https://ja.wikipedia.org/wiki/HeLa%E7%B4%B0%E8%83%9E#%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E6%95%B0
「2013年にHela細胞のゲノムが解読され、正常細胞と比較して著しいエラーが生じていることが報告された」
高密度培養やポリオウイルスの感染による細胞死があることからも、この細胞が生きていることは間違いない。
しかし、生化学的機序が解明された生命の部品、或いはその集合体である細胞が、化学的機械であり、生命とは呼べないとする考え方があるというのは、未だに浮沈子的にはショックだ。
ウイルスが生命でないとか、ウイロイド(植物に感染するRNAのみのウイルスみたいなもん:核酸のみなのでウイルスじゃないけど)が生命でないというのは、何となく分かる気がする。
(ウイルス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
「タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。」
「生命の最小単位である細胞をもたないので、非生物とされることもある。」
(ウイロイド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89
「塩基数が200~400程度と短い環状の一本鎖RNAのみで構成され、維管束植物に対して感染性を持つもの。」
ただし、細胞核そのものや、細胞内のさまざまな働きをする部品の中には、ウイルス由来と思われるものもあり、また、ウイルスそのものも、元は代謝を行う機能を持っていて、それを捨て去ってウイルスになったのかもしれない。
代謝だって、無生物を取り込んで生物の恒常性維持に使っているわけだからな。
その取り込んでいる無生物だって、元を辿れば生物が作り出したものがほとんどだったりする。
ウイルスが、他の生物に寄生しなければ増殖できないといっても、人間を含めた従属栄養生物は全て他の生物に依存している。
動物なんて、全て植物(化学合成細菌もいますけど)の寄生虫といってもいい。
他の命を頂くことでしか生きられない、業の深い存在なわけだ。
そして、死んだ後は、自らがその他の生物の栄養となることによって、生命ではない、物質を介した命の連鎖を紡いでいくといえるかもしれない。
では、その循環の元となっている太陽エネルギーや地熱、化学物質の結合エネルギーは、生物の成り立ちとは無関係なんだろうか?。
そんなことはない。
それなくして、生命の存在が成り立たないのであれば、生物としての構造の外にあったとしても、生命の要素であるといっていいだろう。
つーか、おそらく、生命の外皮というのは、地球という惑星とか、太陽系までを包括している。
この岩石惑星と、それらを従えている太陽という恒星系全てがひとつながりのものとして個々の生命を支えている。
もう、細胞が生命でないとなどと言っている場合ではない(そうかあ?)。
しかし、その一方で、機械としての生物の理解は進んでいる。
NDAを弄繰り回して、人工生物を創り出す寸前のところまで来ている。
(「合成生物学の衝撃」読了)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/05/21/8856738
「今の私たちが、再び人工生命を生み出し、宇宙に進出しようとしていることを知ったら、何と思うだろうか。」
なんか、ちょっと引用を間違えたような気がするけど・・・。
まあいい。
遺伝子は、確かに生命の重要な要素を司っているが、それは紛れもなく物質だ。
その中に、生命の本質が埋め込まれているとしても、それを発現させる細胞がなければ、タダの化学物質に過ぎない。
生命ではない。
じゃあ、細胞はどうか。
代謝し、分裂し、恒常性を維持し、外界と内部を隔てる構造も持っている。
これもまた、生化学的に解明される時期が近付いている。
つまり、物質として理解されることになる。
そこにも、生命の本質的な何かはみつからないと思われる(たぶん)。
生命とは何か。
それは、ひょっとしたら、理系マターではなく、文系マターなのではないか。
つまり、人間が勝手に線引きしているだけの話で、白黒をはっきりさせることなんてできないんじゃないのか。
生態系の話を極限まで突き詰めれば、この宇宙(銀河系の外に広がる半径465億光年の時空の広がりと、その外側の観測不能な領域の全て)が、ひとつながりの世界だからな。
物質進化の流れから、宇宙の成り立ち、銀河の消長、太陽系の誕生からして、現在の我々の存在と切っても切れない深いつながりがある。
