🐼メキシコへの道:帰国への道:体調急変 ― 2021年12月05日 11:16
メキシコへの道:帰国への道:体調急変
現地出発当日の12月1日午前3時過ぎ。
疲れてベッドに倒れ込むように寝た浮沈子は、猛烈な吐き気に襲われて目が覚め、転がるようにトイレに駆け込んで胃袋がひっくり返るような嘔吐を繰り返した。
35ペソのタコス、いくらだか忘れたオレンジジュースが吐しゃ物となって便器の中にぶちまけられる(100ペソ5枚のやつにしなくて良かった:そういうことかあ?)。
一度吐き終わっても、吐き気が繰り返し襲ってきて、胃の中のものを全部出し切るまでトイレから出ることが出来なかった。
ヤバいな・・・。
ヤバ過ぎ!。
口を漱ぎ、落ち着いたところで体温を測ると持参の体温計で36.9度。
平熱が35.3度だから、1.6度高い。
平熱が36.5度の人が、38.1度発熱している状況だ。
とにかく、身体を休めて自然治癒するのを待つしかない。
何かに当たったのかもしれないし、単なる食中りではなく、もっとヤバイ病気かも知れないが、嘔吐発熱以外に症状は出ていない(下痢とかはありません)。
熱発しているので、それなりの倦怠感はあったが、脱力するほどひどいものではなかった。
熱も、ぐんぐん上昇するという感じではなく、明け方になって再度検温すると37.0度と、まあ、落ち着いている。
とにかく寝よう・・・。
幸い、嘔吐は繰り返すことなく収まり、10時前に起き出してフロント前のコーヒーを飲むことが出来た。
さすがに、トーストは食えなかったけどな。
残っていたオレンジジュースに手を付けるのはヤバいと思ったけど、試しに飲んでみたら犯人ではないようだった。
チェックアウトの時刻は正午。
その前に、5番街の両替所へ行って、次回のために100ドルを交換しておく(レートは1米ドル=20ペソちょうど)。
11時半になって、ようやくパッキングを始める。
部屋の中に吊るしておいたウェットスーツは生乾きだったが、ハーネス類からダブルエンダーを外して軽量化を図ったところ、20kg強に収まったのでそのまま中に突っ込む(アエロメヒコの荷物代は、900ペソで往路と変わらず)。
ナップザックの重量も7kg強と許容範囲。
今回持参した、着替え用のビニールシート(1.8m×1.8m)と使わなかった不織布マスクは、昨日ヒデさんに差し上げていて、若干の軽量化とスペースの確保も果す。
12時ジャストに部屋を明け渡し、ロビーでコーヒーのおかわりを飲みながら、ピックアップの時刻を待つ。
熱は、36度に下がっていた。
やや寝不足なのと、固形物を口にしていないので少しふらふらするけど、これなら何とか帰国の旅路に着くことが出来そうだ。
夜中に吐いた時には、どうなることかと心配したが、とりあえず一安心だ。
原因は不明で、タコスかもしれない。
屋台ではなく、店構えのあるところだったので、ちょっと油断したか。
次回は、食べ物系の冒険はせず、サブウェイのサンドイッチにしよう。
万が一、食中りでもしたら、講習日程に影響が出るからな。
そういう意味では、いい経験をしたかもしれない。。
来た時に添乗してくれた日本人の添乗員さんが来てくれていて、帰りのピックアップの車に乗る。
ロビーまでは来てくれず、交差点での待ち合わせとなった。
HISには、ホテル名(コイバではなく、パーティホリック)の件と共に、改善を申し入れておこう。
鉄道工事絡みの渋滞が予想されることから、ピックアップの時刻は13時45分から早まり、13時ジャスト。
クルマは快調に飛ばして、殆ど渋滞らしき渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着する。
添乗員の方は、チェックインカウンターの前まで案内してくれた。
で、英語での拙いやり取りの後、体調申告用のアプリが持参のスマホにインストールできず、結局、紙に書いて申告することになった。
受付のねーちゃんは、浮沈子はほったらかしにして、他のお客さんと長々と立ち話・・・。
まあ、メキシコですから・・・。
南の島ほどではないけれど、ここでも時間は地球の自転とは無関係に流れている。
アエロメヒコの搭乗口は、67Bと表示されていたが、途中で53に変わり、さらに67Bに再表示された。
来る時にはよく分からなかったが、カンクン国際空港は巨大だ。
(カンクン国際空港)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
「メキシコ国内ではメキシコ・シティ国際空港に次ぐ第二位の規模であるが、国際旅客においてはメキシコ国内のみならずラテンアメリカ地域で最大の規模を誇る。」
「メキシコ国内で最も重要な空港の一つとして整備が進んでおり、1500m離れており同時に利用が可能な2本の滑走路と3つの旅客ターミナルを持っている。ターミナル1は国内を含む北米からのチャーター便、ターミナル2は国内定期線と一部の国際線、ターミナル3は北米やヨーロッパからの国際定期便に利用されている。」
バスで飛行機まで移動し、一路、メキシコシティへ飛ぶ。
第2ターミナルに到着し、荷物を受け取った後に、来た時とは反対に第1ターミナルにモノレール(レールは2本ですが)で移動する。
ここでも、搭乗券(eチケット控え)の提示を求められた。
乗り継ぎ時間はたっぷりある(6時間以上)。
ANAのカウンターはまだ閉まっていて、少しその前で休んだ。
いよいよ帰国への第一関門である、陰性証明書の航空会社の事前チェックを受けるわけだ。
90ドルの安物証明書で済むか、350ドルの高額証明書を出すことになるかだな。
窓口が開き、係の人が証明書を見て問題点を指摘。
