ポストスマホ ― 2014年03月04日 00:38
ポストスマホ
(ポストスマホは幻想、スマホ時代は10年続く)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsudakenji/20140303-00033192/
なんか、ずいぶんコンサバな記事だが、言ってることはまともだな。
「ウェアラブルコンピュータやウェアラブル端末は、スマートフォンの周辺機器としての位置づけにしかなく、主要なデバイスにはならない。」
浮沈子はそうは思わないが、スマホがパーソナルウエアラブルデバイスのハブとしての役割を一時期果たすことになるというのは間違いない。
ハブなら、別に身に着けている必要なはい。
だから、スマホなんて、一時期の仇花に過ぎないと浮沈子は思うんだが、どうでしょうか?。
逆に、パソコンはなくならないだろうと思う。
纏まった文章を書いたり、ビジュアルを整理したりするのに、タブレットではハッキリ言って能力不足だ。
ウエアラブルで軽快なデバイスと、パーソナルなコンピューティング環境。
中間であるスマホは、一時期、ウエアラブルデバイスの補完機能を果たすだけ。
音声やしぐさで入力できればそれでいい。
世界は、グラスに映し出され、イヤホンから聞こえてくる。
ハブはどこへいったのかって?。
短距離無線で、ネットの向こうに行ってしまうのさ。
インフラでしょ?。
ブルートゥースでも何でもいいけど、IDが管理されていれば、パーソナルなハブを持ち歩く必要なんてないんじゃない?。
どうしても技術的に問題があるなら、無線LANのルーターを持ち歩けばいいんじゃないか。
演算を必要とするシステムは、ネットワークの向こう側でまとめてやってくれればいいわけで、個人が持ち歩いてデータストリームを生成しなくても、サービスとして提供者側が行えばいいんだと思う。
ネットワークのこっちでは、入出力デバイスで、データだけ送ればいいようにしてもらいたいな。
画像とか、動画でもいいけど。
たとえば、音声から文字情報に変換したり、そういった機能だって、今ではネット側でやっているわけだし。
通信とインターフェースを入れておくのに、スマホを必要とするかどうかは、ちょっと考えればすぐに結論は出る。
昔、ピアノとバイオリンのことを考えたことがある。
もちろん、コンサートを開くのに、ピアノを空輸して、専任の調律師にメンテナンスさせて弾く人もいるかもしれないが、ピアノはインフラとして世界中のコンサートホールにあるというのが普通だから、ピアニストは譜面だけ持ち歩けば世界中どこでもコンサートが開ける。
バイオリニストは、なかなかそういう恵まれた環境にはなく、弾きなれたバイオリンを大切に抱えて、世界を飛び回らなければならない。
バイオリンという楽器は、それはそれはナイーブな楽器で、定期的なオーバーホールは欠かせないし、管理が杜撰だと、バラバラに分解してしまったりする。
演奏する会場の湿度や温度に合わせて、松脂の種類を変えたりもする。
スマホって、どちらかといえばバイオリンに近いんじゃないか。
パーソナルウエアラブルデバイスを持ち歩き、何処にでもあるパソコンから、ネットの環境を駆使するのがスマートなんじゃないか。
今は、浮沈子はノートパソコンを持ち歩いているが、ピピに行ったときに、インターネットカフェがひしめいていたのを見て、こっちの方が正解かなと思ったものだ。
真のモバイラーではないので、どうしても、最終兵器であるノートパソコンを手放すことが出来ない。
データは、手元のハードディスクに置いておかないと不安だ。
20世紀の人間なのである。
最近の人は、パソコンは職場にしかなくて、もっぱらスマホで、固定電話なくて、データはクラウドというのが普通のようだ。
しかし、この構成では、水中で撮影したSDカードの画像をネットに配信することができない。
水中にスマホを持ち込んで撮影するか、ゴープロのマイクロSDカードを使うか。
まあ、どうでもいいんですが。
当分の間、スマホが安泰なのは、ソーシャルネットワークアプリケーションと、メール、デジカメが手軽に使えるからというだけに過ぎない。
グラスやウォッチにこれらの機能を持たせても、閲覧する際の一覧性や、入力した内容の確認には、一定の大きさのモニターが欠かせない。
その辺りを、インフラとデバイスの兼ね合いで、どのように解決するのか(ショーウインドウのモニターに、自由に自分の画面を映し出したり、それ見てボイス変換したり・・・)。
浮沈子は、スマホというのはネットワークインフラが中途半端な時代に、人間とネットを安易に結ぶ一時的なデバイスだと考えている。
バイオリンなのだ。
ピアニストの贅沢を味わうには、もう少し時間が掛かりそうだな。
