走る応接室 ― 2014年03月03日 23:16
走る応接室
日産のクルマに、ティアナというバリバリのセダンがある。
(日産・ティアナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A
「キャッチコピーは「クルマにモダンリビングの考え方。」」
「そのキャッチコピーのとおり、モダニズムの思想によるデザインを取り入れたインテリアが特徴で、オットマンシートが装備された。」
「アッパーミドルクラスに属するティアナの設定に際し、在来モデルを俯瞰すると、「セフィーロは広くて実用的だったが高級のイメージがなかった。」「ローレルは高級イメージはあったが室内が狭かった。」以上のことから、「両モデルに替わる高級セダンの位置づけで開発した。」と、日産の商品企画は語っている。」
「警察の機動捜査用覆面パトカーや一部県警の高速パトカー、警護車としても導入されている。また前述のように廉価でありながら広く高級感のある室内や、レギュラーガソリンで走行できるV6エンジンなどが人気となり、FF車で、しかもビジネスユース向けの車両ではないにもかかわらず、個人タクシーやハイヤーにも数多く採用されている。」
そう、このクルマ、FFなのであるな。
しかし、完全自動運転が常識となる21世紀において、FFかどうかは、クルマ選びの基準にはならない。
(未来の車は「走るリビングルーム」になる)
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140303-00010004-biz_rwj-nb
「私たちはすでに未来の運転環境に追いついてしまったようだ。ほんの数年前まで、ナビゲーション、エンターテインメント、ドライバーアシスタントを表示するスクリーンが並んだモーターショーのコンセプトカーは、子どもや孫の世代が将来楽しむもの、という存在だった。」
「リンスピードによると、この技術が進歩すればドライバーは運転から解放され、本を読み、音楽を聞き、ネットサーフィンをし、ゲームをプレイし、オンデマンドの映画を見、ビデオ会議を開催するなど、自由に過ごすことができるようになるということだ。」
そう、運転から開放された時間を、車内でどのように過ごすかというのが、これからのカーライフの焦点である。
完全自動運転は当たり前、その先の提案ができないメーカーは、自動運転で目的地に辿り着く「当たり前の機械」を作る、インフラ産業になってしまう。
21世紀のクルマが与えるカタルシスというのは、ドライビングプレジャーではない。
それは、かつて自動車が人間が運転するという、とてつもなく危険で、身勝手で、反社会的な乗り物であった頃の、不完全な機械制御であった頃のメーカーの言い訳に過ぎない。
出来損ないの自動制御を、操る喜びに言い換えていただけだ。
動く応接室(いや、寝室でもいいんですが・・・)、移動を意識させない滑らかな加速と減速、低騒音(スポーツマフラーなんて、とんでもない!)、高速インターネットと接続された快適なオフィス環境、テレビ電話、3D映画(もちろん、オンデマンドで、最新作を観ることができる)、ノンアルコールのドリンクバー(自動運転が故障したときは、やっぱ、人力で運転が必要!)、タイ式マッサージもびっくりの電動マッサージなどなど(追加:お好み焼きとかたこ焼きが作れたりするといいかも!)。
癒されるクルマ、運転という雑務から開放された、くつろぎの場。
そのまま、高速列車に乗り込んで、長距離移動も可能だ。
道路で行くか、レールで行くか。
時間とコストの兼ね合いだけで、どちらも運転なんて下衆なことはしない。
ロールスロイスの逸話に、「エンジンを掛けてくれ、いや、もう掛かってます」、というのがあるが、電気自動車(燃料電池車を含む)が当たり前になれば、どんなことになるのだろうか。
エンジンを掛けてくれ、いや、そんなもんはありません、てかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
完全自動運転を見据えたクルマ作り、各メーカーの開発担当者は、必死で生き残りを考えているに違いない。
付加価値を乗せることが出来ない、コモディティを作り続けるのか、クルマに新しい付加価値を(文字通り)乗せることができるのか。
まあ、その結果がドライブゲームとかで、車内でゲームパッド持って実際の運転をシミュレートするなんて話は、落ちにもならないけどね・・・。
