🐼メキシコへの道:3日目は検査ツアーとカリブ海で癒しのファンダイブ:ADOの長距離バスの冷房には要注意 ― 2021年12月03日 19:37
メキシコへの道:3日目は検査ツアーとカリブ海で癒しのファンダイブ:ADOの長距離バスの冷房には要注意
何はともあれ、無事帰国を果たした。
今日を含め、15日間の自宅待機が始まる。
まあ、そっちの方はおいおいブログにあげていく。
時系列では、前回は2日目のエルエデン(エデン)とタジマハ、その夜の5番街の徘徊まで書いた。
3日目は、懸案のPCR検査。
日本政府の書式で証明書を発行してくれる検査ツアーだ(ツアーなのかあ?)。
まあ、初めてのメキシコからの帰国だからな。
多少金額が張っても、帰国手続き上の保険として選択の余地はない。
事前の情報で、プラヤデルカルメンやトゥルムでも、PCR検査はあちこちでやれるという話は聞いていた。
しかし、そこで発行される検査証明書が我が国の(手続きだけは)ガチガチの検疫で通るかどうかは分からないし、そもそも、現地での航空会社(今回はANA)の事前チェックを通るかどうかも不明だ。
そこで跳ねられれば、日本に向けて出発する飛行機に乗ることが出来なくなる。
浮沈子は一計を案じ、二重投資にはなるけど、プラヤでの検査も受けて、初めにそっちだけ出してみようと考えた。
だめなら、オーソライズされた書式を後から出すしかない。
試された方は面白くはないだろうが、それならリスクはない。
来年春までの状況が同じなら、数万円の節約にもつながる。
で、バスでプラヤに戻った後に、ADOのターミナル(第1ターミナル?:5番街の南端近く)からほど近いところにある検査センターで受けることにした(特に予約とかはしませんでした)。
バスに何時に乗れるかにもよるけど、確か夜9時くらいまでは営業していた気がしたからな(テキトーです)。
というわけで、ほぼ行き当たりばったりの検査ツアーパート2もプランして、まずはパート1のピックアップに臨む。
6時50分にホテル近くの交差点に行くと、英語が流ちょうな運転手さんが見つけてくれて声掛けしてくれた。
今日は、ツアコンなし。
午後から水中美術館ダイビングがあるので、水中眼鏡とダイコン、海パン、タオルを持参している。
もちろん、検査のために必要なパスポートも持っている。
単独の行動になるため、何かあるといけないので、緊急連絡用セルラーホンやWi-Fiルーター、スマホも持参しているから、結構な荷物になる。
ノートパソコンも持参しようかと考えたが、メールを受けるようなことがなければ不要なので止めた(浮沈子のスマホからはメール確認ができないので)。
連絡を取る必要があるのは、午後のダイビングの集合時刻に遅れそうな場合くらいだが、まあ、その心配はまずないし、メッセンジャーはスマホから使えるからな。
車に乗り込むと、クルマは快調に飛ばし、1時間ほどで検査場に着いた。
カンクンの街中だが、土地勘がないのでどの辺りかは分からない。
清潔な感じの建物に入り、英語の筆談を交えた受付を済ませる(持参したパスポートはコピーを取られました)。
結果通知のあて先が、浮沈子直接ではなくHISを経由するという段取りになっているので、やや混乱したが、最終的には了解した。
まあいい。
もらえる物さえもらえればいいわけだからな。
翌日の午前1時までにはメールするとのことだが、その後、浮沈子のところに何時届くのかは分からない。
その時点では、ホテルのフロントで印刷を本当にやってくれるかどうか確証がないからな(受付の人が変わると、対応が変わる可能性もあるし)。
手続きを済ませ、検体を取る部屋に入ると、防護服に身を固めた担当者が書類を確認した後、椅子に座るように指示される。
鼻の穴と喉の奥にそれぞれ綿棒を突っ込まれて、2種類の検体を採取された。
唾液とかではない。
本格的な奴だ(グリグリ・・・)。
検査方法はRT-PCRということで、我が国でも認められている。
検体採取自体は、ものの2分程度で終わり、検査場を後にする。
時刻はまだ8時を回ったばかりだ。
早過ぎ!。
一路、ホテルゾーンを目指すが、30分もしないでソルベントホテルの入口に着く。
運転手さんに100ペソのチップを渡し、ホテルの入口に行くんだが、風通しのいいフロントで、ちょっと不安。
そう、イメージしていたのは、金モール付きの制服を着たドアマン(常連客の名前と顔は全て記憶しているらしい)がいて、そこでもチップを払うような、重厚な格式の高いホテルだ(もちろん、浮沈子は泊まったことなどありませんが)。
入口も、表通りから引っ込んでいて、分かり辛い。
ツアーに組み込んでおいてよかった。
個人手配では、場所の特定すら困難だからな。
紅海のダイビングツアーで泊まったシャルムエルシェイクのホテルに感じが似ている。
で、フロントの人に聞いて、プールサイドに行けば分かる的案内をされて、とことこ敷地内の道を歩いていくと、確かにプールがあって、係の人が網で水面に落ちている落ち葉を掬っている。
プール付きホテルにおける朝の定番の光景だ。
しかし、そこにタンクが並んでいて、ガイドさんが客に説明をしている光景はあるけど、肝心のサービスには、まだ誰もいない。
まあ、時間になったらこの辺りに来ればいいんだろう的判断で、とりあえずは朝飯にありつこうとホテルの近所のOXXO(何て読むのかは知りませんが、あちこちにあるコンビニ:セブンイレブンもあるけど、こっちの方が多いかな)へ向かう。
(OXXO)
https://ja.wikipedia.org/wiki/OXXO
「OXXO(オクソ、スペイン語)とは、メキシコのコンビニエンスストアのフランチャイズ。メキシコ最大のコンビニチェーンである」
入口で、店の人が何やら客と揉めている。
どうやら、今日は営業しないらしい。
マジか!?。
休業のコンビニの隣に、朝飯を食わせるメキシコ料理の店があったので、時間つぶしにそこに入る。
100ペソ程度のモーニングがあったので、コーヒーと一緒に頼んだ(コーヒー代は別)。
ホントは、初めはコーヒーだけにしようかと思ったんだが、カプチーノを飲んだら美味しかったので、追加でモーニングも頼んだ。
トルティーヤにスクランブルエッグと、ペースト、ソーセージを挟んで、ソースをつけて食べる。
自分でやるタコスだが、辛いのダメな浮沈子は、事前に仕入れた情報通り、ソースをちょこっと舐めてから、辛い奴を避けて食べた。
完食!。
コーヒーおかわりして、250ペソくらい払った(コーヒーがセットでないのは気をつけないとな)。
いい値段だ・・・。
まだ時間もあるし、そういえばホテルゾーンの中にマヤ博物館があったことを思い出して、時間つぶしに行ってみようと思い立った。
行き当たりばったりだな。
どーせ、ホテルゾーンは1本道だから、どの系統の路線バスに乗っても同じだと思って、一番最初に来たルート2のバスに乗る。
12ペソの小銭を払い、オムニホテルと告げる。
地図によれば、博物館は隣なわけだ。
バスはそこそこ混んでいて、席にはすぐには座れなかったが、少し走ると客が降りて空いた席に座って、まだかまだかと到着を待つ。
スマホの現在地情報が上手く表示されず、乗り過ごすのではないかと気が気じゃない。
30分も走った頃、ようやくオムニホテルの看板が見えて(つーか、ОMNIと書かれたホテルの外壁が見えて)バスを降りる。
確かに、道沿いに博物館らしい建物はあるんだが、どこが入口かは分からない。
草むしりしている人に聞くと、入り口はあっちだが、今日は休みだという。
入口に回って、中にいた警備の人に確認すると、月曜日は定休日なんだそうだ。
マジか!?。
OXXOのコンビニと言い、博物館と言い、今日は休業日の当たりの日だな(んなもんに当たっても嬉しくも何ともない!)。
仕方がないので、反対方向のバスに乗ってソルベントホテルに戻った。
ホテルの近所の道路わきの空き地では、プレハブ式の建物の中でPCR検査を実施していた(抗原検査や抗体検査も併せてできるようです:もちろん、そっちの方が安い)。
値段は、どこも同じ感じだ(PCRは90米ドル)。
少し早かったが、プールサイドのレストランで、ノンアルコールビールを飲みながら、ダイビングの準備をしているとガイドさんが現れた。
貴重品を、プールサイドのダイビングサービスの小屋に預かってもらって、ゆっくりと準備をしてボートに乗り込む。
浮沈子は、てっきりホテルゾーン近辺の水中美術館だろうと思ったんだが、イスラムヘーレスのそばの、最初の水中美術館まで足を延ばした(2本目は近くの根でおさかなダイブ:ウメイロモドキ?の群れ多数)。
器材は、マスクとダイコン以外はフルレンタルで、フルフットフィンとショーティーのウェットスーツにヨークバルブという久しぶりの南の島仕様で暖かい海中散歩を楽しむ。
こう言っては何だが、ダイビングとしては、1度行けば十分という感じ。
久々のボートダイブだったし、最近、バックロールエントリーもしてないからな。
でも、いい気分転換にはなった。
ずーっとセノーテばっかだと、やっぱ口直しが必要な気もする。
浮沈子の洞窟愛が足りないのかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
念願のカリブ海ダイブも果たして、一路ホテルへの帰路に就く。
ガイドのヒデさんは、ADOのバスターミナルまで送ってくれると言ってくれたけど、ここは冒険してみたい!。
日本から来たばっかのジジイでも、一人で帰れるところを見せないとな(それがどーした!?)。
ホテル近くのバス停で、手慣れた感じで手を上げて(上にあげるのではなく、横に出す感じで停めるのがカッコいい!)、ルート1(R1)のバスに乗る。
ヒデさんからは、夕方の時刻は混むこともあって、満員だと停まってくれないこともあると言われていたけど、なんなく座ることさえ出来た。
教えられた通り、「アデオ、ポルファボール」と呪文を唱えるとバスは走り出した。
何人かはバスターミナルで降りるだろうと思っていたけど、降りたのが浮沈子だけだったのは意外だったな。
歩道橋を渡り、通りの反対側に行くとバスターミナルがあり、列に並んで18時発プラヤデルカルメン行きの乗車券を92ペソで買う。
ネット予約だと更に安くなるようだけど、そういうのは次回にする。
待合室に行って外を見ると、さっきまでそんな気配はなかったのに、土砂降りの豪雨になっていて驚いた。
そういえば、海の上からも、あちこちでスコールしているのが見えていたからな(ガイドさんは、干してきた洗濯物が気になっていたようです)。
時間があったので、待合室にあったサブウェイで、サンドイッチを買ってコーラと一緒に食べた。
時間になると、係の人が行先を告げ、前の人の後についてゾロゾロとバスに乗り込む。
乗る際に、チケットのバーコードを読み取っていたな。
バスの中はガンガンに冷房が効いていて、長袖でないと耐えられない。
もう一枚、薄いジャケットの下に着てきても良かったと後悔する。
長ズボンと靴下は履いてきていた。
話には聞いていたけど、ここまで冷やすとは思わなかった。
降りる頃には、お腹が冷え切って、少し腹痛になっていた。
プラヤへの道は、夜中に着いた初日とは異なり、渋滞が発生ていて、1時間半ほどかかって到着した。
後で聞いたら、鉄道を引くための工事をずーっとやっているんだそうだ。
平日昼間の移動は、それを考慮して考えないといけない。
出発日のピックアップも、その影響で45分早くなったりした。
が、それは後の話になる。
プラヤデルカルメンに向かう途中でとっぷりと日が暮れて、バスは真っ暗な道を走る。
当初は、1時間余りで付くと思っていたので、だんだんと不安になってくる。
ひょっとしたら、間違ったバスに乗ってしまって、とんでもない方角に走っているのではないか(気が付いたら、メキシコシティに着いているとか:まさかね・・・)。
お腹が冷えて痛くなってきたことと併せて、ネガティブな妄想に苛まれていたが、ようやく左折した時にはホッとした。
街中で、プラヤの文字を探すけど、そういう看板はなかった。
横切る通りの番号が、5つずつ少なくなってきているので、おそらく間違いないだろうと思ったけど。
10番街を過ぎて、バスが左折して昨日見てきたターミナルに入った時にはホッとした。
ホテルへの道は繋がり、これで徒歩で帰ることができる。
しかし、今日の冒険はまだ終わってはいない。
5番街の途中で、左側にある検査場に飛び込みで入って、片言の英語で受付のねーちゃん(こっちは綺麗な英語)とやり取りして、今朝と同じようなPCR検査を受ける。
90ドル(ざっと4分の1です)。
結果は、明日朝8時以降だという。
十分だ。
大体、早ければ12時間くらいが目安だな。
ラボへ運ぶ巡回便みたいなのがあって、そのサイクルで多少の遅れとかはあっても、少なくとも24時間以内には結果が通知される様だ。
今日の予定は終了。
歩いてホテルに帰り、明日の準備を整えて爆睡した。
最終日に、とんでもないことが起こるなんて、夢にも思わず夢にも見ずに・・・。
何はともあれ、無事帰国を果たした。
今日を含め、15日間の自宅待機が始まる。
まあ、そっちの方はおいおいブログにあげていく。
時系列では、前回は2日目のエルエデン(エデン)とタジマハ、その夜の5番街の徘徊まで書いた。
3日目は、懸案のPCR検査。
