超音波 ― 2014年04月06日 03:47
超音波
とうとう見つけた。
(不明機ブラックボックスか…超音波信号を探知)
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140405-OYT1T50176.html
「中国国営新華社通信は5日、オーストラリア西部パースから西方の海域で捜索をしていた中国海警局の巡視船が同日、超音波信号を探知したと報じた。」
「音波が探知されたのは南緯25度、東経101度の海域。ブラックボックスは水中に没すると、超音波信号(37・5キロ・ヘルツ)を毎秒1回発信するといい、新華社通信は、巡視船が探知した超音波信号も同じ周波数だと伝えている。」
間違いない。
ただし、水中での音波の速さは速いので、方向とかを知るには時間がかかるかも知れない。
ギリギリで見つけたわけだ。
天網恢恢、疎にして漏らさず。
(不明マレーシア機のブラックボックス?中国船が信号捉える―中国メディア:元記事)
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/378826/
「海巡01は、インド洋南部での捜索中にブラックボックスの信号らしきものを捉え、艦内の3人が信号を確認したという。ただ、信号が聞こえたのは急なことだったため、録音はできなかったという。現在、中国の軍艦2隻がこの海域で捜索を行っている。」
「海巡01は、中国で最大級、最先端の装備、総合能力が最も優れた大型巡航救助船。排水量5418トン、全長128.6メートル、速度は約20ノット、航続距離は1万カイリに達する。2012年7月に進水し、13年4月16日から就役していた。」
新造船だな(画像参照)。
でかした!。
勲章ものだ。
(中華人民共和国の海上保安機関:海事局 (海巡))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E4%BF%9D%E5%AE%89%E6%A9%9F%E9%96%A2#.E6.B5.B7.E4.BA.8B.E5.B1.80_.28.E6.B5.B7.E5.B7.A1.29
「2012年8月には、より大型の「海巡01」が就役している」とある。
(“海巡01”:バイドゥの記事)
http://baike.baidu.com/view/5840886.htm
(中国最大の巡視船が進水 海軍を後ろ盾とすべき)
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2012-08/02/content_26099629.htm
しかし、ちょっと待てよ?。
超音波信号を、どうやって人間が聞くことが出来るのか。
うーん、ちょっと気になる点ではある。
中国だって、超音波探知装置を持っているだろうが、「録音はできなかった」というのが気になる。
(ソナー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BC
「第二次大戦時に探信義の探知結果がブラウン管で視覚化され、聴音装置と完全に分離された後も音波深信儀と聴音機やそのシステムを日本語でもソナーと呼ばれるようになった」
そう、いわゆる魚探なのである。
録音ではなく、「録画」なのだ。
水中での聴音は、現代では画像処理されて視覚化されている。
周波数的にも37.5kHzというのは、人間の可聴帯域を超えている(まあ、だから超音波なのだが)。
この記事を書いた記者が、そのことを知っていたのかどうか・・・。
まあいい。
(Deep-water Black Box Retrieval)
http://www.hydro-international.com/issues/articles/id1130-Deepwater_Black_Box_Retrieval.html
ネットでは、上記の記事が紹介されていたので見てみたが、発信機が37.5kHzの場合、通常状態で水深4ないし5kmでの探知が可能だそうだ。
インド洋の平均水深は4000mくらいだから、米国の専用探知器でなくても、水上艦船の探知機でも、捉えられる可能性はある。
南緯25度、東経101度の水深は不明だが、早期の機体回収を行い、謎を解明して欲しいものだ。
とうとう見つけた。
(不明機ブラックボックスか…超音波信号を探知)
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140405-OYT1T50176.html
「中国国営新華社通信は5日、オーストラリア西部パースから西方の海域で捜索をしていた中国海警局の巡視船が同日、超音波信号を探知したと報じた。」
「音波が探知されたのは南緯25度、東経101度の海域。ブラックボックスは水中に没すると、超音波信号(37・5キロ・ヘルツ)を毎秒1回発信するといい、新華社通信は、巡視船が探知した超音波信号も同じ周波数だと伝えている。」
間違いない。
ただし、水中での音波の速さは速いので、方向とかを知るには時間がかかるかも知れない。
ギリギリで見つけたわけだ。
天網恢恢、疎にして漏らさず。
(不明マレーシア機のブラックボックス?中国船が信号捉える―中国メディア:元記事)
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/378826/
「海巡01は、インド洋南部での捜索中にブラックボックスの信号らしきものを捉え、艦内の3人が信号を確認したという。ただ、信号が聞こえたのは急なことだったため、録音はできなかったという。現在、中国の軍艦2隻がこの海域で捜索を行っている。」
「海巡01は、中国で最大級、最先端の装備、総合能力が最も優れた大型巡航救助船。排水量5418トン、全長128.6メートル、速度は約20ノット、航続距離は1万カイリに達する。2012年7月に進水し、13年4月16日から就役していた。」
新造船だな(画像参照)。
でかした!。
勲章ものだ。
(中華人民共和国の海上保安機関:海事局 (海巡))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E4%BF%9D%E5%AE%89%E6%A9%9F%E9%96%A2#.E6.B5.B7.E4.BA.8B.E5.B1.80_.28.E6.B5.B7.E5.B7.A1.29