(ポストスマホは幻想、スマホ時代は10年続く)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsudakenji/20140303-00033192/
なんか、ずいぶんコンサバな記事だが、言ってることはまともだな。
「ウェアラブルコンピュータやウェアラブル端末は、スマートフォンの周辺機器としての位置づけにしかなく、主要なデバイスにはならない。」
浮沈子はそうは思わないが、スマホがパーソナルウエアラブルデバイスのハブとしての役割を一時期果たすことになるというのは間違いない。
ハブなら、別に身に着けている必要なはい。
だから、スマホなんて、一時期の仇花に過ぎないと浮沈子は思うんだが、どうでしょうか?。
逆に、パソコンはなくならないだろうと思う。
纏まった文章を書いたり、ビジュアルを整理したりするのに、タブレットではハッキリ言って能力不足だ。
ウエアラブルで軽快なデバイスと、パーソナルなコンピューティング環境。
中間であるスマホは、一時期、ウエアラブルデバイスの補完機能を果たすだけ。
音声やしぐさで入力できればそれでいい。
世界は、グラスに映し出され、イヤホンから聞こえてくる。
ハブはどこへいったのかって?。
短距離無線で、ネットの向こうに行ってしまうのさ。
インフラでしょ?。
ブルートゥースでも何でもいいけど、IDが管理されていれば、パーソナルなハブを持ち歩く必要なんてないんじゃない?。
どうしても技術的に問題があるなら、無線LANのルーターを持ち歩けばいいんじゃないか。
演算を必要とするシステムは、ネットワークの向こう側でまとめてやってくれればいいわけで、個人が持ち歩いてデータストリームを生成しなくても、サービスとして提供者側が行えばいいんだと思う。
ネットワークのこっちでは、入出力デバイスで、データだけ送ればいいようにしてもらいたいな。
画像とか、動画でもいいけど。
たとえば、音声から文字情報に変換したり、そういった機能だって、今ではネット側でやっているわけだし。
通信とインターフェースを入れておくのに、スマホを必要とするかどうかは、ちょっと考えればすぐに結論は出る。
昔、ピアノとバイオリンのことを考えたことがある。
もちろん、コンサートを開くのに、ピアノを空輸して、専任の調律師にメンテナンスさせて弾く人もいるかもしれないが、ピアノはインフラとして世界中のコンサートホールにあるというのが普通だから、ピアニストは譜面だけ持ち歩けば世界中どこでもコンサートが開ける。
バイオリニストは、なかなかそういう恵まれた環境にはなく、弾きなれたバイオリンを大切に抱えて、世界を飛び回らなければならない。
バイオリンという楽器は、それはそれはナイーブな楽器で、定期的なオーバーホールは欠かせないし、管理が杜撰だと、バラバラに分解してしまったりする。
演奏する会場の湿度や温度に合わせて、松脂の種類を変えたりもする。
スマホって、どちらかといえばバイオリンに近いんじゃないか。
パーソナルウエアラブルデバイスを持ち歩き、何処にでもあるパソコンから、ネットの環境を駆使するのがスマートなんじゃないか。
今は、浮沈子はノートパソコンを持ち歩いているが、ピピに行ったときに、インターネットカフェがひしめいていたのを見て、こっちの方が正解かなと思ったものだ。
真のモバイラーではないので、どうしても、最終兵器であるノートパソコンを手放すことが出来ない。
データは、手元のハードディスクに置いておかないと不安だ。
20世紀の人間なのである。
最近の人は、パソコンは職場にしかなくて、もっぱらスマホで、固定電話なくて、データはクラウドというのが普通のようだ。
しかし、この構成では、水中で撮影したSDカードの画像をネットに配信することができない。
水中にスマホを持ち込んで撮影するか、ゴープロのマイクロSDカードを使うか。
まあ、どうでもいいんですが。
当分の間、スマホが安泰なのは、ソーシャルネットワークアプリケーションと、メール、デジカメが手軽に使えるからというだけに過ぎない。
グラスやウォッチにこれらの機能を持たせても、閲覧する際の一覧性や、入力した内容の確認には、一定の大きさのモニターが欠かせない。
その辺りを、インフラとデバイスの兼ね合いで、どのように解決するのか(ショーウインドウのモニターに、自由に自分の画面を映し出したり、それ見てボイス変換したり・・・)。
浮沈子は、スマホというのはネットワークインフラが中途半端な時代に、人間とネットを安易に結ぶ一時的なデバイスだと考えている。
バイオリンなのだ。
ピアニストの贅沢を味わうには、もう少し時間が掛かりそうだな。
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