日本政府の書式で証明書を発行してくれる検査ツアーだ(ツアーなのかあ?)。
まあ、初めてのメキシコからの帰国だからな。
多少金額が張っても、帰国手続き上の保険として選択の余地はない。
事前の情報で、プラヤデルカルメンやトゥルムでも、PCR検査はあちこちでやれるという話は聞いていた。
しかし、そこで発行される検査証明書が我が国の(手続きだけは)ガチガチの検疫で通るかどうかは分からないし、そもそも、現地での航空会社(今回はANA)の事前チェックを通るかどうかも不明だ。
そこで跳ねられれば、日本に向けて出発する飛行機に乗ることが出来なくなる。
浮沈子は一計を案じ、二重投資にはなるけど、プラヤでの検査も受けて、初めにそっちだけ出してみようと考えた。
だめなら、オーソライズされた書式を後から出すしかない。
試された方は面白くはないだろうが、それならリスクはない。
来年春までの状況が同じなら、数万円の節約にもつながる。
で、バスでプラヤに戻った後に、ADOのターミナル(第1ターミナル?:5番街の南端近く)からほど近いところにある検査センターで受けることにした(特に予約とかはしませんでした)。
バスに何時に乗れるかにもよるけど、確か夜9時くらいまでは営業していた気がしたからな(テキトーです)。
というわけで、ほぼ行き当たりばったりの検査ツアーパート2もプランして、まずはパート1のピックアップに臨む。
6時50分にホテル近くの交差点に行くと、英語が流ちょうな運転手さんが見つけてくれて声掛けしてくれた。
今日は、ツアコンなし。
午後から水中美術館ダイビングがあるので、水中眼鏡とダイコン、海パン、タオルを持参している。
もちろん、検査のために必要なパスポートも持っている。
単独の行動になるため、何かあるといけないので、緊急連絡用セルラーホンやWi-Fiルーター、スマホも持参しているから、結構な荷物になる。
ノートパソコンも持参しようかと考えたが、メールを受けるようなことがなければ不要なので止めた(浮沈子のスマホからはメール確認ができないので)。
連絡を取る必要があるのは、午後のダイビングの集合時刻に遅れそうな場合くらいだが、まあ、その心配はまずないし、メッセンジャーはスマホから使えるからな。
車に乗り込むと、クルマは快調に飛ばし、1時間ほどで検査場に着いた。
カンクンの街中だが、土地勘がないのでどの辺りかは分からない。
清潔な感じの建物に入り、英語の筆談を交えた受付を済ませる(持参したパスポートはコピーを取られました)。
結果通知のあて先が、浮沈子直接ではなくHISを経由するという段取りになっているので、やや混乱したが、最終的には了解した。
まあいい。
もらえる物さえもらえればいいわけだからな。
翌日の午前1時までにはメールするとのことだが、その後、浮沈子のところに何時届くのかは分からない。
その時点では、ホテルのフロントで印刷を本当にやってくれるかどうか確証がないからな(受付の人が変わると、対応が変わる可能性もあるし)。
手続きを済ませ、検体を取る部屋に入ると、防護服に身を固めた担当者が書類を確認した後、椅子に座るように指示される。
鼻の穴と喉の奥にそれぞれ綿棒を突っ込まれて、2種類の検体を採取された。
唾液とかではない。
本格的な奴だ(グリグリ・・・)。
検査方法はRT-PCRということで、我が国でも認められている。
検体採取自体は、ものの2分程度で終わり、検査場を後にする。
時刻はまだ8時を回ったばかりだ。
早過ぎ!。
一路、ホテルゾーンを目指すが、30分もしないでソルベントホテルの入口に着く。
運転手さんに100ペソのチップを渡し、ホテルの入口に行くんだが、風通しのいいフロントで、ちょっと不安。
そう、イメージしていたのは、金モール付きの制服を着たドアマン(常連客の名前と顔は全て記憶しているらしい)がいて、そこでもチップを払うような、重厚な格式の高いホテルだ(もちろん、浮沈子は泊まったことなどありませんが)。
入口も、表通りから引っ込んでいて、分かり辛い。
ツアーに組み込んでおいてよかった。
個人手配では、場所の特定すら困難だからな。
紅海のダイビングツアーで泊まったシャルムエルシェイクのホテルに感じが似ている。
で、フロントの人に聞いて、プールサイドに行けば分かる的案内をされて、とことこ敷地内の道を歩いていくと、確かにプールがあって、係の人が網で水面に落ちている落ち葉を掬っている。
プール付きホテルにおける朝の定番の光景だ。
しかし、そこにタンクが並んでいて、ガイドさんが客に説明をしている光景はあるけど、肝心のサービスには、まだ誰もいない。
まあ、時間になったらこの辺りに来ればいいんだろう的判断で、とりあえずは朝飯にありつこうとホテルの近所のOXXO(何て読むのかは知りませんが、あちこちにあるコンビニ:セブンイレブンもあるけど、こっちの方が多いかな)へ向かう。
(OXXO)
https://ja.wikipedia.org/wiki/OXXO
「OXXO(オクソ、スペイン語)とは、メキシコのコンビニエンスストアのフランチャイズ。メキシコ最大のコンビニチェーンである」
入口で、店の人が何やら客と揉めている。
どうやら、今日は営業しないらしい。
マジか!?。
休業のコンビニの隣に、朝飯を食わせるメキシコ料理の店があったので、時間つぶしにそこに入る。
100ペソ程度のモーニングがあったので、コーヒーと一緒に頼んだ(コーヒー代は別)。
ホントは、初めはコーヒーだけにしようかと思ったんだが、カプチーノを飲んだら美味しかったので、追加でモーニングも頼んだ。
トルティーヤにスクランブルエッグと、ペースト、ソーセージを挟んで、ソースをつけて食べる。
自分でやるタコスだが、辛いのダメな浮沈子は、事前に仕入れた情報通り、ソースをちょこっと舐めてから、辛い奴を避けて食べた。
完食!。
コーヒーおかわりして、250ペソくらい払った(コーヒーがセットでないのは気をつけないとな)。
いい値段だ・・・。
まだ時間もあるし、そういえばホテルゾーンの中にマヤ博物館があったことを思い出して、時間つぶしに行ってみようと思い立った。
行き当たりばったりだな。
どーせ、ホテルゾーンは1本道だから、どの系統の路線バスに乗っても同じだと思って、一番最初に来たルート2のバスに乗る。
12ペソの小銭を払い、オムニホテルと告げる。
地図によれば、博物館は隣なわけだ。
バスはそこそこ混んでいて、席にはすぐには座れなかったが、少し走ると客が降りて空いた席に座って、まだかまだかと到着を待つ。
スマホの現在地情報が上手く表示されず、乗り過ごすのではないかと気が気じゃない。
30分も走った頃、ようやくオムニホテルの看板が見えて(つーか、ОMNIと書かれたホテルの外壁が見えて)バスを降りる。
確かに、道沿いに博物館らしい建物はあるんだが、どこが入口かは分からない。
草むしりしている人に聞くと、入り口はあっちだが、今日は休みだという。
入口に回って、中にいた警備の人に確認すると、月曜日は定休日なんだそうだ。
マジか!?。
OXXOのコンビニと言い、博物館と言い、今日は休業日の当たりの日だな(んなもんに当たっても嬉しくも何ともない!)。
仕方がないので、反対方向のバスに乗ってソルベントホテルに戻った。
ホテルの近所の道路わきの空き地では、プレハブ式の建物の中でPCR検査を実施していた(抗原検査や抗体検査も併せてできるようです:もちろん、そっちの方が安い)。
値段は、どこも同じ感じだ(PCRは90米ドル)。
少し早かったが、プールサイドのレストランで、ノンアルコールビールを飲みながら、ダイビングの準備をしているとガイドさんが現れた。
貴重品を、プールサイドのダイビングサービスの小屋に預かってもらって、ゆっくりと準備をしてボートに乗り込む。
浮沈子は、てっきりホテルゾーン近辺の水中美術館だろうと思ったんだが、イスラムヘーレスのそばの、最初の水中美術館まで足を延ばした(2本目は近くの根でおさかなダイブ:ウメイロモドキ?の群れ多数)。
器材は、マスクとダイコン以外はフルレンタルで、フルフットフィンとショーティーのウェットスーツにヨークバルブという久しぶりの南の島仕様で暖かい海中散歩を楽しむ。
こう言っては何だが、ダイビングとしては、1度行けば十分という感じ。
久々のボートダイブだったし、最近、バックロールエントリーもしてないからな。
でも、いい気分転換にはなった。
ずーっとセノーテばっかだと、やっぱ口直しが必要な気もする。
浮沈子の洞窟愛が足りないのかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
念願のカリブ海ダイブも果たして、一路ホテルへの帰路に就く。
ガイドのヒデさんは、ADOのバスターミナルまで送ってくれると言ってくれたけど、ここは冒険してみたい!。
日本から来たばっかのジジイでも、一人で帰れるところを見せないとな(それがどーした!?)。
ホテル近くのバス停で、手慣れた感じで手を上げて(上にあげるのではなく、横に出す感じで停めるのがカッコいい!)、ルート1(R1)のバスに乗る。
ヒデさんからは、夕方の時刻は混むこともあって、満員だと停まってくれないこともあると言われていたけど、なんなく座ることさえ出来た。
教えられた通り、「アデオ、ポルファボール」と呪文を唱えるとバスは走り出した。
何人かはバスターミナルで降りるだろうと思っていたけど、降りたのが浮沈子だけだったのは意外だったな。
歩道橋を渡り、通りの反対側に行くとバスターミナルがあり、列に並んで18時発プラヤデルカルメン行きの乗車券を92ペソで買う。
ネット予約だと更に安くなるようだけど、そういうのは次回にする。
待合室に行って外を見ると、さっきまでそんな気配はなかったのに、土砂降りの豪雨になっていて驚いた。
そういえば、海の上からも、あちこちでスコールしているのが見えていたからな(ガイドさんは、干してきた洗濯物が気になっていたようです)。
時間があったので、待合室にあったサブウェイで、サンドイッチを買ってコーラと一緒に食べた。
時間になると、係の人が行先を告げ、前の人の後についてゾロゾロとバスに乗り込む。
乗る際に、チケットのバーコードを読み取っていたな。
バスの中はガンガンに冷房が効いていて、長袖でないと耐えられない。
もう一枚、薄いジャケットの下に着てきても良かったと後悔する。
長ズボンと靴下は履いてきていた。
話には聞いていたけど、ここまで冷やすとは思わなかった。
降りる頃には、お腹が冷え切って、少し腹痛になっていた。
プラヤへの道は、夜中に着いた初日とは異なり、渋滞が発生ていて、1時間半ほどかかって到着した。
後で聞いたら、鉄道を引くための工事をずーっとやっているんだそうだ。
平日昼間の移動は、それを考慮して考えないといけない。
出発日のピックアップも、その影響で45分早くなったりした。
が、それは後の話になる。
プラヤデルカルメンに向かう途中でとっぷりと日が暮れて、バスは真っ暗な道を走る。
当初は、1時間余りで付くと思っていたので、だんだんと不安になってくる。
ひょっとしたら、間違ったバスに乗ってしまって、とんでもない方角に走っているのではないか(気が付いたら、メキシコシティに着いているとか:まさかね・・・)。
お腹が冷えて痛くなってきたことと併せて、ネガティブな妄想に苛まれていたが、ようやく左折した時にはホッとした。
街中で、プラヤの文字を探すけど、そういう看板はなかった。
横切る通りの番号が、5つずつ少なくなってきているので、おそらく間違いないだろうと思ったけど。
10番街を過ぎて、バスが左折して昨日見てきたターミナルに入った時にはホッとした。
ホテルへの道は繋がり、これで徒歩で帰ることができる。
しかし、今日の冒険はまだ終わってはいない。
5番街の途中で、左側にある検査場に飛び込みで入って、片言の英語で受付のねーちゃん(こっちは綺麗な英語)とやり取りして、今朝と同じようなPCR検査を受ける。
90ドル(ざっと4分の1です)。
結果は、明日朝8時以降だという。
十分だ。
大体、早ければ12時間くらいが目安だな。
ラボへ運ぶ巡回便みたいなのがあって、そのサイクルで多少の遅れとかはあっても、少なくとも24時間以内には結果が通知される様だ。
今日の予定は終了。
歩いてホテルに帰り、明日の準備を整えて爆睡した。
最終日に、とんでもないことが起こるなんて、夢にも思わず夢にも見ずに・・・。
🐼メキシコへの道:ザ・ラストダイブ:洞窟愛が試された日 ― 2021年12月04日 04:41
メキシコへの道:ザ・ラストダイブ:洞窟愛が試された日
最終ダイビング(4日目)の朝、浮沈子がメールをチェックすると、既に午前6時過ぎに後から検体採取したPCR検査の結果がメールで届いていた(検体採取から約10時間半後)。
ネガティブ!。
ちょっとホッとする。
書式はもちろん日本政府のものではないが、検体採取時刻の欄を除いては要件を満たしている。
必要項目のうち、そこだけスペイン語オンリーで書かれていて、英語併記はない。
「FECHA/DATE: 29/11/2021
HORA DE EMISION: 19:32:24」
エミッションというのは、英語のそれと同じく排出とかそういう意味だと思うけれど、ここでは検体採取時刻として記載されているようだ(たぶん)。
時間的にも、大体合ってる感じだしな。