「2012年8月には、より大型の「海巡01」が就役している」とある。
(“海巡01”:バイドゥの記事)
http://baike.baidu.com/view/5840886.htm
(中国最大の巡視船が進水 海軍を後ろ盾とすべき)
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2012-08/02/content_26099629.htm
しかし、ちょっと待てよ?。
超音波信号を、どうやって人間が聞くことが出来るのか。
うーん、ちょっと気になる点ではある。
中国だって、超音波探知装置を持っているだろうが、「録音はできなかった」というのが気になる。
(ソナー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BC
「第二次大戦時に探信義の探知結果がブラウン管で視覚化され、聴音装置と完全に分離された後も音波深信儀と聴音機やそのシステムを日本語でもソナーと呼ばれるようになった」
そう、いわゆる魚探なのである。
録音ではなく、「録画」なのだ。
水中での聴音は、現代では画像処理されて視覚化されている。
周波数的にも37.5kHzというのは、人間の可聴帯域を超えている(まあ、だから超音波なのだが)。
この記事を書いた記者が、そのことを知っていたのかどうか・・・。
まあいい。
(Deep-water Black Box Retrieval)
http://www.hydro-international.com/issues/articles/id1130-Deepwater_Black_Box_Retrieval.html
ネットでは、上記の記事が紹介されていたので見てみたが、発信機が37.5kHzの場合、通常状態で水深4ないし5kmでの探知が可能だそうだ。
インド洋の平均水深は4000mくらいだから、米国の専用探知器でなくても、水上艦船の探知機でも、捉えられる可能性はある。
南緯25度、東経101度の水深は不明だが、早期の機体回収を行い、謎を解明して欲しいものだ。
SMS50 ― 2014年04月06日 04:51
SMS50
浮沈子が、サイドマウント専用BCとして、何の考えも無く選択したのがホリスのSMS50であったというのは、既に触れた。
(ご注文 )
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/01/14/7192968
この2か月余り、サイパンのラウラウでデビューしたのを皮切りに、タイのプーケットのカタビーチ、ピピ島、北マリアナ諸島のロタ島、そしてプール講習と、実際に使ってみた感想を書いておく。
当初心配していたフィッティングの問題も無く、ほぼそのままの状態で使い始めたが、やはりバンジーは交換した。
イントラが新宿の東急ハンズで仕入れてきた柔らかめのやつで、2本のゴムひもを一定間隔で縫い付けているタイプだ。
この鎖のようになった穴を調整に使えるので、非常によろしい。
背中の浮力体の密着が良くないのではないかという心配もしていたのだが、潜っているときにそれを感じたことはない。
どうやら杞憂に終わったようだ。
その代わり、いくつかの問題もある。
標準で付いているウエイトポケットが小さ過ぎて、一般的な2ポンド玉が入らない(細身のタイプのウエイトは、余り普及していない)。
まあ、ウエイトベルトを巻けばいいだけなのだが(その方が、緊急浮上の際にウエイトを投棄できるので安全!)、使えないことは確かだ。
浮沈子は、別途ウエイトポケットを買い求め、背中のベルトにベルクロで固定している。
ダイビングの期間中は、入れっぱなしでいいのだが、プーケットでは出し忘れてしまうという大失態を演じた。
ただし、ここに着けていると、腰の浮力体がうまく廻り込んでくれないので、フィット感を阻害してしまうという新たな問題を生じている。
タンクをクリップで留める腰のDリングは、固定式なので使えない。
そのままにしてあるが、取っ払ってしまいたいな。
お尻の鰭に付いている、特殊なDリングも不要だ。
要するに、ホリスのコンフィギュレーションは、浮沈子には合わないということ。
可動式のロープロファイルのDリングを腰のベルトに通して、タンクの浮き具合を調節しながら、ストリームラインを保つようにしている。
SMS50には、スタンダードなタイプと、インフレーションホースを上から持ってきているスポーツタイプがある。
(SMS 50)
http://www.hollis.com/sms50/
(SMS50 SPORT)
http://www.hollis.com/sms50-sport/
排気を行うときに、腰のバルブから出すか、このインフレーターホースから出すかという運用上の違いである。
背中に浮力体があるので、どーせホリゾンタルスタイルになっている。
腰の排気バルブから出した方が合理的だと思うんだが、バックマウントの器材から移ってくる時には、この方が違和感が無くていいだろう。
いちいち上に上げるという手間があるので、浮沈子は好まないな。
ホリスのページには、SMS75というタイプが既に登場している。
(SMS75)
http://www.hollis.com/sms75/
バックルタイプのハーネス、バックマウントにも対応したプレートが付き、35ポンドの浮力(SMS50は23ポンド)に増量され、値段はむしろ安い!。
「Accepting pre-orders now.Orders ship April 21」とある。
きしょうめ!。
今から買うとしたら、絶対こっちにしてるな。
予備でもう一つ買ってもいいか。
よく見ると、腰のDリングはなくなり、バンジーは簡素化されている(どーせ交換されるから?)。
まだまだバックマウントで潜ることが多いことを考えると、このスタイルは、基本的にスタンダードになるだろう。
バックプレートには、浮力体の盛り上がりを抑える役目もある。
よく考えられていて、使い勝手も良さそうだ。
うーん、物欲との戦いに、負けてしまいそうな予感が・・・。
浮沈子が、サイドマウント専用BCとして、何の考えも無く選択したのがホリスのSMS50であったというのは、既に触れた。
(ご注文 )
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/01/14/7192968
