真実の時或いは天使の翼 ― 2018年07月31日 00:34
真実の時或いは天使の翼
このブログには、本当のことを書くと誓っている。
ウソ偽りは書かない(妄想とかは多いですが)。
というわけで、軽自動車の選択において、ホンダのN-VANを選んだ本当のきっかけを書いておこう。
今日は殊勝にもフィットネスに行き、いつもより少ないクロストレーナー(30分のところ10分で切り上げ)と、目標の半分の500mで上がったプールで済ませる。
夏場で室温水温共に高く、少し体調も悪く、夏バテ気味ということもあり、次回に繋げるために気持ちよく運動できる範囲に留めておくとはいえ、いささか歳を感じる今日この頃・・・。
帰ってきて、いつものとおり、近所のレストランに昼飯を食いに行く。
この時点では、まだ、スズキにしようか、ホンダにしようか悩んでいる。
試乗もしていないホンダのマニュアルを選択するのはリスキーだし、スズキの後輪駆動の力強さにも惹かれている。
実績もあり、耐久性でも悪い話は聞かない。
ホンダのN-VANは、基本設計はN-BOXと同じとは言え、独自の部分が多く、ボディその他の評価はこれからだ。
道具として選ぶ時に、いくら魅力的な要素に満ちていたとしても、何もわからない状態で選択するというのは本来あり得ない。
食事をしながら、今朝書いた自分の記事を読みなおし、頭を整理していく。
(自由か社会的責任か)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/07/30/8928511
「理性的選択なら、間違いなくNバンのオートマだ。」
他社にOEMせず、独自路線を行くホンダが、満を持して世に出す軽バンに、大きな瑕疵はあるまい。
理性を取るか、情熱を取るか。
ロゴスとパトスが火花を散らす。
たかが軽バンの選択なのに、人生賭けている。
悩んだ。
真剣に悩んだ。
そして、自身の胸に手を当てて、正直なところを聞いてみた。
本当は、どっちに乗りたいのか。
結局、答えは、ただ楽をしたいというところにあったわけだ。
正直な話、最近、クルマに乗ることに疲れてきている。
このところ、必要に駆られて乗る以外には、意味なく乗り回すことをしなくなってしまった。
ドライブすることに、喜びを感じられない自分がいる。
俄かには信じられないが、それが事実だ。
楽なクルマに乗りたい・・・。
虚飾、上塗り、見栄、つっぱり、ええかっこしい、その他諸々の虚栄を百叩きして、自分の裸の心を見るのはつらいものがある。
泣きそうだ・・・。
自動車に情熱を注ぎ、ドライブすることに喜びを感じていた自分は、そこにはいない。
大切な人を失ったかのような、絶望的な喪失感・・・。
明日までに返事をすることになっていたが、もう1日待つ必要はない。
今日、これから行って、申し込んでこよう・・・。
そう思って、悲壮な覚悟でレストランを出た時に、浮沈子は何か可笑しいことがあって、笑っていたようだ。
「ねえ、おじいちゃん(グサッ!)、何笑ってるの?。」
レストランの前に止まっていた自転車の子供椅子に乗ったガキンチョ(失礼!、お子様)が、無礼にも声をかけてきた。
「ねえ、おじいちゃん(グサ、グサッ!)、何笑ってるの?。」
もう一人、妹らしい子が声をかけてくる。
だいたい、下の子は、上の子のマネをすると相場が決まっている。
だからって・・・。
「ねえ、おじいちゃん(グサ、グサ、グサッ!)、何笑ってるの?。」
今度はなんだあ?。
別の自転車の子供椅子に乗った子まで、マネして声をかけてきたではないか。
三立て(三人立て続け)かよ・・・。
ったく、最近のガキども(失礼!、お子様方)ときたら・・・。
青天の霹靂だな・・・。
だがその瞬間、浮沈子は稲妻に打たれたように立ちすくみ、真実を告げる天使の翼に触れたことを知った・・・。
その経験をした者だけが知る、真実の時・・・。