これで、少なくともメキシコシティで足止めされる可能性は小さくなった。
さて、試しに、まずこれ(PDFファイル)をフロントのねーちゃんがプリントアウトしてくれるかやってみよう。
本番の前に、予行演習というわけだ。
早速、持参のUSBメモリーに落としてフロントに行くと、あっけなく印刷してもらえた。
まあ、USBメモリーを足元に置かれているデスクトップパソコンのUSBソケットに差し込むのに、スマホを照明代わりにしたり、ふくよかな身体を折り曲げて屈みこんだりして、ねーちゃんの方は苦労していたみたいだけどな。
陰性証明書をゲットして、少しストレスが減った状態で気分もいい。
時差ボケも取れていて、これまでの中では、体調万全な感じだ。
今日は、チャックモールで2本、カラベラで1本の計3本潜る。
しかも、その間の移動が一番長い(1時間くらい)。
初日に、ドスオホスとセットで潜る予定だったカラベラを、最終日に組み替えたからな。
竹内軍曹からは、カラベラはエントリーが大変だから覚悟しておけと忠告されている。
武者震いだ(ぶるる・・・)。
が、まあ、最初は光のカーテンが美しいと評判のチャックモールだからな。
まずは、2つ並んでいるポイントの一つ(奥にあります)のククルカンという方から潜る。
(セノーテ ククルカン)
https://aquappli.com/product/chcf/
「日本でも馴染みのあるセノーテダイブの写真で光のカーテンの中を優雅に泳いでいるのがセノーテチャックモールにある『ククルカン』というポイントです。」
「切り裂くように広がるセノーテの水面に太陽の光が入り込み、広い範囲で光の差し込みを水中で見ることが出来ます。透明度が高いので優雅で雄大な景色の中を浮遊し、まるで空を飛んでいるような錯覚さえ覚える程に素敵な場所です。」
今回、浮沈子はカメラを持って行かずに自前の2眼レンズ(相当老眼が来ている自分の目玉)と揮発メモリー(最近、容量も減っているような気がする記憶細胞)に頼っている。
画像は、セノーテ専属カメラマンが撮ってくれて、エキジット後に有料で買ったものの一つだ(ドロップボックス経由でゲットすることが出来ました)。
本格ケーブ仕様のサイドマウントな癖に、白のクアトロプラスのフィンとヘルメットなしのフードベスト、アホ丸出しのOKサイン(ピースサインのもあります!)を出しているのは、浮沈子に間違いはない(他にいるか、そんなヤツ!:よく見ると、ライトコードはよじれているし、ネックレギはひん曲がっている)。
写真は、ドスオホスでも撮ってもらった。
まあ、ちゃんと潜ってきたぞという証拠写真以外の意味はない。
実際に、その光景を見なければ、そして、自らの足でフィンキックし、移ろい変わる光のカーテンの中を泳いでみなければその感動は味わえない。
カバーンの中のカバーン、セノーテの中のセノーテだな。
奥まで行って1周することもできるけど、ここは途中でUターンして戻ってきた。
2本目は隣のポイントであるチャックモール(セノーテ名にもなっていて、エントリー口は手前)。
(セノーテダイビング【元セノーテガイドがオススメするセノーテ紹介!】 その5 セノーテダイビングポイント チャックモール ククルカン)
https://note.com/pgw33xica993/n/n03b3b9ea2ca6?magazine_key=m1d35887eee32
ヒデさんのページは、地図が両方ともククルカンになっていたので、こっちを引用する。
「チャックモールセノーテ:エアドーム:
途中にエアドーム(まだ天井が崩落していない洞窟空間)があり、そこでセノーテの中で一度浮上し、エアドームで休憩します。」
陸上から木の根が到達していて、昆虫とかもいるという。
ちょっとブキミーな感じだ。
光と影。
隣り合うポイントを潜り、最終ダイビングのカラベラへと向かう。
1時間近く走り、もう、トゥルムに近い交差点を右に曲がるとすぐのところに入口があったが、どうやら以前と変わっていたらしく、一度行き過ぎてから戻って入った。
駐車場も変わっていて、以前は200m歩いてタンクを運ぶのが大変という話だったが、現在は20mほどで辿り着く。
やっぱ、本当のことは、現地に行ってみないと分からんのよ!。
(セノーテダイビング!これぞ洞窟ダイビング!【元セノーテガイドがオススメするセノーテ紹介!】 その12 カラベラ)
https://note.com/pgw33xica993/n/n9c8cbaad6b91?magazine_key=m1d35887eee32
「カラベラはスペイン語で、頭蓋骨という意味があります。」
「器材を全部装着した状態で、ここからジャイアントストライドで飛び込みます。」
まあ、この辺りも、実際にはそうではない。
シングルタンクダイバーやダブルタンクなら、それでもいいかも知れないが、サイドマウント2本差しでは、ちょっと躊躇われる(慣れれば行けるかもしれませんが)。
引用記事の写真に写っているエキジット用のハシゴの横と、ちょっと離れた小さな穴のところからロープが垂れていて、それにタンクを吊るして事前に降ろしたり、エキジット後に上げたりする。
降ろしたタンクは、下で別のダイバーが受け取り、自前で用意したロープでハシゴに括り付けておく。
サイドマウントダイバーは、その後にタンク以外の器材を装備してジャンプエントリーし、足の付かない水面でタンクを装着して潜降するわけだ。
浮沈子がタンクをおろす役、ガイドのヒデさんが下の水面でタンクを受け取る役だ(エキジットは逆で、ヒデさんがタンクを引き上げてくれた:もちろん、そっちの方が大変だし!)。
ガイドさんは、先に水面にいるから、浮沈子はタンクをおろした後で、一人で装備してジャンプしてエントリーすることになる。
悪魔は、この状況を待っていたのだった。
この日のカラベラは、ダイバーこそ我々だけだったが、大勢のお客さんが来ており、穴の淵からのダイブを楽しんでいた。
それも気になったし、水面にいるガイドさんを待たせてはならないという焦りもあった。
さらに、気温が上がってきていて(3本目なので、既に昼過ぎ)、頭がボーっとしていたということもあるかも知れない(気温のせいかあ?)。
ハーネスを締め、BCを着け、マスクをかぶってジャンプした時に、何かを忘れているなどということは考えもしなかった・・・。
いや、マスクに曇り止めをするのを忘れていたことには気づいていた。
水面で、天然曇り止め(唾液ともいう)を塗って誤魔化した時にも、その曇り止めと一緒に置いておいたあるものを忘れたことには考えが及ばなかった。
タンクを装着するのに手間取り、水面でジタバタし、そのことが余計気を逸らせていた。
言い訳は無数にあるが、トラブルというのはそういう小さなことが積み重なり、基本的な確認を疎かにする時を狙っていたかのように襲ってくる。
が、まあ、とりあえず潜降準備は整い、やや濁った水中に入る。
小さな穴を降りていくときに、耳抜きが出来ないことに気づき、ライトで合図して一度少し浮上してもらい、耳が抜けたところでUターンして戻った。
ホッとした。
ラストダイブで潜れなかったら悲しいからな。
カラベラは、これまでのセノーテと違って、穴の中に光が差し込まない。
洞窟感満載のセノーテだ。
竹内軍曹が、なぜここを講習のポイントとして選んだのかが分かったような気がする。
実際の講習は、カバーンの先のケーブ(洞窟の奥:まだ行ったことはありません:いわゆる死神の住処)で行うけど、ここはその雰囲気を漂わせている。
浮沈子には、パラオのシャンデリアケーブでパニックになったトラウマがある。
真っ暗な中で小さいライトしか持たず、視界を失い、半分、空間識失調(バーティゴ)になって、もがいた。
このセノーテは、そういう環境(シャンデリアケーブは、振り返れば入口の光が見えますけど)に近い、ミニケーブなわけだ。
洞窟愛が試される。
ここが好きになれれば、フルケーブダイバーとしての素質があるのかも知れない。
暗闇の底に、どこまでも続いている洞窟。
人間の侵入を拒み、許さず、立ち入る者に生贄を要求する絶対的な存在だ。
超が付くヘンタイだけが、その禁を侵し、どくろマークの奥へと進んでいく・・・。
洞窟の奥には何もない。
暗闇と鍾乳石という時の化石があるだけだ。
浮沈子には計り知れない世界だ。
広いところもあるんだろうが、狭くて通り辛いところもあるだろう。
そんな洞窟の奥へと進んで行って、何を見ようというのだろうか?。
死神の微笑みを見た者はいない。
なぜなら、彼らは二度と生きて戻っては来ないからな。
それでなくても、水中は人間の存在を許さない世界だ。
我々は、しばしの間、潜水器の助けを借りて、そこにお邪魔しているに過ぎない。
我々が帰るべき場所は、光が溢れ、風がそよぎ、小鳥たちが囀る陸上の世界だ。
この洞窟の奥に続く、死神たちの住処ではない。
カラベラの洞窟の暗さは、逆にそのことを強く意識させてくれた。
明と暗。
開口部を一周するルートを回り、エントリー口の下の出発点に戻ってくる。
短時間のダイビングだったが、洞窟潜水であることを最も強く意識したダイビングだった。
さて、浮上に掛かるとしようか。
で、浮力コントロールに欠かせないダイコンの深度計を見ようとして気付いた。
あれっ?、ダイコンしてないじゃん!?。
ガガーン・・・。
サイテー!!!。
しかも、この瞬間まで気づかなかったことの方がショックがデカい。
俺って、ダイコン見てねーじゃん!?。
安全停止で止まりながら、ガイドさんが呆れている。
やれやれ・・・。
エキジットしてから、「やっちまいましたねえ!」と、やんわりとキビシーコメントを頂く。
まあいい。
済んでしまったチョンボを嘆いても仕方ない。
二度と繰り返さないように、確認を省略せずに行うだけだ。
ザ・ラストダイブは終わった。
今回のダイビングは、全て終了。
数々の課題と、大チョンボ。
そして、何より現地に行って、見て、潜って、体験したというかけがえのない収穫を得て、セノーテダイビングは終わった。
中日には、カリブ海でも潜ったしな。
浅く明るく暖かい、南の島のファンダイブ。
それはそれで印象的だが、暗くて狭い洞窟との対比がより強くそのことを感じさせてくれた。
今回は、縦穴系(ピット、アンヘリータ、ヘルズベル)には行かなかったけど、次回行く機会があるかも知れない。
講習が予定通りに終わり、予備日を使ったオマケ(ご褒美)ダイビングで行くことが出来ればね。
ホテルに戻ったのは、夕方5時過ぎ。
全ての器材をおろし、4日間お世話になったガイドのヒデさんと、来年の再会を期して固い握手。
オミクロン株の報道が過熱し、外国人の訪日はおろか、日本人の帰国も危ぶまれる状況の中、実際に来られるかどうかは見えない状況だが、浮沈子のダイビングに関する日本での課題解決は、この瞬間から始まっている。
メキシコへの道の序章は終わろうとしているが、真の道に続いているかどうかは見えていない。
もの忘れ激しく、パニックに陥りやすい浮沈子に、フルケーブダイバーの資質があるのかどうか。
長生きしたければ、止めた方がいいのかも知れない。
それを判断するのも、インストラクターの大切な仕事だ。
その関所の役目を果たせなければ、インストラクターとしての資質の問題になる。
浮沈子は、全力を尽くす。
その上での判断なら、それを受け入れるしかない。
ダイコンを着け忘れて、かえって良かった。
そのことに象徴される、あらゆるネガを意識し続けることができる。
その意味では、カラベラこそ、最良のダイビングだったと言えよう。
ホテルの部屋の床一面に器材を広げ、ウエットスーツを吊るし、ようやく届いていた本命のPCR検査の結果メールで陰性を確認し(届いたのは、検体採取から約26時間後)、フロントでプリントアウト(政府様式含む)を完了し、後顧の憂いなく、明日からの帰路への段取りを済ませて、プラヤデルカルメンでの最後の夜を過ごすために街に出た。
好事魔多し。
無事にダイビングを終えた安堵感、ここまで体調を崩さずに持ち堪えた自信、明日からは帰国の旅路が始まるという最後の夜の名残り惜しさから、気が緩んでいたのかも知れないし、自覚はなかったが疲れがたまっていたのかも知れない。
ふらふらと5番街を歩き、ADOのバスターミナルの近くのタコス屋さんで35ペソのタコスを1枚だけ食べ(店員は、5枚で100ペソだからとしきりにそっちを勧めたけど)、次回来訪のための両替に必要なパスポートを持って出なかったので、100ドル札を落とさないように気をつけながらホテルに戻ってきた時も、それ程異変は感じなかった。
ただ、買ってきたオレンジジュースを途中で飲めなくなり、身体を横にしたくなってベッドに倒れるようにして眠りに落ちたことだけは覚えている・・・。
最終ダイビング(4日目)の朝、浮沈子がメールをチェックすると、既に午前6時過ぎに後から検体採取したPCR検査の結果がメールで届いていた(検体採取から約10時間半後)。
ネガティブ!。
ちょっとホッとする。
書式はもちろん日本政府のものではないが、検体採取時刻の欄を除いては要件を満たしている。
必要項目のうち、そこだけスペイン語オンリーで書かれていて、英語併記はない。
「FECHA/DATE: 29/11/2021
HORA DE EMISION: 19:32:24」
