ダイビングVS宗教2014年09月08日 21:47

ダイビングVS宗教


先月下旬頃から、PADIダイブマスターのマニュアルを読んでいる。

ナレッジ・レビューという、練習問題(?)をやらないと、次のステップに進めない。

(大分マスター?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2014/08/22/7419605

とりあえず、第8章までは読んで、ナレッジ・レビューを書いた。

第7章に、「ダイビングビジネスの焦点」という項目があって、ダイビングの本質的なことについて触れている。

人生を変える、とまで言っている。

まあ、人にもよるだろうが、大きな影響を受ける人はいるだろう。

そうでなければ、ダイビング業界などというものは成り立たない。

イルカと泳ぐと、人生観が変わると聞いた記憶もある。

浮沈子は泳いだ経験はないが、聞いたところによると、その人は別に変わらなかったそうだ。

それでも、水中世界を垣間見るというのは、陸上生物である人間にとっては非日常的経験であることは確かだ。

昨今は、メディアの発達で、映像で水中を見たり、水族館の大水槽で見たり、水中トンネルを潜って、あたかも水中にいるかのような感覚を味わうことも出来る。

しかし、浮沈子に言わせれば、それらの代替手段は、いささかインパクトに欠けるな。

初めてテニアンのタチョンガビーチでレギュレーターを咥えて水中で呼吸したときのことを、今でも忘れない。

おお、息が出来る!。

オ、オレは、水中で呼吸しているんだ!。

耳抜きに苦労して、ふと水面を見上げると、サヨリのような細長い魚が小さな群れを成して頭上を泳いでいくのが見え、背後の水面は、太陽の光を反射して(透過して?)キラキラと輝いていた。

シュノーケリングとは全く違う、新しい世界がそこに広がっていた。

クソ重いタンクを担ぎ、ウエットスーツで殆ど熱中症になりながら砂に足をめり込ませながら水際に行く。

浅瀬を歩き、水を被って頭を冷やし、器材を点検して水中に潜る。

中性浮力も何もあったもんじゃなかったが、何とか泳いで砂地まで辿り着き、耳抜きをして圧平衡がとれれば、そこは新世界だ。

浮沈子にとっては、確かに劇的な体験だったな。

その後、CCRを始めた時も、劇的だった。

PADIは、プロフェッショナルであるダイブマスターに対して、結構いろいろなことを要求している。

それは、PADIスタッフとしてのクオリティを管理するということなのだが、最も重要なのは、ダイバーの劇的体験をサポートすることなのだろうと、浮沈子は勝手に解釈している。

安全管理や、インストラクターのサポートなど、すべてのスキルや役割は、この劇的体験のサポートに尽きるだろう。

そして、そのためにプロフェッショナルを目指すということは、十分に人生を変えるということに値する。

ああ、逆でもいいんですが。

人生を変えたいから、ダイビングしたり、別の要因で人生が変わったから、仕方なくプロフェッショナルを目指したり・・・。

ガイドやインストラクションで飯を食っていくのは、楽ではない。

決して、人様にオススメできるような仕事ではない。

浮沈子が係わったダイビングのプロたちは、皆苦労しているのが分かる。

お客様相手の商売で、気は使うし、段取りや手配も面倒だ(だから、商売になるんですが)。

タンク運びなどの肉体労働もある。

水中では、講習の時はもちろん、認定ダイバーをガイドしている時にも、安全管理を徹底しなければならない。

一度、ダイビングの世界を知ってしまうと、そこに嵌ってしまうということはある。

プロフェッショナルを目指さなくても、スキルを向上させたり、安全管理上の理由から、体調に気を配ったりするようになる(人もいる・・・)。

プロになろうというなら、当然、自己管理能力が問われる。

自分のリスクマネジメントができていなければ、水中というヤバイ環境で、他人(お客様:これも、PADI語なのかあ?)の面倒なんか見られっこない。

ダイブマスターが水中で具合が悪くなってしまっては、示しがつかないだけでなく、その時潜っていた他のダイバーを危険に晒すことにもなりかねない。

うーん、やっぱ、浮沈子には向かないのかなあ・・・。

などということを考えつつ、マニュアルを読んでいて、エボラ関係の記事を追っていたら、こんなページに当たった。

(教皇フランシスコの2014年6月29日「お告げの祈り」のことば)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0131.htm

