機上の空論12015年01月27日 16:58

機上の空論1
機上の空論1


例によって、セブからの帰りの飛行機の中で書き出す。

朝食を食べ終え、うつらうつらしながら書いているので、大した考えが浮かぶわけでもない。

無事にダイブマスターを取得し、11月下旬にロタに行ってからというもの、グアム、セブと立て続けに潜ったような気がする。

もちろん、その間にも富戸で年末年始を過ごし、器材スペシャルティやDPVスペシャルティ、ドライスーツスペシャルティなど、小技を身に着けてきた。

この冬は、ダイビングにどっぷりと漬かってきたともいえる。

それで良かったんだろうか?。

一区切り付いて、少し冷静に考えてみる。

AI(アシスタント・インストラクター)を取ったら、引き続いてインストラクターも取ってしまおうと考えているが、その先は少し間が開くだろう。

ポセイドンでの本数を稼がなければならない。

その頃には、ダイビングシーズン入りしているので、逆にCCRで潜るのが難しくなるかもしれない。

そう、純然たるお客さんとして潜れるのは、今後は限られてくるということになる。

自分のスキルアップか、プロとして潜るか。

それでも、ダイビングは楽しみのために始めたので、辛い思いをして潜るつもりはない。

そういうダイビングは、他の方にお願いして、浮沈子は楽しんで潜りたいな。

贅沢な話である。

そううまくいくのかあ?。

だから、機上の空論だってば・・・。

まあいい。

機は、まもなく下降体勢に入る。

気流の関係で、帰りは4時間余りで到着する。

往路は5時間くらいだから、相当違うな。

今日は成田の気温は11度だそうだ。

気温差20度である。

慣れるのに、暫く辛い日々を過ごすことになる。

それもいい。

また暖かいところへ行くという動機付けになる。

飛行機による南北の移動は、その魔法の扉を行き来するということだ。

窓が開いて、雲が見えてくる。

シンデレラの魔法が解けて、馬車がカボチャに変わろうとしている。

誰か、ガラスの靴を持って、浮沈子を見つけてくれる人はいないのだろうか。

まあ、南の島にはガラスの靴は置いてこなかったしな。

陽光と潮騒の記憶を抱いて、機は成田に降りつつある・・・。

スピード462015年01月27日 21:20

スピード46
スピード46


英語版のウィキが更新され、シエラレオネの増加が影響して、グラフは、よりなだらかになった。

(Timeline of reported cases and deaths:18 Jan 2015)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ebola_virus_epidemic_in_West_Africa#Timeline_of_reported_cases_and_deaths