この2か月余り、サイパンのラウラウでデビューしたのを皮切りに、タイのプーケットのカタビーチ、ピピ島、北マリアナ諸島のロタ島、そしてプール講習と、実際に使ってみた感想を書いておく。
当初心配していたフィッティングの問題も無く、ほぼそのままの状態で使い始めたが、やはりバンジーは交換した。
イントラが新宿の東急ハンズで仕入れてきた柔らかめのやつで、2本のゴムひもを一定間隔で縫い付けているタイプだ。
この鎖のようになった穴を調整に使えるので、非常によろしい。
背中の浮力体の密着が良くないのではないかという心配もしていたのだが、潜っているときにそれを感じたことはない。
どうやら杞憂に終わったようだ。
その代わり、いくつかの問題もある。
標準で付いているウエイトポケットが小さ過ぎて、一般的な2ポンド玉が入らない(細身のタイプのウエイトは、余り普及していない)。
まあ、ウエイトベルトを巻けばいいだけなのだが(その方が、緊急浮上の際にウエイトを投棄できるので安全!)、使えないことは確かだ。
浮沈子は、別途ウエイトポケットを買い求め、背中のベルトにベルクロで固定している。
ダイビングの期間中は、入れっぱなしでいいのだが、プーケットでは出し忘れてしまうという大失態を演じた。
ただし、ここに着けていると、腰の浮力体がうまく廻り込んでくれないので、フィット感を阻害してしまうという新たな問題を生じている。
タンクをクリップで留める腰のDリングは、固定式なので使えない。
そのままにしてあるが、取っ払ってしまいたいな。
お尻の鰭に付いている、特殊なDリングも不要だ。
要するに、ホリスのコンフィギュレーションは、浮沈子には合わないということ。
可動式のロープロファイルのDリングを腰のベルトに通して、タンクの浮き具合を調節しながら、ストリームラインを保つようにしている。
SMS50には、スタンダードなタイプと、インフレーションホースを上から持ってきているスポーツタイプがある。
(SMS 50)
http://www.hollis.com/sms50/
(SMS50 SPORT)
http://www.hollis.com/sms50-sport/
排気を行うときに、腰のバルブから出すか、このインフレーターホースから出すかという運用上の違いである。
背中に浮力体があるので、どーせホリゾンタルスタイルになっている。
腰の排気バルブから出した方が合理的だと思うんだが、バックマウントの器材から移ってくる時には、この方が違和感が無くていいだろう。
いちいち上に上げるという手間があるので、浮沈子は好まないな。
ホリスのページには、SMS75というタイプが既に登場している。
(SMS75)
http://www.hollis.com/sms75/
バックルタイプのハーネス、バックマウントにも対応したプレートが付き、35ポンドの浮力(SMS50は23ポンド)に増量され、値段はむしろ安い!。
「Accepting pre-orders now.Orders ship April 21」とある。
きしょうめ!。
今から買うとしたら、絶対こっちにしてるな。
予備でもう一つ買ってもいいか。
よく見ると、腰のDリングはなくなり、バンジーは簡素化されている(どーせ交換されるから?)。
まだまだバックマウントで潜ることが多いことを考えると、このスタイルは、基本的にスタンダードになるだろう。
バックプレートには、浮力体の盛り上がりを抑える役目もある。
よく考えられていて、使い勝手も良さそうだ。
うーん、物欲との戦いに、負けてしまいそうな予感が・・・。
赤いタイと一太郎 ― 2014年04月06日 07:12
赤いタイと一太郎
たまたま、この国にダイビングに行くようなことがなければ、どうでもいい話ではある。
(タイ:政権擁護派「反独裁民主戦線」バンコクで大規模集会)
http://mainichi.jp/select/news/20140406k0000m030063000c.html
「政治混乱が続くタイで、政権擁護のタクシン元首相派グループ「民反独裁主戦線」(UDD)が5日、首都バンコク郊外で大規模集会を開いた。憲法裁判所判決による内閣退陣の可能性が浮上するなど政権が劣勢に立たされるなか、タクシン派の勢力を誇示し、反政府側の動きをけん制するのが狙い。」
UDDは、タイの民衆に支えられた政治団体で、「軍部や官界を基盤としたエリート層」が国政を支配する体制を、議会の解散と選挙の実施で打破することによってタイに民主主義を確立することを目指して活動している(らしい)。
(反独裁民主戦線)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%8B%AC%E8%A3%81%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%88%A6%E7%B7%9A
「タクシンの出身地であるタイ北部や、貧困層の多いタイ東北部を地盤とし、主に農民や低所得層から支持されている。」
「現在の「赤服」は多様であり、内部分裂もあり、自称や他称も存在している。加えて、クーデタ(官僚政治)派と見られている軍部や官界にも隠れた「赤服」も多いという。また、本来非暴力主義を貫こうとしているようだが、過激な行動に出る者もいて統制が取れない面もある。」
「反独裁民主戦線とは別にタクシン派の政党としてタイ貢献党がある。基本的に別組織ではあるがチャトゥポーン・プロムパン等、反独裁民主戦線の幹部の中にタイ貢献党所属の国会議員が含まれる等、親密な交流がある。」
「在タイ日本国大使館は、団体の構成員と誤解されてトラブルに巻き込まれるのを防ぐため、赤い衣服を身に着けないよう注意喚起を行っている。」
赤シャツといえば、漱石の坊ちゃんだな。
(坊つちやん:登場人物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%82%84%E3%82%93#.E7.99.BB.E5.A0.B4.E4.BA.BA.E7.89.A9
「赤シャツ:
教頭。坊っちゃんの学校でただ一人の帝大卒の文学士。陰湿な性格で、坊っちゃんから毛嫌いされる。通年、ネルの赤いシャツを着用する。琥珀製のパイプを絹のハンカチで磨く。奏任官待遇(第四章)。金側の懐中時計を用いる(第七章)。独身、弟と一戸建て(家賃9円50銭)に住む(第八章)。