エミッションというのは、英語のそれと同じく排出とかそういう意味だと思うけれど、ここでは検体採取時刻として記載されているようだ(たぶん)。
時間的にも、大体合ってる感じだしな。
これで、少なくともメキシコシティで足止めされる可能性は小さくなった。
さて、試しに、まずこれ(PDFファイル)をフロントのねーちゃんがプリントアウトしてくれるかやってみよう。
本番の前に、予行演習というわけだ。
早速、持参のUSBメモリーに落としてフロントに行くと、あっけなく印刷してもらえた。
まあ、USBメモリーを足元に置かれているデスクトップパソコンのUSBソケットに差し込むのに、スマホを照明代わりにしたり、ふくよかな身体を折り曲げて屈みこんだりして、ねーちゃんの方は苦労していたみたいだけどな。
陰性証明書をゲットして、少しストレスが減った状態で気分もいい。
時差ボケも取れていて、これまでの中では、体調万全な感じだ。
今日は、チャックモールで2本、カラベラで1本の計3本潜る。
しかも、その間の移動が一番長い(1時間くらい)。
初日に、ドスオホスとセットで潜る予定だったカラベラを、最終日に組み替えたからな。
竹内軍曹からは、カラベラはエントリーが大変だから覚悟しておけと忠告されている。
武者震いだ(ぶるる・・・)。
が、まあ、最初は光のカーテンが美しいと評判のチャックモールだからな。
まずは、2つ並んでいるポイントの一つ(奥にあります)のククルカンという方から潜る。
(セノーテ ククルカン)
https://aquappli.com/product/chcf/
「日本でも馴染みのあるセノーテダイブの写真で光のカーテンの中を優雅に泳いでいるのがセノーテチャックモールにある『ククルカン』というポイントです。」
「切り裂くように広がるセノーテの水面に太陽の光が入り込み、広い範囲で光の差し込みを水中で見ることが出来ます。透明度が高いので優雅で雄大な景色の中を浮遊し、まるで空を飛んでいるような錯覚さえ覚える程に素敵な場所です。」
今回、浮沈子はカメラを持って行かずに自前の2眼レンズ(相当老眼が来ている自分の目玉)と揮発メモリー(最近、容量も減っているような気がする記憶細胞)に頼っている。
画像は、セノーテ専属カメラマンが撮ってくれて、エキジット後に有料で買ったものの一つだ(ドロップボックス経由でゲットすることが出来ました)。
本格ケーブ仕様のサイドマウントな癖に、白のクアトロプラスのフィンとヘルメットなしのフードベスト、アホ丸出しのOKサイン(ピースサインのもあります!)を出しているのは、浮沈子に間違いはない(他にいるか、そんなヤツ!:よく見ると、ライトコードはよじれているし、ネックレギはひん曲がっている)。
写真は、ドスオホスでも撮ってもらった。
まあ、ちゃんと潜ってきたぞという証拠写真以外の意味はない。
実際に、その光景を見なければ、そして、自らの足でフィンキックし、移ろい変わる光のカーテンの中を泳いでみなければその感動は味わえない。
カバーンの中のカバーン、セノーテの中のセノーテだな。
奥まで行って1周することもできるけど、ここは途中でUターンして戻ってきた。
2本目は隣のポイントであるチャックモール(セノーテ名にもなっていて、エントリー口は手前)。
(セノーテダイビング【元セノーテガイドがオススメするセノーテ紹介!】 その5 セノーテダイビングポイント チャックモール ククルカン)
https://note.com/pgw33xica993/n/n03b3b9ea2ca6?magazine_key=m1d35887eee32
ヒデさんのページは、地図が両方ともククルカンになっていたので、こっちを引用する。
「チャックモールセノーテ:エアドーム:
途中にエアドーム(まだ天井が崩落していない洞窟空間)があり、そこでセノーテの中で一度浮上し、エアドームで休憩します。」
陸上から木の根が到達していて、昆虫とかもいるという。
ちょっとブキミーな感じだ。
光と影。
隣り合うポイントを潜り、最終ダイビングのカラベラへと向かう。
1時間近く走り、もう、トゥルムに近い交差点を右に曲がるとすぐのところに入口があったが、どうやら以前と変わっていたらしく、一度行き過ぎてから戻って入った。
駐車場も変わっていて、以前は200m歩いてタンクを運ぶのが大変という話だったが、現在は20mほどで辿り着く。
やっぱ、本当のことは、現地に行ってみないと分からんのよ!。
(セノーテダイビング!これぞ洞窟ダイビング!【元セノーテガイドがオススメするセノーテ紹介!】 その12 カラベラ)
https://note.com/pgw33xica993/n/n9c8cbaad6b91?magazine_key=m1d35887eee32
「カラベラはスペイン語で、頭蓋骨という意味があります。」
「器材を全部装着した状態で、ここからジャイアントストライドで飛び込みます。」
まあ、この辺りも、実際にはそうではない。
シングルタンクダイバーやダブルタンクなら、それでもいいかも知れないが、サイドマウント2本差しでは、ちょっと躊躇われる(慣れれば行けるかもしれませんが)。
引用記事の写真に写っているエキジット用のハシゴの横と、ちょっと離れた小さな穴のところからロープが垂れていて、それにタンクを吊るして事前に降ろしたり、エキジット後に上げたりする。
降ろしたタンクは、下で別のダイバーが受け取り、自前で用意したロープでハシゴに括り付けておく。
サイドマウントダイバーは、その後にタンク以外の器材を装備してジャンプエントリーし、足の付かない水面でタンクを装着して潜降するわけだ。
浮沈子がタンクをおろす役、ガイドのヒデさんが下の水面でタンクを受け取る役だ(エキジットは逆で、ヒデさんがタンクを引き上げてくれた:もちろん、そっちの方が大変だし!)。
ガイドさんは、先に水面にいるから、浮沈子はタンクをおろした後で、一人で装備してジャンプしてエントリーすることになる。
悪魔は、この状況を待っていたのだった。
この日のカラベラは、ダイバーこそ我々だけだったが、大勢のお客さんが来ており、穴の淵からのダイブを楽しんでいた。
それも気になったし、水面にいるガイドさんを待たせてはならないという焦りもあった。
さらに、気温が上がってきていて(3本目なので、既に昼過ぎ)、頭がボーっとしていたということもあるかも知れない(気温のせいかあ?)。
ハーネスを締め、BCを着け、マスクをかぶってジャンプした時に、何かを忘れているなどということは考えもしなかった・・・。
いや、マスクに曇り止めをするのを忘れていたことには気づいていた。
水面で、天然曇り止め(唾液ともいう)を塗って誤魔化した時にも、その曇り止めと一緒に置いておいたあるものを忘れたことには考えが及ばなかった。
タンクを装着するのに手間取り、水面でジタバタし、そのことが余計気を逸らせていた。
言い訳は無数にあるが、トラブルというのはそういう小さなことが積み重なり、基本的な確認を疎かにする時を狙っていたかのように襲ってくる。
が、まあ、とりあえず潜降準備は整い、やや濁った水中に入る。
小さな穴を降りていくときに、耳抜きが出来ないことに気づき、ライトで合図して一度少し浮上してもらい、耳が抜けたところでUターンして戻った。
ホッとした。
ラストダイブで潜れなかったら悲しいからな。
カラベラは、これまでのセノーテと違って、穴の中に光が差し込まない。
洞窟感満載のセノーテだ。
竹内軍曹が、なぜここを講習のポイントとして選んだのかが分かったような気がする。
実際の講習は、カバーンの先のケーブ(洞窟の奥:まだ行ったことはありません:いわゆる死神の住処)で行うけど、ここはその雰囲気を漂わせている。
浮沈子には、パラオのシャンデリアケーブでパニックになったトラウマがある。
真っ暗な中で小さいライトしか持たず、視界を失い、半分、空間識失調(バーティゴ)になって、もがいた。
このセノーテは、そういう環境(シャンデリアケーブは、振り返れば入口の光が見えますけど)に近い、ミニケーブなわけだ。
洞窟愛が試される。
ここが好きになれれば、フルケーブダイバーとしての素質があるのかも知れない。
暗闇の底に、どこまでも続いている洞窟。
人間の侵入を拒み、許さず、立ち入る者に生贄を要求する絶対的な存在だ。
超が付くヘンタイだけが、その禁を侵し、どくろマークの奥へと進んでいく・・・。
洞窟の奥には何もない。
暗闇と鍾乳石という時の化石があるだけだ。
浮沈子には計り知れない世界だ。
広いところもあるんだろうが、狭くて通り辛いところもあるだろう。
そんな洞窟の奥へと進んで行って、何を見ようというのだろうか?。
死神の微笑みを見た者はいない。
なぜなら、彼らは二度と生きて戻っては来ないからな。
それでなくても、水中は人間の存在を許さない世界だ。
我々は、しばしの間、潜水器の助けを借りて、そこにお邪魔しているに過ぎない。
我々が帰るべき場所は、光が溢れ、風がそよぎ、小鳥たちが囀る陸上の世界だ。
この洞窟の奥に続く、死神たちの住処ではない。
カラベラの洞窟の暗さは、逆にそのことを強く意識させてくれた。
明と暗。
開口部を一周するルートを回り、エントリー口の下の出発点に戻ってくる。
短時間のダイビングだったが、洞窟潜水であることを最も強く意識したダイビングだった。
さて、浮上に掛かるとしようか。
で、浮力コントロールに欠かせないダイコンの深度計を見ようとして気付いた。
あれっ?、ダイコンしてないじゃん!?。
ガガーン・・・。
サイテー!!!。
しかも、この瞬間まで気づかなかったことの方がショックがデカい。
俺って、ダイコン見てねーじゃん!?。
安全停止で止まりながら、ガイドさんが呆れている。
やれやれ・・・。
エキジットしてから、「やっちまいましたねえ!」と、やんわりとキビシーコメントを頂く。
まあいい。
済んでしまったチョンボを嘆いても仕方ない。
二度と繰り返さないように、確認を省略せずに行うだけだ。
ザ・ラストダイブは終わった。
今回のダイビングは、全て終了。
数々の課題と、大チョンボ。
そして、何より現地に行って、見て、潜って、体験したというかけがえのない収穫を得て、セノーテダイビングは終わった。
中日には、カリブ海でも潜ったしな。
浅く明るく暖かい、南の島のファンダイブ。
それはそれで印象的だが、暗くて狭い洞窟との対比がより強くそのことを感じさせてくれた。
今回は、縦穴系(ピット、アンヘリータ、ヘルズベル)には行かなかったけど、次回行く機会があるかも知れない。
講習が予定通りに終わり、予備日を使ったオマケ(ご褒美)ダイビングで行くことが出来ればね。
ホテルに戻ったのは、夕方5時過ぎ。
全ての器材をおろし、4日間お世話になったガイドのヒデさんと、来年の再会を期して固い握手。
オミクロン株の報道が過熱し、外国人の訪日はおろか、日本人の帰国も危ぶまれる状況の中、実際に来られるかどうかは見えない状況だが、浮沈子のダイビングに関する日本での課題解決は、この瞬間から始まっている。
メキシコへの道の序章は終わろうとしているが、真の道に続いているかどうかは見えていない。
もの忘れ激しく、パニックに陥りやすい浮沈子に、フルケーブダイバーの資質があるのかどうか。
長生きしたければ、止めた方がいいのかも知れない。
それを判断するのも、インストラクターの大切な仕事だ。
その関所の役目を果たせなければ、インストラクターとしての資質の問題になる。
浮沈子は、全力を尽くす。
その上での判断なら、それを受け入れるしかない。
ダイコンを着け忘れて、かえって良かった。
そのことに象徴される、あらゆるネガを意識し続けることができる。
その意味では、カラベラこそ、最良のダイビングだったと言えよう。
ホテルの部屋の床一面に器材を広げ、ウエットスーツを吊るし、ようやく届いていた本命のPCR検査の結果メールで陰性を確認し(届いたのは、検体採取から約26時間後)、フロントでプリントアウト(政府様式含む)を完了し、後顧の憂いなく、明日からの帰路への段取りを済ませて、プラヤデルカルメンでの最後の夜を過ごすために街に出た。
好事魔多し。
無事にダイビングを終えた安堵感、ここまで体調を崩さずに持ち堪えた自信、明日からは帰国の旅路が始まるという最後の夜の名残り惜しさから、気が緩んでいたのかも知れないし、自覚はなかったが疲れがたまっていたのかも知れない。
ふらふらと5番街を歩き、ADOのバスターミナルの近くのタコス屋さんで35ペソのタコスを1枚だけ食べ(店員は、5枚で100ペソだからとしきりにそっちを勧めたけど)、次回来訪のための両替に必要なパスポートを持って出なかったので、100ドル札を落とさないように気をつけながらホテルに戻ってきた時も、それ程異変は感じなかった。
ただ、買ってきたオレンジジュースを途中で飲めなくなり、身体を横にしたくなってベッドに倒れるようにして眠りに落ちたことだけは覚えている・・・。
🐼メキシコへの道:閑話休題:変異種オミクロン ― 2021年12月04日 09:55
メキシコへの道:閑話休題:変異種オミクロン
(オミクロン株 日本含め39の国と地域で確認(4日3:00時点))
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211204/k10013374201000.html
オミクロン株の急速な感染拡大と、その対応を巡る目まぐるしい当局の水際対策の変更を縫うようにして帰国した浮沈子。