1月18日付の感染者は、21724人だが、最新版は例によって以下の通り。

国名:感染者:集計日
ギニア:2909:1月24日
リベリア:8513:1月20日
シエラレオネ:10514:1月25日
その他:35:-
合計:21971:-

感染者数は、各国の発表の数字を使用している(WHOと異なることがある)。

増加の勢いは減っているし、最大の懸念であったシエラレオネの都市部の増加が抑えられているのは、いいニュースだ。

今回の流行に対して、どちらかといえば悲観的な見方をしていた浮沈子も、どうやら終息に向かって確かな動きが出てきたと見る。

規模の大きい流行なので、全ての感染経路が断たれるまでは長時間を要すると考えられるが、それにしても、十分な減少が確認されている。

問題は、基本に忠実な対応を継続できるかどうかである。

この地域の衛生政策を充実させ、エボラだけではなく、全体に底上げしていく動きに繋げられるのか。

埋葬習慣が、元に戻ってしまうことがないように、地域社会全体で取り組むことが可能なのか。

取り組むべき課題は尽きない。

散発的な地域外への飛び火感染は、これからもあるかもしれないが、小規模な事案で終息するという実績が積み上げられてきた。

エボラは、全世界が注目する事案ではなくなりつつある。

アフリカにおける絶対的な貧困や、衛生状態の悪さにも目が行かなくなる。

かく言う浮沈子自身の関心も、そろそろ薄れかけていて、フィリピンに行っている間は、殆どチェックしなかった。

イスラム国のニュースの方が気になってしまって、人類共通の敵である感染症に対して気が回らなくなってきているのだ。

イスラム国も、似たようなもんかもしれないが。

まあいい。

浮沈子がフィリピンにいる間にも、当のフィリピンのミンダナオ島で、地域的な揉め事で数十人が死んだという記事もあったな。

(フィリピン警官49人死亡、ミンダナオ島でイスラム勢力と衝突)
http://www.afpbb.com/articles/-/3037767

「フィリピン南部ミンダナオ(Mindanao)島で、警察の特殊部隊と反政府イスラム系武装勢力の衝突が発生し、警官49人が死亡した。」

「25日午前3時(日本時間同日午前4時)ごろ 、停戦合意で定められているMILFとの調整なしで警官隊がママサパノに進入し、銃撃戦となった。」

6億円の賞金首を追いかけて、勇み足をしたらしいが、高くついてしまったようだ。

まあ、どうでもいいんですが。

人間同士の争いで、尊い人命が失われるというアホなことが、いったいいつまで続くんだろうか。

食う子は育つ2015年01月27日 22:08

食う子は育つ
食う子は育つ


一応、ドデカいイロカエルアンコウを見たという記事を掲げておく。

体長30cmは固いな。

こうなると、マクロもくそもなく、浮沈子でも普通に写真に取れる。

ちょっと食欲が湧かない色と姿だが、ここまでデカくなるには、本人(?)は、相当食ってきたのだろう。

今後、どこまでデカくなるのか楽しみであるな。

電子化の本質2015年01月27日 23:56

電子化の本質
電子化の本質


まずは、この記事を。

(【CES15】「ディスプレイがミラー代わりになる日は近い」JVCケンウッド 河原会長)
http://response.jp/article/2015/01/27/242646.html

「(デジタルコックピットは)カーエンタテイメントとはまったく違う次元で開発した。真ん中のクラスターにはナビゲーションの映像が表示され、その時はメーター機能が自動的に小さくなる。その場面に応じてあらゆる情報が効率よくドライバーに伝わってくる。今後はこの方向にクルマは間違いなく向かっていく」

「デジタルコックピットで使われるディスプレイはすべてHD(1280×720ドット)画質のもので、ここにフルHD(1920×1080ドット)対応のビデオカメラ技術が組み合わせる。」

4Kだ8Kだと騒いでいる時代に、HDというのもいささか時代遅れの感がないでもない。

しかし、このケンウッドの考え方の中には、ヒューマンインターフェースはどうあるべきかという本質的な問題が垣間見える。

「場面に応じた情報を効率よく伝える」という点では、電子化に勝るものはない。

そのうち、戦闘機のようにヘルメット被って運転するようになるのかもしれないが、まあ、レーシングカーだけにしてもらいたいな。

記事は、実際にデジタルミラーが実現するかどうかという話に矮小化しているが、デバイスメーカーが見ているのはもっと違う世界、そう、例えばフロントガラスを全面的に撤去して、そこにあらゆる情報を映し出す究極のフロントディスプレイだろう。

ミラーの電子化は良くて、素通しのガラスはダメというリクツはない。

雨の日のワイパーだって、ひょっとしたら要らなくなるかもしれないし(デジタルで画像処理して、雨による歪みをリアルタイムで補正するとか)。

電子化とは、仮想化であり、現実世界を電子の世界に移し替えていくことだ。

もちろん、リアリティとかも重要だが、全く同じである必要はない。

ビジュアルだけでなく、サウンドの世界もそうだ。

最近は、エンジン音や排気音をピックアップして、車内のスピーカーから流して聞かせるというのもあるが、そんなチャチな話ではなく、外界と全く異なる音環境をゼロから作る事だって可能である。

そもそも、画像や音といった情報は、人間に伝えやすくするためのもので、機械自体が処理できるなら、わざわざ人間に伝えなくてもいいのだ。

車間距離や速度を適正に保ったり、緊急事態に対応するのは機械の方が得意だろう。

人間の動作をサポートするのではなく、自分でやった方が早いし、正確だ。

シートベルトのテンションを上げたり、エアバッグを膨らませるなどの芸当はとっくに自動化されている。

そう、電子化のなれの果ては、全自動操縦になるに決まっているが、そこへのアプローチは様々だな。

そういった仮想化を支えているのは、電子化された情報を処理するコンピューターだが、それは単独で働くのではなく、クルマの中でも、クルマの外とも通信しながら、システマティックに動いている。

仮想化された世界の中で、どんな交通システムを作っていくかは、タイヤと路面の摩擦とか、空気抵抗などの物理的な制約をクリアすれば、白紙状態である。

今までは、人間が操縦しなければならないという厳しい条件があり、ミスを犯さないような様々な配慮が必要だったが、機械が処理するようになれば、アホでノロマな人間に処理を委ねることもない。

ミリ秒単位で解決できるし、はるかに正確である。

まあ、この話を突き詰めていくと、安っぽいSFのように、政治とか経済も、全部コンピューターに任せてしまえば、効率よく安全で豊かな暮らしが営めるようになって、世界はマトリックスの支配下に置かれてしまうということになるんだが、今日はそんな話はしない。