一説には漱石の松山中学教師赴任時代の教頭だった横地石太郎がモデルの一人とされている。」
まあ、どうでもいいんですが。
四国繋がりではないのだが、こんな動画があった。
(バンコクでタクシン派が大規模集会)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2167009.html
「反政府デモによる混乱が続くタイで5日、政府を支持するいわゆるタクシン派のグループが首都バンコクで大規模な集会を開いています。」
同じ動画がユーチューブに上がっている。
(バンコクでタクシン派が大規模集会:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=x591I9wtjTw
踊っているおばちゃんの姿は、どう見ても阿波踊りである(ちっと緩いけど)。
(阿波踊り)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E8%B8%8A%E3%82%8A
「江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波おどりが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。」
為政者にとっては、民衆自身の巨大なエネルギーを自覚させ、統治を危うくする恐れから、集団で舞踏するこの手のイベントは忌避される。
まあ、そうはいっても、21世紀の今日、阿波踊りで政権がひっくり返ると考えているアホはいない(踊るあほうと見るあほうだけ?)。
しかし、タイでは、タクシン政権が生まれたときに、それは現実となった。
阿波踊りも馬鹿には出来ない。
農耕民族にとって、祭りというのは重要な儀式であり、農耕集団の結束と収穫の喜びを表現し、生活の区切りを与えるという意味で万国共通なのかも知れない。
熱帯地方などでは、年がら年中収穫できるので、余り関係ないのかも。
(阿波踊りで吹かれる主な曲(篠笛譜面))
http://www.ganshodo.co.jp/mag/yaji/files/awafile1.html
「阿波よしこの:
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
阿波の殿様 蜂須賀さまが
今に残せし 阿波踊り
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
笹山通れば 笹ばかり
猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ
笛や太鼓の よしこのばやし
踊りつきせぬ 阿波の夜
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら
踊らにゃ損々
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ」
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」と踊りまくる。
阿波踊りといえば、ジャストシステムの話も有名だな。
(第2回:「太郎」への思い)
http://www.justsystems.com/jp/camp/just2010/column/index06.html
「83年の夏を、浮川は忘れられない。5人足らずの社員が、大きな仕事と夢をもって奮闘していた。ソフト開発の最後の追い込みに、お盆休みも返上して、毛布を持ち込み、徹夜の毎日だった。48時間ぶっ続けで仕事をすることもあった。
当時のオフィスは、前の通りが阿波踊りの演舞場だった。初子をはじめ4人のプログラマーが開発に没頭するすぐ下で、賑やかな音楽と、はやし言葉が聞こえてくる。
- 踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃそんそん -
浮川は、キーボードに向かいっぱなしの開発メンバーの食事の差し入れなど、身の回りの世話をし、「がんばれ、がんばれ」と激励しながら、心の中で思っていた。
『この時期を乗りきって、みんなで踊りに参加できるような会社になりたい』」
このくだりは、昔のホームページからの移植だな。
後に一太郎という一世を風靡した日本語ワープロソフトが登場するが、当時のパッケージの色は日の丸の赤だった(画像参照:初代パッケージ)。
赤シャツ、赤のパッケージ、阿波踊り、タイの国旗・・・。
幸い、浮沈子は赤いTシャツとかは持っていない。
来月7日からのタイ旅行が、恙なく行えればいいのだ。
時代は巡り、21世紀の政治は、選挙ではなくデモで決まろうとしている(そおかあ?)。
タクシン派でも、反タクシン派でもいいんだが、政権が安定し、多くの旅行者が訪れ、積極的な投資が行われ、国が富んでいく中で、世界に開かれたタイ王国が栄えることが大切だ。
ついでに、ピピの観光客が賑やかであり続けてくれると有難い・・・。
たまたま、この国にダイビングに行くようなことがなければ、どうでもいい話ではある。
(タイ:政権擁護派「反独裁民主戦線」バンコクで大規模集会)
http://mainichi.jp/select/news/20140406k0000m030063000c.html
「政治混乱が続くタイで、政権擁護のタクシン元首相派グループ「民反独裁主戦線」(UDD)が5日、首都バンコク郊外で大規模集会を開いた。憲法裁判所判決による内閣退陣の可能性が浮上するなど政権が劣勢に立たされるなか、タクシン派の勢力を誇示し、反政府側の動きをけん制するのが狙い。」
UDDは、タイの民衆に支えられた政治団体で、「軍部や官界を基盤としたエリート層」が国政を支配する体制を、議会の解散と選挙の実施で打破することによってタイに民主主義を確立することを目指して活動している(らしい)。
(反独裁民主戦線)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%8B%AC%E8%A3%81%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%88%A6%E7%B7%9A
「タクシンの出身地であるタイ北部や、貧困層の多いタイ東北部を地盤とし、主に農民や低所得層から支持されている。」