タイミングが悪ければ、自宅待機ではなく政府指定の宿泊施設に放り込まれたかもしれない。
「▽アジア:日本、香港、韓国、インド、シンガポール、マレーシア、スリランカ
▽オセアニア:オーストラリア
▽北米:アメリカ、カナダ
▽中南米:メキシコ、ブラジル
▽ヨーロッパ:イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、デンマーク、チェコ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ポルトガル、スイス、アイルランド、ギリシャ、アイスランド
▽中東:イスラエル、サウジアラビア、UAE=アラブ首長国連邦
▽アフリカ:南アフリカ、ボツワナ、ナイジェリア、ガーナ、ジンバブエ、チュニジア」
とうとう出ちゃいましたねえ、メキシコも。
まだ、施設待機の対象ではないが、それも時間の問題だろう。
南アでは、デルタ株を置き換える勢いで広がっているともいわれる。
既に我が国にも侵入を果たしているし、今後、国内での感染拡大は必至だ。
水際対策は、またもや失敗に終わった。
浮沈子の絡みで言えば、14日の自宅待機を10日に短縮するワクチン接種証明書と自費での検査パッケージによる措置は、水際対策の強化の名目で中止となってしまった。
やれやれ・・・。
既に入国した浮沈子は、基本的にはこれから取られる措置の対象外だが、改めて施設入所の要請があれば応じるつもりだ。
もちろん、タダ飯が食えるから(そうなのかあ?:おかわりできるかは未確認)。
まあ、どうでもいいんですが。
何とか帰国は出来たものの、体調は万全ではない(微熱は下がりました:今朝の検温は、35.3度で平熱でした)。
倦怠感、食欲不振(重症だなあ!)、コーヒー不振(致死的だな)。
それでも、なんとかコンビニ弁当を2人前平らげ(どこが食欲不振なんだか・・・)、消化を助けるためにこれから横になって眠ろうとしている。
アプリの現在地報告やビデオ通話には応じられないかもしれない。
氏名公表の可能性もあるな。
当局の意向に沿えないのは申し訳ないが、浮沈子自身に代わって健康管理をしてくれるわけではない(監視だけだしな)。
自らの身は自ら守らなければならない。
世界に広がるオミクロン変異種が、今後、どのような展開を見せるかは分からない。
今のところ、重症化率が上がるとか、アットーテキなブレイクスルー感染を引き起こす話は出ていない。
ワクチンの効果、治療薬の効果についても、正確な情報が出てくるのはこれからで、現状では単なる推測(気休め)に過ぎない。
8か月とか、寝言を言っていた3回目の追加接種の話も、ようやく6か月まで縮まってきた。
イスラエルでは、通常接種から6か月経つと、ワクチン接種者としての資格をはく奪されると言われている。
5か月で追加接種を始められるようになっているからな。
それに比べれば悠長な話だ。
浮沈子の免疫が切れるまで、あと1か月と27日(接種完了後、2週間程度経過した日を起算日として)。
つーか、高齢者(浮沈子は準高齢者ですが)は4か月程度しか有効な抗体を維持できない可能性があり、既に賞味期限は過ぎている。
残っている期間は、いわゆる「消費期限」に過ぎない。
こんな状態で、あと4か月も放置されてオミクロンの餌食にされる訳だ。
まあ、自分から好き好んで、わざわざ感染リスクが高い国の、それも観光都市の繁華街に行ってきたんだから、それで感染したなら自業自得だがな。
用心に用心を重ねて、ようやく戻ってきた祖国日本で感染したのでは意味がない。
今更、水際対策を強化しても、もう、市中に広がり始めているとしたら、あまり効果も期待できない。
早々に、経済再生を諦めて、日本全国をロックダウンさせるのが上策だ。
まあ、今の政権じゃ有り得ない選択だろうけどな・・・。
(オミクロン株 日本含め39の国と地域で確認(4日3:00時点))
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211204/k10013374201000.html
オミクロン株の急速な感染拡大と、その対応を巡る目まぐるしい当局の水際対策の変更を縫うようにして帰国した浮沈子。
タイミングが悪ければ、自宅待機ではなく政府指定の宿泊施設に放り込まれたかもしれない。
「▽アジア:日本、香港、韓国、インド、シンガポール、マレーシア、スリランカ
▽オセアニア:オーストラリア
▽北米:アメリカ、カナダ
▽中南米:メキシコ、ブラジル
▽ヨーロッパ:イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、デンマーク、チェコ、オーストリア、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ポルトガル、スイス、アイルランド、ギリシャ、アイスランド
▽中東:イスラエル、サウジアラビア、UAE=アラブ首長国連邦
▽アフリカ:南アフリカ、ボツワナ、ナイジェリア、ガーナ、ジンバブエ、チュニジア」
とうとう出ちゃいましたねえ、メキシコも。
まだ、施設待機の対象ではないが、それも時間の問題だろう。
南アでは、デルタ株を置き換える勢いで広がっているともいわれる。
既に我が国にも侵入を果たしているし、今後、国内での感染拡大は必至だ。
水際対策は、またもや失敗に終わった。
浮沈子の絡みで言えば、14日の自宅待機を10日に短縮するワクチン接種証明書と自費での検査パッケージによる措置は、水際対策の強化の名目で中止となってしまった。
やれやれ・・・。
既に入国した浮沈子は、基本的にはこれから取られる措置の対象外だが、改めて施設入所の要請があれば応じるつもりだ。
もちろん、タダ飯が食えるから(そうなのかあ?:おかわりできるかは未確認)。
まあ、どうでもいいんですが。
何とか帰国は出来たものの、体調は万全ではない(微熱は下がりました:今朝の検温は、35.3度で平熱でした)。
倦怠感、食欲不振(重症だなあ!)、コーヒー不振(致死的だな)。
それでも、なんとかコンビニ弁当を2人前平らげ(どこが食欲不振なんだか・・・)、消化を助けるためにこれから横になって眠ろうとしている。
アプリの現在地報告やビデオ通話には応じられないかもしれない。
氏名公表の可能性もあるな。
当局の意向に沿えないのは申し訳ないが、浮沈子自身に代わって健康管理をしてくれるわけではない(監視だけだしな)。
自らの身は自ら守らなければならない。
世界に広がるオミクロン変異種が、今後、どのような展開を見せるかは分からない。
今のところ、重症化率が上がるとか、アットーテキなブレイクスルー感染を引き起こす話は出ていない。
ワクチンの効果、治療薬の効果についても、正確な情報が出てくるのはこれからで、現状では単なる推測(気休め)に過ぎない。
8か月とか、寝言を言っていた3回目の追加接種の話も、ようやく6か月まで縮まってきた。
イスラエルでは、通常接種から6か月経つと、ワクチン接種者としての資格をはく奪されると言われている。
5か月で追加接種を始められるようになっているからな。
それに比べれば悠長な話だ。
浮沈子の免疫が切れるまで、あと1か月と27日(接種完了後、2週間程度経過した日を起算日として)。
つーか、高齢者(浮沈子は準高齢者ですが)は4か月程度しか有効な抗体を維持できない可能性があり、既に賞味期限は過ぎている。
残っている期間は、いわゆる「消費期限」に過ぎない。
こんな状態で、あと4か月も放置されてオミクロンの餌食にされる訳だ。
まあ、自分から好き好んで、わざわざ感染リスクが高い国の、それも観光都市の繁華街に行ってきたんだから、それで感染したなら自業自得だがな。
用心に用心を重ねて、ようやく戻ってきた祖国日本で感染したのでは意味がない。
今更、水際対策を強化しても、もう、市中に広がり始めているとしたら、あまり効果も期待できない。
早々に、経済再生を諦めて、日本全国をロックダウンさせるのが上策だ。
まあ、今の政権じゃ有り得ない選択だろうけどな・・・。
🐼メキシコへの道:帰国への道:体調急変 ― 2021年12月05日 11:16
メキシコへの道:帰国への道:体調急変
現地出発当日の12月1日午前3時過ぎ。
疲れてベッドに倒れ込むように寝た浮沈子は、猛烈な吐き気に襲われて目が覚め、転がるようにトイレに駆け込んで胃袋がひっくり返るような嘔吐を繰り返した。
35ペソのタコス、いくらだか忘れたオレンジジュースが吐しゃ物となって便器の中にぶちまけられる(100ペソ5枚のやつにしなくて良かった:そういうことかあ?)。
一度吐き終わっても、吐き気が繰り返し襲ってきて、胃の中のものを全部出し切るまでトイレから出ることが出来なかった。
ヤバいな・・・。
ヤバ過ぎ!。
口を漱ぎ、落ち着いたところで体温を測ると持参の体温計で36.9度。
平熱が35.3度だから、1.6度高い。
平熱が36.5度の人が、38.1度発熱している状況だ。
とにかく、身体を休めて自然治癒するのを待つしかない。
何かに当たったのかもしれないし、単なる食中りではなく、もっとヤバイ病気かも知れないが、嘔吐発熱以外に症状は出ていない(下痢とかはありません)。
熱発しているので、それなりの倦怠感はあったが、脱力するほどひどいものではなかった。
熱も、ぐんぐん上昇するという感じではなく、明け方になって再度検温すると37.0度と、まあ、落ち着いている。
とにかく寝よう・・・。
幸い、嘔吐は繰り返すことなく収まり、10時前に起き出してフロント前のコーヒーを飲むことが出来た。
さすがに、トーストは食えなかったけどな。
残っていたオレンジジュースに手を付けるのはヤバいと思ったけど、試しに飲んでみたら犯人ではないようだった。
チェックアウトの時刻は正午。
その前に、5番街の両替所へ行って、次回のために100ドルを交換しておく(レートは1米ドル=20ペソちょうど)。
11時半になって、ようやくパッキングを始める。
部屋の中に吊るしておいたウェットスーツは生乾きだったが、ハーネス類からダブルエンダーを外して軽量化を図ったところ、20kg強に収まったのでそのまま中に突っ込む(アエロメヒコの荷物代は、900ペソで往路と変わらず)。
ナップザックの重量も7kg強と許容範囲。
今回持参した、着替え用のビニールシート(1.8m×1.8m)と使わなかった不織布マスクは、昨日ヒデさんに差し上げていて、若干の軽量化とスペースの確保も果す。
12時ジャストに部屋を明け渡し、ロビーでコーヒーのおかわりを飲みながら、ピックアップの時刻を待つ。
熱は、36度に下がっていた。
やや寝不足なのと、固形物を口にしていないので少しふらふらするけど、これなら何とか帰国の旅路に着くことが出来そうだ。
夜中に吐いた時には、どうなることかと心配したが、とりあえず一安心だ。
原因は不明で、タコスかもしれない。
屋台ではなく、店構えのあるところだったので、ちょっと油断したか。
次回は、食べ物系の冒険はせず、サブウェイのサンドイッチにしよう。
万が一、食中りでもしたら、講習日程に影響が出るからな。
そういう意味では、いい経験をしたかもしれない。。
来た時に添乗してくれた日本人の添乗員さんが来てくれていて、帰りのピックアップの車に乗る。
ロビーまでは来てくれず、交差点での待ち合わせとなった。
HISには、ホテル名(コイバではなく、パーティホリック)の件と共に、改善を申し入れておこう。
鉄道工事絡みの渋滞が予想されることから、ピックアップの時刻は13時45分から早まり、13時ジャスト。
クルマは快調に飛ばして、殆ど渋滞らしき渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着する。
添乗員の方は、チェックインカウンターの前まで案内してくれた。
で、英語での拙いやり取りの後、体調申告用のアプリが持参のスマホにインストールできず、結局、紙に書いて申告することになった。
受付のねーちゃんは、浮沈子はほったらかしにして、他のお客さんと長々と立ち話・・・。
まあ、メキシコですから・・・。
南の島ほどではないけれど、ここでも時間は地球の自転とは無関係に流れている。
アエロメヒコの搭乗口は、67Bと表示されていたが、途中で53に変わり、さらに67Bに再表示された。
来る時にはよく分からなかったが、カンクン国際空港は巨大だ。
(カンクン国際空港)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
「メキシコ国内ではメキシコ・シティ国際空港に次ぐ第二位の規模であるが、国際旅客においてはメキシコ国内のみならずラテンアメリカ地域で最大の規模を誇る。」
「メキシコ国内で最も重要な空港の一つとして整備が進んでおり、1500m離れており同時に利用が可能な2本の滑走路と3つの旅客ターミナルを持っている。ターミナル1は国内を含む北米からのチャーター便、ターミナル2は国内定期線と一部の国際線、ターミナル3は北米やヨーロッパからの国際定期便に利用されている。」
バスで飛行機まで移動し、一路、メキシコシティへ飛ぶ。
第2ターミナルに到着し、荷物を受け取った後に、来た時とは反対に第1ターミナルにモノレール(レールは2本ですが)で移動する。