やはり、検体採取時刻がスペイン語単独記載だと、成田で問題になるようだ。
政府様式では、各国語と英語が併記されていて、検疫官は英語見てるだけなんだそうだ。
まあ、仕方ないか・・・。
我が国は英語圏だからな(欧州行くと痛感する)。
今回の旅行でも、ホテルや空港で、説明はスペイン語か英語かと尋ねられることが多かった(もちろん英語)。
中学英語(といっても、半世紀前ですが)程度でも十分通用する。
まあ、どうでもいいんですが。
で、ANAの係員の方が、全文英語で打ち直してくれて、そのペーパーをラボの陰性証明書に添付する形をとってくれた。
どうも、過去にも同じ事例があったようで、餅は餅屋、対応は手慣れたものだった。
時間がたっぷりあったことも幸いした。
念のため確認すると、自分で打って印刷したものでもOKとのこと。
入国の際、成田でも英語表記で確認していた。
が、それは後の話である。
結局、4万円近い金額を投資し、半日潰して受けたPCR検査の政府様式の陰性証明書は出さなかった。
保険みたいなもんだからな。
それはそれで、仕方がない。
次回来る時には、90ドルの方でいいことが分かっただけでも儲けものだ。
長い長い乗り継ぎ時間が経ち、ようやく搭乗。
11月30日からは、外国籍の方の入国を制限していると聞いていたけど、帰りの便には乗り継ぎの方を含めて外国人ぽい人が何人か乗っていた。
帰りの便は、機内食を食っている時以外は、ひたすら寝た。
真ん中の列だったが、浮沈子独占で、横になれたのが幸いだったな。
途中で何度か体温を計ったけど、概ね36度程度で安定していた。
機内食は完食。
吐き気などはない。
コーヒーも飲めた。
食っちゃ寝している間に14時間が過ぎ、メキシコシティから成田はあっという間に着いた。
帰りの方が、身体は楽だ。
日本時間12月3日の朝7時丁度にランディングした。
さて、これから延々3時間近くに渡る検疫を受けることになる。
必要な事前の手続きは済ませているし、アプリ導入用のアンドロイドスマホは持参している。
90ドルの陰性証明書が有効かどうかの最終判断は検疫官が行う。
浮沈子は、事前にID絡みの登録手続きをしていなかったので、成田空港で全て行ったが、そういう話は知らなかったな(HISやANAからも聞いてはいません)。
しかも、浮沈子のスマホからは登録できず、そこにあったパソコンの画面から行い、ID確認用のQRコードは紙に印刷して持ち歩くというレトロな対応となった(ちなみに、アンドロイドのバージョンは7.0)。
やれやれ・・・。
で、結局、90ドルの陰性証明書+全文英語訳のペーパーでOK。
唾液を取って検査する抗原検査も陰性で、無事検疫通過(唾液採取のところには、梅干しとレモンの写真が貼ってあって笑えた)。
抗原検査は、30分ほどで結果が出るが、PCRと比べると感度が悪く、偽陰性が多いからな。
PCRでさえ、良くて8割と言われている。
半分くらいは、陽性者を素通りさせているだろう。
我が国の検疫態勢では、新型コロナを水際で食い止めることは不可能だ。
ハッキリ言って茶番に過ぎない。
検疫官だって、ふつーのかっこしてマスクしているだけだしな。
彼らも、感染のリスクに晒されている。
そして、勤務が終われば自宅に帰り、家族と接触し、近所に買い物に行ったり、休日には遠出もするわけだ。
無症候性キャリアからの感染がありうる疾患の対応としては如何なものかだな。
まあいい。
今話題のオミクロン変異種とやらも、既に相当程度国内に流入していると思われる。
空港検疫は、それでも、人目に付くだけに徹底している方だろうが、船舶などの方が心配だな(未確認)。
実際に自分で体験してみると、世界中でパンデミックを起こしている感染症を水際で防ぐことは不可能であることが痛感される。
ムリポ!。
世界のどこかで流行が続いている限り、安心安全ということはあり得ない。
まあ、メキシコなんて、何にもやってないからな。
それに比べたら、我が国は真面目に取り組んでいる方だろう。
一度、成田を通過すれば、あとは感染させ放題だ。
もちろん、誓約書とかは書くけど、それが守られるかどうかは保証の限りではない。
外国籍の方は、国外退去とかのペナルティがあるが、邦人の場合は氏名公表だけ。
しかも、過去の事例では、アプリに全く応答しないとか、悪質と思われるケースに限っている(3件くらいか)。
現在でも、毎日数千人が入国している中、実際に行動制限に繋がっているとは思えないな。
それなりの抑止力はあると思うが、感染症はアリの一穴。
一人でも、感染者がすり抜けて、感染の連鎖が始まれば、一気に広がる。
アルファも、デルタも、そうして広がり、結果的に多くの死者を生んだ。
自分で海外に出かけておいて、勝手なことを言うようだが、それが事実だ。
昨日、検疫で申告した情報が、浮沈子の棲息する東京都大田区保健所に通報され、PCRの再検査と診察を受けることになった。
検査日は明日以降。
検査自体は行政検査で無料だが、医療機関の診察料(医療保険は効くようです)は有料(自腹)。
仕方ない。
その方が安心だしな(新型コロナ以外の方が心配だし)。
Wi-Fiルーターを返却し、空港内に停めておいたNバンに乗り帰宅。
右側通行のメキシコから、左側通行の日本へ。
まあ、今回はレンタカーは運転しなかったので、あまり影響はない。
サイパンとかの時には、右折で反対車線に入りそうになって焦るけどな。
無事に自宅に辿り着き、関係各方面に帰国報告。
ヒデさんにも、お礼のメッセンジャー。
今回は、彼に一番お世話になった。
このお礼は、来春の講習に合格することでお返しするしかない。
もし、今後ファンダイブでセノーテ潜ることがあれば、きっときっと彼にガイドをお願いすることになるだろう。