日産のクルマに、ティアナというバリバリのセダンがある。
(日産・ティアナ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%8A
「キャッチコピーは「クルマにモダンリビングの考え方。」」
「そのキャッチコピーのとおり、モダニズムの思想によるデザインを取り入れたインテリアが特徴で、オットマンシートが装備された。」
「アッパーミドルクラスに属するティアナの設定に際し、在来モデルを俯瞰すると、「セフィーロは広くて実用的だったが高級のイメージがなかった。」「ローレルは高級イメージはあったが室内が狭かった。」以上のことから、「両モデルに替わる高級セダンの位置づけで開発した。」と、日産の商品企画は語っている。」
「警察の機動捜査用覆面パトカーや一部県警の高速パトカー、警護車としても導入されている。また前述のように廉価でありながら広く高級感のある室内や、レギュラーガソリンで走行できるV6エンジンなどが人気となり、FF車で、しかもビジネスユース向けの車両ではないにもかかわらず、個人タクシーやハイヤーにも数多く採用されている。」
そう、このクルマ、FFなのであるな。
しかし、完全自動運転が常識となる21世紀において、FFかどうかは、クルマ選びの基準にはならない。
(未来の車は「走るリビングルーム」になる)
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140303-00010004-biz_rwj-nb
「私たちはすでに未来の運転環境に追いついてしまったようだ。ほんの数年前まで、ナビゲーション、エンターテインメント、ドライバーアシスタントを表示するスクリーンが並んだモーターショーのコンセプトカーは、子どもや孫の世代が将来楽しむもの、という存在だった。」
「リンスピードによると、この技術が進歩すればドライバーは運転から解放され、本を読み、音楽を聞き、ネットサーフィンをし、ゲームをプレイし、オンデマンドの映画を見、ビデオ会議を開催するなど、自由に過ごすことができるようになるということだ。」
そう、運転から開放された時間を、車内でどのように過ごすかというのが、これからのカーライフの焦点である。
完全自動運転は当たり前、その先の提案ができないメーカーは、自動運転で目的地に辿り着く「当たり前の機械」を作る、インフラ産業になってしまう。
21世紀のクルマが与えるカタルシスというのは、ドライビングプレジャーではない。
それは、かつて自動車が人間が運転するという、とてつもなく危険で、身勝手で、反社会的な乗り物であった頃の、不完全な機械制御であった頃のメーカーの言い訳に過ぎない。
出来損ないの自動制御を、操る喜びに言い換えていただけだ。
動く応接室(いや、寝室でもいいんですが・・・)、移動を意識させない滑らかな加速と減速、低騒音(スポーツマフラーなんて、とんでもない!)、高速インターネットと接続された快適なオフィス環境、テレビ電話、3D映画(もちろん、オンデマンドで、最新作を観ることができる)、ノンアルコールのドリンクバー(自動運転が故障したときは、やっぱ、人力で運転が必要!)、タイ式マッサージもびっくりの電動マッサージなどなど(追加:お好み焼きとかたこ焼きが作れたりするといいかも!)。
癒されるクルマ、運転という雑務から開放された、くつろぎの場。
そのまま、高速列車に乗り込んで、長距離移動も可能だ。
道路で行くか、レールで行くか。
時間とコストの兼ね合いだけで、どちらも運転なんて下衆なことはしない。
ロールスロイスの逸話に、「エンジンを掛けてくれ、いや、もう掛かってます」、というのがあるが、電気自動車(燃料電池車を含む)が当たり前になれば、どんなことになるのだろうか。
エンジンを掛けてくれ、いや、そんなもんはありません、てかあ?。
まあ、どうでもいいんですが。
完全自動運転を見据えたクルマ作り、各メーカーの開発担当者は、必死で生き残りを考えているに違いない。
付加価値を乗せることが出来ない、コモディティを作り続けるのか、クルマに新しい付加価値を(文字通り)乗せることができるのか。
まあ、その結果がドライブゲームとかで、車内でゲームパッド持って実際の運転をシミュレートするなんて話は、落ちにもならないけどね・・・。
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