誰か一人くらい、間違ってもいいから、おじさんとか言って欲しかったんだがな。
浮沈子は、まぎれもなくジジイになっていたわけだ。
苦渋の決断をしたはずの、何かが喉につっかえたような気分が一気に消し飛んで、オートマの安全装置てんこ盛りのN-VANを選択したことが、ストンと腑に落ちた。
無邪気な3人の天使たち。
君たちの知らないところで、一つの人生が定まったのだよ・・・。
この話、決して作り話ではない。
本当にあった話だ。
そして、当事者以外に、そのことを知る者はいない。
えーと、もちろん自転車には子供たちの母親が乗っていたし、この話は、ホンダの営業さんにもしたから、数人は知っている。
営業さんが本気にしたかどうかはは知らない。
ただ一言、「結果的に、いい選択をしたと思いますよ。」とだけ言ってたっけ。
マニュアルではなく、オートマを選んだということについてだけどな。
泣きだな。
涙なしには語れない。
軽のオートマを選択するなんて・・・。
恥だ・・・。
恥さらしだ・・・。
おじいちゃんといわれて、まんざら悪い気がしなかったのもショックだ。
浮沈子は、今日、自他ともに認めるジジイになった。
このことを、どうしても書いておきたかった。
3人の天使の翼を見たものは誰もいない。
その翼に触れ、真実の言葉に打たれた浮沈子だけが、紛れもなく感得しただけ・・・。
ちなみに、キリスト教の天使には、羽はないそうだ。
(エンジェルには羽根が無い!? 聖書を読めばわかるクリスマスの真実!)
https://tenki.jp/suppl/usagida/2014/12/23/571.html
「聖書によると、天使は『すばやく飛んで』来たりはしますが『翼がある』とは書かれてないのです。むしろ無いと思われます」
「・・・ちなみに『羽根の生えた裸の赤ちゃん』は、ローマ神話のキューピッドです」
まあ、どうでもいいんですが。
繰り返すが、この話は事実だ。
信じるか、信じないかは自由だけどな・・・。
このブログには、本当のことを書くと誓っている。
ウソ偽りは書かない(妄想とかは多いですが)。
というわけで、軽自動車の選択において、ホンダのN-VANを選んだ本当のきっかけを書いておこう。
今日は殊勝にもフィットネスに行き、いつもより少ないクロストレーナー(30分のところ10分で切り上げ)と、目標の半分の500mで上がったプールで済ませる。
夏場で室温水温共に高く、少し体調も悪く、夏バテ気味ということもあり、次回に繋げるために気持ちよく運動できる範囲に留めておくとはいえ、いささか歳を感じる今日この頃・・・。
帰ってきて、いつものとおり、近所のレストランに昼飯を食いに行く。
この時点では、まだ、スズキにしようか、ホンダにしようか悩んでいる。
試乗もしていないホンダのマニュアルを選択するのはリスキーだし、スズキの後輪駆動の力強さにも惹かれている。
実績もあり、耐久性でも悪い話は聞かない。
ホンダのN-VANは、基本設計はN-BOXと同じとは言え、独自の部分が多く、ボディその他の評価はこれからだ。
道具として選ぶ時に、いくら魅力的な要素に満ちていたとしても、何もわからない状態で選択するというのは本来あり得ない。
食事をしながら、今朝書いた自分の記事を読みなおし、頭を整理していく。
(自由か社会的責任か)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2018/07/30/8928511
「理性的選択なら、間違いなくNバンのオートマだ。」
他社にOEMせず、独自路線を行くホンダが、満を持して世に出す軽バンに、大きな瑕疵はあるまい。
理性を取るか、情熱を取るか。
ロゴスとパトスが火花を散らす。
たかが軽バンの選択なのに、人生賭けている。
悩んだ。
真剣に悩んだ。
そして、自身の胸に手を当てて、正直なところを聞いてみた。
本当は、どっちに乗りたいのか。
結局、答えは、ただ楽をしたいというところにあったわけだ。