さて、ここまで綴ってきたメキシコへの道も、とりあえず一区切り。
書かなかったこと、書けないことはいろいろあるけど、補遺、誤脱遺漏は、今後、アラカルト的に補っていく。
また、昨日から始まった14日間の自宅待機については、稿を改めて書くことにする。
思い返せば、春先にメキシコに行こうと思い立ち、まずは品川のトラベルクリニックでワクチン接種を始めてから半年余り。
年内滑り込みで、今年の目標は達成した。
半ば強引な渡航だったが、下手をすれば帰国することが出来なくなったかもしれないリスキーなダイビングツアーだ。
誰にでもおススメするわけにはいかない。
無謀、非常識、身勝手、我儘、エトセエトセは承知の上だ。
陰性証明書を初めとする、我が国の現在の検疫手続きについても、身を持って体験することが出来たし、自宅待機期間の監視ソフトは体験中だ(昨日は、夕方から爆睡してしまい、初回のビデオ通話には応答できなかった:氏名公表?)。
プラヤデルカルメンの街中の様子も、ホテル近辺や5番街程度だが、この目で見、足で歩き、体験することが出来た。
メキシコって、ヤバ過ぎ!。
すりや置き引きの被害には合わなかったが、何があってもおかしくない雰囲気満載だ。
ホテルの近くは、パーティ会場目白押しの一角で、夜8時から夜中過ぎまでは、大音量の音楽とアブナイかっこしたねーちゃんがお立ち台で踊る歓楽街と化す。
新宿歌舞伎町とジュリアナを一緒にした感じだな。
29日にバスでの移動を体験できたことも良かった。
庶民の移動は路線バス。
親切な運転手と、全世界共通のおばちゃんのおしゃべり(最強!、無敵!)。
フィリピンほどではないけど、貧富の差も大きく、5番街では、子供に歌を歌わせて稼ぐ姿も見られた。
台湾で昔見たような、身体障碍者の物乞いもいた。
世界は、今も、昔も、大して変わってはいないのだ。
田舎に行けば、また、別の姿があるのかも知れないが、観光客が目にすることができるメキシコの姿をつぶさに見ることが出来た。
カンクンのホテルゾーンにいるだけでは、そういう世界は見えてこないからな。
往路のANA機中で一緒だった東洋系の若者は、1カ月間メキシコのあちこちを回ってくると言ってたな。
今ごろは、どこにいるんだろうか?。
カンクンやプラヤデルカルメンに立ち寄るかは聞かなかった。
28年ぶりの北米大陸、初めての中米、初めてのスペイン語圏、初めてのメキシコ、初めてのカンクン、初めてのプラヤデルカルメン、初めてのセノーテ、初めてのカリブ海・・・。
全ては、ハロックライン越しに見る景色のようにぼやけ、揺らぎ、記憶の底に沈もうとしている。
2眼レンズと揮発メモリーだけが頼りだ。
しかし、セノーテを潜って感じた感覚は、消そうと思っても消えないに違いない。
光の中を泳ぐカバーン、闇の底を覗きながらの洞窟潜水。
更にその奥の、決して光が差し込むことがないケーブの中へと道は続いている。
今回潜ったセノーテの中からも、その禁断の地への入口は何か所も開いている。
もちろん、現在の浮沈子はその先に立ち入ることはできない。
死神たちの住処に入るには、90ドルの陰性証明書ではダメなわけだ。
更なる精進を積み、技を磨き、心身を鍛え、チョンボを無くし、手抜きせず、基本に忠実に行動する態度を養わなければならない。
その上で、長年先人たちが積み上げてきた知識と経験を学び、安全に洞窟潜水を楽しむための訓練を受け、インストラクターから認定されなければならない。
もちろん、それでもリスクがゼロになるわけではない。
何かが起これば、回避できないリスクを受け入れ、死神に生贄を差し出すことになる。
大概の場合は、ガス切れでおぼれ死ぬことになる。
場合によっては、減圧症になるかも知れず、崩落で生き埋めになる可能性もある。
ありとあらゆる危険がそこここに存在するケーブダイビング。
メキシコへの道は、その奥へと続いている。
潜ったこともない癖に、知ったような口をきくな!。
そう言われたくないばっかりに、その入り口を覗いてみた。
うん、まあ、講習くらいは受けてもいいかも知れない。
その上で、認定もらえたら考えてみよう。
死神に命ささげた連中が、何を見るためにそこに行ったのか。
そうまでして見たかったものは何なのか。
それを見るために、そこに行くのかどうか。
今回潜ったカバーンエリアは、その入り口に過ぎない。
光あふれるドスオホスやククルカンは、その典型だな。
逆に、カラベラなどは、もう、洞窟感満載で、ここでパニクったらヤバい感じがした。
ちなみに、カバーン講習を受けなくても、ふつーにセノーテダイビングを楽しむことができる。
縦穴系は、深度の関係からアドバンスを取っておく必要があるけど、中性浮力とフィンキックが出来ればオープンウォーターで、経験本数40本程度から参加は可能だ。
もっと気軽に、セノーテダイビングを楽しんでもいいのではないか。
ガイドは、ダブルタンク(或いは、2本差しサイドマウント)で、4人まで引率することができる。
3分の1ルールを守る限り、理論上、ガスは足りるはずだからな。
同時に4人エアシェアできるかとか、突っ込んではならない。
商売商売・・・。
カバーンでも事故は起こる。
以前はダイバーが潜ることが出来たグランセノーテは、現在はシュノーケラーだけ。
詳しくは知らないけど、過去に事故があったらしい(未確認)。
ダイビング自体が、リスクを伴うレジャーだからな。
それは、セノーテに限らずどこでも同じだ。
浮沈子は、今回、フルケーブ講習の下見として、主にエントリー口や、宿泊するプラヤデルカルメンの様子を把握することを主眼に行ってきたが、もちろん、カバーンエリアだけのダイビングも存分に楽しんできた。
