もんじゅ ― 2016年08月23日 13:57
もんじゅ
いやあ、これ程象徴的な原子炉(原発)はないな。
(もんじゅ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85
「研究用原子炉との位置付けから、商用原子炉と異なり、文部科学省の所管となる。」
浮沈子は、やっぱ、防衛省所管だと思うがな。
だって、役に立ったのは、兵器級プルトニウムの生産だけだからな。
ナトリウム漏れの事故や、設備の落下事故で再稼働ができないのは、意図的に停止しているだけではないのかあ?(だって、目的は果たしたからな)。
そうこうするうちに、福一の事故が起こり、さらにショボイ不祥事も重なり、ついには、所管団体を変えろという注文までついた。
まあいい。
廃炉一歩手前で、辛うじて踏みとどまっている感じだな。
一応、原型炉ということになっているようだ。
もともと、原子力発電所は、将来全て高速増殖炉に置き換わるはずだった。
ウラン資源は乏しく、経済的に採掘可能な資源量は60年しかないと思われていた(60年前もそう言われていたし、現在でもそう言われているから、たぶん、60年後も同じだろうけど)。
この形式の原子炉は、米国において、世界で初めて発電を行っている。
(EBR-I)
https://ja.wikipedia.org/wiki/EBR-I
「1951年12月20日午後1時50分、世界初の原子力発電に成功した。」
「1955年11月29日には、EBR-Iは運転員のミスにより部分的な炉心溶融を起こした。その後の実験のために修理が行われた。」
まあ、いろいろあったわけだ。
ウラン価格の高騰は起こらず、供給も安定しているので、米国はさっさと開発を止めてしまう。
現在稼働しているのは、ロシア(実証炉:商用発電中)、インド(研究炉)、中国(実験炉)だけ。
フランスは、先頭を突っ走っていたが、撤退した。
ロシアの場合は、廃棄した核兵器のプルトニウムを燃やしたいという特殊事情がある。
我が国は、プルトニウム作りたいということで、真逆だがな。
世界には、石油や石炭がたっぷりあって、いくらでも採掘できる。
もちろん、限界はある。
だから、次世代のエネルギーを開発することは必要だ。
しかし、今世紀中に実用化しなければならないとか、そういう切羽詰まった話ではない。
ただし、我が国の場合は、エネルギー自給率が少なく(4パーセント程度)、多少事情が異なるということはある。
だから、原子力に限らず、効率的な発電を行ったり、省エネを進めたりすることと同時に、化石燃料に頼らない、或いは有効に活用する方策を模索する必要はある。
それが、再生可能エネルギーなのか、ウランープルトニウム系の核燃料サイクルなのか、トリウムーウラン系の核燃料サイクルなのか、その他のエネルギー源(メタンハイドレートなど)なのかは、よく検討する必要がある。
政府が核燃料サイクルの旗を降ろせないのは、核廃棄物の最終処分場の問題もあるんだろう。
このまま、全ての核廃棄物を再処理せずに廃棄物にしたら、暴動が起こりかねないだろうな。
一蓮托生、死なばもろともだ。
だから、多少金は掛かっても、もんじゅを廃炉にすることは出来ない(実証炉ができれば、廃炉にするでしょうが)。
おそらく、ナトリウム冷却という、本質的にヤバイ方式ではなくなるかもしれない。
最近、増殖炉という言い方は、御法度になっているらしい。
高速炉という言い方に変わってきている。
高速中性子をぶつけて、核種変換を行い、長寿命核種を減らそうというのが目的になってきている。
しかし、増殖の旗は降ろさないだろうな。
研究ということなら、最小限の費用に絞って継続させるということになる。
たぶん、100年くらい掛かるかもしれない。
その間、物理的な原子炉を維持し続けることは困難だから、一度、廃炉にしてしまってもいいかもしれない。
だって、100年後には、我が国の人口は半分以下(3分の1くらい)になっていて、再生可能エネルギーだけで、十分に賄うことが出来るだろうからな。
人口減少は、最良のエネルギー対策だ。
(●将来推計-現状のまま推移した場合、100年後には現在の3分の1まで急減)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_1.html
だから、もんじゅは、極めて象徴的な原子炉だ。
人口が増加しつつあった時代に建設され、減少に転じた時代に運用され(ちょっとだけ)、減少が加速する時代に廃炉になるわけだ。
それは、我が国のエネルギー需要の変化に対応することになるんだろう。
そうこうしているうちに、世界は小型原子炉の時代になってしまうかもしれない。
(東芝が誇る原子力発電の研究施設にその男はお忍びでやってきた)
http://sindbad4.web.fc2.com/htmn-file/20150314a.htm
4CやTWR以外にも、この分野は研究が盛んだ。
(町会原発!?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/04/24/6424608
「そのうち、一家に一台の時代が来るかもしれない。」
原発との共存なのか、人口減少による究極の省エネで、未来を再生可能エネルギーに委ねるのか。
もんじゅは、長寿命核種の焼却炉として生き残りを図るしかないのかな。
それとも、それは、加速器駆動未臨界路の登場を待つことになるのか。
未来の原子炉を見通すとき、もんじゅが、その結節点にいる様な気がしてならない。