「現在の「赤服」は多様であり、内部分裂もあり、自称や他称も存在している。加えて、クーデタ(官僚政治)派と見られている軍部や官界にも隠れた「赤服」も多いという。また、本来非暴力主義を貫こうとしているようだが、過激な行動に出る者もいて統制が取れない面もある。」
「反独裁民主戦線とは別にタクシン派の政党としてタイ貢献党がある。基本的に別組織ではあるがチャトゥポーン・プロムパン等、反独裁民主戦線の幹部の中にタイ貢献党所属の国会議員が含まれる等、親密な交流がある。」
「在タイ日本国大使館は、団体の構成員と誤解されてトラブルに巻き込まれるのを防ぐため、赤い衣服を身に着けないよう注意喚起を行っている。」
赤シャツといえば、漱石の坊ちゃんだな。
(坊つちやん:登場人物)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E3%81%A4%E3%81%A1%E3%82%84%E3%82%93#.E7.99.BB.E5.A0.B4.E4.BA.BA.E7.89.A9
「赤シャツ:
教頭。坊っちゃんの学校でただ一人の帝大卒の文学士。陰湿な性格で、坊っちゃんから毛嫌いされる。通年、ネルの赤いシャツを着用する。琥珀製のパイプを絹のハンカチで磨く。奏任官待遇(第四章)。金側の懐中時計を用いる(第七章)。独身、弟と一戸建て(家賃9円50銭)に住む(第八章)。
一説には漱石の松山中学教師赴任時代の教頭だった横地石太郎がモデルの一人とされている。」
まあ、どうでもいいんですが。
四国繋がりではないのだが、こんな動画があった。
(バンコクでタクシン派が大規模集会)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2167009.html
「反政府デモによる混乱が続くタイで5日、政府を支持するいわゆるタクシン派のグループが首都バンコクで大規模な集会を開いています。」
同じ動画がユーチューブに上がっている。
(バンコクでタクシン派が大規模集会:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=x591I9wtjTw
踊っているおばちゃんの姿は、どう見ても阿波踊りである(ちっと緩いけど)。
(阿波踊り)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E8%B8%8A%E3%82%8A
「江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波おどりが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。」
為政者にとっては、民衆自身の巨大なエネルギーを自覚させ、統治を危うくする恐れから、集団で舞踏するこの手のイベントは忌避される。
まあ、そうはいっても、21世紀の今日、阿波踊りで政権がひっくり返ると考えているアホはいない(踊るあほうと見るあほうだけ?)。
しかし、タイでは、タクシン政権が生まれたときに、それは現実となった。
阿波踊りも馬鹿には出来ない。
農耕民族にとって、祭りというのは重要な儀式であり、農耕集団の結束と収穫の喜びを表現し、生活の区切りを与えるという意味で万国共通なのかも知れない。
熱帯地方などでは、年がら年中収穫できるので、余り関係ないのかも。
(阿波踊りで吹かれる主な曲(篠笛譜面))
http://www.ganshodo.co.jp/mag/yaji/files/awafile1.html
「阿波よしこの:
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
阿波の殿様 蜂須賀さまが
今に残せし 阿波踊り
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
笹山通れば 笹ばかり
猪 豆喰て ホウイ ホイ ホイ
笛や太鼓の よしこのばやし
踊りつきせぬ 阿波の夜
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ
踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら
踊らにゃ損々
ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ
ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ」
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」と踊りまくる。
阿波踊りといえば、ジャストシステムの話も有名だな。
(第2回:「太郎」への思い)
http://www.justsystems.com/jp/camp/just2010/column/index06.html
「83年の夏を、浮川は忘れられない。5人足らずの社員が、大きな仕事と夢をもって奮闘していた。ソフト開発の最後の追い込みに、お盆休みも返上して、毛布を持ち込み、徹夜の毎日だった。48時間ぶっ続けで仕事をすることもあった。
当時のオフィスは、前の通りが阿波踊りの演舞場だった。初子をはじめ4人のプログラマーが開発に没頭するすぐ下で、賑やかな音楽と、はやし言葉が聞こえてくる。
- 踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃそんそん -
浮川は、キーボードに向かいっぱなしの開発メンバーの食事の差し入れなど、身の回りの世話をし、「がんばれ、がんばれ」と激励しながら、心の中で思っていた。
『この時期を乗りきって、みんなで踊りに参加できるような会社になりたい』」
このくだりは、昔のホームページからの移植だな。
後に一太郎という一世を風靡した日本語ワープロソフトが登場するが、当時のパッケージの色は日の丸の赤だった(画像参照:初代パッケージ)。
赤シャツ、赤のパッケージ、阿波踊り、タイの国旗・・・。
幸い、浮沈子は赤いTシャツとかは持っていない。
来月7日からのタイ旅行が、恙なく行えればいいのだ。
時代は巡り、21世紀の政治は、選挙ではなくデモで決まろうとしている(そおかあ?)。