ここでも、搭乗券(eチケット控え)の提示を求められた。
乗り継ぎ時間はたっぷりある(6時間以上)。
ANAのカウンターはまだ閉まっていて、少しその前で休んだ。
いよいよ帰国への第一関門である、陰性証明書の航空会社の事前チェックを受けるわけだ。
90ドルの安物証明書で済むか、350ドルの高額証明書を出すことになるかだな。
窓口が開き、係の人が証明書を見て問題点を指摘。
やはり、検体採取時刻がスペイン語単独記載だと、成田で問題になるようだ。
政府様式では、各国語と英語が併記されていて、検疫官は英語見てるだけなんだそうだ。
まあ、仕方ないか・・・。
我が国は英語圏だからな(欧州行くと痛感する)。
今回の旅行でも、ホテルや空港で、説明はスペイン語か英語かと尋ねられることが多かった(もちろん英語)。
中学英語(といっても、半世紀前ですが)程度でも十分通用する。
まあ、どうでもいいんですが。
で、ANAの係員の方が、全文英語で打ち直してくれて、そのペーパーをラボの陰性証明書に添付する形をとってくれた。
どうも、過去にも同じ事例があったようで、餅は餅屋、対応は手慣れたものだった。
時間がたっぷりあったことも幸いした。
念のため確認すると、自分で打って印刷したものでもOKとのこと。
入国の際、成田でも英語表記で確認していた。
が、それは後の話である。
結局、4万円近い金額を投資し、半日潰して受けたPCR検査の政府様式の陰性証明書は出さなかった。
保険みたいなもんだからな。
それはそれで、仕方がない。
次回来る時には、90ドルの方でいいことが分かっただけでも儲けものだ。
長い長い乗り継ぎ時間が経ち、ようやく搭乗。
11月30日からは、外国籍の方の入国を制限していると聞いていたけど、帰りの便には乗り継ぎの方を含めて外国人ぽい人が何人か乗っていた。
帰りの便は、機内食を食っている時以外は、ひたすら寝た。
真ん中の列だったが、浮沈子独占で、横になれたのが幸いだったな。
途中で何度か体温を計ったけど、概ね36度程度で安定していた。
機内食は完食。
吐き気などはない。
コーヒーも飲めた。
食っちゃ寝している間に14時間が過ぎ、メキシコシティから成田はあっという間に着いた。
帰りの方が、身体は楽だ。
日本時間12月3日の朝7時丁度にランディングした。
さて、これから延々3時間近くに渡る検疫を受けることになる。
必要な事前の手続きは済ませているし、アプリ導入用のアンドロイドスマホは持参している。
90ドルの陰性証明書が有効かどうかの最終判断は検疫官が行う。
浮沈子は、事前にID絡みの登録手続きをしていなかったので、成田空港で全て行ったが、そういう話は知らなかったな(HISやANAからも聞いてはいません)。
しかも、浮沈子のスマホからは登録できず、そこにあったパソコンの画面から行い、ID確認用のQRコードは紙に印刷して持ち歩くというレトロな対応となった(ちなみに、アンドロイドのバージョンは7.0)。
やれやれ・・・。
で、結局、90ドルの陰性証明書+全文英語訳のペーパーでOK。
唾液を取って検査する抗原検査も陰性で、無事検疫通過(唾液採取のところには、梅干しとレモンの写真が貼ってあって笑えた)。
抗原検査は、30分ほどで結果が出るが、PCRと比べると感度が悪く、偽陰性が多いからな。
PCRでさえ、良くて8割と言われている。
半分くらいは、陽性者を素通りさせているだろう。
我が国の検疫態勢では、新型コロナを水際で食い止めることは不可能だ。
ハッキリ言って茶番に過ぎない。
検疫官だって、ふつーのかっこしてマスクしているだけだしな。
彼らも、感染のリスクに晒されている。
そして、勤務が終われば自宅に帰り、家族と接触し、近所に買い物に行ったり、休日には遠出もするわけだ。
無症候性キャリアからの感染がありうる疾患の対応としては如何なものかだな。
まあいい。
今話題のオミクロン変異種とやらも、既に相当程度国内に流入していると思われる。
空港検疫は、それでも、人目に付くだけに徹底している方だろうが、船舶などの方が心配だな(未確認)。
実際に自分で体験してみると、世界中でパンデミックを起こしている感染症を水際で防ぐことは不可能であることが痛感される。
ムリポ!。
世界のどこかで流行が続いている限り、安心安全ということはあり得ない。
まあ、メキシコなんて、何にもやってないからな。
それに比べたら、我が国は真面目に取り組んでいる方だろう。
一度、成田を通過すれば、あとは感染させ放題だ。
もちろん、誓約書とかは書くけど、それが守られるかどうかは保証の限りではない。
外国籍の方は、国外退去とかのペナルティがあるが、邦人の場合は氏名公表だけ。
しかも、過去の事例では、アプリに全く応答しないとか、悪質と思われるケースに限っている(3件くらいか)。
現在でも、毎日数千人が入国している中、実際に行動制限に繋がっているとは思えないな。
それなりの抑止力はあると思うが、感染症はアリの一穴。
一人でも、感染者がすり抜けて、感染の連鎖が始まれば、一気に広がる。
アルファも、デルタも、そうして広がり、結果的に多くの死者を生んだ。
自分で海外に出かけておいて、勝手なことを言うようだが、それが事実だ。
昨日、検疫で申告した情報が、浮沈子の棲息する東京都大田区保健所に通報され、PCRの再検査と診察を受けることになった。
検査日は明日以降。
検査自体は行政検査で無料だが、医療機関の診察料(医療保険は効くようです)は有料(自腹)。
仕方ない。
その方が安心だしな(新型コロナ以外の方が心配だし)。
Wi-Fiルーターを返却し、空港内に停めておいたNバンに乗り帰宅。
右側通行のメキシコから、左側通行の日本へ。
まあ、今回はレンタカーは運転しなかったので、あまり影響はない。
サイパンとかの時には、右折で反対車線に入りそうになって焦るけどな。
無事に自宅に辿り着き、関係各方面に帰国報告。
ヒデさんにも、お礼のメッセンジャー。
今回は、彼に一番お世話になった。
このお礼は、来春の講習に合格することでお返しするしかない。
もし、今後ファンダイブでセノーテ潜ることがあれば、きっときっと彼にガイドをお願いすることになるだろう。
さて、ここまで綴ってきたメキシコへの道も、とりあえず一区切り。
書かなかったこと、書けないことはいろいろあるけど、補遺、誤脱遺漏は、今後、アラカルト的に補っていく。
また、昨日から始まった14日間の自宅待機については、稿を改めて書くことにする。
思い返せば、春先にメキシコに行こうと思い立ち、まずは品川のトラベルクリニックでワクチン接種を始めてから半年余り。
年内滑り込みで、今年の目標は達成した。
半ば強引な渡航だったが、下手をすれば帰国することが出来なくなったかもしれないリスキーなダイビングツアーだ。
誰にでもおススメするわけにはいかない。
無謀、非常識、身勝手、我儘、エトセエトセは承知の上だ。
陰性証明書を初めとする、我が国の現在の検疫手続きについても、身を持って体験することが出来たし、自宅待機期間の監視ソフトは体験中だ(昨日は、夕方から爆睡してしまい、初回のビデオ通話には応答できなかった:氏名公表?)。
プラヤデルカルメンの街中の様子も、ホテル近辺や5番街程度だが、この目で見、足で歩き、体験することが出来た。
メキシコって、ヤバ過ぎ!。
すりや置き引きの被害には合わなかったが、何があってもおかしくない雰囲気満載だ。
ホテルの近くは、パーティ会場目白押しの一角で、夜8時から夜中過ぎまでは、大音量の音楽とアブナイかっこしたねーちゃんがお立ち台で踊る歓楽街と化す。
新宿歌舞伎町とジュリアナを一緒にした感じだな。
29日にバスでの移動を体験できたことも良かった。
庶民の移動は路線バス。
親切な運転手と、全世界共通のおばちゃんのおしゃべり(最強!、無敵!)。
フィリピンほどではないけど、貧富の差も大きく、5番街では、子供に歌を歌わせて稼ぐ姿も見られた。
台湾で昔見たような、身体障碍者の物乞いもいた。
世界は、今も、昔も、大して変わってはいないのだ。
田舎に行けば、また、別の姿があるのかも知れないが、観光客が目にすることができるメキシコの姿をつぶさに見ることが出来た。
カンクンのホテルゾーンにいるだけでは、そういう世界は見えてこないからな。
往路のANA機中で一緒だった東洋系の若者は、1カ月間メキシコのあちこちを回ってくると言ってたな。
今ごろは、どこにいるんだろうか?。
カンクンやプラヤデルカルメンに立ち寄るかは聞かなかった。
28年ぶりの北米大陸、初めての中米、初めてのスペイン語圏、初めてのメキシコ、初めてのカンクン、初めてのプラヤデルカルメン、初めてのセノーテ、初めてのカリブ海・・・。
全ては、ハロックライン越しに見る景色のようにぼやけ、揺らぎ、記憶の底に沈もうとしている。
2眼レンズと揮発メモリーだけが頼りだ。
しかし、セノーテを潜って感じた感覚は、消そうと思っても消えないに違いない。
光の中を泳ぐカバーン、闇の底を覗きながらの洞窟潜水。
更にその奥の、決して光が差し込むことがないケーブの中へと道は続いている。
今回潜ったセノーテの中からも、その禁断の地への入口は何か所も開いている。
もちろん、現在の浮沈子はその先に立ち入ることはできない。
死神たちの住処に入るには、90ドルの陰性証明書ではダメなわけだ。
更なる精進を積み、技を磨き、心身を鍛え、チョンボを無くし、手抜きせず、基本に忠実に行動する態度を養わなければならない。
その上で、長年先人たちが積み上げてきた知識と経験を学び、安全に洞窟潜水を楽しむための訓練を受け、インストラクターから認定されなければならない。
もちろん、それでもリスクがゼロになるわけではない。
何かが起これば、回避できないリスクを受け入れ、死神に生贄を差し出すことになる。
大概の場合は、ガス切れでおぼれ死ぬことになる。
場合によっては、減圧症になるかも知れず、崩落で生き埋めになる可能性もある。
ありとあらゆる危険がそこここに存在するケーブダイビング。
メキシコへの道は、その奥へと続いている。
潜ったこともない癖に、知ったような口をきくな!。
そう言われたくないばっかりに、その入り口を覗いてみた。
うん、まあ、講習くらいは受けてもいいかも知れない。
その上で、認定もらえたら考えてみよう。
死神に命ささげた連中が、何を見るためにそこに行ったのか。
そうまでして見たかったものは何なのか。
それを見るために、そこに行くのかどうか。
今回潜ったカバーンエリアは、その入り口に過ぎない。
光あふれるドスオホスやククルカンは、その典型だな。
逆に、カラベラなどは、もう、洞窟感満載で、ここでパニクったらヤバい感じがした。
ちなみに、カバーン講習を受けなくても、ふつーにセノーテダイビングを楽しむことができる。
縦穴系は、深度の関係からアドバンスを取っておく必要があるけど、中性浮力とフィンキックが出来ればオープンウォーターで、経験本数40本程度から参加は可能だ。
もっと気軽に、セノーテダイビングを楽しんでもいいのではないか。
ガイドは、ダブルタンク(或いは、2本差しサイドマウント)で、4人まで引率することができる。
3分の1ルールを守る限り、理論上、ガスは足りるはずだからな。
同時に4人エアシェアできるかとか、突っ込んではならない。
商売商売・・・。
カバーンでも事故は起こる。
以前はダイバーが潜ることが出来たグランセノーテは、現在はシュノーケラーだけ。
詳しくは知らないけど、過去に事故があったらしい(未確認)。
ダイビング自体が、リスクを伴うレジャーだからな。
それは、セノーテに限らずどこでも同じだ。
浮沈子は、今回、フルケーブ講習の下見として、主にエントリー口や、宿泊するプラヤデルカルメンの様子を把握することを主眼に行ってきたが、もちろん、カバーンエリアだけのダイビングも存分に楽しんできた。
ロタのロタホールやグアム、パラオなどの海中洞窟で似た経験が多いから、それ程度肝を抜かれたりはしなかったが、初めて体験したら感動ものだろう。
水の透視度という点では、海水とは比較にならない(光の届く限り見えます:100mとか200mとか)。
でも、浮遊物が全くないわけではない。
小さな浮遊物が少し浮かんでいる。
注意深く見ていると、気付かないほどの緩い流れがあることも分かる。
そういったことも、現地に行って体験してみないことには分からないのだ。
百聞は一見に如かず。
世の中のことは、ユーチューブだけでは分からんのよ・・・。
現地出発当日の12月1日午前3時過ぎ。
疲れてベッドに倒れ込むように寝た浮沈子は、猛烈な吐き気に襲われて目が覚め、転がるようにトイレに駆け込んで胃袋がひっくり返るような嘔吐を繰り返した。
35ペソのタコス、いくらだか忘れたオレンジジュースが吐しゃ物となって便器の中にぶちまけられる(100ペソ5枚のやつにしなくて良かった:そういうことかあ?)。
一度吐き終わっても、吐き気が繰り返し襲ってきて、胃の中のものを全部出し切るまでトイレから出ることが出来なかった。
ヤバいな・・・。
ヤバ過ぎ!。
口を漱ぎ、落ち着いたところで体温を測ると持参の体温計で36.9度。
平熱が35.3度だから、1.6度高い。
平熱が36.5度の人が、38.1度発熱している状況だ。
とにかく、身体を休めて自然治癒するのを待つしかない。