人間は、支配という果実を、決して手放すことはない。

それ自身が快感であり、目的であり、他の何物にも替え難いからこそ、世の争いの種は尽きないのだ。

さて、電子化と人間の支配欲に挟まれてしまった機械はどうなっていくのだろうか。

まるでそこに存在しないかのように、無に近づいていくのではないかと浮沈子は考えている。

優れた機械は、自己主張をしないで、環境に溶け込み、その一部となって人間に奉仕する。

過ちを犯さず、危険から人間を保護し、しかし、支配欲を満たすという結構な存在である。

さりげなさがいいんだな。

いかにも機械様のおかげで楽させてもらっているなどという状況は、人間には受け入れ難いに違いない。

押し付けがましい自動化というのは、逆に不快なのである。

IoTというのが、最近のキーワードらしい。

(モノのインターネット(Internet of Things:IoT)とは)
http://tocos-wireless.com/jp/tech/Internet_of_Things.html

「パソコン類以外のモノをインターネットに接続することをモノのインターネット(Internet of Things : IoT)と呼んでいます。」

これからは、身の回りのもの同士が通信し合い、良きに計らってくれたり、人間に通知したり、相談したりしてくることになる。

その窓口となるのが、スマホとかの中に入れ込まれたエージェントということになるわけだな。

もちろん、その実態は、地球の裏側にあるサーバー群が作り出す仮想の人格、あなただけの黒執事である。

(黒執事:浮沈子は、よく知りませんが)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%9F%B7%E4%BA%8B

今日の食事のカロリーと運動量を計算して、一駅手前で降りるように指示したり、アルコールの摂取量を監視して、翌日の出社に影響しないように警告するわけだ。

ったく、余計なお世話であるな・・・。

CCRだって例外ではない。

ポセイドンのバージョンが100(現在は、セブンですが)くらいになれば、アルコールを飲み過ぎた呼気を検知すると、自動的にダイビングを中止するようになるとか、不整脈を検知して、医療機関にデータを送るとか・・・。

ったく、余計なお世話であるな・・・。

ある時は母親のように、ある時は父親のように、ある時は教師のように、ある時は上司のように、様々な顔を持ったエージェントが、物と人間との間で振舞うようになる。

究極の管理社会である。

そう、電子化の成れの果ては、やはり、支配なのだ。

その支配のルールを決め、インプットし、従わせるというのが未来の出世の姿なのである。

やれやれ・・・。

人間は、それに従って行動するしかないんだろうか?。

そんなことはない。

ナマの人間同士のコミュニケーションまで、機械の言いなりになる必要はない。

まあ、ネット上で情報を漁って身上調査して、あいつとは付き合わないほうがいいなどということくらいは言ってくるかもしれないが。

人間と機械との付き合いを円滑にしてくれる電子化なんだろうが、一つは自動化、もう一つはエージェント化の方向性を持っている。

昔、Siriに愛をささやくというのが流行った(?)。

(iPhoneに愛をささやく人々が増殖中です。)
http://matome.naver.jp/odai/2135035863199606801

自閉症の患者が、友情に目覚めたという話もある。

(iPhoneの音声アシスタント「Siri」と親友になった自閉症の男の子)
http://news.mynavi.jp/column/svalley/588/

こんな話を書いてきて、ふっと思ったのだが、人間は自らを守るために都市という巣巨大なを作り、その中で生活するようになった。

航空機や船舶に乗って、世界中を旅するが、概ね都市から都市へと渡り歩く。

自然といっても、管理された環境であることが殆どで、野性の中に身をおくことはまずない。

一人、夜な夜な(昼間でも)パソコンに向かってブログをかいている浮沈子にしても、既に電子化された世界の中での生活に慣れて、インターネットにつながらないと心身症になってしまう。

セブのホテルでも、何回かロビーでしか繋がらないネットにはじかれて、次回は別のホテルにしようと意を決した。

まあ、安くて、朝食も付いてて、ルームサービスもしてくれるという結構なホテルではある。

しかし、もう、たぶん、ネットに繋がらない生活には耐えられないかもしれない。

ダイブクルーズも、衛星経由で繋がらないと乗らないかも。

インターネットという新たな都市空間さえあれば、多少サービスは悪くてもガマンできる。

人類の4人に1人は、ネットに繋がることができるんだそうだ。

(インターネット利用者数による国順リスト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E6%95%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%9B%BD%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

「世界:1,802,330,457人:2009年」

このブログも、可能性としては、18億人が読むことが出来る。

そんな生活にどっぷり漬かった浮沈子自身が、既に電子化の成れの果てなのかもしれない。

生身のコミュニケーション能力に支障を来たして、徒然に綴っているだけなのだろう。

ああ、なんという結論!。