いやあ、これ程象徴的な原子炉(原発)はないな。
(もんじゅ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%85
「研究用原子炉との位置付けから、商用原子炉と異なり、文部科学省の所管となる。」
浮沈子は、やっぱ、防衛省所管だと思うがな。
だって、役に立ったのは、兵器級プルトニウムの生産だけだからな。
ナトリウム漏れの事故や、設備の落下事故で再稼働ができないのは、意図的に停止しているだけではないのかあ?(だって、目的は果たしたからな)。
そうこうするうちに、福一の事故が起こり、さらにショボイ不祥事も重なり、ついには、所管団体を変えろという注文までついた。
まあいい。
廃炉一歩手前で、辛うじて踏みとどまっている感じだな。
一応、原型炉ということになっているようだ。
もともと、原子力発電所は、将来全て高速増殖炉に置き換わるはずだった。
ウラン資源は乏しく、経済的に採掘可能な資源量は60年しかないと思われていた(60年前もそう言われていたし、現在でもそう言われているから、たぶん、60年後も同じだろうけど)。
この形式の原子炉は、米国において、世界で初めて発電を行っている。
(EBR-I)
https://ja.wikipedia.org/wiki/EBR-I
「1951年12月20日午後1時50分、世界初の原子力発電に成功した。」
「1955年11月29日には、EBR-Iは運転員のミスにより部分的な炉心溶融を起こした。その後の実験のために修理が行われた。」
まあ、いろいろあったわけだ。
ウラン価格の高騰は起こらず、供給も安定しているので、米国はさっさと開発を止めてしまう。
現在稼働しているのは、ロシア(実証炉:商用発電中)、インド(研究炉)、中国(実験炉)だけ。
フランスは、先頭を突っ走っていたが、撤退した。
ロシアの場合は、廃棄した核兵器のプルトニウムを燃やしたいという特殊事情がある。
我が国は、プルトニウム作りたいということで、真逆だがな。
世界には、石油や石炭がたっぷりあって、いくらでも採掘できる。
もちろん、限界はある。
だから、次世代のエネルギーを開発することは必要だ。
しかし、今世紀中に実用化しなければならないとか、そういう切羽詰まった話ではない。
ただし、我が国の場合は、エネルギー自給率が少なく(4パーセント程度)、多少事情が異なるということはある。
だから、原子力に限らず、効率的な発電を行ったり、省エネを進めたりすることと同時に、化石燃料に頼らない、或いは有効に活用する方策を模索する必要はある。
それが、再生可能エネルギーなのか、ウランープルトニウム系の核燃料サイクルなのか、トリウムーウラン系の核燃料サイクルなのか、その他のエネルギー源(メタンハイドレートなど)なのかは、よく検討する必要がある。
政府が核燃料サイクルの旗を降ろせないのは、核廃棄物の最終処分場の問題もあるんだろう。
このまま、全ての核廃棄物を再処理せずに廃棄物にしたら、暴動が起こりかねないだろうな。
一蓮托生、死なばもろともだ。
だから、多少金は掛かっても、もんじゅを廃炉にすることは出来ない(実証炉ができれば、廃炉にするでしょうが)。
おそらく、ナトリウム冷却という、本質的にヤバイ方式ではなくなるかもしれない。
最近、増殖炉という言い方は、御法度になっているらしい。
高速炉という言い方に変わってきている。
高速中性子をぶつけて、核種変換を行い、長寿命核種を減らそうというのが目的になってきている。
しかし、増殖の旗は降ろさないだろうな。
研究ということなら、最小限の費用に絞って継続させるということになる。
たぶん、100年くらい掛かるかもしれない。
その間、物理的な原子炉を維持し続けることは困難だから、一度、廃炉にしてしまってもいいかもしれない。
だって、100年後には、我が国の人口は半分以下(3分の1くらい)になっていて、再生可能エネルギーだけで、十分に賄うことが出来るだろうからな。
人口減少は、最良のエネルギー対策だ。
(●将来推計-現状のまま推移した場合、100年後には現在の3分の1まで急減)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/sentaku/s2_1.html
だから、もんじゅは、極めて象徴的な原子炉だ。
人口が増加しつつあった時代に建設され、減少に転じた時代に運用され(ちょっとだけ)、減少が加速する時代に廃炉になるわけだ。
それは、我が国のエネルギー需要の変化に対応することになるんだろう。
そうこうしているうちに、世界は小型原子炉の時代になってしまうかもしれない。
(東芝が誇る原子力発電の研究施設にその男はお忍びでやってきた)
http://sindbad4.web.fc2.com/htmn-file/20150314a.htm
4CやTWR以外にも、この分野は研究が盛んだ。
(町会原発!?)
http://kfujito2.asablo.jp/blog/2012/04/24/6424608
「そのうち、一家に一台の時代が来るかもしれない。」
原発との共存なのか、人口減少による究極の省エネで、未来を再生可能エネルギーに委ねるのか。
もんじゅは、長寿命核種の焼却炉として生き残りを図るしかないのかな。
それとも、それは、加速器駆動未臨界路の登場を待つことになるのか。
未来の原子炉を見通すとき、もんじゅが、その結節点にいる様な気がしてならない。
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