🐼メキシコへの道:第2章:タトー(入れ墨)と筋肉の記憶または第二の天性2022年01月19日 05:59

メキシコへの道:第2章:タトー(入れ墨)と筋肉の記憶または第二の天性


日本ではあまり見かけないけど、海外ではふつーに入れ墨している人が多い。

我が国では、反社会的勢力との繋がりや、そもそも罪人に入れ墨していた歴史があるので、あまり人気がない。

(入れ墨)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E3%82%8C%E5%A2%A8

「体毛の少ない現生人類の誕生以降、比較的早期に発生し普遍的に継承されて来た身体装飾技術と推測されている。」

ダイビング業界は、海外では入れ墨していない人を探す方が難しいかも知れない。

前回のメキシコ行きで、ガイドをお願いしたヒデさんも、あちこちタトーだらけ。

タイのピピ島に行った際には、島中タトー屋さんばっかだったけど、プラヤデルカルメンのキンタアベニータ(5番街)には、1件くらいしかなかったので、どこで入れたの?、と聞いたら、あちこちでという答え。

行った先で、自分へのお土産として、記念に入れてもらったりする感じ。

オシャレというか、アクセサリー代わりだな。

罪人の印とか、反社会的勢力とかいうイメージじゃ全然ない。

浮沈子は、子供のころに通っていた銭湯で、入れ墨していた人を何人も見ているので、あまり偏見はないけど、それなりな感じの人がしていると、さすがにビビる。

迂闊に声かけられない感じ・・・。

まあいい。

入浴する時とかには、まあ、ふつー裸になるので、入れ墨しているのが目立つ。

気にする人は、わざわざ普段着ている服で隠れるところに入れるけど、海外ではオシャレなアイテムなわけだから、隠すことなどはない(アクセサリーって、見せびらかすもんだし・・・)。

普段見せられないなら、入れる意味はないからな。

服の裏地に凝る感性もあるから、必ずしも隠しているからおしゃれじゃないとは言えないかも(エッチな所に入れる人もいるみたいだし・・・)。

まあ、どうでもいいんですが。

なぜ、入れ墨の話になったかと言えば、ダイビングのスキルで「筋肉の記憶」とか「第二の天性」とかいう記述にぶつかって、ああ、入れ墨のようなものかと思い至ったからだ。

人間の記憶に染みついて、時の流れに褪せることなく、一生消えずに残り続ける。

ダイビングのスキルの方はそれ程でもなく、間が空けば薄れてしまうこともあるし、維持するためには継続的なトレーニングを続ける必要があるけどな。

浮沈子は、いま、一生消えることのない記憶のタトーを入れている最中だ。

入れ墨を入れたことがないので分からないけど、やっぱ、肌を傷つけて入れるわけだから、それなりに痛いに違いない(未確認)。

記憶に焼き付けるには、苦痛を伴う。

サイドマウントの練習では、爪が割れ、指先の皮が剥け、筋肉痛や関節痛に悩まされる(ヘタッピなので)。

稲取おひとりさま合宿では、隣の宿である「竜宮の使い」に泊まって毎日温泉三昧だったから、関節痛や筋肉痛は随分癒されたけどな。

しかし、それらの苦痛は時が経てば消える。

消えずに残るのは、そうして焼き付けられた「筋肉の記憶」だ。

器材は、経年劣化して擦り切れたり壊れたりするけど、「第二の天性」となったダイビングのスキルは、継続的なトレーニングを続けていれば消えることはない。

よりクッキリと、美しく映えるタトーのように、一生消えずに残り続ける。

タトーと違って、目には見えないけどな。

服の下に隠されたタトーのように、陸上にいたのでは、通常、それを目にすることはできない。

器材を身につけ、水中に入ったその瞬間、卓越したダイビングのスキルは宝石のようにキラキラと輝き出す。

浮沈子は、そうなりたいと心から願い、精進を重ねる。

それは、リスキーな環境で生き残るための技術の一つではあるけれど、人間が精進の末に到達することができる境地でもある。

インストラクションは、もちろん、知識や経験に裏付けられた適切な「言葉」に依るわけだし、適切な言葉は、ひゃっぺんやって見せるより効果がある。

しかし、浮沈子が思うに、磨き抜かれたスキルはそれに勝る。

ああいう風に出来るようになりたい・・・。

もちろん、そのための言葉による助言は必要だ。

トレーニングを続けるうえで、通常の適切な指導は欠かせない。

しかし、憧れを抱いて自ら学ぶ努力を惜しまない態度は、言葉だけでは得られないに違いない。

優れた指導者が優れたプレイヤーであれば言うことはないけど、必ずしもそうとは限らない(逆もまた真だし・・・)。

デモンストレーションは、別の人がやってもいいかも知れない。

でも(デモ?)、優れた技量を持つ指導者から学びたいと思うのは人情ではないか?。

それは、その人のようになりたいと強く願う気持ちに適うことでもある。

そうであれば、優れた指導者は、生活態度や行動の隅々まで意識して振る舞わなければならない。

浮沈子の周りには、生涯を掛けてスキルを磨き上げてきたダイバーが何人もいる。

中には、道を誤って(?)ダイバーになっちまった人もいるけどな(やれやれ・・・)。

英語には、ロールモデルという言葉がある。

(ロールモデル)
https://en.wikipedia.org/wiki/Role_model

「その行動、模範、または成功が他の人、特に若い人たちによってエミュレートされている、またはエミュレートされる可能性のある人」(エミュレートする=真似する)

記事では、アスリートをロールモデルにすることの問題点も指摘されている。

爆食してデブり、浴びるように酒を飲み、二日酔いなら潜れば治るとか言いながら、水中でアットーテキパフォーマンスを披露するダイバーもいるからな(えーと、推奨しているわけではありません)。

おおっぴらや、隠れタバコもいるしな(もちろん、P社的には推奨できませんけど)。

生身の人間だから、まして、肉体的な行為でもあるダイビングに於いてロールモデルになるのは大変だ。

しかし、少なくとも、その側面において、学ぶものを虜にするパフォーマンスを示すことができるかどうかは重要だ。

浮沈子は、少なくとも、学ぶ立場においてそのことを痛感している。

あんな風に出来るようになりたい。

そのための努力は惜しまない。

筋肉の記憶、第二の天性、見えないところに入れた入れ墨、なんでもいい。

稲取のプールの中には、浮沈子以外にも一人で黙々とスキルの練習に励むダイバーの姿があった。

ダイブマスター候補なんだろうか。

練度はまだまだだが、水中の鏡に向かって、ひたすら基本スキルを繰り返していた。

彼もまた、身体と心にタトーを入れようと精進しているのだ。

拙いスキルを笑うことはできない。

そうやって、憧れを我が物とするために足掻く姿もまた、美しいのだ。

若いダイバーの成長を願ってやまない。

まあ、ジジイの浮沈子が水中でもがいたり、暴れたりしていても、誰も美しいとは思ってくれないだろうけどな・・・。