正直な話、最近、クルマに乗ることに疲れてきている。
このところ、必要に駆られて乗る以外には、意味なく乗り回すことをしなくなってしまった。
ドライブすることに、喜びを感じられない自分がいる。
俄かには信じられないが、それが事実だ。
楽なクルマに乗りたい・・・。
虚飾、上塗り、見栄、つっぱり、ええかっこしい、その他諸々の虚栄を百叩きして、自分の裸の心を見るのはつらいものがある。
泣きそうだ・・・。
自動車に情熱を注ぎ、ドライブすることに喜びを感じていた自分は、そこにはいない。
大切な人を失ったかのような、絶望的な喪失感・・・。
明日までに返事をすることになっていたが、もう1日待つ必要はない。
今日、これから行って、申し込んでこよう・・・。
そう思って、悲壮な覚悟でレストランを出た時に、浮沈子は何か可笑しいことがあって、笑っていたようだ。
「ねえ、おじいちゃん(グサッ!)、何笑ってるの?。」
レストランの前に止まっていた自転車の子供椅子に乗ったガキンチョ(失礼!、お子様)が、無礼にも声をかけてきた。
「ねえ、おじいちゃん(グサ、グサッ!)、何笑ってるの?。」
もう一人、妹らしい子が声をかけてくる。
だいたい、下の子は、上の子のマネをすると相場が決まっている。
だからって・・・。
「ねえ、おじいちゃん(グサ、グサ、グサッ!)、何笑ってるの?。」
今度はなんだあ?。
別の自転車の子供椅子に乗った子まで、マネして声をかけてきたではないか。
三立て(三人立て続け)かよ・・・。
ったく、最近のガキども(失礼!、お子様方)ときたら・・・。
青天の霹靂だな・・・。
だがその瞬間、浮沈子は稲妻に打たれたように立ちすくみ、真実を告げる天使の翼に触れたことを知った・・・。
その経験をした者だけが知る、真実の時・・・。
誰か一人くらい、間違ってもいいから、おじさんとか言って欲しかったんだがな。
浮沈子は、まぎれもなくジジイになっていたわけだ。
苦渋の決断をしたはずの、何かが喉につっかえたような気分が一気に消し飛んで、オートマの安全装置てんこ盛りのN-VANを選択したことが、ストンと腑に落ちた。
無邪気な3人の天使たち。
君たちの知らないところで、一つの人生が定まったのだよ・・・。
この話、決して作り話ではない。
本当にあった話だ。
そして、当事者以外に、そのことを知る者はいない。
えーと、もちろん自転車には子供たちの母親が乗っていたし、この話は、ホンダの営業さんにもしたから、数人は知っている。
営業さんが本気にしたかどうかはは知らない。
ただ一言、「結果的に、いい選択をしたと思いますよ。」とだけ言ってたっけ。
マニュアルではなく、オートマを選んだということについてだけどな。
泣きだな。
涙なしには語れない。
軽のオートマを選択するなんて・・・。
恥だ・・・。
恥さらしだ・・・。
おじいちゃんといわれて、まんざら悪い気がしなかったのもショックだ。
浮沈子は、今日、自他ともに認めるジジイになった。
このことを、どうしても書いておきたかった。
3人の天使の翼を見たものは誰もいない。
その翼に触れ、真実の言葉に打たれた浮沈子だけが、紛れもなく感得しただけ・・・。
ちなみに、キリスト教の天使には、羽はないそうだ。
(エンジェルには羽根が無い!? 聖書を読めばわかるクリスマスの真実!)
https://tenki.jp/suppl/usagida/2014/12/23/571.html
「聖書によると、天使は『すばやく飛んで』来たりはしますが『翼がある』とは書かれてないのです。むしろ無いと思われます」
「・・・ちなみに『羽根の生えた裸の赤ちゃん』は、ローマ神話のキューピッドです」
まあ、どうでもいいんですが。
繰り返すが、この話は事実だ。
信じるか、信じないかは自由だけどな・・・。
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