MTには自由がある ― 2017年10月29日 23:58
MTには自由がある
目から鱗が落ちる思いがした。
(やはり911は「素」に限る)
http://www.webcg.net/articles/-/33926
カレラがターボ化される前の、少し古い記事だ。
浮沈子が、頭をガツンとされたように感じたのは、このくだりだ。
長いが、引用する。
「MTには自由がある:
・・・勝手にシフトアップやダウンされることなく、自分で好きなところまで回せる。必ず同じパターンで上げずとも、任意に止めることも、さらにもっと上まで回すこともできる。」
「変速作業は気分によっても違うし、その場の状況によってその都度スロットルの開け方は異なるのがフツウであり、要は自由気ままに扱えることこそドライビングの基本といえる。」
「スポーツカーは極めて主観的な乗り物であって、自分の意のままに扱えなければ征服感は満たされない。」
「クルマが勝手にやってくれる操作に甘んじていては、楽しみを半分以上捨ててしまうことになる。」
「・・・MTにはより繊細で自由な操作が選択できる。発進時にエンストすることだって、MTゆえの「特技」であるし、そのクラッチミートだって初めはうまくスムーズにつなげないかもしれないが、場数を踏むほどにうまくなる。そこを自分でやるから面白いのだ。」
「これぞベスト911:
・・・加速を楽しみたければ、ギアポジションを1段でも2段でも下げればいい。自分の意思でそれを引き出して乗ってこそ面白いのだ。」
ポルシェの記事だが、ポルシェに限った話ではなかろう。
笹目さんは、あまり読んだことのない評論家の一人で、ハンドリングに関しては一家言があると聞く。
マニュアルシフトの信奉者でもあるようだな。
もちろん、スポーツカーの話題だから、ハンドリングやエンジンの回し方、シフトのタイミング全てが走る楽しみに結びついている。
浮沈子がハッとしたのは、マニュアルトランスミッションの操作が、自由を生み出すという、まあ、考えてみれば当たり前の発想だった。
「発進時にエンストすることだって、MTゆえの「特技」」
そういう考え方はしたことがなかった。
「要は自由気ままに扱えることこそドライビングの基本」
電子デバイスに頼り、機械任せにすることで左足と右手(浮沈子が普段乗っているオートマは、全部左ハンドル車なので)を自由にしているつもりが、実は機械に自由を奪われているのだという。
さしずめ、全自動運転なんて、牢獄に閉じ込められているようなもんだな。
この記事を、なぜ読んだのかは覚えていない。
何かのキーワードで引っかかったに違いない。
出会えて良かったな・・・。
もちろん、最近のオートマは、コンピューターが仕込まれていて、ただのオートマではない。
ドライバーの癖を学習して、アクセルの踏み具合で、シフトタイミングをずらすくらいは朝飯前だ。
「変速作業は気分によっても違うし、その場の状況によってその都度スロットルの開け方は異なるのがフツウ」
それに応じて、コンピューターがシフトタイミングを良きに計らう。
世も末だな・・・。
それを、自由だと勘違いしてしまう。
ハッキリさせよう。
それは、自由ではない!。
自動なだけだ。
自由の本質についても、触れている。
「自分の意のままに扱えなければ征服感は満たされない。」
自動車は、正しい操作を行わなければ、扱いづらいただの機械だ。
そして、訓練と経験を経て、徐々に薬籠中にしていく。
扱いづらい機械を、意のままに扱えるようになり、その自由に酔う。
それは、機械を征服し、傅かせ、支配することに他ならない。
ドミナンスこそ、自由の本質だと喝破している。
相手が人間とか、レプリカントだったりすると、いろいろややっこしいが、20世紀や21世紀初頭の機械なら、まあ、問題ないだろう。
MTと運転の自由の関係は、他にも当てはまることがたくさんあるような気がする。
お任せしていいものと、そうでないものがある。
この楽しみを、機械なんかに奪われてなるものか・・・。