ロタのロタホールやグアム、パラオなどの海中洞窟で似た経験が多いから、それ程度肝を抜かれたりはしなかったが、初めて体験したら感動ものだろう。
水の透視度という点では、海水とは比較にならない(光の届く限り見えます:100mとか200mとか)。
でも、浮遊物が全くないわけではない。
小さな浮遊物が少し浮かんでいる。
注意深く見ていると、気付かないほどの緩い流れがあることも分かる。
そういったことも、現地に行って体験してみないことには分からないのだ。
百聞は一見に如かず。
世の中のことは、ユーチューブだけでは分からんのよ・・・。
現地出発当日の12月1日午前3時過ぎ。
疲れてベッドに倒れ込むように寝た浮沈子は、猛烈な吐き気に襲われて目が覚め、転がるようにトイレに駆け込んで胃袋がひっくり返るような嘔吐を繰り返した。
35ペソのタコス、いくらだか忘れたオレンジジュースが吐しゃ物となって便器の中にぶちまけられる(100ペソ5枚のやつにしなくて良かった:そういうことかあ?)。
一度吐き終わっても、吐き気が繰り返し襲ってきて、胃の中のものを全部出し切るまでトイレから出ることが出来なかった。
ヤバいな・・・。
ヤバ過ぎ!。
口を漱ぎ、落ち着いたところで体温を測ると持参の体温計で36.9度。
平熱が35.3度だから、1.6度高い。
平熱が36.5度の人が、38.1度発熱している状況だ。
とにかく、身体を休めて自然治癒するのを待つしかない。
何かに当たったのかもしれないし、単なる食中りではなく、もっとヤバイ病気かも知れないが、嘔吐発熱以外に症状は出ていない(下痢とかはありません)。
熱発しているので、それなりの倦怠感はあったが、脱力するほどひどいものではなかった。
熱も、ぐんぐん上昇するという感じではなく、明け方になって再度検温すると37.0度と、まあ、落ち着いている。
とにかく寝よう・・・。
幸い、嘔吐は繰り返すことなく収まり、10時前に起き出してフロント前のコーヒーを飲むことが出来た。
さすがに、トーストは食えなかったけどな。
残っていたオレンジジュースに手を付けるのはヤバいと思ったけど、試しに飲んでみたら犯人ではないようだった。
チェックアウトの時刻は正午。
その前に、5番街の両替所へ行って、次回のために100ドルを交換しておく(レートは1米ドル=20ペソちょうど)。
11時半になって、ようやくパッキングを始める。
部屋の中に吊るしておいたウェットスーツは生乾きだったが、ハーネス類からダブルエンダーを外して軽量化を図ったところ、20kg強に収まったのでそのまま中に突っ込む(アエロメヒコの荷物代は、900ペソで往路と変わらず)。
ナップザックの重量も7kg強と許容範囲。
今回持参した、着替え用のビニールシート(1.8m×1.8m)と使わなかった不織布マスクは、昨日ヒデさんに差し上げていて、若干の軽量化とスペースの確保も果す。
12時ジャストに部屋を明け渡し、ロビーでコーヒーのおかわりを飲みながら、ピックアップの時刻を待つ。
熱は、36度に下がっていた。
やや寝不足なのと、固形物を口にしていないので少しふらふらするけど、これなら何とか帰国の旅路に着くことが出来そうだ。
夜中に吐いた時には、どうなることかと心配したが、とりあえず一安心だ。
原因は不明で、タコスかもしれない。
屋台ではなく、店構えのあるところだったので、ちょっと油断したか。
次回は、食べ物系の冒険はせず、サブウェイのサンドイッチにしよう。
万が一、食中りでもしたら、講習日程に影響が出るからな。
そういう意味では、いい経験をしたかもしれない。。
来た時に添乗してくれた日本人の添乗員さんが来てくれていて、帰りのピックアップの車に乗る。
ロビーまでは来てくれず、交差点での待ち合わせとなった。
HISには、ホテル名(コイバではなく、パーティホリック)の件と共に、改善を申し入れておこう。
鉄道工事絡みの渋滞が予想されることから、ピックアップの時刻は13時45分から早まり、13時ジャスト。
クルマは快調に飛ばして、殆ど渋滞らしき渋滞もなく、1時間ほどで空港に到着する。
添乗員の方は、チェックインカウンターの前まで案内してくれた。
で、英語での拙いやり取りの後、体調申告用のアプリが持参のスマホにインストールできず、結局、紙に書いて申告することになった。
受付のねーちゃんは、浮沈子はほったらかしにして、他のお客さんと長々と立ち話・・・。
まあ、メキシコですから・・・。
南の島ほどではないけれど、ここでも時間は地球の自転とは無関係に流れている。
アエロメヒコの搭乗口は、67Bと表示されていたが、途中で53に変わり、さらに67Bに再表示された。
来る時にはよく分からなかったが、カンクン国際空港は巨大だ。
(カンクン国際空港)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%B3%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF
「メキシコ国内ではメキシコ・シティ国際空港に次ぐ第二位の規模であるが、国際旅客においてはメキシコ国内のみならずラテンアメリカ地域で最大の規模を誇る。」
「メキシコ国内で最も重要な空港の一つとして整備が進んでおり、1500m離れており同時に利用が可能な2本の滑走路と3つの旅客ターミナルを持っている。ターミナル1は国内を含む北米からのチャーター便、ターミナル2は国内定期線と一部の国際線、ターミナル3は北米やヨーロッパからの国際定期便に利用されている。」
バスで飛行機まで移動し、一路、メキシコシティへ飛ぶ。