タクシン派でも、反タクシン派でもいいんだが、政権が安定し、多くの旅行者が訪れ、積極的な投資が行われ、国が富んでいく中で、世界に開かれたタイ王国が栄えることが大切だ。
ついでに、ピピの観光客が賑やかであり続けてくれると有難い・・・。
趙紫陽 ― 2014年04月06日 09:01
趙紫陽
懐かしい名前を聞いた。
(北京で趙紫陽氏の追悼会 中国、天安門25年で警戒)
http://www.sakigake.jp/p/news/world.jsp?nid=2014040501001943
共産党一党独裁の政権下、天安門事件を巡って党の方針に決然と反旗を掲げ、失脚した政治家である。
(趙紫陽)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E7%B4%AB%E9%99%BD
「6月23日、24日の両日に開催された第13期4中全会で、“動乱を支持し、党を分裂させた”趙紫陽は、党総書記就任直後から四つの基本原則から逸脱し、ブルジョア自由化に寛容だったとされて党の全職務を解任された。党籍のみ、そのままとされた。」
「一説には、鄧小平は「六四天安門事件で武力弾圧に反対した罪を認めるなら復帰を許す」という手紙を趙紫陽に3度送ったものの、趙紫陽は「反対は信念に基づいたもの」としていずれも拒否したと言われている。」
(六四天安門事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(胡耀邦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%80%80%E9%82%A6
「天が落ちてきても胡耀邦と趙紫陽が支えてくれる」
鄧小平に絶大な信任を得ていた趙紫陽が、なぜ失脚したのか。
既に、鄧小平は求心力を失いつつあり、改革開放政策の歪みが表面化していた。
不運の政治家といえないこともないが、歴史の選択は厳しい。
(トウ小平)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%A7%E5%B0%8F%E5%B9%B3
「1976年1月8日に周恩来が没すると、鄧小平の運命は暗転する。清明節の4月4日から5日未明にかけて、江青ら四人組が率いる武装警察や民兵が、天安門広場で行われていた周恩来追悼デモを弾圧した。すなわち第一次天安門事件である。この事件において周恩来追悼デモは反革命動乱とされ、鄧小平はこのデモの首謀者とされて再び失脚、全ての職務を剥奪された。しかし、党籍のみは留められ、広州軍区司令員の許世友に庇護される。同年9月に毛沢東が死去すると、後継者の華国鋒を支持して職務復帰を希望し、四人組の逮捕後、1977年に三度目の復活を果たす。」
(華国鋒)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%9B%BD%E9%8B%92
「四人組ほど急進的でなかったものの、「文革色」の残る政治家であった華国鋒は、鄧小平らと権力闘争を展開し、最終的に追い落とされて失脚させられたといわれる。」
中国の権力闘争の歴史の中で、鄧小平は、何度も失脚し、その都度復権した。
趙紫陽は、しかし、時の政権に阿ることなく、信念を貫いて市井に身を沈めて没した。
天安門事件というのも、両者の共通のイベントである。
(四五天安門事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BA%94%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
共産主義国家の中国に於いて、民衆の支持を集めた指導者の死が、天安門広場における事件を誘発するというのは皮肉な話だ。
その中で、片や権力中枢に復帰していった鄧小平、此方民主化の流れを信じて殉じた趙紫陽。
そうか、天安門事件から25年になるのか。
もう、誰も語ることが無い、中国共産党の真の姿を見せた大事件だ。
「この出来事は、抗議者からの異議を寛大に取り扱っていた胡耀邦の死がきっかけとなった。胡耀邦の葬儀までに、10万人の人々が天安門広場に集まった。」
「デモは最初は天安門広場で、そして広場周辺に集中していたが、のちに上海市を含めた中国中の都市に波及していった。」
「5月17日夜、ゴルバチョフが公式日程を終えて帰国したことを受け、趙紫陽、李鵬、胡啓立、喬石、姚依林の5人による常務委員会が開かれ戒厳令を発令することについて話し合われ」たとある。
「文化大革命期に学生たちに痛い目に遭わせられていた八大長老たちはこれを「動乱」として強硬に対処することで一致した。」
「1989年6月の初頭、中国人民解放軍は軍隊と戦車で北京の通りに移動して実弾を発射し、天安門前を一掃した。ニューヨーク・タイムズのニコラス・D・クリストフ (en:Nicholas D. Kristof) は「正確な死亡者数は、おそらくは分かっていないだろう。そして、数千の人間が証拠を残すことなく殺されたかもしれない。しかし、今現在入手できる証拠に基づけば、400人から800人の民間人と一緒に、およそ50人の兵士と警官も殺されたことは確かなようだ」という。」
「武力鎮圧の模様は、イギリスのBBCや香港の亜州電視、アメリカのCNNをはじめとする中国国内外のテレビ局によって世界中に中継され、無差別発砲によって市民の虐殺を伴う武力弾圧に対して世界中から多くの非難が浴びせられた。」
「ウィキリークスが2011年8月に公開した米外交公電の1990年3月の内容には、軍兵士は下された「無差別発砲」命令を受けて、1000人以上の学生を死亡させたことが記されていた。
またソ連の公文書に収められているソ連共産党政治局が受け取った情報報告では、「3000人の抗議者が殺された」と見積もられている。」
浮沈子は、このときにテレビで流された戦車の前に立ちはだかる人物の映像を、鮮明に覚えている。
(無名の反逆者 【天安門事件.Tiananmen】.Tank Man:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=ugT6LKV2Gq0
民衆は、独裁者にとっては潜在的な脅威である。
民主的な手続きで選ばれた為政者にしても、それは同じだ。
浮沈子は、現在の中国共産党政権が何を言っても信じない。
我が国の歴史認識を問うならば、まず自らの胸に手を当てて問うべきだ。