目から鱗が落ちる思いがした。
(やはり911は「素」に限る)
http://www.webcg.net/articles/-/33926
カレラがターボ化される前の、少し古い記事だ。
浮沈子が、頭をガツンとされたように感じたのは、このくだりだ。
長いが、引用する。
「MTには自由がある:
・・・勝手にシフトアップやダウンされることなく、自分で好きなところまで回せる。必ず同じパターンで上げずとも、任意に止めることも、さらにもっと上まで回すこともできる。」
「変速作業は気分によっても違うし、その場の状況によってその都度スロットルの開け方は異なるのがフツウであり、要は自由気ままに扱えることこそドライビングの基本といえる。」
「スポーツカーは極めて主観的な乗り物であって、自分の意のままに扱えなければ征服感は満たされない。」
「クルマが勝手にやってくれる操作に甘んじていては、楽しみを半分以上捨ててしまうことになる。」
「・・・MTにはより繊細で自由な操作が選択できる。発進時にエンストすることだって、MTゆえの「特技」であるし、そのクラッチミートだって初めはうまくスムーズにつなげないかもしれないが、場数を踏むほどにうまくなる。そこを自分でやるから面白いのだ。」
「これぞベスト911:
・・・加速を楽しみたければ、ギアポジションを1段でも2段でも下げればいい。自分の意思でそれを引き出して乗ってこそ面白いのだ。」
ポルシェの記事だが、ポルシェに限った話ではなかろう。
笹目さんは、あまり読んだことのない評論家の一人で、ハンドリングに関しては一家言があると聞く。
マニュアルシフトの信奉者でもあるようだな。
もちろん、スポーツカーの話題だから、ハンドリングやエンジンの回し方、シフトのタイミング全てが走る楽しみに結びついている。
浮沈子がハッとしたのは、マニュアルトランスミッションの操作が、自由を生み出すという、まあ、考えてみれば当たり前の発想だった。
「発進時にエンストすることだって、MTゆえの「特技」」
そういう考え方はしたことがなかった。
「要は自由気ままに扱えることこそドライビングの基本」
電子デバイスに頼り、機械任せにすることで左足と右手(浮沈子が普段乗っているオートマは、全部左ハンドル車なので)を自由にしているつもりが、実は機械に自由を奪われているのだという。
さしずめ、全自動運転なんて、牢獄に閉じ込められているようなもんだな。
この記事を、なぜ読んだのかは覚えていない。
何かのキーワードで引っかかったに違いない。
出会えて良かったな・・・。
もちろん、最近のオートマは、コンピューターが仕込まれていて、ただのオートマではない。
ドライバーの癖を学習して、アクセルの踏み具合で、シフトタイミングをずらすくらいは朝飯前だ。
「変速作業は気分によっても違うし、その場の状況によってその都度スロットルの開け方は異なるのがフツウ」
それに応じて、コンピューターがシフトタイミングを良きに計らう。
世も末だな・・・。
それを、自由だと勘違いしてしまう。
ハッキリさせよう。
それは、自由ではない!。
自動なだけだ。
自由の本質についても、触れている。
「自分の意のままに扱えなければ征服感は満たされない。」
自動車は、正しい操作を行わなければ、扱いづらいただの機械だ。
そして、訓練と経験を経て、徐々に薬籠中にしていく。
扱いづらい機械を、意のままに扱えるようになり、その自由に酔う。
それは、機械を征服し、傅かせ、支配することに他ならない。
ドミナンスこそ、自由の本質だと喝破している。
相手が人間とか、レプリカントだったりすると、いろいろややっこしいが、20世紀や21世紀初頭の機械なら、まあ、問題ないだろう。
MTと運転の自由の関係は、他にも当てはまることがたくさんあるような気がする。
お任せしていいものと、そうでないものがある。
この楽しみを、機械なんかに奪われてなるものか・・・。
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