第2ターミナルに到着し、荷物を受け取った後に、来た時とは反対に第1ターミナルにモノレール(レールは2本ですが)で移動する。
ここでも、搭乗券(eチケット控え)の提示を求められた。
乗り継ぎ時間はたっぷりある(6時間以上)。
ANAのカウンターはまだ閉まっていて、少しその前で休んだ。
いよいよ帰国への第一関門である、陰性証明書の航空会社の事前チェックを受けるわけだ。
90ドルの安物証明書で済むか、350ドルの高額証明書を出すことになるかだな。
窓口が開き、係の人が証明書を見て問題点を指摘。
やはり、検体採取時刻がスペイン語単独記載だと、成田で問題になるようだ。
政府様式では、各国語と英語が併記されていて、検疫官は英語見てるだけなんだそうだ。
まあ、仕方ないか・・・。
我が国は英語圏だからな(欧州行くと痛感する)。
今回の旅行でも、ホテルや空港で、説明はスペイン語か英語かと尋ねられることが多かった(もちろん英語)。
中学英語(といっても、半世紀前ですが)程度でも十分通用する。
まあ、どうでもいいんですが。
で、ANAの係員の方が、全文英語で打ち直してくれて、そのペーパーをラボの陰性証明書に添付する形をとってくれた。
どうも、過去にも同じ事例があったようで、餅は餅屋、対応は手慣れたものだった。
時間がたっぷりあったことも幸いした。
念のため確認すると、自分で打って印刷したものでもOKとのこと。
入国の際、成田でも英語表記で確認していた。
が、それは後の話である。
結局、4万円近い金額を投資し、半日潰して受けたPCR検査の政府様式の陰性証明書は出さなかった。
保険みたいなもんだからな。
それはそれで、仕方がない。
次回来る時には、90ドルの方でいいことが分かっただけでも儲けものだ。
長い長い乗り継ぎ時間が経ち、ようやく搭乗。
11月30日からは、外国籍の方の入国を制限していると聞いていたけど、帰りの便には乗り継ぎの方を含めて外国人ぽい人が何人か乗っていた。
帰りの便は、機内食を食っている時以外は、ひたすら寝た。
真ん中の列だったが、浮沈子独占で、横になれたのが幸いだったな。
途中で何度か体温を計ったけど、概ね36度程度で安定していた。
機内食は完食。
吐き気などはない。
コーヒーも飲めた。
食っちゃ寝している間に14時間が過ぎ、メキシコシティから成田はあっという間に着いた。
帰りの方が、身体は楽だ。
日本時間12月3日の朝7時丁度にランディングした。
さて、これから延々3時間近くに渡る検疫を受けることになる。
必要な事前の手続きは済ませているし、アプリ導入用のアンドロイドスマホは持参している。
90ドルの陰性証明書が有効かどうかの最終判断は検疫官が行う。
浮沈子は、事前にID絡みの登録手続きをしていなかったので、成田空港で全て行ったが、そういう話は知らなかったな(HISやANAからも聞いてはいません)。
しかも、浮沈子のスマホからは登録できず、そこにあったパソコンの画面から行い、ID確認用のQRコードは紙に印刷して持ち歩くというレトロな対応となった(ちなみに、アンドロイドのバージョンは7.0)。
やれやれ・・・。
で、結局、90ドルの陰性証明書+全文英語訳のペーパーでOK。
唾液を取って検査する抗原検査も陰性で、無事検疫通過(唾液採取のところには、梅干しとレモンの写真が貼ってあって笑えた)。
抗原検査は、30分ほどで結果が出るが、PCRと比べると感度が悪く、偽陰性が多いからな。
PCRでさえ、良くて8割と言われている。
半分くらいは、陽性者を素通りさせているだろう。
我が国の検疫態勢では、新型コロナを水際で食い止めることは不可能だ。
ハッキリ言って茶番に過ぎない。
検疫官だって、ふつーのかっこしてマスクしているだけだしな。
彼らも、感染のリスクに晒されている。
そして、勤務が終われば自宅に帰り、家族と接触し、近所に買い物に行ったり、休日には遠出もするわけだ。
無症候性キャリアからの感染がありうる疾患の対応としては如何なものかだな。
まあいい。
今話題のオミクロン変異種とやらも、既に相当程度国内に流入していると思われる。
空港検疫は、それでも、人目に付くだけに徹底している方だろうが、船舶などの方が心配だな(未確認)。
実際に自分で体験してみると、世界中でパンデミックを起こしている感染症を水際で防ぐことは不可能であることが痛感される。
ムリポ!。
世界のどこかで流行が続いている限り、安心安全ということはあり得ない。
まあ、メキシコなんて、何にもやってないからな。
それに比べたら、我が国は真面目に取り組んでいる方だろう。
一度、成田を通過すれば、あとは感染させ放題だ。
もちろん、誓約書とかは書くけど、それが守られるかどうかは保証の限りではない。
外国籍の方は、国外退去とかのペナルティがあるが、邦人の場合は氏名公表だけ。
しかも、過去の事例では、アプリに全く応答しないとか、悪質と思われるケースに限っている(3件くらいか)。
現在でも、毎日数千人が入国している中、実際に行動制限に繋がっているとは思えないな。
それなりの抑止力はあると思うが、感染症はアリの一穴。
一人でも、感染者がすり抜けて、感染の連鎖が始まれば、一気に広がる。
アルファも、デルタも、そうして広がり、結果的に多くの死者を生んだ。
自分で海外に出かけておいて、勝手なことを言うようだが、それが事実だ。
昨日、検疫で申告した情報が、浮沈子の棲息する東京都大田区保健所に通報され、PCRの再検査と診察を受けることになった。
検査日は明日以降。
検査自体は行政検査で無料だが、医療機関の診察料(医療保険は効くようです)は有料(自腹)。
仕方ない。
その方が安心だしな(新型コロナ以外の方が心配だし)。