「本件以降に学校教育を受けた世代は事実をほとんど知らず(知っているとしても暴徒が軍を襲ったための自衛行為という程度であり、なかには海外メディアの街頭インタビューに対して『そんな事件はなかったんですよ』と答える者までいた)」
歴史を歪曲し、抹殺し、自らを正当化しているのは、何処の政府なのだろうか。
「19日午前4時、趙紫陽は天安門広場で絶食を続ける学生たちの前に向かい、「我々は来るのが遅すぎた。申し訳ない」と声を詰まらせながら約8分間、拡声器を手に学生たちに絶食をやめるよう呼びかけた。趙紫陽が公の場に姿を見せたのは、これが最後となった。」
「5月19日午前5時頃、当時党中央弁公庁主任を務めていた温家宝を連れてハンストを続ける学生を見舞う中で涙を見せ「党の分裂を示唆した」趙紫陽は、先の政治局常務員拡大会議で「動乱を支持し、党を分裂させた」として、事実上党内外の全役職を解任され自宅軟禁下に置かれ、これ以降政治の表舞台から姿を消すことになる。」
13億人の中国人が、公式にこれらのことを知る機会はない。
我々は、こういう国家と付き合っているということを、この機会に改めて想起すべきである。
蛇足だが、中国国内から浮沈子の今日のこのブログを検索して閲覧することは出来ないに違いない。
懐かしい名前を聞いた。
(北京で趙紫陽氏の追悼会 中国、天安門25年で警戒)
http://www.sakigake.jp/p/news/world.jsp?nid=2014040501001943
共産党一党独裁の政権下、天安門事件を巡って党の方針に決然と反旗を掲げ、失脚した政治家である。
(趙紫陽)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E7%B4%AB%E9%99%BD
「6月23日、24日の両日に開催された第13期4中全会で、“動乱を支持し、党を分裂させた”趙紫陽は、党総書記就任直後から四つの基本原則から逸脱し、ブルジョア自由化に寛容だったとされて党の全職務を解任された。党籍のみ、そのままとされた。」
「一説には、鄧小平は「六四天安門事件で武力弾圧に反対した罪を認めるなら復帰を許す」という手紙を趙紫陽に3度送ったものの、趙紫陽は「反対は信念に基づいたもの」としていずれも拒否したと言われている。」
(六四天安門事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(胡耀邦)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E8%80%80%E9%82%A6
「天が落ちてきても胡耀邦と趙紫陽が支えてくれる」
鄧小平に絶大な信任を得ていた趙紫陽が、なぜ失脚したのか。
既に、鄧小平は求心力を失いつつあり、改革開放政策の歪みが表面化していた。
不運の政治家といえないこともないが、歴史の選択は厳しい。
(トウ小平)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%A7%E5%B0%8F%E5%B9%B3
「1976年1月8日に周恩来が没すると、鄧小平の運命は暗転する。清明節の4月4日から5日未明にかけて、江青ら四人組が率いる武装警察や民兵が、天安門広場で行われていた周恩来追悼デモを弾圧した。すなわち第一次天安門事件である。この事件において周恩来追悼デモは反革命動乱とされ、鄧小平はこのデモの首謀者とされて再び失脚、全ての職務を剥奪された。しかし、党籍のみは留められ、広州軍区司令員の許世友に庇護される。同年9月に毛沢東が死去すると、後継者の華国鋒を支持して職務復帰を希望し、四人組の逮捕後、1977年に三度目の復活を果たす。」
(華国鋒)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%9B%BD%E9%8B%92
「四人組ほど急進的でなかったものの、「文革色」の残る政治家であった華国鋒は、鄧小平らと権力闘争を展開し、最終的に追い落とされて失脚させられたといわれる。」
中国の権力闘争の歴史の中で、鄧小平は、何度も失脚し、その都度復権した。
趙紫陽は、しかし、時の政権に阿ることなく、信念を貫いて市井に身を沈めて没した。
天安門事件というのも、両者の共通のイベントである。
(四五天安門事件)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BA%94%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
共産主義国家の中国に於いて、民衆の支持を集めた指導者の死が、天安門広場における事件を誘発するというのは皮肉な話だ。
その中で、片や権力中枢に復帰していった鄧小平、此方民主化の流れを信じて殉じた趙紫陽。
そうか、天安門事件から25年になるのか。
もう、誰も語ることが無い、中国共産党の真の姿を見せた大事件だ。
「この出来事は、抗議者からの異議を寛大に取り扱っていた胡耀邦の死がきっかけとなった。胡耀邦の葬儀までに、10万人の人々が天安門広場に集まった。」
「デモは最初は天安門広場で、そして広場周辺に集中していたが、のちに上海市を含めた中国中の都市に波及していった。」
「5月17日夜、ゴルバチョフが公式日程を終えて帰国したことを受け、趙紫陽、李鵬、胡啓立、喬石、姚依林の5人による常務委員会が開かれ戒厳令を発令することについて話し合われ」たとある。
「文化大革命期に学生たちに痛い目に遭わせられていた八大長老たちはこれを「動乱」として強硬に対処することで一致した。」
「1989年6月の初頭、中国人民解放軍は軍隊と戦車で北京の通りに移動して実弾を発射し、天安門前を一掃した。ニューヨーク・タイムズのニコラス・D・クリストフ (en:Nicholas D. Kristof) は「正確な死亡者数は、おそらくは分かっていないだろう。そして、数千の人間が証拠を残すことなく殺されたかもしれない。しかし、今現在入手できる証拠に基づけば、400人から800人の民間人と一緒に、およそ50人の兵士と警官も殺されたことは確かなようだ」という。」
「武力鎮圧の模様は、イギリスのBBCや香港の亜州電視、アメリカのCNNをはじめとする中国国内外のテレビ局によって世界中に中継され、無差別発砲によって市民の虐殺を伴う武力弾圧に対して世界中から多くの非難が浴びせられた。」