何かに当たったのかもしれないし、単なる食中りではなく、もっとヤバイ病気かも知れないが、嘔吐発熱以外に症状は出ていない(下痢とかはありません)。
熱発しているので、それなりの倦怠感はあったが、脱力するほどひどいものではなかった。
熱も、ぐんぐん上昇するという感じではなく、明け方になって再度検温すると37.0度と、まあ、落ち着いている。
とにかく寝よう・・・。
幸い、嘔吐は繰り返すことなく収まり、10時前に起き出してフロント前のコーヒーを飲むことが出来た。
さすがに、トーストは食えなかったけどな。
残っていたオレンジジュースに手を付けるのはヤバいと思ったけど、試しに飲んでみたら犯人ではないようだった。
チェックアウトの時刻は正午。
その前に、5番街の両替所へ行って、次回のために100ドルを交換しておく(レートは1米ドル=20ペソちょうど)。
11時半になって、ようやくパッキングを始める。
部屋の中に吊るしておいたウェットスーツは生乾きだったが、ハーネス類からダブルエンダーを外して軽量化を図ったところ、20kg強に収まったのでそのまま中に突っ込む(アエロメヒコの荷物代は、900ペソで往路と変わらず)。
ナップザックの重量も7kg強と許容範囲。
今回持参した、着替え用のビニールシート(1.8m×1.8m)と使わなかった不織布マスクは、昨日ヒデさんに差し上げていて、若干の軽量化とスペースの確保も果す。
12時ジャストに部屋を明け渡し、ロビーでコーヒーのおかわりを飲みながら、ピックアップの時刻を待つ。
熱は、36度に下がっていた。
やや寝不足なのと、固形物を口にしていないので少しふらふらするけど、これなら何とか帰国の旅路に着くことが出来そうだ。
夜中に吐いた時には、どうなることかと心配したが、とりあえず一安心だ。
原因は不明で、タコスかもしれない。
屋台ではなく、店構えのあるところだったので、ちょっと油断したか。
次回は、食べ物系の冒険はせず、サブウェイのサンドイッチにしよう。
万が一、食中りでもしたら、講習日程に影響が出るからな。
そういう意味では、いい経験をしたかもしれない。。
来た時に添乗してくれた日本人の添乗員さんが来てくれていて、帰りのピックアップの車に乗る。
ロビーまでは来てくれず、交差点での待ち合わせとなった。
HISには、ホテル名(コイバではなく、パーティホリック)の件と共に、改善を申し入れておこう。
鉄道工事絡みの渋滞が予想されることから、ピックアップの時刻は13時45分から早まり、13時ジャスト。
クルマは快調に飛ばして、殆ど渋滞らしき渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着する。
添乗員の方は、チェックインカウンターの前まで案内してくれた。
で、英語での拙いやり取りの後、体調申告用のアプリが持参のスマホにインストールできず、結局、紙に書いて申告することになった。
受付のねーちゃんは、浮沈子はほったらかしにして、他のお客さんと長々と立ち話・・・。
まあ、メキシコですから・・・。
南の島ほどではないけれど、ここでも時間は地球の自転とは無関係に流れている。
アエロメヒコの搭乗口は、67Bと表示されていたが、途中で53に変わり、さらに67Bに再表示された。
来る時にはよく分からなかったが、カンクン国際空港は巨大だ。
(カンクン国際空港)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
「メキシコ国内ではメキシコ・シティ国際空港に次ぐ第二位の規模であるが、国際旅客においてはメキシコ国内のみならずラテンアメリカ地域で最大の規模を誇る。」
「メキシコ国内で最も重要な空港の一つとして整備が進んでおり、1500m離れており同時に利用が可能な2本の滑走路と3つの旅客ターミナルを持っている。ターミナル1は国内を含む北米からのチャーター便、ターミナル2は国内定期線と一部の国際線、ターミナル3は北米やヨーロッパからの国際定期便に利用されている。」
バスで飛行機まで移動し、一路、メキシコシティへ飛ぶ。
第2ターミナルに到着し、荷物を受け取った後に、来た時とは反対に第1ターミナルにモノレール(レールは2本ですが)で移動する。
ここでも、搭乗券(eチケット控え)の提示を求められた。
乗り継ぎ時間はたっぷりある(6時間以上)。
ANAのカウンターはまだ閉まっていて、少しその前で休んだ。
いよいよ帰国への第一関門である、陰性証明書の航空会社の事前チェックを受けるわけだ。
90ドルの安物証明書で済むか、350ドルの高額証明書を出すことになるかだな。
窓口が開き、係の人が証明書を見て問題点を指摘。
やはり、検体採取時刻がスペイン語単独記載だと、成田で問題になるようだ。
政府様式では、各国語と英語が併記されていて、検疫官は英語見てるだけなんだそうだ。
まあ、仕方ないか・・・。
我が国は英語圏だからな(欧州行くと痛感する)。
今回の旅行でも、ホテルや空港で、説明はスペイン語か英語かと尋ねられることが多かった(もちろん英語)。
中学英語(といっても、半世紀前ですが)程度でも十分通用する。
まあ、どうでもいいんですが。
で、ANAの係員の方が、全文英語で打ち直してくれて、そのペーパーをラボの陰性証明書に添付する形をとってくれた。
どうも、過去にも同じ事例があったようで、餅は餅屋、対応は手慣れたものだった。
時間がたっぷりあったことも幸いした。
念のため確認すると、自分で打って印刷したものでもOKとのこと。
入国の際、成田でも英語表記で確認していた。
が、それは後の話である。
結局、4万円近い金額を投資し、半日潰して受けたPCR検査の政府様式の陰性証明書は出さなかった。
保険みたいなもんだからな。
それはそれで、仕方がない。
次回来る時には、90ドルの方でいいことが分かっただけでも儲けものだ。
長い長い乗り継ぎ時間が経ち、ようやく搭乗。
11月30日からは、外国籍の方の入国を制限していると聞いていたけど、帰りの便には乗り継ぎの方を含めて外国人ぽい人が何人か乗っていた。
帰りの便は、機内食を食っている時以外は、ひたすら寝た。
真ん中の列だったが、浮沈子独占で、横になれたのが幸いだったな。
途中で何度か体温を計ったけど、概ね36度程度で安定していた。
機内食は完食。
吐き気などはない。
コーヒーも飲めた。
食っちゃ寝している間に14時間が過ぎ、メキシコシティから成田はあっという間に着いた。
帰りの方が、身体は楽だ。
日本時間12月3日の朝7時丁度にランディングした。
さて、これから延々3時間近くに渡る検疫を受けることになる。
必要な事前の手続きは済ませているし、アプリ導入用のアンドロイドスマホは持参している。
90ドルの陰性証明書が有効かどうかの最終判断は検疫官が行う。
浮沈子は、事前にID絡みの登録手続きをしていなかったので、成田空港で全て行ったが、そういう話は知らなかったな(HISやANAからも聞いてはいません)。
しかも、浮沈子のスマホからは登録できず、そこにあったパソコンの画面から行い、ID確認用のQRコードは紙に印刷して持ち歩くというレトロな対応となった(ちなみに、アンドロイドのバージョンは7.0)。
やれやれ・・・。
で、結局、90ドルの陰性証明書+全文英語訳のペーパーでOK。
唾液を取って検査する抗原検査も陰性で、無事検疫通過(唾液採取のところには、梅干しとレモンの写真が貼ってあって笑えた)。
抗原検査は、30分ほどで結果が出るが、PCRと比べると感度が悪く、偽陰性が多いからな。
PCRでさえ、良くて8割と言われている。
半分くらいは、陽性者を素通りさせているだろう。
我が国の検疫態勢では、新型コロナを水際で食い止めることは不可能だ。
ハッキリ言って茶番に過ぎない。
検疫官だって、ふつーのかっこしてマスクしているだけだしな。
彼らも、感染のリスクに晒されている。
そして、勤務が終われば自宅に帰り、家族と接触し、近所に買い物に行ったり、休日には遠出もするわけだ。
無症候性キャリアからの感染がありうる疾患の対応としては如何なものかだな。
まあいい。
今話題のオミクロン変異種とやらも、既に相当程度国内に流入していると思われる。
空港検疫は、それでも、人目に付くだけに徹底している方だろうが、船舶などの方が心配だな(未確認)。
実際に自分で体験してみると、世界中でパンデミックを起こしている感染症を水際で防ぐことは不可能であることが痛感される。
ムリポ!。
世界のどこかで流行が続いている限り、安心安全ということはあり得ない。
まあ、メキシコなんて、何にもやってないからな。
それに比べたら、我が国は真面目に取り組んでいる方だろう。
一度、成田を通過すれば、あとは感染させ放題だ。
もちろん、誓約書とかは書くけど、それが守られるかどうかは保証の限りではない。
外国籍の方は、国外退去とかのペナルティがあるが、邦人の場合は氏名公表だけ。
しかも、過去の事例では、アプリに全く応答しないとか、悪質と思われるケースに限っている(3件くらいか)。
現在でも、毎日数千人が入国している中、実際に行動制限に繋がっているとは思えないな。
それなりの抑止力はあると思うが、感染症はアリの一穴。
一人でも、感染者がすり抜けて、感染の連鎖が始まれば、一気に広がる。
アルファも、デルタも、そうして広がり、結果的に多くの死者を生んだ。
自分で海外に出かけておいて、勝手なことを言うようだが、それが事実だ。
昨日、検疫で申告した情報が、浮沈子の棲息する東京都大田区保健所に通報され、PCRの再検査と診察を受けることになった。
検査日は明日以降。
検査自体は行政検査で無料だが、医療機関の診察料(医療保険は効くようです)は有料(自腹)。
仕方ない。
その方が安心だしな(新型コロナ以外の方が心配だし)。
Wi-Fiルーターを返却し、空港内に停めておいたNバンに乗り帰宅。
右側通行のメキシコから、左側通行の日本へ。
まあ、今回はレンタカーは運転しなかったので、あまり影響はない。
サイパンとかの時には、右折で反対車線に入りそうになって焦るけどな。
無事に自宅に辿り着き、関係各方面に帰国報告。
ヒデさんにも、お礼のメッセンジャー。
今回は、彼に一番お世話になった。
このお礼は、来春の講習に合格することでお返しするしかない。
もし、今後ファンダイブでセノーテ潜ることがあれば、きっときっと彼にガイドをお願いすることになるだろう。
さて、ここまで綴ってきたメキシコへの道も、とりあえず一区切り。
書かなかったこと、書けないことはいろいろあるけど、補遺、誤脱遺漏は、今後、アラカルト的に補っていく。
また、昨日から始まった14日間の自宅待機については、稿を改めて書くことにする。
思い返せば、春先にメキシコに行こうと思い立ち、まずは品川のトラベルクリニックでワクチン接種を始めてから半年余り。
年内滑り込みで、今年の目標は達成した。
半ば強引な渡航だったが、下手をすれば帰国することが出来なくなったかもしれないリスキーなダイビングツアーだ。
誰にでもおススメするわけにはいかない。
無謀、非常識、身勝手、我儘、エトセエトセは承知の上だ。
陰性証明書を初めとする、我が国の現在の検疫手続きについても、身を持って体験することが出来たし、自宅待機期間の監視ソフトは体験中だ(昨日は、夕方から爆睡してしまい、初回のビデオ通話には応答できなかった:氏名公表?)。
プラヤデルカルメンの街中の様子も、ホテル近辺や5番街程度だが、この目で見、足で歩き、体験することが出来た。
メキシコって、ヤバ過ぎ!。
すりや置き引きの被害には合わなかったが、何があってもおかしくない雰囲気満載だ。
ホテルの近くは、パーティ会場目白押しの一角で、夜8時から夜中過ぎまでは、大音量の音楽とアブナイかっこしたねーちゃんがお立ち台で踊る歓楽街と化す。
新宿歌舞伎町とジュリアナを一緒にした感じだな。
29日にバスでの移動を体験できたことも良かった。
庶民の移動は路線バス。
親切な運転手と、全世界共通のおばちゃんのおしゃべり(最強!、無敵!)。
フィリピンほどではないけど、貧富の差も大きく、5番街では、子供に歌を歌わせて稼ぐ姿も見られた。
台湾で昔見たような、身体障碍者の物乞いもいた。
世界は、今も、昔も、大して変わってはいないのだ。
田舎に行けば、また、別の姿があるのかも知れないが、観光客が目にすることができるメキシコの姿をつぶさに見ることが出来た。
カンクンのホテルゾーンにいるだけでは、そういう世界は見えてこないからな。
往路のANA機中で一緒だった東洋系の若者は、1カ月間メキシコのあちこちを回ってくると言ってたな。
今ごろは、どこにいるんだろうか?。
カンクンやプラヤデルカルメンに立ち寄るかは聞かなかった。
28年ぶりの北米大陸、初めての中米、初めてのスペイン語圏、初めてのメキシコ、初めてのカンクン、初めてのプラヤデルカルメン、初めてのセノーテ、初めてのカリブ海・・・。
全ては、ハロックライン越しに見る景色のようにぼやけ、揺らぎ、記憶の底に沈もうとしている。
2眼レンズと揮発メモリーだけが頼りだ。
しかし、セノーテを潜って感じた感覚は、消そうと思っても消えないに違いない。
光の中を泳ぐカバーン、闇の底を覗きながらの洞窟潜水。
更にその奥の、決して光が差し込むことがないケーブの中へと道は続いている。
今回潜ったセノーテの中からも、その禁断の地への入口は何か所も開いている。