Wi-Fiルーターを返却し、空港内に停めておいたNバンに乗り帰宅。
右側通行のメキシコから、左側通行の日本へ。
まあ、今回はレンタカーは運転しなかったので、あまり影響はない。
サイパンとかの時には、右折で反対車線に入りそうになって焦るけどな。
無事に自宅に辿り着き、関係各方面に帰国報告。
ヒデさんにも、お礼のメッセンジャー。
今回は、彼に一番お世話になった。
このお礼は、来春の講習に合格することでお返しするしかない。
もし、今後ファンダイブでセノーテ潜ることがあれば、きっときっと彼にガイドをお願いすることになるだろう。
さて、ここまで綴ってきたメキシコへの道も、とりあえず一区切り。
書かなかったこと、書けないことはいろいろあるけど、補遺、誤脱遺漏は、今後、アラカルト的に補っていく。
また、昨日から始まった14日間の自宅待機については、稿を改めて書くことにする。
思い返せば、春先にメキシコに行こうと思い立ち、まずは品川のトラベルクリニックでワクチン接種を始めてから半年余り。
年内滑り込みで、今年の目標は達成した。
半ば強引な渡航だったが、下手をすれば帰国することが出来なくなったかもしれないリスキーなダイビングツアーだ。
誰にでもおススメするわけにはいかない。
無謀、非常識、身勝手、我儘、エトセエトセは承知の上だ。
陰性証明書を初めとする、我が国の現在の検疫手続きについても、身を持って体験することが出来たし、自宅待機期間の監視ソフトは体験中だ(昨日は、夕方から爆睡してしまい、初回のビデオ通話には応答できなかった:氏名公表?)。
プラヤデルカルメンの街中の様子も、ホテル近辺や5番街程度だが、この目で見、足で歩き、体験することが出来た。
メキシコって、ヤバ過ぎ!。
すりや置き引きの被害には合わなかったが、何があってもおかしくない雰囲気満載だ。
ホテルの近くは、パーティ会場目白押しの一角で、夜8時から夜中過ぎまでは、大音量の音楽とアブナイかっこしたねーちゃんがお立ち台で踊る歓楽街と化す。
新宿歌舞伎町とジュリアナを一緒にした感じだな。
29日にバスでの移動を体験できたことも良かった。
庶民の移動は路線バス。
親切な運転手と、全世界共通のおばちゃんのおしゃべり(最強!、無敵!)。
フィリピンほどではないけど、貧富の差も大きく、5番街では、子供に歌を歌わせて稼ぐ姿も見られた。
台湾で昔見たような、身体障碍者の物乞いもいた。
世界は、今も、昔も、大して変わってはいないのだ。
田舎に行けば、また、別の姿があるのかも知れないが、観光客が目にすることができるメキシコの姿をつぶさに見ることが出来た。
カンクンのホテルゾーンにいるだけでは、そういう世界は見えてこないからな。
往路のANA機中で一緒だった東洋系の若者は、1カ月間メキシコのあちこちを回ってくると言ってたな。
今ごろは、どこにいるんだろうか?。
カンクンやプラヤデルカルメンに立ち寄るかは聞かなかった。
28年ぶりの北米大陸、初めての中米、初めてのスペイン語圏、初めてのメキシコ、初めてのカンクン、初めてのプラヤデルカルメン、初めてのセノーテ、初めてのカリブ海・・・。
全ては、ハロックライン越しに見る景色のようにぼやけ、揺らぎ、記憶の底に沈もうとしている。
2眼レンズと揮発メモリーだけが頼りだ。
しかし、セノーテを潜って感じた感覚は、消そうと思っても消えないに違いない。
光の中を泳ぐカバーン、闇の底を覗きながらの洞窟潜水。
更にその奥の、決して光が差し込むことがないケーブの中へと道は続いている。
今回潜ったセノーテの中からも、その禁断の地への入口は何か所も開いている。
もちろん、現在の浮沈子はその先に立ち入ることはできない。
死神たちの住処に入るには、90ドルの陰性証明書ではダメなわけだ。
更なる精進を積み、技を磨き、心身を鍛え、チョンボを無くし、手抜きせず、基本に忠実に行動する態度を養わなければならない。
その上で、長年先人たちが積み上げてきた知識と経験を学び、安全に洞窟潜水を楽しむための訓練を受け、インストラクターから認定されなければならない。
もちろん、それでもリスクがゼロになるわけではない。
何かが起これば、回避できないリスクを受け入れ、死神に生贄を差し出すことになる。
大概の場合は、ガス切れでおぼれ死ぬことになる。
場合によっては、減圧症になるかも知れず、崩落で生き埋めになる可能性もある。
ありとあらゆる危険がそこここに存在するケーブダイビング。
メキシコへの道は、その奥へと続いている。
潜ったこともない癖に、知ったような口をきくな!。
そう言われたくないばっかりに、その入り口を覗いてみた。
うん、まあ、講習くらいは受けてもいいかも知れない。
その上で、認定もらえたら考えてみよう。
死神に命ささげた連中が、何を見るためにそこに行ったのか。
そうまでして見たかったものは何なのか。
それを見るために、そこに行くのかどうか。
今回潜ったカバーンエリアは、その入り口に過ぎない。
光あふれるドスオホスやククルカンは、その典型だな。
逆に、カラベラなどは、もう、洞窟感満載で、ここでパニクったらヤバい感じがした。
ちなみに、カバーン講習を受けなくても、ふつーにセノーテダイビングを楽しむことができる。
縦穴系は、深度の関係からアドバンスを取っておく必要があるけど、中性浮力とフィンキックが出来ればオープンウォーターで、経験本数40本程度から参加は可能だ。
もっと気軽に、セノーテダイビングを楽しんでもいいのではないか。
ガイドは、ダブルタンク(或いは、2本差しサイドマウント)で、4人まで引率することができる。
3分の1ルールを守る限り、理論上、ガスは足りるはずだからな。
同時に4人エアシェアできるかとか、突っ込んではならない。