「ウィキリークスが2011年8月に公開した米外交公電の1990年3月の内容には、軍兵士は下された「無差別発砲」命令を受けて、1000人以上の学生を死亡させたことが記されていた。
またソ連の公文書に収められているソ連共産党政治局が受け取った情報報告では、「3000人の抗議者が殺された」と見積もられている。」
浮沈子は、このときにテレビで流された戦車の前に立ちはだかる人物の映像を、鮮明に覚えている。
(無名の反逆者 【天安門事件.Tiananmen】.Tank Man:動画出ます)
https://www.youtube.com/watch?v=ugT6LKV2Gq0
民衆は、独裁者にとっては潜在的な脅威である。
民主的な手続きで選ばれた為政者にしても、それは同じだ。
浮沈子は、現在の中国共産党政権が何を言っても信じない。
我が国の歴史認識を問うならば、まず自らの胸に手を当てて問うべきだ。
「本件以降に学校教育を受けた世代は事実をほとんど知らず(知っているとしても暴徒が軍を襲ったための自衛行為という程度であり、なかには海外メディアの街頭インタビューに対して『そんな事件はなかったんですよ』と答える者までいた)」
歴史を歪曲し、抹殺し、自らを正当化しているのは、何処の政府なのだろうか。
「19日午前4時、趙紫陽は天安門広場で絶食を続ける学生たちの前に向かい、「我々は来るのが遅すぎた。申し訳ない」と声を詰まらせながら約8分間、拡声器を手に学生たちに絶食をやめるよう呼びかけた。趙紫陽が公の場に姿を見せたのは、これが最後となった。」
「5月19日午前5時頃、当時党中央弁公庁主任を務めていた温家宝を連れてハンストを続ける学生を見舞う中で涙を見せ「党の分裂を示唆した」趙紫陽は、先の政治局常務員拡大会議で「動乱を支持し、党を分裂させた」として、事実上党内外の全役職を解任され自宅軟禁下に置かれ、これ以降政治の表舞台から姿を消すことになる。」
13億人の中国人が、公式にこれらのことを知る機会はない。
我々は、こういう国家と付き合っているということを、この機会に改めて想起すべきである。
蛇足だが、中国国内から浮沈子の今日のこのブログを検索して閲覧することは出来ないに違いない。
春雷 ― 2014年04月06日 15:32
春雷
(しゅん‐らい【春雷】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/107043/m0u/
「春に鳴る雷。多くの場合、寒冷前線の通過に伴う。《季 春》「―の鳴り過ぐるなり湾の上/虚子」」
(高浜虚子)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B5%9C%E8%99%9A%E5%AD%90
「本名・高濱 清(たかはま きよし)」
オヤジギャグのようなペンネームだな。
まあ、どうでもいいんですが。
今日は、正に寒冷前線の通過による春雷が鳴った。
稲光がして、一時、雪交じりの冷たい雨が降る。
傘を持たずに池袋のサンシャインシティに行って、ハイテックダイブや田中さんのブースを冷やかしながらマリンダイビングフェアの最終日を楽しむ(画像参照)。
勢いで、ピンクの小ぶりのメッシュバッグを予備でもう一つ買ってしまった。
税込み2480えんなり。
帰りに新宿の高島屋の中にある東急ハンズに寄って、「スパイダーゴム」を2m仕入れる(サイドマウントのバンジーは、これです!)。
(スパイダーゴム)
http://www.jak.co.jp/product/product080.html
515円@1mとあるから、良心的だなと思ったら、税抜きである。
アコギな商売をしている。
消費者庁に通報してやろうかな。
まあいい。
帰りに実家に寄ってこようと思い、最寄の駅を降りたところで降られた。
冷たい雨に濡れながら、しかし、妙に気分がいい。
地面が揺れるほどの雷で、雲の中を走る稲光も見える。
1時間余りで収まって、静かになった。
雨も止んで、穏やかな午後である。
こうして、一雨毎に春が地歩を固めていく。
明日の朝は5度まで冷えるが、明後日以降は、10度を下回ることは無い。
先延ばしにしていた引越しを、今週はやってしまおう。
春雷の響きに、春の声を聞いたような気がした。
(しゅん‐らい【春雷】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/107043/m0u/
「春に鳴る雷。多くの場合、寒冷前線の通過に伴う。《季 春》「―の鳴り過ぐるなり湾の上/虚子」」
(高浜虚子)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B5%9C%E8%99%9A%E5%AD%90
「本名・高濱 清(たかはま きよし)」
オヤジギャグのようなペンネームだな。
まあ、どうでもいいんですが。
今日は、正に寒冷前線の通過による春雷が鳴った。
稲光がして、一時、雪交じりの冷たい雨が降る。
傘を持たずに池袋のサンシャインシティに行って、ハイテックダイブや田中さんのブースを冷やかしながらマリンダイビングフェアの最終日を楽しむ(画像参照)。
勢いで、ピンクの小ぶりのメッシュバッグを予備でもう一つ買ってしまった。
税込み2480えんなり。
帰りに新宿の高島屋の中にある東急ハンズに寄って、「スパイダーゴム」を2m仕入れる(サイドマウントのバンジーは、これです!)。
(スパイダーゴム)
http://www.jak.co.jp/product/product080.html
515円@1mとあるから、良心的だなと思ったら、税抜きである。
アコギな商売をしている。
消費者庁に通報してやろうかな。
まあいい。
帰りに実家に寄ってこようと思い、最寄の駅を降りたところで降られた。
冷たい雨に濡れながら、しかし、妙に気分がいい。
地面が揺れるほどの雷で、雲の中を走る稲光も見える。
1時間余りで収まって、静かになった。
雨も止んで、穏やかな午後である。
こうして、一雨毎に春が地歩を固めていく。
明日の朝は5度まで冷えるが、明後日以降は、10度を下回ることは無い。
先延ばしにしていた引越しを、今週はやってしまおう。
春雷の響きに、春の声を聞いたような気がした。
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