どこかで、何か一つが食い違っていれば、浮沈子がこの与太ブログを書くことはなかった。
その一方では、既に書いたように、生命の部品としての細胞の理解が進んでいる。
もう、細胞は分子的機械であって、生命の座ではないとさえ言われ始めているわけだ。
何が生命かは、人間が決める。
大方の見方が、細胞は生きていないというなら、そういうことになるんだろう。
人間が、人間の都合で生命の定義を書き換える。
やりかねないな・・・。
現代の生物学者は、生命という「モノ」が存在するなどという幻想は持っていない(未確認)。
ラッキョウの皮を剥くように、一つ一つの生命現象を解き明かしていけば、生物の持つ特性を説明できると考えている。
つまり、機械だ。
それが、長い進化の果てに獲得した精緻極まる仕掛けだとしても、有限の要素である限りは、解明可能と考えているに違いない。
その、解明された生物の持つ仕掛けを見て、或いは評価して、ここから先を生物としようとテキトーに決めればいいだけだ。
それは、今、我々が直感的に生物だと思っている連中のいくらかを排除してしまう方向に行くかもしれない。
そうではなくて、ありとあらゆるものを生命を持つものとして捉え、その中で段階的に序列化を行う方向に進むかもしれない。
そもそも、そういう区分自体に意味があるのかどうか。
浮沈子が敏感に反応する、地球外生命体の存在についても同じだな。
エネルギーを利用して、形態を維持しようとしたり、増殖したりする何物かであれば、鉱物のようなものであったとしても、それを生物ということにしてしまうかもしれないしな。
逆に、人間の食い物になるものは、生物と見做さなくなるかもしれないしな(そんなあ!)。
それも、国や文化によって異なってきたりしてな。
やっぱ、クジラは生き物じゃなくって、食い物だとかな。
まあ、どうでもいいんですが。
そこまで極端な話にはならないだろうが、細菌とかは際どいかもな。
遺伝子的な治療方法が開発されて、病原体としての脅威がなくなれば、怖いものはないからな。
真っ先につまはじきにされる可能性がある。
単細胞生物は、軒並み物質の範疇に放り込まれるかもしれない。
多細胞生物だって、安心はできない。
昆虫とかは、かなりヤバイ。
精密ロボットのようなもんだからな。
機械のように、プログラムされた通りに動くだけだ。
一方では、機械の方が進化して、そっちを生物の範疇に入れるような話になりかねない。
電子デバイスは、既に分子レベルの大きさになっちまってるしな。
集積回路は、数ナノメートルの製造プロセスで作られるんだそうだ。
(imecが明らかにした1.4nmプロセス実現に向けた研究計画)
https://news.mynavi.jp/article/imec14nm-1/
「今年(2017年)のITFの最大のハイライトは、imecの半導体技術およびシステム研究開発担当エグゼクティブ・バイスプレジデントであるAnn Steegen氏による1.4nm(14オングストローム)のプロセスを実現するに至る半導体デバイス・プロセス研究開発計画に関する詳細な発表だった」
ちなみにDNAの太さは20オングストロームだ。
(二重らせん:二重らせんの主要な特徴)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%93#%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%AE%E4%B8%BB%E8%A6%81%E3%81%AA%E7%89%B9%E5%BE%B4
「らせんの直径は20 Åである。」
べらぼうめ・・・。
そして、その電子回路の中では、膨大な情報が処理されて、ネットワークで外部とつながり、人間が及びもしない能力を発揮する。
人格だって持たされるに違いないしな。
それを、生物扱い(人間扱い?)するようになるのは、時間の問題だろう。
誰もが無生物と考えていたものが生物となり、生物に決まってんじゃんと思っていたものがそうでなくなる。
パラダイムの転換は、徐々にやってくるんだろう。
遺伝子操作されたピンク色のペットとかと共に。
空を飛ぶ犬や、水中で呼吸できる猫とか。
そういう、いわく言い難い存在が蔓延って、我々の周りはカオスになり、新しいパラダイムを受け入れざるを得なくなるのだ。
遺伝子操作された生物は、準生物(準惑星のようなもんか)になるとか・・・。
もちろん、正当な扱いを受ける権利はあるだろうが、ビミョーな差別が施されるようになるだろうな。
そして、精神と肉体との分離が行われるようになれば、意識を再構築して、肉体を乗り移るようになる。