もちろん、現在の浮沈子はその先に立ち入ることはできない。
死神たちの住処に入るには、90ドルの陰性証明書ではダメなわけだ。
更なる精進を積み、技を磨き、心身を鍛え、チョンボを無くし、手抜きせず、基本に忠実に行動する態度を養わなければならない。
その上で、長年先人たちが積み上げてきた知識と経験を学び、安全に洞窟潜水を楽しむための訓練を受け、インストラクターから認定されなければならない。
もちろん、それでもリスクがゼロになるわけではない。
何かが起これば、回避できないリスクを受け入れ、死神に生贄を差し出すことになる。
大概の場合は、ガス切れでおぼれ死ぬことになる。
場合によっては、減圧症になるかも知れず、崩落で生き埋めになる可能性もある。
ありとあらゆる危険がそこここに存在するケーブダイビング。
メキシコへの道は、その奥へと続いている。
潜ったこともない癖に、知ったような口をきくな!。
そう言われたくないばっかりに、その入り口を覗いてみた。
うん、まあ、講習くらいは受けてもいいかも知れない。
その上で、認定もらえたら考えてみよう。
死神に命ささげた連中が、何を見るためにそこに行ったのか。
そうまでして見たかったものは何なのか。
それを見るために、そこに行くのかどうか。
今回潜ったカバーンエリアは、その入り口に過ぎない。
光あふれるドスオホスやククルカンは、その典型だな。
逆に、カラベラなどは、もう、洞窟感満載で、ここでパニクったらヤバい感じがした。
ちなみに、カバーン講習を受けなくても、ふつーにセノーテダイビングを楽しむことができる。
縦穴系は、深度の関係からアドバンスを取っておく必要があるけど、中性浮力とフィンキックが出来ればオープンウォーターで、経験本数40本程度から参加は可能だ。
もっと気軽に、セノーテダイビングを楽しんでもいいのではないか。
ガイドは、ダブルタンク(或いは、2本差しサイドマウント)で、4人まで引率することができる。
3分の1ルールを守る限り、理論上、ガスは足りるはずだからな。
同時に4人エアシェアできるかとか、突っ込んではならない。
商売商売・・・。
カバーンでも事故は起こる。
以前はダイバーが潜ることが出来たグランセノーテは、現在はシュノーケラーだけ。
詳しくは知らないけど、過去に事故があったらしい(未確認)。
ダイビング自体が、リスクを伴うレジャーだからな。
それは、セノーテに限らずどこでも同じだ。
浮沈子は、今回、フルケーブ講習の下見として、主にエントリー口や、宿泊するプラヤデルカルメンの様子を把握することを主眼に行ってきたが、もちろん、カバーンエリアだけのダイビングも存分に楽しんできた。
ロタのロタホールやグアム、パラオなどの海中洞窟で似た経験が多いから、それ程度肝を抜かれたりはしなかったが、初めて体験したら感動ものだろう。
水の透視度という点では、海水とは比較にならない(光の届く限り見えます:100mとか200mとか)。
でも、浮遊物が全くないわけではない。
小さな浮遊物が少し浮かんでいる。
注意深く見ていると、気付かないほどの緩い流れがあることも分かる。
そういったことも、現地に行って体験してみないことには分からないのだ。
百聞は一見に如かず。
世の中のことは、ユーチューブだけでは分からんのよ・・・。
🐼メキシコへの道:補遺:ホテルコイバ→パーティホリック ― 2021年12月05日 21:23
メキシコへの道:補遺:ホテルコイバ→パーティホリック
(ホテルPartyholic プレヤデルカーメン)
https://cohiba.playa-del-carmen-hotel.com/ja/
「ex. Cohiba」
別名称(旧称?)として、コイバとなっているが、宿泊したホテルはここ。
入口は、角を曲がった奥にあり、そこにはホテルパーティホリックと看板が出ている。
ちゃんと調べていないけど、メキシコの建物の階の数え方は英国風で、玄関開けたらグランドフロア、階段上がってファーストフロアな感じだ。
そこにホテルのフロントがあって、よく電源が抜けている体温計(手をかざして計測するやつ:人が通るだけでも反応してうるさいので、普段はコンセントを抜いている!)と、中身が空のことが多いプッシュ式の消毒液がある(指摘すると補充してくれます)。
フロントがある階にも、いくつか部屋があるようだが、浮沈子が宿泊したのは一つ上の階(18号室)。
画像は、ネットからとったものだが、たぶんこの部屋に間違いない。
広い。
奥右側にトイレと、シャワールームがある(バスタブはありません)。
奥左は洗面台だが、この前に椅子(画像にはありませんが、手前左側にひじ掛け付きのソファが置いてありました)を移動させて、デスクとして使っていた。
食事は、朝の8時から、コーヒーとトースト(自分でトースターに入れる)が出る(フロント前のソファがあるところでセルフデリバリーされ、そこで食べても良し、部屋に持ち帰ってもいいようだ)。
バターとジャムは付いてくるが、フルーツジュースとかはない。
浮沈子は、3日目(PCR検査日:ピックアップが早いため)はパスし、2日目と4日目はここ(フロント前)で食べた(初日と出発日はコーヒーだけ)。
電気ポットから注ぐコーヒーは薄く、マズくはないが美味くもない。
メキシコはコーヒーの名産と聞いて期待していたんだが、庶民の口に入るのは別物らしい。
5泊(初日はレイトチェックイン)で2万円足らずというリーズナブルなお値段。
部屋は、弄られたくなかったのでドントディスターブの札をドアノブに掲げて、ルームサービスは受けなかった(最終日だけ、20ペソだけチップ置いてきました)。
フィリピンの馴染みのホテルとかだと、たっぷりチップあげて、顔見知りのおばちゃんに下着の洗濯までしてもらってましたけど(マジか!?)。
エアコンは付いているけど、朝晩は涼しいので点けなかった(明け方は寒いくらいです)。
窓にはネットが張られていて、レバーを押して開放する(ネットは外せません)。
バルコニーはない。
写真を見ると、他の部屋は作りが違うようで、実際、家族連れとかもいたから、部屋ごとの印象は異なるだろう。
ブログにも書いているけど、フロントではふつーに英語か通じて、サービスも悪くない(USBメモリーに入れたPDFファイルを印刷してもらうことが出来た程度ですが)。
フロントのスタッフは女性で、何人か交代で入っている(ふだんは一人)。
昼間は、英語堪能なおっさん(!)が同席していることもある。
警備の人は、外の通りに1人立っていて、概ねスマホを弄っている(怪しい人来ても素通りだな)。
部屋の掃除や、朝食の準備をするスタッフは別にいて、フロントは専属のようだ(制服違います)。
でも、フロントの人も、朝食のパンが足りなくなると、運んだりしていたからな。
こぢんまりとした、いごこちのいいプチホテルだった。
夜のド迫力の音量のホテル周辺のパーティ会場の騒音が気にならなければ、5番街(キンタアベニータ)からも近いし、セブンイレブン(深夜には閉まっています)もそばにある。
深夜の飲み物(モンスタードリンクや別途ボトル入りの水など)は、少し歩いて開いているドラッグストアで仕入れることもできる。
慣れれば、生活しやすい感じだ。
食事は、朝食以外はサンドイッチ。
サブウェイは、5番街に何か所かある。
セブンイレブンの袋菓子も食べた(オレオのビスケット)。
今回、食生活は追及しなかったからな。
航空券の金額を考えると(20万円以上)、足げく通うというわけにはいかない(年に1回行けるかどうか)。
安宿に泊まれば、滞在費は1日5000円くらいで済む。
今回は弾丸ツアーみたいにして行ってきたけど、セノーテのダイビング三昧で、10日くらいは滞在したいところだ。
時差ボケが取れたところで帰国した感じだったからな。
春先の講習は、旅行日程をたっぷりとってもらうようにお願いしている(2週間くらい)。
ホテルや周辺の環境は、浮沈子的には違和感はなかった(大音量も慣れてます)。
夜出歩いて、探検したり遊んだりしたわけじゃないからな(体力温存)。
講習の時には、座学もやることになる。
次回のホテルは、別の場所(ADOの第2バスターミナルの近く)で、周辺は静かなところだ。
その意味では、ホテルについては、今回は下見という感じではない。
が、安宿に慣れた浮沈子には、十分過ぎる快適さだった。
プライベートで行ったら、また使ってみようかな・・・。
(ホテルPartyholic プレヤデルカーメン)
https://cohiba.playa-del-carmen-hotel.com/ja/
「ex. Cohiba」
別名称(旧称?)として、コイバとなっているが、宿泊したホテルはここ。
入口は、角を曲がった奥にあり、そこにはホテルパーティホリックと看板が出ている。
ちゃんと調べていないけど、メキシコの建物の階の数え方は英国風で、玄関開けたらグランドフロア、階段上がってファーストフロアな感じだ。
そこにホテルのフロントがあって、よく電源が抜けている体温計(手をかざして計測するやつ:人が通るだけでも反応してうるさいので、普段はコンセントを抜いている!)と、中身が空のことが多いプッシュ式の消毒液がある(指摘すると補充してくれます)。
フロントがある階にも、いくつか部屋があるようだが、浮沈子が宿泊したのは一つ上の階(18号室)。
画像は、ネットからとったものだが、たぶんこの部屋に間違いない。
広い。
奥右側にトイレと、シャワールームがある(バスタブはありません)。
奥左は洗面台だが、この前に椅子(画像にはありませんが、手前左側にひじ掛け付きのソファが置いてありました)を移動させて、デスクとして使っていた。
食事は、朝の8時から、コーヒーとトースト(自分でトースターに入れる)が出る(フロント前のソファがあるところでセルフデリバリーされ、そこで食べても良し、部屋に持ち帰ってもいいようだ)。
バターとジャムは付いてくるが、フルーツジュースとかはない。
浮沈子は、3日目(PCR検査日:ピックアップが早いため)はパスし、2日目と4日目はここ(フロント前)で食べた(初日と出発日はコーヒーだけ)。
電気ポットから注ぐコーヒーは薄く、マズくはないが美味くもない。
メキシコはコーヒーの名産と聞いて期待していたんだが、庶民の口に入るのは別物らしい。
5泊(初日はレイトチェックイン)で2万円足らずというリーズナブルなお値段。
部屋は、弄られたくなかったのでドントディスターブの札をドアノブに掲げて、ルームサービスは受けなかった(最終日だけ、20ペソだけチップ置いてきました)。
フィリピンの馴染みのホテルとかだと、たっぷりチップあげて、顔見知りのおばちゃんに下着の洗濯までしてもらってましたけど(マジか!?)。
エアコンは付いているけど、朝晩は涼しいので点けなかった(明け方は寒いくらいです)。
窓にはネットが張られていて、レバーを押して開放する(ネットは外せません)。
バルコニーはない。
写真を見ると、他の部屋は作りが違うようで、実際、家族連れとかもいたから、部屋ごとの印象は異なるだろう。
ブログにも書いているけど、フロントではふつーに英語か通じて、サービスも悪くない(USBメモリーに入れたPDFファイルを印刷してもらうことが出来た程度ですが)。
フロントのスタッフは女性で、何人か交代で入っている(ふだんは一人)。
昼間は、英語堪能なおっさん(!)が同席していることもある。
警備の人は、外の通りに1人立っていて、概ねスマホを弄っている(怪しい人来ても素通りだな)。
部屋の掃除や、朝食の準備をするスタッフは別にいて、フロントは専属のようだ(制服違います)。
でも、フロントの人も、朝食のパンが足りなくなると、運んだりしていたからな。
こぢんまりとした、いごこちのいいプチホテルだった。
夜のド迫力の音量のホテル周辺のパーティ会場の騒音が気にならなければ、5番街(キンタアベニータ)からも近いし、セブンイレブン(深夜には閉まっています)もそばにある。
深夜の飲み物(モンスタードリンクや別途ボトル入りの水など)は、少し歩いて開いているドラッグストアで仕入れることもできる。
慣れれば、生活しやすい感じだ。
食事は、朝食以外はサンドイッチ。
サブウェイは、5番街に何か所かある。
セブンイレブンの袋菓子も食べた(オレオのビスケット)。
今回、食生活は追及しなかったからな。
航空券の金額を考えると(20万円以上)、足げく通うというわけにはいかない(年に1回行けるかどうか)。
安宿に泊まれば、滞在費は1日5000円くらいで済む。
今回は弾丸ツアーみたいにして行ってきたけど、セノーテのダイビング三昧で、10日くらいは滞在したいところだ。
時差ボケが取れたところで帰国した感じだったからな。
春先の講習は、旅行日程をたっぷりとってもらうようにお願いしている(2週間くらい)。
ホテルや周辺の環境は、浮沈子的には違和感はなかった(大音量も慣れてます)。
夜出歩いて、探検したり遊んだりしたわけじゃないからな(体力温存)。
講習の時には、座学もやることになる。
次回のホテルは、別の場所(ADOの第2バスターミナルの近く)で、周辺は静かなところだ。
その意味では、ホテルについては、今回は下見という感じではない。
が、安宿に慣れた浮沈子には、十分過ぎる快適さだった。
プライベートで行ったら、また使ってみようかな・・・。
最近のコメント