商売商売・・・。
カバーンでも事故は起こる。
以前はダイバーが潜ることが出来たグランセノーテは、現在はシュノーケラーだけ。
詳しくは知らないけど、過去に事故があったらしい(未確認)。
ダイビング自体が、リスクを伴うレジャーだからな。
それは、セノーテに限らずどこでも同じだ。
浮沈子は、今回、フルケーブ講習の下見として、主にエントリー口や、宿泊するプラヤデルカルメンの様子を把握することを主眼に行ってきたが、もちろん、カバーンエリアだけのダイビングも存分に楽しんできた。
ロタのロタホールやグアム、パラオなどの海中洞窟で似た経験が多いから、それ程度肝を抜かれたりはしなかったが、初めて体験したら感動ものだろう。
水の透視度という点では、海水とは比較にならない(光の届く限り見えます:100mとか200mとか)。
でも、浮遊物が全くないわけではない。
小さな浮遊物が少し浮かんでいる。
注意深く見ていると、気付かないほどの緩い流れがあることも分かる。
そういったことも、現地に行って体験してみないことには分からないのだ。
百聞は一見に如かず。
世の中のことは、ユーチューブだけでは分からんのよ・・・。
🐼メキシコへの道:補遺:ホテルコイバ→パーティホリック ― 2021年12月05日 21:23
メキシコへの道:補遺:ホテルコイバ→パーティホリック
(ホテルPartyholic プレヤデルカーメン)
https://cohiba.playa-del-carmen-hotel.com/ja/
「ex. Cohiba」
別名称(旧称?)として、コイバとなっているが、宿泊したホテルはここ。
入口は、角を曲がった奥にあり、そこにはホテルパーティホリックと看板が出ている。
ちゃんと調べていないけど、メキシコの建物の階の数え方は英国風で、玄関開けたらグランドフロア、階段上がってファーストフロアな感じだ。
そこにホテルのフロントがあって、よく電源が抜けている体温計(手をかざして計測するやつ:人が通るだけでも反応してうるさいので、普段はコンセントを抜いている!)と、中身が空のことが多いプッシュ式の消毒液がある(指摘すると補充してくれます)。
フロントがある階にも、いくつか部屋があるようだが、浮沈子が宿泊したのは一つ上の階(18号室)。
画像は、ネットからとったものだが、たぶんこの部屋に間違いない。
広い。
奥右側にトイレと、シャワールームがある(バスタブはありません)。
奥左は洗面台だが、この前に椅子(画像にはありませんが、手前左側にひじ掛け付きのソファが置いてありました)を移動させて、デスクとして使っていた。
食事は、朝の8時から、コーヒーとトースト(自分でトースターに入れる)が出る(フロント前のソファがあるところでセルフデリバリーされ、そこで食べても良し、部屋に持ち帰ってもいいようだ)。
バターとジャムは付いてくるが、フルーツジュースとかはない。
浮沈子は、3日目(PCR検査日:ピックアップが早いため)はパスし、2日目と4日目はここ(フロント前)で食べた(初日と出発日はコーヒーだけ)。
電気ポットから注ぐコーヒーは薄く、マズくはないが美味くもない。
メキシコはコーヒーの名産と聞いて期待していたんだが、庶民の口に入るのは別物らしい。
5泊(初日はレイトチェックイン)で2万円足らずというリーズナブルなお値段。
部屋は、弄られたくなかったのでドントディスターブの札をドアノブに掲げて、ルームサービスは受けなかった(最終日だけ、20ペソだけチップ置いてきました)。
フィリピンの馴染みのホテルとかだと、たっぷりチップあげて、顔見知りのおばちゃんに下着の洗濯までしてもらってましたけど(マジか!?)。
エアコンは付いているけど、朝晩は涼しいので点けなかった(明け方は寒いくらいです)。
窓にはネットが張られていて、レバーを押して開放する(ネットは外せません)。
バルコニーはない。
写真を見ると、他の部屋は作りが違うようで、実際、家族連れとかもいたから、部屋ごとの印象は異なるだろう。
ブログにも書いているけど、フロントではふつーに英語か通じて、サービスも悪くない(USBメモリーに入れたPDFファイルを印刷してもらうことが出来た程度ですが)。
フロントのスタッフは女性で、何人か交代で入っている(ふだんは一人)。
昼間は、英語堪能なおっさん(!)が同席していることもある。
警備の人は、外の通りに1人立っていて、概ねスマホを弄っている(怪しい人来ても素通りだな)。
部屋の掃除や、朝食の準備をするスタッフは別にいて、フロントは専属のようだ(制服違います)。
でも、フロントの人も、朝食のパンが足りなくなると、運んだりしていたからな。
こぢんまりとした、いごこちのいいプチホテルだった。
夜のド迫力の音量のホテル周辺のパーティ会場の騒音が気にならなければ、5番街(キンタアベニータ)からも近いし、セブンイレブン(深夜には閉まっています)もそばにある。
深夜の飲み物(モンスタードリンクや別途ボトル入りの水など)は、少し歩いて開いているドラッグストアで仕入れることもできる。
慣れれば、生活しやすい感じだ。
食事は、朝食以外はサンドイッチ。
サブウェイは、5番街に何か所かある。
セブンイレブンの袋菓子も食べた(オレオのビスケット)。
今回、食生活は追及しなかったからな。
航空券の金額を考えると(20万円以上)、足げく通うというわけにはいかない(年に1回行けるかどうか)。
安宿に泊まれば、滞在費は1日5000円くらいで済む。
今回は弾丸ツアーみたいにして行ってきたけど、セノーテのダイビング三昧で、10日くらいは滞在したいところだ。
時差ボケが取れたところで帰国した感じだったからな。
