小さな国の思い出 ― 2017年02月17日 18:42
小さな国の思い出
「児童文学作家の佐藤さとるさんが死去」
はて、どこかで聞いたような・・・。
(だれも知らない小さな国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E5%9B%BD
「1959年(昭和34年)に自費出版後、同年講談社から出版されたファンタジー小説。佐藤さとる(佐藤暁)著。」
やっぱそうか・・・。
浮沈子が幼少の頃親しんだ物語の一つである。
手元にないので、記憶で書く。
「せいたかさん」とかいう主人公が出てくる。
確か、幼稚園の先生だった女性も出てきたな(「おちび先生」というあだ名を持っている)。
彼女が主人公を呼ぶときの呼び方が、「せいたかさん」だったと思った。
目の端を、小さな黒い影がよぎる。
まあ、飛蚊症(ひぶんしょう)じゃないかと思うんだが、そういってしまっては物語は進まない。
(飛蚊症)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%9A%8A%E7%97%87
「この影は相対的に動き回っているように当人には感じられる」
まあいい。
せいたかさんが、どうして「ヒコ」の存在に気付いたかは忘れてしまったが、おちび先生がオハギちゃんを試すシーンは覚えている。
園児たちが帰ったあとの教室で、ピアノの鍵盤の蓋を開いたまま、目を瞑っているからピアノを鳴らして欲しいという(記憶で書いているので、テキトーです)。
オハギちゃんは、思わず鍵盤の上に飛び降り、誰もいない教室の中に、ポーンとピアノの音が響く・・・。
非日常の、しかし、日常と隣り合わせにある未知の世界の扉が開く瞬間!。
その興奮が伝わって来るようだ。
その世界を開くことが出来るのは、準備が出来ている人だけ。
立派なオトナになって、分別が付き、宇宙に地球外生命なんているわけないとか言い出す人間の所には、そんな奇跡は訪れない。
この物語の素晴らしいところは、子供の頃の、誰にでもありそうな架空の体験を拡張して、大人になってからの現実世界の中に投影している点だ。
子供の頃の夢って、大人になったら、全部丸ごと捨て去らなければならないんだろうか?。
そうじゃないよって、作者は言っているような気がする。
それが、幸せの種なんだって。
物語は、道路建設のために崩されようとしている小さな国を、無力なオトナが小人たちと組んで守るという、まあ、いま時ならありがちなストーリーを辿る。
しかし、高度経済成長に突入する頃の我が国においては、かなりなプロテクト文学だったのではないか。
エコだなんだという話が流行る、はるか以前の時代だ。
子供の頃に遊んだ原風景を守りたいという、極めて原初的な動機の中に、上手く落とし込んでいる。
残念ながら、浮沈子は続編は読まなかった。
第一作だけ。
半世紀近く経って、物語の具体的な筋とかは、記憶から消えてしまっている。
まあ、読み直さない方が無難だろう。
そういうものだ。
遠い、淡い記憶の中に浮かべておくのがいい。
作者の訃報は、池に落ちた小石の波紋のように広がり、やがて消える。
思い出のいっぱい詰まった箱の蓋は、静かに閉まり、オルゴールは止まる。
誰にも知られることのない、浮沈子の心の中の小さな国は、再び忘却の彼方へ、ヘタしたら、永遠の彼方へと去っていく。
それでいいのだ・・・。
あれ?、今何か、目の端を黒いものが横ぎったような気が(飛蚊症じゃね?)。
「児童文学作家の佐藤さとるさんが死去」
はて、どこかで聞いたような・・・。
(だれも知らない小さな国)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E5%9B%BD
「1959年(昭和34年)に自費出版後、同年講談社から出版されたファンタジー小説。佐藤さとる(佐藤暁)著。」
やっぱそうか・・・。
浮沈子が幼少の頃親しんだ物語の一つである。
手元にないので、記憶で書く。
「せいたかさん」とかいう主人公が出てくる。
確か、幼稚園の先生だった女性も出てきたな(「おちび先生」というあだ名を持っている)。
彼女が主人公を呼ぶときの呼び方が、「せいたかさん」だったと思った。
目の端を、小さな黒い影がよぎる。
まあ、飛蚊症(ひぶんしょう)じゃないかと思うんだが、そういってしまっては物語は進まない。
(飛蚊症)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%9A%8A%E7%97%87
「この影は相対的に動き回っているように当人には感じられる」
まあいい。
せいたかさんが、どうして「ヒコ」の存在に気付いたかは忘れてしまったが、おちび先生がオハギちゃんを試すシーンは覚えている。
園児たちが帰ったあとの教室で、ピアノの鍵盤の蓋を開いたまま、目を瞑っているからピアノを鳴らして欲しいという(記憶で書いているので、テキトーです)。
オハギちゃんは、思わず鍵盤の上に飛び降り、誰もいない教室の中に、ポーンとピアノの音が響く・・・。
非日常の、しかし、日常と隣り合わせにある未知の世界の扉が開く瞬間!。
その興奮が伝わって来るようだ。
その世界を開くことが出来るのは、準備が出来ている人だけ。
立派なオトナになって、分別が付き、宇宙に地球外生命なんているわけないとか言い出す人間の所には、そんな奇跡は訪れない。
この物語の素晴らしいところは、子供の頃の、誰にでもありそうな架空の体験を拡張して、大人になってからの現実世界の中に投影している点だ。
子供の頃の夢って、大人になったら、全部丸ごと捨て去らなければならないんだろうか?。
そうじゃないよって、作者は言っているような気がする。
それが、幸せの種なんだって。
物語は、道路建設のために崩されようとしている小さな国を、無力なオトナが小人たちと組んで守るという、まあ、いま時ならありがちなストーリーを辿る。
しかし、高度経済成長に突入する頃の我が国においては、かなりなプロテクト文学だったのではないか。
エコだなんだという話が流行る、はるか以前の時代だ。
子供の頃に遊んだ原風景を守りたいという、極めて原初的な動機の中に、上手く落とし込んでいる。
残念ながら、浮沈子は続編は読まなかった。
第一作だけ。
半世紀近く経って、物語の具体的な筋とかは、記憶から消えてしまっている。
まあ、読み直さない方が無難だろう。
そういうものだ。
遠い、淡い記憶の中に浮かべておくのがいい。
作者の訃報は、池に落ちた小石の波紋のように広がり、やがて消える。
思い出のいっぱい詰まった箱の蓋は、静かに閉まり、オルゴールは止まる。
誰にも知られることのない、浮沈子の心の中の小さな国は、再び忘却の彼方へ、ヘタしたら、永遠の彼方へと去っていく。
それでいいのだ・・・。
あれ?、今何か、目の端を黒いものが横ぎったような気が(飛蚊症じゃね?)。
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