いっそ、機械に移植してもよろしい。
下手な生身の身体よりも、持ちが良かったりするかもしれない。
身体能力は、当然上だろうしな。
ダイエットに悩むこともない・・・。
しかし、それって生物なんだろうか?。
人格とかは継続しているけれど、素材は金属と樹脂とガラスとゴムとで出来ているかもしれないしな。
エネルギーは消費しても、代謝は起こらず(部品交換はするけど)、もちろん、それだけでは増殖もしない。
ビミョーな存在になることだけは間違いないだろうな。
まあ、どうでもいいんですが。
科学技術の進歩に伴い、人類の認識が変わってくるというのは歴史の示すところだ。
系外惑星が山のように発見され、月の裏側に人工物が降り立つ時代だ。
そのうち、遺伝子合成で作られた人工生物がペットとして傍らに蔓延り、遺伝子よりも微細化された機械の中に人間の意識が移植される時代が来るかもしれない。
生物を無生物と区別するために考案された生命という怪しげな概念が雲散霧消し、その全プロセスが解明される時、人類は新たな領域に踏み込まざるを得なくなる。
既に、その兆候は現れている。
合成生物学の台頭や、細胞機械論(っていうのかあ?)は、その一つだ。
何が生命であるかを論じる意味は、既になくなりつつあるのかもしれない。
砂を噛むようなこの感じ。
無味乾燥な、ざらついた不快感を何とかして欲しいもんだな・・・。
昨年3月、浮沈子は、細胞が生命ではないという話を聞いてショックを受けた。
(細胞と生命)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796229
「先日見つけたネット動画の中で、細胞は生命ではないというのがあって、ちょっとドキッとした。」
ちょっと再度引用しておこう。
(What Is Life? Is Death Real?:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=QOCaacO8wus
「1分7秒辺りで「しかし細胞は 生きているとは言えない」と出てくる(日本語字幕)。」
ウィキで「生命」を調べると、ヒーラ細胞の話が出てくる。
人間の細胞で最初に分離培養に成功したもので、現在も培養され続けている(他に似たようなのがあるかどうかは知りません)。
(生命:定義)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD#%E5%AE%9A%E7%BE%A9
「何が「生きているか」を考える難しさを示す実例にHeLa細胞が挙げられる事もある。これはヘンリエッタ・ラックスというアメリカ人女性の子宮がん細胞を元にしたヒト細胞であり、培養され世界中の研究所に分配され試験に用いられている。ヘンリエッタ個人は既に亡くなったが、彼女由来の細胞は現在でも生きている。」
代謝し、分裂し、遺伝子的に多様性を獲得したりする。
(HeLa細胞:染色体数)
https://ja.wikipedia.org/wiki/HeLa%E7%B4%B0%E8%83%9E#%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E6%95%B0
「2013年にHela細胞のゲノムが解読され、正常細胞と比較して著しいエラーが生じていることが報告された」
高密度培養やポリオウイルスの感染による細胞死があることからも、この細胞が生きていることは間違いない。
しかし、生化学的機序が解明された生命の部品、或いはその集合体である細胞が、化学的機械であり、生命とは呼べないとする考え方があるというのは、未だに浮沈子的にはショックだ。
ウイルスが生命でないとか、ウイロイド(植物に感染するRNAのみのウイルスみたいなもん:核酸のみなのでウイルスじゃないけど)が生命でないというのは、何となく分かる気がする。
(ウイルス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
「タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなる。」
「生命の最小単位である細胞をもたないので、非生物とされることもある。」
(ウイロイド)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89
「塩基数が200~400程度と短い環状の一本鎖RNAのみで構成され、維管束植物に対して感染性を持つもの。」