春先の講習は、旅行日程をたっぷりとってもらうようにお願いしている(2週間くらい)。
ホテルや周辺の環境は、浮沈子的には違和感はなかった(大音量も慣れてます)。
夜出歩いて、探検したり遊んだりしたわけじゃないからな(体力温存)。
講習の時には、座学もやることになる。
次回のホテルは、別の場所(ADOの第2バスターミナルの近く)で、周辺は静かなところだ。
その意味では、ホテルについては、今回は下見という感じではない。
が、安宿に慣れた浮沈子には、十分過ぎる快適さだった。
プライベートで行ったら、また使ってみようかな・・・。
(ホテルPartyholic プレヤデルカーメン)
https://cohiba.playa-del-carmen-hotel.com/ja/
「ex. Cohiba」
別名称(旧称?)として、コイバとなっているが、宿泊したホテルはここ。
入口は、角を曲がった奥にあり、そこにはホテルパーティホリックと看板が出ている。
ちゃんと調べていないけど、メキシコの建物の階の数え方は英国風で、玄関開けたらグランドフロア、階段上がってファーストフロアな感じだ。
そこにホテルのフロントがあって、よく電源が抜けている体温計(手をかざして計測するやつ:人が通るだけでも反応してうるさいので、普段はコンセントを抜いている!)と、中身が空のことが多いプッシュ式の消毒液がある(指摘すると補充してくれます)。
フロントがある階にも、いくつか部屋があるようだが、浮沈子が宿泊したのは一つ上の階(18号室)。
画像は、ネットからとったものだが、たぶんこの部屋に間違いない。
広い。
奥右側にトイレと、シャワールームがある(バスタブはありません)。
奥左は洗面台だが、この前に椅子(画像にはありませんが、手前左側にひじ掛け付きのソファが置いてありました)を移動させて、デスクとして使っていた。
食事は、朝の8時から、コーヒーとトースト(自分でトースターに入れる)が出る(フロント前のソファがあるところでセルフデリバリーされ、そこで食べても良し、部屋に持ち帰ってもいいようだ)。
バターとジャムは付いてくるが、フルーツジュースとかはない。
浮沈子は、3日目(PCR検査日:ピックアップが早いため)はパスし、2日目と4日目はここ(フロント前)で食べた(初日と出発日はコーヒーだけ)。
電気ポットから注ぐコーヒーは薄く、マズくはないが美味くもない。
メキシコはコーヒーの名産と聞いて期待していたんだが、庶民の口に入るのは別物らしい。
5泊(初日はレイトチェックイン)で2万円足らずというリーズナブルなお値段。
部屋は、弄られたくなかったのでドントディスターブの札をドアノブに掲げて、ルームサービスは受けなかった(最終日だけ、20ペソだけチップ置いてきました)。
フィリピンの馴染みのホテルとかだと、たっぷりチップあげて、顔見知りのおばちゃんに下着の洗濯までしてもらってましたけど(マジか!?)。
エアコンは付いているけど、朝晩は涼しいので点けなかった(明け方は寒いくらいです)。
窓にはネットが張られていて、レバーを押して開放する(ネットは外せません)。
バルコニーはない。
写真を見ると、他の部屋は作りが違うようで、実際、家族連れとかもいたから、部屋ごとの印象は異なるだろう。
ブログにも書いているけど、フロントではふつーに英語か通じて、サービスも悪くない(USBメモリーに入れたPDFファイルを印刷してもらうことが出来た程度ですが)。
フロントのスタッフは女性で、何人か交代で入っている(ふだんは一人)。
昼間は、英語堪能なおっさん(!)が同席していることもある。
警備の人は、外の通りに1人立っていて、概ねスマホを弄っている(怪しい人来ても素通りだな)。
部屋の掃除や、朝食の準備をするスタッフは別にいて、フロントは専属のようだ(制服違います)。
でも、フロントの人も、朝食のパンが足りなくなると、運んだりしていたからな。
こぢんまりとした、いごこちのいいプチホテルだった。
夜のド迫力の音量のホテル周辺のパーティ会場の騒音が気にならなければ、5番街(キンタアベニータ)からも近いし、セブンイレブン(深夜には閉まっています)もそばにある。
深夜の飲み物(モンスタードリンクや別途ボトル入りの水など)は、少し歩いて開いているドラッグストアで仕入れることもできる。
慣れれば、生活しやすい感じだ。
食事は、朝食以外はサンドイッチ。
サブウェイは、5番街に何か所かある。
セブンイレブンの袋菓子も食べた(オレオのビスケット)。
今回、食生活は追及しなかったからな。
航空券の金額を考えると(20万円以上)、足げく通うというわけにはいかない(年に1回行けるかどうか)。
安宿に泊まれば、滞在費は1日5000円くらいで済む。
今回は弾丸ツアーみたいにして行ってきたけど、セノーテのダイビング三昧で、10日くらいは滞在したいところだ。
時差ボケが取れたところで帰国した感じだったからな。
春先の講習は、旅行日程をたっぷりとってもらうようにお願いしている(2週間くらい)。
ホテルや周辺の環境は、浮沈子的には違和感はなかった(大音量も慣れてます)。
夜出歩いて、探検したり遊んだりしたわけじゃないからな(体力温存)。
講習の時には、座学もやることになる。
次回のホテルは、別の場所(ADOの第2バスターミナルの近く)で、周辺は静かなところだ。
その意味では、ホテルについては、今回は下見という感じではない。
が、安宿に慣れた浮沈子には、十分過ぎる快適さだった。
プライベートで行ったら、また使ってみようかな・・・。
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