「キリストのことばとの出会いは、わたしたちの生活を完全に変えることができます。みことばを聞いたら、なすがままにこれまでの習慣を続けることなどできません。」

断っておくが、浮沈子は宗教を持たない。

だから、カトリックの信者ではないし、この話を引用して、勧誘しようとしているわけではない。

ということを前提とした上で、しかし、この言葉は心に響いた。

話の中身は、ペトロとパウロの改心(?)についてである。

2人とも、いわくつき(?)の人物なのだ。

(ペトロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD

「新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。」

ケファ(石ころの意)は、イエスが付けたあだ名のようだ。

「ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。」

一番の高弟であったにも拘らず、ペテロはイエスを裏切る。

「イエスの受難においてペトロが逃走し、イエスを否認したことはすべての福音書に書かれている。」

(ペトロ物語(19)「ペトロとユダの違い」)
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/petoro19.htm

「ペトロは、「あなたもイエスの仲間であろう」と問われたとき、「あんな人は知らない」と、イエス様との関係を完全に否定することによって、イエス様を裏切りました。」

業界の人(キリスト教の信者)にとっては、当たり前の知識なんだろうが、浮沈子は、ユダが裏切り者という話しか知らなかった。

で、ここにも書いてあるように、ペトロは悔い改め、キリスト教の布教に力を尽くすことになる。

パウロは、イエスの死後に使徒となった。

(パウロ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD

「初期キリスト教の理論家であり、新約聖書の著者の一人。キリスト教発展の基礎を作った。ユダヤ名でサウロとも呼ばれる。」

「熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。」

「ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエス・キリストの声を聞いた、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「サウロの回心」といわれ、紀元34年頃のこととされる。」

なんか、作り話っぽいな。

いずれにしても、2人とも、すんなりと使徒になったわけではない。

フランシスコ教皇の説教は、これらを踏まえて書かれている。

まあ、この説教の趣旨は、イエスの言葉に従いましょうということなのだが。

こんな記事も見つけた。

(教皇フランシスコ、8月31日「お告げの祈り」でのことば)
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0147.htm

「あなたがたはこの世にならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神のみ心であるか……わきまえるようになりなさい」

「実際、わたしたちキリスト者は、現代の社会的、文化的背景を完全に反映した世界で生活し、順応しています。しかしそれにより、わたしたちが「世俗的」になる恐れがあります。「塩に塩気がなくなる」危険があります。」

「福音の力がキリスト者の中にまだ残っているのなら、キリスト者は「人間の判断基準、価値観、関心の的、思想傾向、インスピレーションの源、生活様式」を変えることができます。」

(ち‐の‐しお〔‐しほ〕【地の塩】)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/142144/m0u/

「イエス=キリストの教え。神を信じる者は、腐敗を防ぐ塩のように、社会・人心の純化の模範であれとの意。模範や手本のたとえ。」

かつて、ヤニを喰らい、浴びるように酒を飲み、大食し、醜く太りかえってしまった浮沈子は、とても「地の塩」とはいえないな。

それまでの生活習慣を変え、ライフスタイルとしてのダイバーとして生きようと考えている浮沈子だが、残念ながら御心に適っているとはとてもいえない。

まあ、どうでもいいんですが。

ダイブマスターになるというのは、インストラクターになるための通過儀礼で、さっさと取ってしまって、早いとこIDCを受けようなどと考えていたのだが、これは、とんでもない思い違いである。

悔い改めて(食い改め、ではない!)、しっかりとマスタリーしなければならない。

さて、飯でも食いに行くか・・・。

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