ただし、細胞核そのものや、細胞内のさまざまな働きをする部品の中には、ウイルス由来と思われるものもあり、また、ウイルスそのものも、元は代謝を行う機能を持っていて、それを捨て去ってウイルスになったのかもしれない。
代謝だって、無生物を取り込んで生物の恒常性維持に使っているわけだからな。
その取り込んでいる無生物だって、元を辿れば生物が作り出したものがほとんどだったりする。
ウイルスが、他の生物に寄生しなければ増殖できないといっても、人間を含めた従属栄養生物は全て他の生物に依存している。
動物なんて、全て植物(化学合成細菌もいますけど)の寄生虫といってもいい。
他の命を頂くことでしか生きられない、業の深い存在なわけだ。
そして、死んだ後は、自らがその他の生物の栄養となることによって、生命ではない、物質を介した命の連鎖を紡いでいくといえるかもしれない。
では、その循環の元となっている太陽エネルギーや地熱、化学物質の結合エネルギーは、生物の成り立ちとは無関係なんだろうか?。
そんなことはない。
それなくして、生命の存在が成り立たないのであれば、生物としての構造の外にあったとしても、生命の要素であるといっていいだろう。
つーか、おそらく、生命の外皮というのは、地球という惑星とか、太陽系までを包括している。
この岩石惑星と、それらを従えている太陽という恒星系全てがひとつながりのものとして個々の生命を支えている。
もう、細胞が生命でないとなどと言っている場合ではない(そうかあ?)。
しかし、その一方で、機械としての生物の理解は進んでいる。
NDAを弄繰り回して、人工生物を創り出す寸前のところまで来ている。
(「合成生物学の衝撃」読了)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/05/21/8856738
「今の私たちが、再び人工生命を生み出し、宇宙に進出しようとしていることを知ったら、何と思うだろうか。」
なんか、ちょっと引用を間違えたような気がするけど・・・。
まあいい。
遺伝子は、確かに生命の重要な要素を司っているが、それは紛れもなく物質だ。
その中に、生命の本質が埋め込まれているとしても、それを発現させる細胞がなければ、タダの化学物質に過ぎない。
生命ではない。
じゃあ、細胞はどうか。
代謝し、分裂し、恒常性を維持し、外界と内部を隔てる構造も持っている。
これもまた、生化学的に解明される時期が近付いている。
つまり、物質として理解されることになる。
そこにも、生命の本質的な何かはみつからないと思われる(たぶん)。
生命とは何か。
それは、ひょっとしたら、理系マターではなく、文系マターなのではないか。
つまり、人間が勝手に線引きしているだけの話で、白黒をはっきりさせることなんてできないんじゃないのか。
生態系の話を極限まで突き詰めれば、この宇宙(銀河系の外に広がる半径465億光年の時空の広がりと、その外側の観測不能な領域の全て)が、ひとつながりの世界だからな。
物質進化の流れから、宇宙の成り立ち、銀河の消長、太陽系の誕生からして、現在の我々の存在と切っても切れない深いつながりがある。
どこかで、何か一つが食い違っていれば、浮沈子がこの与太ブログを書くことはなかった。
その一方では、既に書いたように、生命の部品としての細胞の理解が進んでいる。
もう、細胞は分子的機械であって、生命の座ではないとさえ言われ始めているわけだ。
何が生命かは、人間が決める。
大方の見方が、細胞は生きていないというなら、そういうことになるんだろう。
人間が、人間の都合で生命の定義を書き換える。
やりかねないな・・・。
現代の生物学者は、生命という「モノ」が存在するなどという幻想は持っていない(未確認)。
ラッキョウの皮を剥くように、一つ一つの生命現象を解き明かしていけば、生物の持つ特性を説明できると考えている。
つまり、機械だ。
それが、長い進化の果てに獲得した精緻極まる仕掛けだとしても、有限の要素である限りは、解明可能と考えているに違いない。
その、解明された生物の持つ仕掛けを見て、或いは評価して、ここから先を生物としようとテキトーに決めればいいだけだ。
それは、今、我々が直感的に生物だと思っている連中のいくらかを排除してしまう方向に行くかもしれない。
そうではなくて、ありとあらゆるものを生命を持つものとして捉え、その中で段階的に序列化を行う方向に進むかもしれない。
そもそも、そういう区分自体に意味があるのかどうか。
浮沈子が敏感に反応する、地球外生命体の存在についても同じだな。
エネルギーを利用して、形態を維持しようとしたり、増殖したりする何物かであれば、鉱物のようなものであったとしても、それを生物ということにしてしまうかもしれないしな。
逆に、人間の食い物になるものは、生物と見做さなくなるかもしれないしな(そんなあ!)。
それも、国や文化によって異なってきたりしてな。
やっぱ、クジラは生き物じゃなくって、食い物だとかな。
まあ、どうでもいいんですが。
そこまで極端な話にはならないだろうが、細菌とかは際どいかもな。
遺伝子的な治療方法が開発されて、病原体としての脅威がなくなれば、怖いものはないからな。
真っ先につまはじきにされる可能性がある。
単細胞生物は、軒並み物質の範疇に放り込まれるかもしれない。
多細胞生物だって、安心はできない。
昆虫とかは、かなりヤバイ。
精密ロボットのようなもんだからな。
機械のように、プログラムされた通りに動くだけだ。
一方では、機械の方が進化して、そっちを生物の範疇に入れるような話になりかねない。
電子デバイスは、既に分子レベルの大きさになっちまってるしな。
集積回路は、数ナノメートルの製造プロセスで作られるんだそうだ。
(imecが明らかにした1.4nmプロセス実現に向けた研究計画)
https://news.mynavi.jp/article/imec14nm-1/
「今年(2017年)のITFの最大のハイライトは、imecの半導体技術およびシステム研究開発担当エグゼクティブ・バイスプレジデントであるAnn Steegen氏による1.4nm(14オングストローム)のプロセスを実現するに至る半導体デバイス・プロセス研究開発計画に関する詳細な発表だった」
ちなみにDNAの太さは20オングストロームだ。
(二重らせん:二重らせんの主要な特徴)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%93#%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%89%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%AE%E4%B8%BB%E8%A6%81%E3%81%AA%E7%89%B9%E5%BE%B4
「らせんの直径は20 Åである。」
べらぼうめ・・・。
そして、その電子回路の中では、膨大な情報が処理されて、ネットワークで外部とつながり、人間が及びもしない能力を発揮する。
人格だって持たされるに違いないしな。
それを、生物扱い(人間扱い?)するようになるのは、時間の問題だろう。
誰もが無生物と考えていたものが生物となり、生物に決まってんじゃんと思っていたものがそうでなくなる。
パラダイムの転換は、徐々にやってくるんだろう。
遺伝子操作されたピンク色のペットとかと共に。
空を飛ぶ犬や、水中で呼吸できる猫とか。
そういう、いわく言い難い存在が蔓延って、我々の周りはカオスになり、新しいパラダイムを受け入れざるを得なくなるのだ。
遺伝子操作された生物は、準生物(準惑星のようなもんか)になるとか・・・。
もちろん、正当な扱いを受ける権利はあるだろうが、ビミョーな差別が施されるようになるだろうな。
そして、精神と肉体との分離が行われるようになれば、意識を再構築して、肉体を乗り移るようになる。
いっそ、機械に移植してもよろしい。
下手な生身の身体よりも、持ちが良かったりするかもしれない。
身体能力は、当然上だろうしな。
ダイエットに悩むこともない・・・。
しかし、それって生物なんだろうか?。
人格とかは継続しているけれど、素材は金属と樹脂とガラスとゴムとで出来ているかもしれないしな。
エネルギーは消費しても、代謝は起こらず(部品交換はするけど)、もちろん、それだけでは増殖もしない。
ビミョーな存在になることだけは間違いないだろうな。
まあ、どうでもいいんですが。
科学技術の進歩に伴い、人類の認識が変わってくるというのは歴史の示すところだ。
系外惑星が山のように発見され、月の裏側に人工物が降り立つ時代だ。
そのうち、遺伝子合成で作られた人工生物がペットとして傍らに蔓延り、遺伝子よりも微細化された機械の中に人間の意識が移植される時代が来るかもしれない。
生物を無生物と区別するために考案された生命という怪しげな概念が雲散霧消し、その全プロセスが解明される時、人類は新たな領域に踏み込まざるを得なくなる。
既に、その兆候は現れている。
合成生物学の台頭や、細胞機械論(っていうのかあ?)は、その一つだ。
何が生命であるかを論じる意味は、既になくなりつつあるのかもしれない。
砂を噛むようなこの感じ。
無味乾燥な、ざらついた不快感を何とかして欲しいもんだな・・・。
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